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第三十四話『魔物たちの夜』
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…………丸い月が浮かぶ夜空の下、村はずれの平地に佇む大木の幹に私は座っていた。
ゴブリンの襲撃から三時間ほどの時が経った。ほとぼりが冷めるのを待ってグレイゼルを連れ帰るつもりだったが、一向に屋敷の中から出てきてくれない。
強引に乗り込んでも良かったが、ろくに間取りも分からぬ建物に踏み込むのは危険だ。一夜我慢すれば落ち着いた食事が出来るため、今は静かに待つべきだ。
「でも身体の熱が全然冷めないんですよね」
酒場でグレイゼルを受け入れようとした時、胸が熱く高鳴った。膣内で射精されたら死にかねないのに、子宮で精気を受けたくなった。あの時の私は食欲以外の感情に支配されていた。
今でもグレイゼルを喰い殺したいと思う意思に変わりはない。だがそれは今でなくてもいいのではと、日々の生活の中で考えるようになってきた。
「人間の寿命は長くても六十そこらですし」
サキュバスの平均寿命は三百歳だ。人間からすれば悠久の時間があるのだから、ほんの数十年ばかりを遊興に費やしていいのではないか。
「たっぷり時間を掛けてグレイゼルを味わって、最期に精気を絞り尽くす。人間なんて朝昼晩にご飯を用意して話し相手になってあげて好きにエッチさせれば喜ぶ生き物です。困ることなんてないはずです」
殺さぬ選択は合理的と言える。だが心のどこかでその道を恐れる自分がいた。
(……人間に獲物以上の感情を抱くわけがないのに)
この胸のモヤつきは何か。いつから自分はおかしくなってしまったのか。
首に掛けていた私たちの家の鍵に触れ、朝日の下でのやり取りを浮かべた。
『今後は家を任せる。これは共犯の証みたいなものだ』
『いいんですか?』
『他の人を襲わないと言った誓いを俺は信じると決めた』
私はずっと期待されないで生きてきた。友達は優しかったが、決して対等な関係ではなかった。吸えないサキュバスは人間以下の存在だと、後ろ指を差されるのが辛かった。
「…………人間はバカで間抜けです。だって人間の姿かたちを真似た人食いの化け物を、あまつさえ天使や女神呼ばわりするんですから」
グレイゼル以外の人間は死んでも良かった。けれどゴブリンと戦って称賛を受ける中で、ついでぐらいには守ってあげようとする自分がいた。
「私は、いったいどこに……」
向かえばいいのだろうか。早くグレイゼルと会って他愛のない会話がしたいと、たくさんエッチをして胸のモヤつきを忘れたいと願って月を見上げた。
座りながら足を揺らしていると、足場にしている幹がギッと揺れた。気づけばすぐ横に同族のサキュバスが立っており、私を見下して声を掛けてきた。
「あんた、この辺りを縄張りにしてる娘?」
切れ長の目に赤毛の長髪、加えて豊満な肉体のサキュバスだ。身体から発せられる魔力の波動を見るに、十数人ばかりの人間を食べてきたと見える。
「そうですが何か?」
「貧相な身体ね。成人したばかり? わたしさ、あの村にいる上質な精気を持った人間が欲しいのよ。縄張りごとこっちに譲ってくれない?」
「さっきの襲撃はあなたが?」
「当たり。サキュバスの香でゴブリンの群れを誘導して、村を襲わせたってわけ。逃げる村人からどいつが上質な精気を持ちか見極めたかったのよ」
順調に事が進む途中で私が乱入してきた。
「あんたみたいな小娘にアレはもったいないわ。わたしは温情深いから、大人しく譲り渡すなら殺さないであげる。分かったらさっさとここを去りなさいな」
飽きるほど浴びた蔑みの視線を向けられた。グレイゼルとの食事を邪魔したのはこいつだと、一度は収まっていた怒りが再燃してきた。
「弱者は強者に蹂躙されるだけですからね」
「分かってるじゃない。狩りの方法を学びたいって言うなら、特別に観戦させてあげる。捕まえた獲物はあげないけどね」
「傲慢ですね。まさか私より強い気でいるんですか?」
