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第百五十一話「港町トロンコルト3」
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高台の広場を後にし、ルルニアが働いていた酒場へと向かった。
距離はさほど離れておらず、近道を通れば五分と経たずに着けた。
店は立派な外観をしており、客の出入りは活発だった。明かりのついた窓からは賑やかな声が聞こえ、アストロアスでは馴染みのない料理の香りが漂ってきた。
「……さすがは港町だな」
酔っぱらいが囲むテーブルには山盛りの貝が置いてあった。両手で大きな殻を開いて蒸した身にかぶりつき、旨みの汁をジュワッと溢れさせていた。
「あの赤いのは何て生き物だ? 川にいる蟹とは違うよな?」
「あれは海老ですね。大きい物はそのまま茹でて食べて、小さい物は料理の彩りに使ったりします。頭を取って背ワタをこんな感じで取るんです」
「魚も山で見る物より多様だな。これが海の恵みって奴か」
熱心に見ているとルルニアがクスッと笑い、俺の手を引いた。
「────さぁ、入りましょうか」
扉の先は広々としており、入口から調理場を覗けた。壁際の階段からは二階に上がることができ、外の景色と一階の客を見下ろしながら食事を楽しめる構造となっていた。
よほど人気の店のようで席はどこも埋まっていた。邪魔にならない場所で待っていると、女性店員が走ってきた。一つ席が空いたと言われ、移動しようとした時のことだ。
「…………え、ルルニアさん?」
そんなまさか、といった感情がこもった声だった。バツの悪そうな顔でルルニアが頷くと、女性店員は丸いトレイを胸に抱えて慌てた。
「ちょ、ちょっとここで待ってて下さい!」
「えと……」
「すぐ戻ります! 本当にすぐですから!」
注文のために手を挙げた客を素通りし、女性店員は店の奥へ消えた。
どんな人なのか聞いてみると、ルルニアは口元に手を添えて悩んだ。
「……彼女は確か、店主を務めている老夫婦の孫娘ですね。クレアがいなくなる前に何回か指導を担当したぐらいの薄い付き合いです」
「向こうはそんな感じでもなかったけどな」
「……私の指導は分かりやすいと、そう言われたことがありました。実際に顔を見るまで思い出せない自分の薄情さが嫌になりますね」
サキュバスなのだから仕方ないと、言葉にせず肩を抱いた。
ひとまず空いた席に座ることにし、テーブルの隙間を縫った。
長く伸びた桃色の髪は目立ち、客の横を通る度に注目が向いた。ある者はフォークに刺した揚げ物を落とし、またある者は乾杯を中断していた。
「……え、おい。もしやあれって」
「……にしては、雰囲気が違くないか?」
「……いや、あの髪は一人しかおらんじゃろ」
四方八方から視線を浴びせられて肩身が狭かった。夫として挨拶の一つでもするべきかと思っていると、店の奥から白髪頭の老夫婦が姿を現した。
「あんた、ほら! ルルニアがきとるよ!」
「おぉ! 本当だ! よく無事だったな!」
老夫婦は俺たちが座っているテーブル席まで近づいてきた。
お歳のせいか足取りはおぼつかず、孫娘が傍で支えていた。
「…………お久しぶりです。その、急に仕事をやめてすいませ……ん!?」
ルルニアは席を立って謝罪しようとしたが、喋りの途中で熱い抱擁があった。町を出てから怪我をしなかったか、誰かに酷いことをされなかったか、と心から心配された。
「……良かったよ。本当に無事で良かった……」
「お、大袈裟ですよ。引継ぎもしたじゃないですか」
「……分かっとる。でも町を出る時のお前さんの顔があんまりに辛そうでな。思い返す度に引き止めるべきだったんじゃないかと話をしておったんだ」
もし帰ってきたら養子にならないか誘ってみようと、そんな話をしていたらしい。どれほど愛されて気に入られていたのか知り、ルルニアの目が潤み始めた。
「……ご迷惑をおかけしました。お婆さん、お爺さん」
ルルニアからも抱き返し、酒場中で拍手が鳴った。
黙って様子を見ていると、孫娘が耳打ちしてきた。
「こちらメニューです。何でもお好きな物をどうぞ」
木製メニュー表には名前も知らぬ食材が連なっていた。おすすめが何かと聞くと、多様な海鮮を調理した料理が指差された。のでお願いしてみた。
「つかぬことをお聞きしますが、ルルニアさんとはどのような関係で?」
「ルルニアとは夏に結婚したばかりだ。出会いは……そうだな。俺が住んでいるアストロアスに旅をしてきて、一緒に暮らさないかって誘ったんだ」
「アストロアスって、もしかして女神様が降臨したという土地ですか?」
住民とは初めて会うらしく、女神の姿を見たのかと聞かれた。すぐ目の前にいるとは口が裂けても言えず、数秒だけ見たと肯定した。
絶世の美貌を余すことなく説明すると、酔っ払いが反応した。ルルニアの耳先が赤くなっていくが、嘘は何一つないので語り続けた。
孫娘は調理場に注文を告げようとし、酒をどうするか聞いた。
ルルニアが妊娠中だからと言って遠慮すると、目を丸くされた。
「────旦那さん、いま何と?」
焦りと共に顔を近づけられ、ルルニアが妊娠していると答え直した。
二回目の声は他の者たちにも聞こえ、酒場全体の賑わいが再燃した。
「…………えっと、軽く挨拶をして帰るつもりだったんですが」
「…………まぁ、たまにはいいだろ。帰郷も旅の醍醐味だしな」
