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第百四十八話『少年とサキュバス』
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…………赤と黄の葉で彩られた山道を一人の少年が進む。背負った籠には茶色の茸が山ほど入っており、歩く度に中身が右へ左へと揺れ動いた。
「おーい! あんまし遠くに行くんでねぇど!」
地面にしゃがんでせっせと採取を行っていると、茂みの先から父親の声がした。少年は返事をして戻ろうとし、木陰に生えた立派な茸を見つけた。
一つを採ったら二つ三つと、籠からこぼれ落ちそうになるぐらい茸を詰め込む。達成感と共に立ち上がり、少年は額に浮いた汗を拭って喜んだ。
「やった、こんなに採れたのは初めてだ」
アストロアス全域がルルニアの縄張りとなり、森の奥地に入ることが可能となった。手つかずな場所には潤沢な実りがあり、住民たちは日ごとに活動域を広げていった。
「これだけあれば、弟に腹いっぱいご飯を食べさせられるぞ」
少年は来た道を戻ろうと足を動かし、その場に立ち止まった。
「……あれ、ここどこだろう?」
さっきまで通っていたはずの山道が消えていた。父親を呼ぼうと声を張り上げるが、いくら待っても望む返事はこなかった。
こちらだと思う方向に進むが、森が深まるだけだった。別の方向に進んでも結果は変わらず、元の場所すら分からなくなった。
少年は急に怖くなり、鳥の鳴き声を聞くだけで怯えた。離れた位置の茂みがガサリと動くのを見て、わき目も振らず逃げた。姿を見せたのは灰色の野兎だったが確認する暇はなかった。
「────誰か! 誰か助けて!!」
下を目指せば山から出られると、そう思って走った。石や木の根に足を取られる度に籠の中身が散らばるが、気づくことはなかった。
日が落ち始めた頃には体力もつき、息を切らして地面に座り込んだ。狼の遠吠えに背筋を震わせ、籠を身体の前に置いて涙を流した。
「お父さん……どこぉ……怖いよぉ……」
こんなことなら一緒に行動すべきだったと、少年は反省した。だがそれで父親が顔を出すことはなく、夜の闇は深まるばかりだった。
「……ごめんなさい。もう悪いこと、しません。これからは……ひぐっ、良い子にします。だからどうか……ぐず、助けて下さい」
女神様と、月明りの木漏れ日を見上げて祈った。そんな時のことだった。
「きひひひ、何してんだお前」
両手いっぱいに茸を抱え、サキュバスの少女ニャンが現れた。頭の脇には片角があり、背中には黒い翼が生えている。それらは人間に擬態した魔物の特徴と言い伝えられており、少年は逃げた。
「おい、そっちは」
「え? 痛っ!?」
棒のような物を踏んだと思った瞬間、右足に激痛が走った。
脛には一匹の蛇が噛みついており、倒れた衝撃で牙を離した。
「へ、蛇? もしかして……毒!?」
少年は手と手で膝を抑え、これ以上毒が回らないようにした。早く薬を使わねばと思うが、手元にそんな物はない。どうしようかと焦って右往左往していると、ニャンがきひっと笑った。
「お前、あわれ過ぎて面白いから助けてやる」
え、と困惑する少年の足をニャンが掴んだ。
牙が刺さった箇所に口を当て、血を吸った。
「……君は、いったい」
ニャンは少年の疑問に答えず、口に溜めた血を吐いた。
息継ぎをした後にも血を吸い、四回ほどで口を離した。
「きひひひ、少しはよくなっただろ? ひひっ」
「……うん、たぶん。えっと、ありがとう」
「は、どういたしましてだ。きししし」
目を見開いて笑うニャンの顔は不気味だった。が、命を救われたという事実が少年の心から恐怖心を取り除いた。わずかな間を置いて二人は自己紹介した。
「ぼくはエドワード、君は何てお名前なの?」
「ニャン・クロム。足りない頭で覚えておけ」
名乗りと同時にニャンは立ち、襟首を掴んでエドワードを起こした。
片角では人を抱えて飛ぶことはできず、道案内しながら森を進んだ。
「ねぇ、ニャンは女神様が遣わした天使様?」
「きひひ、当たらずとも遠からずだ」
「ならどうして、角も翼も真っ黒なの?」
「………………へひ?」
その指摘を受けた瞬間、ニャンは足を止めた。翼の先端を身体の前に移動させ、冷や汗を大量に垂らしてエドワードへと振り向いた。
「ここで見たこと、全部忘れろ」
「え、急にそんなことを言われても……」
「忘れろ。じゃないとここにいられなくなる」
ニャンはニャンなりに今の生活を気に入っていた。素性がバレたら追放されるのではと思い、爪を噛んで不味い不味いと焦った。
「おい、人間。助けられた恩を返す気はあるか、あるな!」
「う、うん、もちろんあるよ」
「だったらおれのモノになれ! 下僕になると約束しろ!」
必死な声にエドワードは頷いた。この夜のことを黙るならエッチな思いをさせてやると言われ、これにも頷いた。そして「約束だな!」というニャンを見つめた。
(……エッチって言葉の意味は分からないけど、ようするにまたニャンと会えるんだよね?)
