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第十一話『朝の支度2』
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倦怠感で起き上がれないでいると隣から苦しむ声が聞こえた。ルルニアは口を両手で覆ってえづき、耐え切れず嘔吐した。俺は苦しさが和らぐように背中をさすり、驚いた。
「これは……?」
ルルニアの吐しゃ物はほぼ透明だった。胃酸特有の酸っぱい臭いがなく、固形物も混ざっていない。現場を目撃していなければこれが吐しゃ物と判別するのは不可能だ。
(……そういえば最初に吐いた場所の掃除をしてなかったな)
そちらの方を見るが、何の痕跡も残ってなかった。不思議な気持ちで眼下の液体を観察すると、水蒸気すら出さず急速に揮発していった。
「ルルニア、今吐いたのは何だ?」
「……私が昨日の昼に消化した精気を糧としたモノです。……人間的には何と言いましたか、たぶん魔力とか言う名前で呼んでいるものです」
「魔力? じゃあこれが妙な術の源か」
魔力とは『魔物のみが有する力』だ。魔物はそれを使って異常で異様な術を扱う。何もない空間に炎を出したり、狙った位置に雷を落としたりするのだ。
「……人間の認識はどうか知りませんが、私たちのこれは在って当然のものです。変だと思ったことはありませんし、使い方を習ったりもしません。魚が本能で水の中を泳ぐぐらい当たり前です」
消えかけの魔力に触れるが、痺れも痛みもなかった。ぐったりしたルルニアに視線を戻すと、俺が顔と胸に浴びせてしまった精子がゆっくり消え始めていた。
「蒸発している……?」
「失った分の精気を摂り込んでいるんです。具合の悪さに追い打ちをかける形にはなりますけど、無理にでも食べないと死んでしまいますので」
「改めて何でもありだな」
「幾人もの人間を喰らった同族の中には、性行為を介さぬ者もいると聞きます。尻尾の先端を口みたい広げて直接人間を丸呑みにするそうです」
知れば知るほどルルニアが人の皮を被った化け物なのだと思い知らされた。
(……本当にこのままでいいのか?)
自死を前提とすれば刻印の縛りは無為になる。そも術者のルルニアが死んだ後も効力が続く証拠もない。精気が足りず飢え死に寸前のサキュバスにそんな力があるとも思えなかった。
俺は平静を装ってベッドから抜け出た。ナイフは近くの台の上に置いてあり、ちょっと手を伸ばせば届く。着替えのついでに拾えばバレることもない。
(……殺意を向けても刻印が反応しない、か)
再びナイフを取った理由は単純だ。俺の中でルルニアの存在が大きくなり始めていた。
朝目覚めたら傍にいて食事を作ってくれる。仕事の途中に家事をしてくれて話し相手になってくれる。性行為の要求は激しいが苦痛ではない。近く『今』を手放せなくなる日が来る確信があった。
(……今ならまだ、人のためにルルニアを殺せる)
悩めば悩むほど判断が鈍る。決断は迅速にすべきだ。
「……すいません。ちょっと……いいですか?」
「どうした」
「薬が欲しいです。朝に飲んだ薬……あります?」
「丸薬の奴だな」
棚の引き出しから丸薬を取ると、ゲホゴホとむせる声があった。
俺は慎重に鞘から刃を抜き、飛び掛かる準備をした。その時だ。
「────常々思いますが私は幸運ですね。あなたが薬屋なのもそうですけど、普通だったら最初に倒れた夜に殺されていました」
安心と信頼が強く伝わってくる語り口だった。弱っているせいかルルニアは少し饒舌で、同族から疎まれていた過去を話してくれた。
「お前がいると狩りの効率が落ちるから邪魔と、そう言われてきました。面倒を見てくれた友人が一人いましたが、その子にも見捨てられてしまいました」
「………………」
「人間みたいにお金を払うわけにもいきませんし、私だけが施しを得る形になります。その上で恵んでいただいたモノを吐いたら、縁を切られて当然です」
ルルニアの友人は変わり者だったという。成人してからずっと行動を共にし、何の見返りも求めずに助けてくれた。共同生活は数年続いたが、ある日を境に姿を消してしまった。
「……腹を満たせなくなって潜伏先の老夫婦の酒場を後にしました。何人か美味しそうな男性がいましたが、結局は手を出せず仕舞いです」
「友人と再会しようと思わないのか」
「……会いたいです。でも狩りの失敗で殺されていない場合、私のことが嫌になってどこかへ行ってしまったという疑念が現実になります」
それは嫌だと呟き、せめて謝りたいと涙混じりの声で言った。
ルルニアが抱いている後悔は人間と同種のもので、刃に宿した殺意が揺らいだ。俺は奥歯を噛みしめて葛藤し、逆手に持っていたナイフを引き出しの中にしまった。
「ありがとう……ございます」
「何の話だ」
「話を聞いてくれたから……それだけ、です」
バレたのかバレていなかったのか、真偽は分からない。
