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第百六十五話『ディアムとフェイ』
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…………グレイゼルとルルニアがドーラと邂逅したのと同時刻、ディアムは伯爵家の本館通路を歩いていた。建物の明かりはどこもかしこも落ち、誰ともすれ違わぬまま玄関口に着いた。
「……母様はともかく親父まで寝てんのかよ。使用人の姿もないし、どうなってやがんだ?」
グレイゼルたちの安否を確かめるため、離れへ行こうとした。扉を開けると冷たい外気が流れ込み、庭には薄っすら雪が積もっていた。軒下を通って移動しようと決めた時のことだった。
「……何だ?」
遠くから響いてきたのは、敷地に続く門を開く音だ。玄関口に続くまっすぐな道を進んできたのは、伯爵家の紋章が入った馬車だった。
ディアムは足を止め、扉が開かれるのを待った。中から出てきたのはウェーブの掛かった茶髪をした女性であり、雪の上に降り立った。
「レイアムか、ずいぶん遅い帰宅だな」
女性の名は『レイアム・グド・シエント』、ディアムの妹だった。
その顔には微笑みがあり、手と手を重ねて礼儀正しく挨拶をした。
「王城に行ってたんだってな。家督を任せてだいぶ経つが、どんな感じだ? こんな時間に帰るってことは相当忙しい感じか?」
「何もありませんよ。全部が全部、いつも通りです」
「いつも通りだったらこんな時間には帰ってこないだろ。よく見たら顔色も悪い気がするし、部屋までついて行ってやるか?」
「そういうことでしたらお言葉に甘えますね。兄様」
喋り方に違和感を覚えるが、気のせいだろうと判断した。
早く身体を温めさせてやろうと、急いで家の中に入れた。
呼び鈴を鳴らしても使用人が出てこないため、ディアムはランプを手に取った。明かりをつけてレイアムの方に振り向き、我が目を疑った。
「何……してんだお前?」
レイアムの手には鉄製の燭台があった。微笑みを浮かべたまま近づき、顔面を狙って振りかぶってきた。騎士としての経験と直感で回避するが、背後にあった棚が見るも無残に破壊された。
「んだよ、この威力は!?」
闘牛にでも突進されたかのような惨状だ。舞い上がる埃の中でレイアムは平然と立っており、折れ曲がった燭台を持って一歩ずつ歩み寄ってきた。
「これも幽霊の仕業かよ。レイアム、正気に戻りやがれ!」
「何もありませんよ。全部が全部、いつも通りです」
「いつも通りなわけないだろうが! くそっ!」
レイアムは身体を揺らし、助走をつけずに跳んだ。
落下地点にはディアムがおり、回避で床がえぐれた。
追撃が部屋の壁を穿ち、通路と衣類置き場が開通した。
「……おいおい、いくら何でもたくましくなり過ぎだろ」
状況理解が追いつかないが、ディアムは逃げた。最終的に隠れ潜んだのは入り組んだ造りとなっている書庫だ。音を立てぬように扉を閉め、棚の影に身を潜めた。
「……やっぱ幽霊騒動は収束してなかったんだな。村でグレイゼルを襲った輩といい、とんでもない事態になってやがるぜ。ふざけやがって」
呼吸が落ち着き、思考に冷静さが戻ってきた。どうやってレイアムを拘束したものか考えていると、書庫の扉がギィと開かれた。
カツンカツンと足音がし、距離が縮まってきた。おおよその位置を予想して次の物陰に移ろうとした時、唐突に足音が消え去った。
耳を澄ましても続く音はなく、入口付近に人影もなかった。ディアムは呼吸するのを忘れ、乾き切った喉に一滴の唾を飲み込ませた。
「行った、のか?」
扉は開かれたままだった。気づけば心臓が早鐘を打っており、冷や汗で服が濡れていた。鼓動を静めようと深呼吸した時、声を聞いた。
「────兄様、みぃつけた」
いつ移動したのか、レイアムはディアムの真後ろにいた。
逃げる間もなく首元を掴まれ、異常な力で持ち上げられた。
「レイ……ア、……目を覚まし……やが、れ」
「それはできません。これはご主人様の意向なのです」
「いこう……だと? 何……それ、がはっ……」
「王都中の人間を眷属にせよと、そう仰せつかりました」
ここで気を失わせ、王城に連れて行くと言った。抵抗するがレイアムの手を離すことはできず、繋ぎ止めていた意識が遠ざかっていった。
(……何で、俺は……誰も……)
救えないのだと、自らの無力さを嘆いて苦しんだ。
