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第九十五話『賑わいの先に1』
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往診を済ませて帰路につき、俺はルルニアの酒場に立ち寄った。
店の前には長蛇の列があり、店内は相当な賑わいとなっていた。
「…………いつ来ても凄いな。大通りの出店を除けば、ここがこの村で唯一飲み食いできる場所だからな。当然と言えば当然か」
アストロアスの発展速度は異常であり、町づくりが追いついていない。ロアの検閲を通った商会が飲食系の店の建築を始めているが、開店はしばし掛かる見込みだ。
窓から中を覗くと、新顔の店員が二人いた。片方は男性でもう片方は女性、どちらも外から仕事を探しに来た若者だ。
「……ルルニアは、ここからだと見えないな」
許可は得ているため、正面からではなく裏口から入った。以前は卓上にロウソクがあるぐらいだったが、今は壁にランプの明かりがある。店内全体が温かく照らされており、活気ある声が耳に届いてきた。
「ミハエルさん! 三番テーブルの料理できたよ!」
「はーい、ただいま伺います!」
「給仕長、五番テーブルのお客様が酔って暴れて!」
「分かりました! すぐに!」
勤務時間はとっくに過ぎているが、ルルニアは機敏に店内を駆け回っていた。『給仕長』というのは新人教育に際して設けられた役職であり、店の運営にルルニアが必要不可欠な人材となった証明でもある。
「手伝えるなら手伝いたいが、前にそれで断られたしな」
壁際に立って待っていると、一人の酔っ払いの動きが目についた。
死角からルルニアの尻に触れようとするが、急によろけて倒れた。
「…………はぁれ? おれ、どうひれ?」
「ははっ! おめぇ、酒飲み過ぎだろ! 呂律も回ってねぇじゃん!」
「…………か、かららがうごかねぇひょ」
「ったく、しょうがねぇ! おねぇちゃん、二人分の勘定を頼むぜ!」
仲間に肩を貸され、酔っ払いが店の外に出た。ああいうお触りをする客への対策として、サキュバスの術で一定時間身動きを封じていると聞いている。
それでも夫としては心配であり、何事も起きないことを祈った。ひと段落ついたところでルルニアはお盆をカウンターに置き、店長と店員に言った。
「すいません、夫が迎えに来たので帰ります」
「はいよ! 残業してもらったぶんは後で足しておくからね!」
「えー! 奥さん、もう帰っちまうのかい?」
「お夕食を作るようなので、魔物狩りのお話はまた今度ですね」
ルルニアの帰宅を惜しむ声がそこら中で上がった。もはや店という枠組みを超え、アストロアス全体の看板娘と言っても過言ではない人気ぶりだ。
(……どうだ俺の嫁は)
腕組みして調子に乗っていると、ルルニアが私服に着替えて戻ってきた。秋の入りということもあって服の袖は長く、首にはスカーフを巻いている。
髪色は働き始めの頃の茶から桃色に変わっているが、これは女神のご尊顔にあやかって染めたことにしている。半月ほど前から馴染みとなった姿だ。
「それでは帰りましょうか、あなた」
「あぁ、家に着く前に寄る場所はあるか?」
「今日はないです。それじゃあ、皆さんお先です」
俺の腕に細い腕を回し、ルルニアは笑顔で手を振った。
酒場を出て大通りを目指すが、朝や昼間ほど人は出歩いていなかった。魔物の素材市場が閉じたのが理由の大部分だが、一番は宿屋が少ないからだ。
「早く何とかしたいが、こればっかりはな」
「一時の我慢と思ってもらう他ないですね。魔物災害の事情は広まっていますし、冬までに何とかすれば大きな不満は出ないでしょう。大工の皆さんの腕に期待ですね」
俺たちは門番に声を掛け、外の暗闇に足を踏み入れた。以前は引き止められたものだが、ここ最近は何も言われない。理由の大部分を占めるのはルルニアの力だ。
「ここ二ヵ月で一度も魔物を見てないって往診の時に言われたぞ」
「それは良い傾向ですね。毎日エッチしてる甲斐があるというものです」
「効果範囲はアストロアス周辺と、近辺の山中だな。一帯には高い山があるから、そこで縄張りを示す魔力の波動がせき止められているみたいだ」
もっと平らな土地であればと思うが、それを言っても仕方がない。
全部ルルニアのおかげだと言うと、不満気な顔で軽めに叱られた。
「私一人じゃなく、二人の成果ですよ?」
「……分かってる。俺の役目はルルニアに精気を与えることだ。腕っぷしが強くなっても救える人間はたかが知れている。それはあの戦いで実感した」
「その割には腑に落ちてないお顔ですね」
「……納得した上で、このままでいいのかって思うんだ。平和な日常が続けば続くほど、何か悪いことが起きてしまうんじゃないかって考えてしまう」
より大きな魔物災害が起きたとしたら、単体で強大な力を持った魔物が現れたらどうすべきか。心の奥底ではそんな悩みが渦巻いていた。
気掛かりなのはガーブランドの妻を殺した『強力なサキュバス』だ。ドラゴンを上回る力を持ったルルニアでも勝てないのか、それを知りたかった。だがここしばらくガーブランドと会えてなかった。
「ロアの帰還に合わせて、教官の任が終わったからな」
「ではニーチャを頼りましょう。あの子、毎日のようにお弁当を作って持っていっていますので、言えば連れてきてくれると思います」
「知らなかった。もしや意外に上手く行ってるのか?」
「恋愛対象として認識されてはいないみたいですが、可愛がられてはいるみたいです。私に言わせれば、その隙そのものが致命的です」
二年もあれば堕とせる見込みだと、狡猾な笑みで語った。二人の未来を祝福しながら歩いていると、ルルニが急に脇道に折れた。そして言った。
