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第百四十九話『港町トロンコルト1』
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山間部の宿を出て三日、俺たちは港町の近くにきた。
渓谷を抜けた先には陽光を反射させる海があり、その絶景に息を呑んだ。日が高いうちに門前まで着けそうだと誰もが思ったが、予想外の事態が起きた。
俺たちを狙って岩山の影から這い出てきたのは、巨大な蜘蛛の魔物だ。広げた足は街道を埋めるほど大きく、体表は赤と黒のまだら模様をしていた。
「くそっ、何日も魔物を見てないと思えばこれかよ!!」
ディアムの指示で騎士たちが矢を放つが、分厚い外殻に弾かれた。
蜘蛛の魔物は速度を上げ、岩地から海際の森林地帯まで追ってきた。
「ディアム副長! このままでは追いつかれます!」
「だろうな! 俺たちが囮になって時間を稼ぐか!?」
「次の曲がり角で道が分岐します! そこで仕掛けましょう!」
「はっ、良い覚悟だ! お前ら、誰が死んでも恨んだりすんなよ!」
強靭な体躯を持った魔物に人間は勝てない。今回のように突発的な遭遇が起きた場合、多数を生かすために小数を犠牲にする作戦が取られる。
勇敢に戦って分帰路を目指す後姿を見つつ、俺は馬車の扉を開けた。手に構えたのは護身用として渡された剣であり、鞘から刃を抜き放った。
「…………家の納屋と同じぐらいの大きさの魔物だな」
蜘蛛の魔物はギチギチギチと耳障りな鳴き声を発している。馬に乗った騎士団の一人が追いつかれそうなのを見て、俺はルルニアに声を掛けた。
「俺一人じゃ勝ち目はない。だから、援護は任せた」
「分かっています。危険を感じた時はすぐに撤退を」
深呼吸で心を落ち着け、身体と剣に闘気を送り込んだ。
馬車から木の影に跳躍し、騎士と蜘蛛の通過を待った。
入れ替わるようにしてルルニアが車内から顔を出し、瞳の拘束術を使った。蜘蛛の魔物は立ちどころに動きを鈍らせ、俺の真横で停止した。
「な、急にどうした?」
「止まった……のか?」
騎士団の面々の動揺を耳に入れ、俺は全力で踏み込んだ。常人の五十数倍の闘気を遺憾なく発揮し、蜘蛛の魔物の後ろ足に切り掛かった。
「まずは……一つ!」
刃は外殻ごと丸太のような足を断ち切った。地面に滑り込んで加速の勢いを殺し、体勢を立て直して二本目の足に切り掛かった。だがそこで剣が砕け散った。
「くそ、一撃しか持たないのか!」
俺は柄を投げ捨て、蜘蛛の足の隙間をかいくぐって馬車まで戻った。ディアムに名を呼ばれて顔を上げると、護身用に渡された物より上等な剣が投げ渡された。
「────グレイゼル、やっちまえ!!」
装飾つきの鞘から刃を抜き放ち、剣全体に闘気を纏わせた。突進の要領で前足一本を切断し、蜘蛛の魔物の背後に回り込んで折り返し、関節を狙って三本目の足を切り飛ばした。
「……ガーブランドさんが大剣を好むわけだ」
上等な剣ですらたった二撃で根元から折れた。高い位置にある腹部に投げナイフを放つが、分厚い外皮を突破できなかった。
「闘気の量だけならガーブランドさんより上なんだが、遠いな」
「ギチギチ、ギチギチギチギチギチ!!」
「何にせよ。その足じゃもう俺たちを追うことはできないだろ」
足を三本切断され、蜘蛛の魔物の動きはぎこちなくなった。騎士団と連携すれば倒せるのではと思考がチラつくが、深追いは禁物だ。
退避を決めた瞬間に蜘蛛の魔物は暴れ、尻尾から糸をまき散らした。街道中に糸を張り巡らせ、行く手を阻んで森の中に逃げていった。