「サキュバスの強さは身体つきで分かる。貧相なあなたと豊満なわたし、どっちが強いかは明白よ。生意気言うなら殺すから」
交渉は決裂した。私たちは殺気と共に瞳を輝かせた。
サキュバス同士の戦いは魔力量が肝だ。上の相手に下の者の術は効かない。体型で勝る先輩サキュバスは一瞬勝ち誇るが、すぐに余裕綽々な表情を歪ませた。
「……な、え? 嘘……何よ、これ?」
動きが止まったのは私ではない。うかつな先輩サキュバスの方だ。
石像のようになった無様な姿を眺め、相手の顔の前で嗤ってやった。
「偉そうにしてた割に弱いですね。お・ば・さ・ん」
「あんた……実力を隠して……!?」
「実力なんて隠していませんよ。そちらの見立て通り私は最弱のサキュバスです。成人にもなって処女を捨てられない、無能な落ちこぼれです」
ならばこの力の差は何か、理由は恐らく日々の食事だ。グレイゼルの射精一回は並みの人間一人殺すより栄養の効率が段違いで良い。私はそれを食べ続けてきたのだ。
片手で先輩サキュバス首を掴み、容易く持ち上げた。暴れられて腹を蹴られるが、拘束術が効いているので全然痛くない。首を掴む力を強めにしたら大人しくなった。
「縄張りを譲らなければ殺す、そう言いましたよね?」
「ま、待ってちょうだい!? あそこにいる人間は諦める! だからそれだけはやめて! せっかくここまで大きくなったのよ!? あなたも同族なら分かるでしょ!!」
「私たちの口は獲物を騙すためのもの。命乞いも信用に値しません」
邪魔でしかないのだからここで殺すべきだ。
けれど同族とはいえ意思ある者を殺した私を、グレイゼルは温かく迎えてくれるだろうか。短い葛藤を経て先輩サキュバスの角を片手で掴み、ひと思いでへし折った。
「にゃぎ!? ひっひ、ひゅの、ひゅのが……」
「サキュバスの角は身に貯めた魔力を操るための器官です。片方をへし折られたあなたは並みのサキュバス以下に堕ちます。────つまり」
次の最弱はあなたです、と耳元でささやいた。首を掴んだ手を離すと、元先輩サキュバスは弱弱しい羽ばたきで地面に降りた。そして悲鳴を上げて山へ逃げて行った。
「はぁ、本当につまらない夜ですね」
早くグレイゼルに会いたい、それだけを願った。
ゴブリンの襲撃から三時間ほどの時が経った。ほとぼりが冷めるのを待ってグレイゼルを連れ帰るつもりだったが、一向に屋敷の中から出てきてくれない。
強引に乗り込んでも良かったが、ろくに間取りも分からぬ建物に踏み込むのは危険だ。一夜我慢すれば落ち着いた食事が出来るため、今は静かに待つべきだ。
「でも身体の熱が全然冷めないんですよね」
酒場でグレイゼルを受け入れようとした時、胸が熱く高鳴った。膣内で射精されたら死にかねないのに、子宮で精気を受けたくなった。あの時の私は食欲以外の感情に支配されていた。
今でもグレイゼルを喰い殺したいと思う意思に変わりはない。だがそれは今でなくてもいいのではと、日々の生活の中で考えるようになってきた。
「人間の寿命は長くても六十そこらですし」
サキュバスの平均寿命は三百歳だ。人間からすれば悠久の時間があるのだから、ほんの数十年ばかりを遊興に費やしていいのではないか。
「たっぷり時間を掛けてグレイゼルを味わって、最期に精気を絞り尽くす。人間なんて朝昼晩にご飯を用意して話し相手になってあげて好きにエッチさせれば喜ぶ生き物です。困ることなんてないはずです」
殺さぬ選択は合理的と言える。だが心のどこかでその道を恐れる自分がいた。
(……人間に獲物以上の感情を抱くわけがないのに)
この胸のモヤつきは何か。いつから自分はおかしくなってしまったのか。
首に掛けていた私たちの家の鍵に触れ、朝日の下でのやり取りを浮かべた。
『今後は家を任せる。これは共犯の証みたいなものだ』
『いいんですか?』
『他の人を襲わないと言った誓いを俺は信じると決めた』
私はずっと期待されないで生きてきた。友達は優しかったが、決して対等な関係ではなかった。吸えないサキュバスは人間以下の存在だと、後ろ指を差されるのが辛かった。
「…………人間はバカで間抜けです。だって人間の姿かたちを真似た人食いの化け物を、あまつさえ天使や女神呼ばわりするんですから」