「────では方針も決まったところで、今日の夜伽と行きませんか?」
店の前には長蛇の列があり、店内は相当な賑わいとなっていた。
「…………いつ来ても凄いな。大通りの出店を除けば、ここがこの村で唯一飲み食いできる場所だからな。当然と言えば当然か」
アストロアスの発展速度は異常であり、町づくりが追いついていない。ロアの検閲を通った商会が飲食系の店の建築を始めているが、開店はしばし掛かる見込みだ。
窓から中を覗くと、新顔の店員が二人いた。片方は男性でもう片方は女性、どちらも外から仕事を探しに来た若者だ。
「……ルルニアは、ここからだと見えないな」
許可は得ているため、正面からではなく裏口から入った。以前は卓上にロウソクがあるぐらいだったが、今は壁にランプの明かりがある。店内全体が温かく照らされており、活気ある声が耳に届いてきた。
「ミハエルさん! 三番テーブルの料理できたよ!」
「はーい、ただいま伺います!」
「給仕長、五番テーブルのお客様が酔って暴れて!」
「分かりました! すぐに!」
勤務時間はとっくに過ぎているが、ルルニアは機敏に店内を駆け回っていた。『給仕長』というのは新人教育に際して設けられた役職であり、店の運営にルルニアが必要不可欠な人材となった証明でもある。
「手伝えるなら手伝いたいが、前にそれで断られたしな」
壁際に立って待っていると、一人の酔っ払いの動きが目についた。
死角からルルニアの尻に触れようとするが、急によろけて倒れた。
「…………はぁれ? おれ、どうひれ?」
「ははっ! おめぇ、酒飲み過ぎだろ! 呂律も回ってねぇじゃん!」
「…………か、かららがうごかねぇひょ」
「ったく、しょうがねぇ! おねぇちゃん、二人分の勘定を頼むぜ!」
仲間に肩を貸され、酔っ払いが店の外に出た。ああいうお触りをする客への対策として、サキュバスの術で一定時間身動きを封じていると聞いている。
それでも夫としては心配であり、何事も起きないことを祈った。ひと段落ついたところでルルニアはお盆をカウンターに置き、店長と店員に言った。
「すいません、夫が迎えに来たので帰ります」
「はいよ! 残業してもらったぶんは後で足しておくからね!」
「えー! 奥さん、もう帰っちまうのかい?」
「お夕食を作るようなので、魔物狩りのお話はまた今度ですね」
ルルニアの帰宅を惜しむ声がそこら中で上がった。もはや店という枠組みを超え、アストロアス全体の看板娘と言っても過言ではない人気ぶりだ。
(……どうだ俺の嫁は)
腕組みして調子に乗っていると、ルルニアが私服に着替えて戻ってきた。秋の入りということもあって服の袖は長く、首にはスカーフを巻いている。
髪色は働き始めの頃の茶から桃色に変わっているが、これは女神のご尊顔にあやかって染めたことにしている。半月ほど前から馴染みとなった姿だ。
「それでは帰りましょうか、あなた」
「あぁ、家に着く前に寄る場所はあるか?」
「今日はないです。それじゃあ、皆さんお先です」
俺の腕に細い腕を回し、ルルニアは笑顔で手を振った。
酒場を出て大通りを目指すが、朝や昼間ほど人は出歩いていなかった。魔物の素材市場が閉じたのが理由の大部分だが、一番は宿屋が少ないからだ。
「早く何とかしたいが、こればっかりはな」
「一時の我慢と思ってもらう他ないですね。魔物災害の事情は広まっていますし、冬までに何とかすれば大きな不満は出ないでしょう。大工の皆さんの腕に期待ですね」
俺たちは門番に声を掛け、外の暗闇に足を踏み入れた。以前は引き止められたものだが、ここ最近は何も言われない。理由の大部分を占めるのはルルニアの力だ。
「ここ二ヵ月で一度も魔物を見てないって往診の時に言われたぞ」
「それは良い傾向ですね。毎日エッチしてる甲斐があるというものです」
「効果範囲はアストロアス周辺と、近辺の山中だな。一帯には高い山があるから、そこで縄張りを示す魔力の波動がせき止められているみたいだ」
もっと平らな土地であればと思うが、それを言っても仕方がない。
全部ルルニアのおかげだと言うと、不満気な顔で軽めに叱られた。
「私一人じゃなく、二人の成果ですよ?」
「……分かってる。俺の役目はルルニアに精気を与えることだ。腕っぷしが強くなっても救える人間はたかが知れている。それはあの戦いで実感した」
「その割には腑に落ちてないお顔ですね」
「……納得した上で、このままでいいのかって思うんだ。平和な日常が続けば続くほど、何か悪いことが起きてしまうんじゃないかって考えてしまう」
より大きな魔物災害が起きたとしたら、単体で強大な力を持った魔物が現れたらどうすべきか。心の奥底ではそんな悩みが渦巻いていた。
気掛かりなのはガーブランドの妻を殺した『強力なサキュバス』だ。ドラゴンを上回る力を持ったルルニアでも勝てないのか、それを知りたかった。だがここしばらくガーブランドと会えてなかった。
「ロアの帰還に合わせて、教官の任が終わったからな」
「ではニーチャを頼りましょう。あの子、毎日のようにお弁当を作って持っていっていますので、言えば連れてきてくれると思います」
「知らなかった。もしや意外に上手く行ってるのか?」
「恋愛対象として認識されてはいないみたいですが、可愛がられてはいるみたいです。私に言わせれば、その隙そのものが致命的です」
二年もあれば堕とせる見込みだと、狡猾な笑みで語った。二人の未来を祝福しながら歩いていると、ルルニが急に脇道に折れた。そして言った。
「────では方針も決まったところで、今日の夜伽と行きませんか?」
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