「…………っ、さすがに……疲れたな」
闘気を全力で使った戦闘はこれが始めてであり、凄まじい疲労感に襲われた。片膝をついたまま動けないでいると、ディアムが肩を貸してくれた。
「……すいません。借りた剣を壊してしまって」
「そんなもん気にすんな。囮作戦を実行してたら俺か部下の誰かが死んでたんだぜ。剣は金を積めば買えるが、仲間の命は失ったら終わりだ」
別の騎士にも肩を貸してもらい、ルルニアに手を引かれて馬車に戻った。
「ミーレ、フェイ。ルルニアが力を使ったのを見られなかったか?」
「大丈夫よ。皆、グレにぃの大立ち回りを見てたわ」
「……わたしもミーレ様と同意見です」
窓の外に耳を傾けるが、ルルニアを怪しむような会話はなかった。
ガーブランドという前例がいるため、俺を畏怖する声もなかった。
「……今の戦い、冒険作家イドが書いたドラゴン狩り伝説の主人公のようでした。……さすがは我らサキュバスのご主人様、感無量です」
「足を三本切っただけだ。倒せたわけじゃない」
「……十分な成果だと思います。……いわばこの戦いは序章、ルルニア様の夫であるグレイゼル様が英雄と称されるまでの物語なのです」
フェイは本を抱きかかえて熱弁した。目がキラキラしていた。
こんな明るい一面があったのかと思っていると、馬車の扉が叩かれた。外にはディアムがおり、改めて先の戦いの感謝を述べた。
「助けられたままじゃ騎士の名折れだ。俺ができる範囲の望みなら何でも叶えてやる。して欲しいことがあったら遠慮せずに言ってくれ」
集団の先頭に戻るディアムを見送ると、頭上からニァニァと鳴き声がした。
窓の外には白い鳥が無数に飛んでおり、青空と海の境界線には船が浮いていた。
微かに響くのは海岸に波が打ちつける音で、ルルニアが微かに声を震わせて言った。
「────あぁ、四ヵ月ぶりの潮の香りですね」
こうして俺たちは港町トロンコルトへと着いた。
渓谷を抜けた先には陽光を反射させる海があり、その絶景に息を呑んだ。日が高いうちに門前まで着けそうだと誰もが思ったが、予想外の事態が起きた。
俺たちを狙って岩山の影から這い出てきたのは、巨大な蜘蛛の魔物だ。広げた足は街道を埋めるほど大きく、体表は赤と黒のまだら模様をしていた。
「くそっ、何日も魔物を見てないと思えばこれかよ!!」
ディアムの指示で騎士たちが矢を放つが、分厚い外殻に弾かれた。
蜘蛛の魔物は速度を上げ、岩地から海際の森林地帯まで追ってきた。
「ディアム副長! このままでは追いつかれます!」
「だろうな! 俺たちが囮になって時間を稼ぐか!?」
「次の曲がり角で道が分岐します! そこで仕掛けましょう!」
「はっ、良い覚悟だ! お前ら、誰が死んでも恨んだりすんなよ!」
強靭な体躯を持った魔物に人間は勝てない。今回のように突発的な遭遇が起きた場合、多数を生かすために小数を犠牲にする作戦が取られる。
勇敢に戦って分帰路を目指す後姿を見つつ、俺は馬車の扉を開けた。手に構えたのは護身用として渡された剣であり、鞘から刃を抜き放った。
「…………家の納屋と同じぐらいの大きさの魔物だな」
蜘蛛の魔物はギチギチギチと耳障りな鳴き声を発している。馬に乗った騎士団の一人が追いつかれそうなのを見て、俺はルルニアに声を掛けた。
「俺一人じゃ勝ち目はない。だから、援護は任せた」
「分かっています。危険を感じた時はすぐに撤退を」
深呼吸で心を落ち着け、身体と剣に闘気を送り込んだ。
馬車から木の影に跳躍し、騎士と蜘蛛の通過を待った。
入れ替わるようにしてルルニアが車内から顔を出し、瞳の拘束術を使った。蜘蛛の魔物は立ちどころに動きを鈍らせ、俺の真横で停止した。
