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第八十六話『女神の国4』
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隣国の町アレスタの陥落から一日が経過した。難民の流入は断続的に続いていたが、ある時点を境に止まった。夏の虫の合唱も鳥の鳴き声も消え、村の近隣は不気味な静寂に支配された。
日暮れの一時間前に松明に火が灯され、草原が赤く点々と照らされた。
吹きつける風は生ぬるく、薄っすら漂う血の匂いが不安を助長させる。
「────オォォォォォォ」
空の赤らみに合わせて魔物の遠吠えが聞こえ、次いで接近警報代わりの鏑矢の音が鳴る。薄暗がりの先に魔物の群れらしき影は無いが、接敵はもう間近だった。
村の外周には即興の防壁が築かれ、そこに武装したロアの騎士団二十八人が布陣する。その後方には百四十人、弓と手製の槍を持った村人と難民が待機している。
「おい、武器が足りねぇぞ! 農具でもいいから持って来させろ!」
「でもこれ無くなったら明日からどう仕事すっぺや?」
「なぁに呑気なこと言ってんだ! ここを耐えなきゃ全滅なんだよ!」
魔物の群れの総数は千に達する。単純計算なら六倍近い戦力差だが、それは力を同等と見積もった場合の話だ。実際の戦力差は数十倍にまで達していた。
「はぁ……、まさかこんなことになる何てな」
「お前、ロア様に撤退の進言したんだって? あの人が魔物相手に退くはずがないって、他国を回ってた時に散々思い知らされただろ」
「死んで欲しくなかったんだよ。顔が良いだけの第一王子や金遣いの荒い第二王子なんかより、ロアスタット様の方が国王に相応しい」
「同感だ。この国が血統主義でさえなきゃな」
絶望的な状況だが、ロアの騎士団の士気は旺盛だった。理由の一つ目は全員がロアに忠誠を誓っていること、二つ目は多少だが対魔物戦闘の心得があるということ、三つ目は頼れる味方の存在だ。
「おいおい、もう負ける気でいるのかよ。こっちにはガーブランド臨時教官がいるんだぜ」
「先鋒を務めるんだってな。おれなら勲章と大金を詰まれても逃げるぜ」
「おれはそこらの魔物よりあの人の方がおっかねぇや」
肩ひじを張らず笑みを交わし、騎士団の面々は気を引き締めた。
ロアとガーブランドが馬に乗って現れ、戦列の前へと立った。
「…………森を抜けてきた魔物が松明の明かりを越えるまで、猶予は幾ばくもない。最大の脅威となるドラゴンの存在も確認された。戦況は絶望的だ」
一部の騎士と村人がどよめくが、ロアはそれをかき消すように告げた。
「────しかしこれは負け戦ではない! 我らは魔物災害に正面から立ち向かい、これを打ち倒す! 栄えある勝利を持って、この戦いを人類の反撃の狼煙としてみせる!」
そんなことができるわけないと、大半の者が考えた。だがロアの出で立ちに自暴自棄な雰囲気はなかった。ひたすらに眼前の勝利のみを信じていた。
「────勝利条件はただ一つ、それは耐え抜くことだ! 決して折れずに戦い続ければ、我らの前に天使……いや女神様が君臨して下さる!」
絶望を紛らわすための神頼みかと、誰かが言った。だがロアの発言は嘘でも何でもないと、命を救われた村人が声を張り上げた。
「そうだべ! おらたちはあの夜、天使様に救われたべ! 希望を捨てなければお救いに現れて下さる! ロア様の言葉は間違ってねぇべ!」
「あ、あれって中継地選別のための嘘じゃねぇべか……?」