走馬灯としてチラついたのは、最近の出来事だった。
少しでも強くなろうと繰り返した鍛錬、そこに割り込む少女がいた。大人しい顔つきなのに口が悪く、貸した上着を強奪する。あの少女の名は、
「………フェ……イ」
助けを求めたわけでも、恋愛感情を抱いたわけでもなかった。ただ記憶に残る見た目と性格をしていたから、無意識に名を呼んだだけだ。
閉ざされていく意識の中、その風貌を窓の外に見た。幻覚かと思った瞬間、窓が割れた。書庫に飛び込んできたのは翼を広げたフェイだった。
「……はぁ、何でわたしの名前を呼んだんですか? ……こっそり書庫に忍び込んで本を読み漁ろうと思ったのに、最悪です」
着地して翼を畳む姿を見て、レイアムは急に標的を変えた。
叫びを上げて飛び掛かるが、瞳の輝きで動きを封じられた。
「……村で会った人間より眷属化の質が上ですね。……しょせんは人間ですし、わたしぐらいの力でも簡単に封じ込められますが」
「離して下さい。離してください。はなして、ハナセハナセハナセハナセ」
「……女性相手の吸精は効率が悪いんですよね。……正直言えば面倒ですが、お二方から護衛を任せられたから仕方ありませんね」
ふぅとため息をつき、フェイはレイアムに近づいた。ディアムの口から発せられた「危険だ!」という忠告を無視し、キスをした。知り合いと妹の濃厚な絡みを見せられ、ディアムは自失した。
五分ほどでレイアムの身体から力が抜け、床に倒れ込んだ。
同じく床にへたり込んだディアムに、フェイが歩き寄った。
「……わたしの顔に何かついてますか?」
「いや、その翼はいったい……」
「……あぁ、これですか。……名前を呼ばれたことに驚いて、引っ込めるのを忘れてましたね。……ご覧の通りのサキュバスですよ」
指で唇をなぞり、蠱惑的な表情を見せた。フェイは困惑で何も言えなくなるディアムに寄り掛かり、開きっぱなしの口にキスをした。
「っ!? な、何をして……んむっ!?」
「……ぷはっ、力を使って疲れたんですよ。見ての通り妹さんは助けたんですし、大人しく従って下さい」
「従うって、まずは状況説明を……!?」
強引な口づけで発言が封じられた。頭二つ分の体格差があったが、フェイを押しのけることはできなかった。されるがままにキスを受けた。
「……あなたのせいでエッチな気分になってきたじゃないですか。……頼りない男ではありますが、特別に妥協してあげます。……感謝して下さいね」
「……母様はともかく親父まで寝てんのかよ。使用人の姿もないし、どうなってやがんだ?」
グレイゼルたちの安否を確かめるため、離れへ行こうとした。扉を開けると冷たい外気が流れ込み、庭には薄っすら雪が積もっていた。軒下を通って移動しようと決めた時のことだった。
「……何だ?」
遠くから響いてきたのは、敷地に続く門を開く音だ。玄関口に続くまっすぐな道を進んできたのは、伯爵家の紋章が入った馬車だった。
ディアムは足を止め、扉が開かれるのを待った。中から出てきたのはウェーブの掛かった茶髪をした女性であり、雪の上に降り立った。
「レイアムか、ずいぶん遅い帰宅だな」
女性の名は『レイアム・グド・シエント』、ディアムの妹だった。
その顔には微笑みがあり、手と手を重ねて礼儀正しく挨拶をした。
「王城に行ってたんだってな。家督を任せてだいぶ経つが、どんな感じだ? こんな時間に帰るってことは相当忙しい感じか?」
「何もありませんよ。全部が全部、いつも通りです」
「いつも通りだったらこんな時間には帰ってこないだろ。よく見たら顔色も悪い気がするし、部屋までついて行ってやるか?」
「そういうことでしたらお言葉に甘えますね。兄様」
喋り方に違和感を覚えるが、気のせいだろうと判断した。
早く身体を温めさせてやろうと、急いで家の中に入れた。
呼び鈴を鳴らしても使用人が出てこないため、ディアムはランプを手に取った。明かりをつけてレイアムの方に振り向き、我が目を疑った。
「何……してんだお前?」
レイアムの手には鉄製の燭台があった。微笑みを浮かべたまま近づき、顔面を狙って振りかぶってきた。騎士としての経験と直感で回避するが、背後にあった棚が見るも無残に破壊された。
「んだよ、この威力は!?」
闘牛にでも突進されたかのような惨状だ。舞い上がる埃の中でレイアムは平然と立っており、折れ曲がった燭台を持って一歩ずつ歩み寄ってきた。