グレイゼル以外の人間は死んでも良かった。けれどゴブリンと戦って称賛を受ける中で、ついでぐらいには守ってあげようとする自分がいた。
「私は、いったいどこに……」
向かえばいいのだろうか。早くグレイゼルと会って他愛のない会話がしたいと、たくさんエッチをして胸のモヤつきを忘れたいと願って月を見上げた。
座りながら足を揺らしていると、足場にしている幹がギッと揺れた。気づけばすぐ横に同族のサキュバスが立っており、私を見下して声を掛けてきた。
「あんた、この辺りを縄張りにしてる娘?」
切れ長の目に赤毛の長髪、加えて豊満な肉体のサキュバスだ。身体から発せられる魔力の波動を見るに、十数人ばかりの人間を食べてきたと見える。
「そうですが何か?」
「貧相な身体ね。成人したばかり? わたしさ、あの村にいる上質な精気を持った人間が欲しいのよ。縄張りごとこっちに譲ってくれない?」
「さっきの襲撃はあなたが?」
「当たり。サキュバスの香でゴブリンの群れを誘導して、村を襲わせたってわけ。逃げる村人からどいつが上質な精気を持ちか見極めたかったのよ」
順調に事が進む途中で私が乱入してきた。
「あんたみたいな小娘にアレはもったいないわ。わたしは温情深いから、大人しく譲り渡すなら殺さないであげる。分かったらさっさとここを去りなさいな」
飽きるほど浴びた蔑みの視線を向けられた。グレイゼルとの食事を邪魔したのはこいつだと、一度は収まっていた怒りが再燃してきた。
「弱者は強者に蹂躙されるだけですからね」
「分かってるじゃない。狩りの方法を学びたいって言うなら、特別に観戦させてあげる。捕まえた獲物はあげないけどね」
「傲慢ですね。まさか私より強い気でいるんですか?」
「サキュバスの強さは身体つきで分かる。貧相なあなたと豊満なわたし、どっちが強いかは明白よ。生意気言うなら殺すから」
交渉は決裂した。私たちは殺気と共に瞳を輝かせた。
サキュバス同士の戦いは魔力量が肝だ。上の相手に下の者の術は効かない。体型で勝る先輩サキュバスは一瞬勝ち誇るが、すぐに余裕綽々な表情を歪ませた。
「……な、え? 嘘……何よ、これ?」
動きが止まったのは私ではない。うかつな先輩サキュバスの方だ。
石像のようになった無様な姿を眺め、相手の顔の前で嗤ってやった。
「偉そうにしてた割に弱いですね。お・ば・さ・ん」
「あんた……実力を隠して……!?」
「実力なんて隠していませんよ。そちらの見立て通り私は最弱のサキュバスです。成人にもなって処女を捨てられない、無能な落ちこぼれです」
ならばこの力の差は何か、理由は恐らく日々の食事だ。グレイゼルの射精一回は並みの人間一人殺すより栄養の効率が段違いで良い。私はそれを食べ続けてきたのだ。
片手で先輩サキュバス首を掴み、容易く持ち上げた。暴れられて腹を蹴られるが、拘束術が効いているので全然痛くない。首を掴む力を強めにしたら大人しくなった。
「縄張りを譲らなければ殺す、そう言いましたよね?」
「ま、待ってちょうだい!? あそこにいる人間は諦める! だからそれだけはやめて! せっかくここまで大きくなったのよ!? あなたも同族なら分かるでしょ!!」
「私たちの口は獲物を騙すためのもの。命乞いも信用に値しません」
邪魔でしかないのだからここで殺すべきだ。
けれど同族とはいえ意思ある者を殺した私を、グレイゼルは温かく迎えてくれるだろうか。短い葛藤を経て先輩サキュバスの角を片手で掴み、ひと思いでへし折った。
「にゃぎ!? ひっひ、ひゅの、ひゅのが……」
「サキュバスの角は身に貯めた魔力を操るための器官です。片方をへし折られたあなたは並みのサキュバス以下に堕ちます。────つまり」
次の最弱はあなたです、と耳元でささやいた。首を掴んだ手を離すと、元先輩サキュバスは弱弱しい羽ばたきで地面に降りた。そして悲鳴を上げて山へ逃げて行った。
「はぁ、本当につまらない夜ですね」
早くグレイゼルに会いたい、それだけを願った。
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