「罰当たり言うなぁ! 何十人もの村人があのお姿を見ただ! まだ現れてないのはおらたちの決意を見るためだべ! 今が信仰を示す時だぁ!」
そうだそうだと同意の連鎖が始まり、一人の勝どきに数十人の村人が応えた。大地を震わせるような咆哮を受け、死の恐怖に怯えていた者の目にも光が灯る。ロアは微笑みと共に前を向いた。
「…………我が血肉と信仰は、女神ルルニア・ミハエル様と共に」
兜の面頬を下ろして目元を守ると、偵察に出ていた騎士が戻ってきた。魔物たちは大地を埋め尽くすように蠢き姿を現し、設置された松明の台を倒していく。
ロアの号令で数名の騎士が前に行き、衝撃で発光する石を草原に投げた。奇怪な魔物の相貌が照らされ、防衛線から悲鳴が上がる。そこにロアは畳みかけた。
「────総員、奮起せよ! 我らの戦いはより良き明日のため! この勝利は全人類の希望のため! 醜悪な闇を我らの手で打ち払うのだ!!」
鞘から剣を引き抜き、空に高々と掲げる。刃の両面に夕暮れの太陽と月明かりが映され、それを見た騎士たちが一斉に迎撃態勢を取る。
地鳴りを響かせて進む魔物の群れへ、矢が雨のように射られる。木っ端な魔物はそれで倒れるが、強靭な肉体を持つ魔物には効果がない。村人の勇気に陰りが出るが、そこで最大戦力が動いた。
「頃合いか、では一番槍はいただこう」
背から大剣を引き抜き、ガーブランドは単騎で草原を駆けていく。頭上を飛び交う矢を気にもせず、魔物の群れの先陣に超重量の刃を浴びせる。
「ギィッ!!?」
「ガガ、ゲゲギャ!?」
「グルラァ!!」
肉が裂けて骨が潰れ、血のしぶきが上がる。ひと薙ぎで魔物三体を討ち、瞬きの間に次の魔物を討つ。その戦いぶりは戦鬼と呼ぶにふさわしいものだった。
「────さぁ!! この先に行きたくば吾輩を殺してみろ!!!」
咆哮と咆哮がぶつかり合い、戦況は第二局面へと移行する。
夕暮れの太陽が山の影に落ち、サキュバスの夜が幕を開けた。
日暮れの一時間前に松明に火が灯され、草原が赤く点々と照らされた。
吹きつける風は生ぬるく、薄っすら漂う血の匂いが不安を助長させる。
「────オォォォォォォ」
空の赤らみに合わせて魔物の遠吠えが聞こえ、次いで接近警報代わりの鏑矢の音が鳴る。薄暗がりの先に魔物の群れらしき影は無いが、接敵はもう間近だった。
村の外周には即興の防壁が築かれ、そこに武装したロアの騎士団二十八人が布陣する。その後方には百四十人、弓と手製の槍を持った村人と難民が待機している。
「おい、武器が足りねぇぞ! 農具でもいいから持って来させろ!」
「でもこれ無くなったら明日からどう仕事すっぺや?」
「なぁに呑気なこと言ってんだ! ここを耐えなきゃ全滅なんだよ!」
魔物の群れの総数は千に達する。単純計算なら六倍近い戦力差だが、それは力を同等と見積もった場合の話だ。実際の戦力差は数十倍にまで達していた。
「はぁ……、まさかこんなことになる何てな」
「お前、ロア様に撤退の進言したんだって? あの人が魔物相手に退くはずがないって、他国を回ってた時に散々思い知らされただろ」
「死んで欲しくなかったんだよ。顔が良いだけの第一王子や金遣いの荒い第二王子なんかより、ロアスタット様の方が国王に相応しい」
「同感だ。この国が血統主義でさえなきゃな」
絶望的な状況だが、ロアの騎士団の士気は旺盛だった。理由の一つ目は全員がロアに忠誠を誓っていること、二つ目は多少だが対魔物戦闘の心得があるということ、三つ目は頼れる味方の存在だ。