「な、急にどうした?」
「止まった……のか?」
騎士団の面々の動揺を耳に入れ、俺は全力で踏み込んだ。常人の五十数倍の闘気を遺憾なく発揮し、蜘蛛の魔物の後ろ足に切り掛かった。
「まずは……一つ!」
刃は外殻ごと丸太のような足を断ち切った。地面に滑り込んで加速の勢いを殺し、体勢を立て直して二本目の足に切り掛かった。だがそこで剣が砕け散った。
「くそ、一撃しか持たないのか!」
俺は柄を投げ捨て、蜘蛛の足の隙間をかいくぐって馬車まで戻った。ディアムに名を呼ばれて顔を上げると、護身用に渡された物より上等な剣が投げ渡された。
「────グレイゼル、やっちまえ!!」
装飾つきの鞘から刃を抜き放ち、剣全体に闘気を纏わせた。突進の要領で前足一本を切断し、蜘蛛の魔物の背後に回り込んで折り返し、関節を狙って三本目の足を切り飛ばした。
「……ガーブランドさんが大剣を好むわけだ」
上等な剣ですらたった二撃で根元から折れた。高い位置にある腹部に投げナイフを放つが、分厚い外皮を突破できなかった。
「闘気の量だけならガーブランドさんより上なんだが、遠いな」
「ギチギチ、ギチギチギチギチギチ!!」
「何にせよ。その足じゃもう俺たちを追うことはできないだろ」
足を三本切断され、蜘蛛の魔物の動きはぎこちなくなった。騎士団と連携すれば倒せるのではと思考がチラつくが、深追いは禁物だ。
退避を決めた瞬間に蜘蛛の魔物は暴れ、尻尾から糸をまき散らした。街道中に糸を張り巡らせ、行く手を阻んで森の中に逃げていった。
「…………っ、さすがに……疲れたな」
闘気を全力で使った戦闘はこれが始めてであり、凄まじい疲労感に襲われた。片膝をついたまま動けないでいると、ディアムが肩を貸してくれた。
「……すいません。借りた剣を壊してしまって」
「そんなもん気にすんな。囮作戦を実行してたら俺か部下の誰かが死んでたんだぜ。剣は金を積めば買えるが、仲間の命は失ったら終わりだ」
別の騎士にも肩を貸してもらい、ルルニアに手を引かれて馬車に戻った。
「ミーレ、フェイ。ルルニアが力を使ったのを見られなかったか?」
「大丈夫よ。皆、グレにぃの大立ち回りを見てたわ」
「……わたしもミーレ様と同意見です」
窓の外に耳を傾けるが、ルルニアを怪しむような会話はなかった。
ガーブランドという前例がいるため、俺を畏怖する声もなかった。
「……今の戦い、冒険作家イドが書いたドラゴン狩り伝説の主人公のようでした。……さすがは我らサキュバスのご主人様、感無量です」
「足を三本切っただけだ。倒せたわけじゃない」
「……十分な成果だと思います。……いわばこの戦いは序章、ルルニア様の夫であるグレイゼル様が英雄と称されるまでの物語なのです」
フェイは本を抱きかかえて熱弁した。目がキラキラしていた。
こんな明るい一面があったのかと思っていると、馬車の扉が叩かれた。外にはディアムがおり、改めて先の戦いの感謝を述べた。
「助けられたままじゃ騎士の名折れだ。俺ができる範囲の望みなら何でも叶えてやる。して欲しいことがあったら遠慮せずに言ってくれ」
集団の先頭に戻るディアムを見送ると、頭上からニァニァと鳴き声がした。
窓の外には白い鳥が無数に飛んでおり、青空と海の境界線には船が浮いていた。
微かに響くのは海岸に波が打ちつける音で、ルルニアが微かに声を震わせて言った。
「────あぁ、四ヵ月ぶりの潮の香りですね」
こうして俺たちは港町トロンコルトへと着いた。
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