騎士団とどう連絡を取ったものか考えていると、ディアムが単身で飲みにきた。ちょうどいいのでミーレたちへの伝言を頼み、時間の許す限りここ四ヵ月間の話を語り明かした。
距離はさほど離れておらず、近道を通れば五分と経たずに着けた。
店は立派な外観をしており、客の出入りは活発だった。明かりのついた窓からは賑やかな声が聞こえ、アストロアスでは馴染みのない料理の香りが漂ってきた。
「……さすがは港町だな」
酔っぱらいが囲むテーブルには山盛りの貝が置いてあった。両手で大きな殻を開いて蒸した身にかぶりつき、旨みの汁をジュワッと溢れさせていた。
「あの赤いのは何て生き物だ? 川にいる蟹とは違うよな?」
「あれは海老ですね。大きい物はそのまま茹でて食べて、小さい物は料理の彩りに使ったりします。頭を取って背ワタをこんな感じで取るんです」
「魚も山で見る物より多様だな。これが海の恵みって奴か」
熱心に見ているとルルニアがクスッと笑い、俺の手を引いた。
「────さぁ、入りましょうか」
扉の先は広々としており、入口から調理場を覗けた。壁際の階段からは二階に上がることができ、外の景色と一階の客を見下ろしながら食事を楽しめる構造となっていた。
よほど人気の店のようで席はどこも埋まっていた。邪魔にならない場所で待っていると、女性店員が走ってきた。一つ席が空いたと言われ、移動しようとした時のことだ。
「…………え、ルルニアさん?」
そんなまさか、といった感情がこもった声だった。バツの悪そうな顔でルルニアが頷くと、女性店員は丸いトレイを胸に抱えて慌てた。
「ちょ、ちょっとここで待ってて下さい!」
「えと……」
「すぐ戻ります! 本当にすぐですから!」
注文のために手を挙げた客を素通りし、女性店員は店の奥へ消えた。
どんな人なのか聞いてみると、ルルニアは口元に手を添えて悩んだ。
「……彼女は確か、店主を務めている老夫婦の孫娘ですね。クレアがいなくなる前に何回か指導を担当したぐらいの薄い付き合いです」
「向こうはそんな感じでもなかったけどな」
「……私の指導は分かりやすいと、そう言われたことがありました。実際に顔を見るまで思い出せない自分の薄情さが嫌になりますね」
サキュバスなのだから仕方ないと、言葉にせず肩を抱いた。
ひとまず空いた席に座ることにし、テーブルの隙間を縫った。
長く伸びた桃色の髪は目立ち、客の横を通る度に注目が向いた。ある者はフォークに刺した揚げ物を落とし、またある者は乾杯を中断していた。
「……え、おい。もしやあれって」
「……にしては、雰囲気が違くないか?」
「……いや、あの髪は一人しかおらんじゃろ」
四方八方から視線を浴びせられて肩身が狭かった。夫として挨拶の一つでもするべきかと思っていると、店の奥から白髪頭の老夫婦が姿を現した。
「あんた、ほら! ルルニアがきとるよ!」
「おぉ! 本当だ! よく無事だったな!」
老夫婦は俺たちが座っているテーブル席まで近づいてきた。
お歳のせいか足取りはおぼつかず、孫娘が傍で支えていた。
「…………お久しぶりです。その、急に仕事をやめてすいませ……ん!?」
ルルニアは席を立って謝罪しようとしたが、喋りの途中で熱い抱擁があった。町を出てから怪我をしなかったか、誰かに酷いことをされなかったか、と心から心配された。
「……良かったよ。本当に無事で良かった……」
「お、大袈裟ですよ。引継ぎもしたじゃないですか」
「……分かっとる。でも町を出る時のお前さんの顔があんまりに辛そうでな。思い返す度に引き止めるべきだったんじゃないかと話をしておったんだ」
もし帰ってきたら養子にならないか誘ってみようと、そんな話をしていたらしい。どれほど愛されて気に入られていたのか知り、ルルニアの目が潤み始めた。
「……ご迷惑をおかけしました。お婆さん、お爺さん」
ルルニアからも抱き返し、酒場中で拍手が鳴った。
黙って様子を見ていると、孫娘が耳打ちしてきた。
「こちらメニューです。何でもお好きな物をどうぞ」
木製メニュー表には名前も知らぬ食材が連なっていた。おすすめが何かと聞くと、多様な海鮮を調理した料理が指差された。のでお願いしてみた。
「つかぬことをお聞きしますが、ルルニアさんとはどのような関係で?」
「ルルニアとは夏に結婚したばかりだ。出会いは……そうだな。俺が住んでいるアストロアスに旅をしてきて、一緒に暮らさないかって誘ったんだ」
「アストロアスって、もしかして女神様が降臨したという土地ですか?」
住民とは初めて会うらしく、女神の姿を見たのかと聞かれた。すぐ目の前にいるとは口が裂けても言えず、数秒だけ見たと肯定した。
絶世の美貌を余すことなく説明すると、酔っ払いが反応した。ルルニアの耳先が赤くなっていくが、嘘は何一つないので語り続けた。
孫娘は調理場に注文を告げようとし、酒をどうするか聞いた。
ルルニアが妊娠中だからと言って遠慮すると、目を丸くされた。
「────旦那さん、いま何と?」
焦りと共に顔を近づけられ、ルルニアが妊娠していると答え直した。
二回目の声は他の者たちにも聞こえ、酒場全体の賑わいが再燃した。
「…………えっと、軽く挨拶をして帰るつもりだったんですが」
「…………まぁ、たまにはいいだろ。帰郷も旅の醍醐味だしな」
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