「おいおい、もう負ける気でいるのかよ。こっちにはガーブランド臨時教官がいるんだぜ」
「先鋒を務めるんだってな。おれなら勲章と大金を詰まれても逃げるぜ」
「おれはそこらの魔物よりあの人の方がおっかねぇや」
肩ひじを張らず笑みを交わし、騎士団の面々は気を引き締めた。
ロアとガーブランドが馬に乗って現れ、戦列の前へと立った。
「…………森を抜けてきた魔物が松明の明かりを越えるまで、猶予は幾ばくもない。最大の脅威となるドラゴンの存在も確認された。戦況は絶望的だ」
一部の騎士と村人がどよめくが、ロアはそれをかき消すように告げた。
「────しかしこれは負け戦ではない! 我らは魔物災害に正面から立ち向かい、これを打ち倒す! 栄えある勝利を持って、この戦いを人類の反撃の狼煙としてみせる!」
そんなことができるわけないと、大半の者が考えた。だがロアの出で立ちに自暴自棄な雰囲気はなかった。ひたすらに眼前の勝利のみを信じていた。
「────勝利条件はただ一つ、それは耐え抜くことだ! 決して折れずに戦い続ければ、我らの前に天使……いや女神様が君臨して下さる!」
絶望を紛らわすための神頼みかと、誰かが言った。だがロアの発言は嘘でも何でもないと、命を救われた村人が声を張り上げた。
「そうだべ! おらたちはあの夜、天使様に救われたべ! 希望を捨てなければお救いに現れて下さる! ロア様の言葉は間違ってねぇべ!」
「あ、あれって中継地選別のための嘘じゃねぇべか……?」
「罰当たり言うなぁ! 何十人もの村人があのお姿を見ただ! まだ現れてないのはおらたちの決意を見るためだべ! 今が信仰を示す時だぁ!」
そうだそうだと同意の連鎖が始まり、一人の勝どきに数十人の村人が応えた。大地を震わせるような咆哮を受け、死の恐怖に怯えていた者の目にも光が灯る。ロアは微笑みと共に前を向いた。
「…………我が血肉と信仰は、女神ルルニア・ミハエル様と共に」
兜の面頬を下ろして目元を守ると、偵察に出ていた騎士が戻ってきた。魔物たちは大地を埋め尽くすように蠢き姿を現し、設置された松明の台を倒していく。
ロアの号令で数名の騎士が前に行き、衝撃で発光する石を草原に投げた。奇怪な魔物の相貌が照らされ、防衛線から悲鳴が上がる。そこにロアは畳みかけた。
「────総員、奮起せよ! 我らの戦いはより良き明日のため! この勝利は全人類の希望のため! 醜悪な闇を我らの手で打ち払うのだ!!」
鞘から剣を引き抜き、空に高々と掲げる。刃の両面に夕暮れの太陽と月明かりが映され、それを見た騎士たちが一斉に迎撃態勢を取る。
地鳴りを響かせて進む魔物の群れへ、矢が雨のように射られる。木っ端な魔物はそれで倒れるが、強靭な肉体を持つ魔物には効果がない。村人の勇気に陰りが出るが、そこで最大戦力が動いた。
「頃合いか、では一番槍はいただこう」
背から大剣を引き抜き、ガーブランドは単騎で草原を駆けていく。頭上を飛び交う矢を気にもせず、魔物の群れの先陣に超重量の刃を浴びせる。
「ギィッ!!?」
「ガガ、ゲゲギャ!?」
「グルラァ!!」
肉が裂けて骨が潰れ、血のしぶきが上がる。ひと薙ぎで魔物三体を討ち、瞬きの間に次の魔物を討つ。その戦いぶりは戦鬼と呼ぶにふさわしいものだった。
「────さぁ!! この先に行きたくば吾輩を殺してみろ!!!」
咆哮と咆哮がぶつかり合い、戦況は第二局面へと移行する。
夕暮れの太陽が山の影に落ち、サキュバスの夜が幕を開けた。
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