もしかしたらルルニアは精気を吸えない自分に疲れ、ここで殺されても良いと思ったのではないか。魔物相手に情を掛けてしまった俺は、人として今後どう行動するべきなのか。
「────やっぱりあの夜に殺すべきだった」
あえて聞かせるように言うと微笑みが返ってきた。
「これは……?」
ルルニアの吐しゃ物はほぼ透明だった。胃酸特有の酸っぱい臭いがなく、固形物も混ざっていない。現場を目撃していなければこれが吐しゃ物と判別するのは不可能だ。
(……そういえば最初に吐いた場所の掃除をしてなかったな)
そちらの方を見るが、何の痕跡も残ってなかった。不思議な気持ちで眼下の液体を観察すると、水蒸気すら出さず急速に揮発していった。
「ルルニア、今吐いたのは何だ?」
「……私が昨日の昼に消化した精気を糧としたモノです。……人間的には何と言いましたか、たぶん魔力とか言う名前で呼んでいるものです」
「魔力? じゃあこれが妙な術の源か」
魔力とは『魔物のみが有する力』だ。魔物はそれを使って異常で異様な術を扱う。何もない空間に炎を出したり、狙った位置に雷を落としたりするのだ。
「……人間の認識はどうか知りませんが、私たちのこれは在って当然のものです。変だと思ったことはありませんし、使い方を習ったりもしません。魚が本能で水の中を泳ぐぐらい当たり前です」
消えかけの魔力に触れるが、痺れも痛みもなかった。ぐったりしたルルニアに視線を戻すと、俺が顔と胸に浴びせてしまった精子がゆっくり消え始めていた。
「蒸発している……?」
「失った分の精気を摂り込んでいるんです。具合の悪さに追い打ちをかける形にはなりますけど、無理にでも食べないと死んでしまいますので」
「改めて何でもありだな」
「幾人もの人間を喰らった同族の中には、性行為を介さぬ者もいると聞きます。尻尾の先端を口みたい広げて直接人間を丸呑みにするそうです」
知れば知るほどルルニアが人の皮を被った化け物なのだと思い知らされた。
(……本当にこのままでいいのか?)
自死を前提とすれば刻印の縛りは無為になる。そも術者のルルニアが死んだ後も効力が続く証拠もない。精気が足りず飢え死に寸前のサキュバスにそんな力があるとも思えなかった。
俺は平静を装ってベッドから抜け出た。ナイフは近くの台の上に置いてあり、ちょっと手を伸ばせば届く。着替えのついでに拾えばバレることもない。
(……殺意を向けても刻印が反応しない、か)
再びナイフを取った理由は単純だ。俺の中でルルニアの存在が大きくなり始めていた。
朝目覚めたら傍にいて食事を作ってくれる。仕事の途中に家事をしてくれて話し相手になってくれる。性行為の要求は激しいが苦痛ではない。近く『今』を手放せなくなる日が来る確信があった。
(……今ならまだ、人のためにルルニアを殺せる)
悩めば悩むほど判断が鈍る。決断は迅速にすべきだ。
「……すいません。ちょっと……いいですか?」
「どうした」
「薬が欲しいです。朝に飲んだ薬……あります?」
「丸薬の奴だな」
棚の引き出しから丸薬を取ると、ゲホゴホとむせる声があった。
俺は慎重に鞘から刃を抜き、飛び掛かる準備をした。その時だ。
「────常々思いますが私は幸運ですね。あなたが薬屋なのもそうですけど、普通だったら最初に倒れた夜に殺されていました」
安心と信頼が強く伝わってくる語り口だった。弱っているせいかルルニアは少し饒舌で、同族から疎まれていた過去を話してくれた。
「お前がいると狩りの効率が落ちるから邪魔と、そう言われてきました。面倒を見てくれた友人が一人いましたが、その子にも見捨てられてしまいました」
「………………」
「人間みたいにお金を払うわけにもいきませんし、私だけが施しを得る形になります。その上で恵んでいただいたモノを吐いたら、縁を切られて当然です」
ルルニアの友人は変わり者だったという。成人してからずっと行動を共にし、何の見返りも求めずに助けてくれた。共同生活は数年続いたが、ある日を境に姿を消してしまった。
「……腹を満たせなくなって潜伏先の老夫婦の酒場を後にしました。何人か美味しそうな男性がいましたが、結局は手を出せず仕舞いです」
「友人と再会しようと思わないのか」
「……会いたいです。でも狩りの失敗で殺されていない場合、私のことが嫌になってどこかへ行ってしまったという疑念が現実になります」
それは嫌だと呟き、せめて謝りたいと涙混じりの声で言った。
ルルニアが抱いている後悔は人間と同種のもので、刃に宿した殺意が揺らいだ。俺は奥歯を噛みしめて葛藤し、逆手に持っていたナイフを引き出しの中にしまった。
「ありがとう……ございます」
「何の話だ」
「話を聞いてくれたから……それだけ、です」
バレたのかバレていなかったのか、真偽は分からない。
もしかしたらルルニアは精気を吸えない自分に疲れ、ここで殺されても良いと思ったのではないか。魔物相手に情を掛けてしまった俺は、人として今後どう行動するべきなのか。
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