変わり者なニャンにエドワードは惹かれ始めていた。名前ではなく『下僕』と呼ばれるが、嫌悪感はなかった。二人は手を固く握って暗い森を出た。
「おーい! あんまし遠くに行くんでねぇど!」
地面にしゃがんでせっせと採取を行っていると、茂みの先から父親の声がした。少年は返事をして戻ろうとし、木陰に生えた立派な茸を見つけた。
一つを採ったら二つ三つと、籠からこぼれ落ちそうになるぐらい茸を詰め込む。達成感と共に立ち上がり、少年は額に浮いた汗を拭って喜んだ。
「やった、こんなに採れたのは初めてだ」
アストロアス全域がルルニアの縄張りとなり、森の奥地に入ることが可能となった。手つかずな場所には潤沢な実りがあり、住民たちは日ごとに活動域を広げていった。
「これだけあれば、弟に腹いっぱいご飯を食べさせられるぞ」
少年は来た道を戻ろうと足を動かし、その場に立ち止まった。
「……あれ、ここどこだろう?」
さっきまで通っていたはずの山道が消えていた。父親を呼ぼうと声を張り上げるが、いくら待っても望む返事はこなかった。
こちらだと思う方向に進むが、森が深まるだけだった。別の方向に進んでも結果は変わらず、元の場所すら分からなくなった。
少年は急に怖くなり、鳥の鳴き声を聞くだけで怯えた。離れた位置の茂みがガサリと動くのを見て、わき目も振らず逃げた。姿を見せたのは灰色の野兎だったが確認する暇はなかった。
「────誰か! 誰か助けて!!」
下を目指せば山から出られると、そう思って走った。石や木の根に足を取られる度に籠の中身が散らばるが、気づくことはなかった。
日が落ち始めた頃には体力もつき、息を切らして地面に座り込んだ。狼の遠吠えに背筋を震わせ、籠を身体の前に置いて涙を流した。
「お父さん……どこぉ……怖いよぉ……」
こんなことなら一緒に行動すべきだったと、少年は反省した。だがそれで父親が顔を出すことはなく、夜の闇は深まるばかりだった。
「……ごめんなさい。もう悪いこと、しません。これからは……ひぐっ、良い子にします。だからどうか……ぐず、助けて下さい」
女神様と、月明りの木漏れ日を見上げて祈った。そんな時のことだった。
「きひひひ、何してんだお前」
両手いっぱいに茸を抱え、サキュバスの少女ニャンが現れた。頭の脇には片角があり、背中には黒い翼が生えている。それらは人間に擬態した魔物の特徴と言い伝えられており、少年は逃げた。
「おい、そっちは」
「え? 痛っ!?」
棒のような物を踏んだと思った瞬間、右足に激痛が走った。
脛には一匹の蛇が噛みついており、倒れた衝撃で牙を離した。
「へ、蛇? もしかして……毒!?」
少年は手と手で膝を抑え、これ以上毒が回らないようにした。早く薬を使わねばと思うが、手元にそんな物はない。どうしようかと焦って右往左往していると、ニャンがきひっと笑った。
「お前、あわれ過ぎて面白いから助けてやる」
え、と困惑する少年の足をニャンが掴んだ。
牙が刺さった箇所に口を当て、血を吸った。
「……君は、いったい」
ニャンは少年の疑問に答えず、口に溜めた血を吐いた。
息継ぎをした後にも血を吸い、四回ほどで口を離した。
「きひひひ、少しはよくなっただろ? ひひっ」
「……うん、たぶん。えっと、ありがとう」
「は、どういたしましてだ。きししし」
目を見開いて笑うニャンの顔は不気味だった。が、命を救われたという事実が少年の心から恐怖心を取り除いた。わずかな間を置いて二人は自己紹介した。
「ぼくはエドワード、君は何てお名前なの?」
「ニャン・クロム。足りない頭で覚えておけ」
名乗りと同時にニャンは立ち、襟首を掴んでエドワードを起こした。
片角では人を抱えて飛ぶことはできず、道案内しながら森を進んだ。
「ねぇ、ニャンは女神様が遣わした天使様?」
「きひひ、当たらずとも遠からずだ」
「ならどうして、角も翼も真っ黒なの?」
「………………へひ?」
その指摘を受けた瞬間、ニャンは足を止めた。翼の先端を身体の前に移動させ、冷や汗を大量に垂らしてエドワードへと振り向いた。
「ここで見たこと、全部忘れろ」
「え、急にそんなことを言われても……」
「忘れろ。じゃないとここにいられなくなる」
ニャンはニャンなりに今の生活を気に入っていた。素性がバレたら追放されるのではと思い、爪を噛んで不味い不味いと焦った。
「おい、人間。助けられた恩を返す気はあるか、あるな!」
「う、うん、もちろんあるよ」
「だったらおれのモノになれ! 下僕になると約束しろ!」
必死な声にエドワードは頷いた。この夜のことを黙るならエッチな思いをさせてやると言われ、これにも頷いた。そして「約束だな!」というニャンを見つめた。
(……エッチって言葉の意味は分からないけど、ようするにまたニャンと会えるんだよね?)
変わり者なニャンにエドワードは惹かれ始めていた。名前ではなく『下僕』と呼ばれるが、嫌悪感はなかった。二人は手を固く握って暗い森を出た。
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