「これも幽霊の仕業かよ。レイアム、正気に戻りやがれ!」
「何もありませんよ。全部が全部、いつも通りです」
「いつも通りなわけないだろうが! くそっ!」
レイアムは身体を揺らし、助走をつけずに跳んだ。
落下地点にはディアムがおり、回避で床がえぐれた。
追撃が部屋の壁を穿ち、通路と衣類置き場が開通した。
「……おいおい、いくら何でもたくましくなり過ぎだろ」
状況理解が追いつかないが、ディアムは逃げた。最終的に隠れ潜んだのは入り組んだ造りとなっている書庫だ。音を立てぬように扉を閉め、棚の影に身を潜めた。
「……やっぱ幽霊騒動は収束してなかったんだな。村でグレイゼルを襲った輩といい、とんでもない事態になってやがるぜ。ふざけやがって」
呼吸が落ち着き、思考に冷静さが戻ってきた。どうやってレイアムを拘束したものか考えていると、書庫の扉がギィと開かれた。
カツンカツンと足音がし、距離が縮まってきた。おおよその位置を予想して次の物陰に移ろうとした時、唐突に足音が消え去った。
耳を澄ましても続く音はなく、入口付近に人影もなかった。ディアムは呼吸するのを忘れ、乾き切った喉に一滴の唾を飲み込ませた。
「行った、のか?」
扉は開かれたままだった。気づけば心臓が早鐘を打っており、冷や汗で服が濡れていた。鼓動を静めようと深呼吸した時、声を聞いた。
「────兄様、みぃつけた」
いつ移動したのか、レイアムはディアムの真後ろにいた。
逃げる間もなく首元を掴まれ、異常な力で持ち上げられた。
「レイ……ア、……目を覚まし……やが、れ」
「それはできません。これはご主人様の意向なのです」
「いこう……だと? 何……それ、がはっ……」
「王都中の人間を眷属にせよと、そう仰せつかりました」
ここで気を失わせ、王城に連れて行くと言った。抵抗するがレイアムの手を離すことはできず、繋ぎ止めていた意識が遠ざかっていった。
(……何で、俺は……誰も……)
救えないのだと、自らの無力さを嘆いて苦しんだ。
走馬灯としてチラついたのは、最近の出来事だった。
少しでも強くなろうと繰り返した鍛錬、そこに割り込む少女がいた。大人しい顔つきなのに口が悪く、貸した上着を強奪する。あの少女の名は、
「………フェ……イ」
助けを求めたわけでも、恋愛感情を抱いたわけでもなかった。ただ記憶に残る見た目と性格をしていたから、無意識に名を呼んだだけだ。
閉ざされていく意識の中、その風貌を窓の外に見た。幻覚かと思った瞬間、窓が割れた。書庫に飛び込んできたのは翼を広げたフェイだった。
「……はぁ、何でわたしの名前を呼んだんですか? ……こっそり書庫に忍び込んで本を読み漁ろうと思ったのに、最悪です」
着地して翼を畳む姿を見て、レイアムは急に標的を変えた。
叫びを上げて飛び掛かるが、瞳の輝きで動きを封じられた。
「……村で会った人間より眷属化の質が上ですね。……しょせんは人間ですし、わたしぐらいの力でも簡単に封じ込められますが」
「離して下さい。離してください。はなして、ハナセハナセハナセハナセ」
「……女性相手の吸精は効率が悪いんですよね。……正直言えば面倒ですが、お二方から護衛を任せられたから仕方ありませんね」
ふぅとため息をつき、フェイはレイアムに近づいた。ディアムの口から発せられた「危険だ!」という忠告を無視し、キスをした。知り合いと妹の濃厚な絡みを見せられ、ディアムは自失した。
五分ほどでレイアムの身体から力が抜け、床に倒れ込んだ。
同じく床にへたり込んだディアムに、フェイが歩き寄った。
「……わたしの顔に何かついてますか?」
「いや、その翼はいったい……」
「……あぁ、これですか。……名前を呼ばれたことに驚いて、引っ込めるのを忘れてましたね。……ご覧の通りのサキュバスですよ」
指で唇をなぞり、蠱惑的な表情を見せた。フェイは困惑で何も言えなくなるディアムに寄り掛かり、開きっぱなしの口にキスをした。
「っ!? な、何をして……んむっ!?」
「……ぷはっ、力を使って疲れたんですよ。見ての通り妹さんは助けたんですし、大人しく従って下さい」
「従うって、まずは状況説明を……!?」
強引な口づけで発言が封じられた。頭二つ分の体格差があったが、フェイを押しのけることはできなかった。されるがままにキスを受けた。
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