自己犠牲者と混ざる世界

二職三名人

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EX2-5:ピーちゃんと居なくなった人達

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 歩くたび、時間が経つたびに何かが歪んでいくのを感じる。
 だってほら、この地域は田舎のような都会だけれど、こんなにも荒廃して、草木に侵食された様な光景が出来上がるなんて珍しいはずだから、それとなんだか空の色もおかしい気がする。
 太陽が昇っているのに、薄暗く、緑がかって見えてくるのは恐怖が度を越して五感が狂ったのかな。
 ……絶対錯覚じゃないでしょこれ。
 
「ね、ねえ。シャーちゃんこれヤバイよね。絶対ヤバイよね。
 どう言う空間なのこれ。
 いくら田舎っぽい都会の端っことはいえこんな空間あっちゃあダメだって。
 今からでも重い足から崩れ落ちそうなんだけど」
「まぁね……私もなんだか怖くなってきたよ」
 
 そう言いながらも、シャーちゃんの足取りは私よりもはるかに軽快である様に見える。
 
「その割には平気そうに見えるんだけど」
「うーん。
 私より怖がってる子がいるから冷静になれてるから! かな、多分」
 
「えー、ひっどーい」
「あはは」
 
 気分をなんとか誤魔化して、私はシャーちゃんの少し後ろを歩く様に、手鏡で後ろを時々確認しながら歩く。
 
「ちょっと、お腹減ったね」
 
 しばらく歩いていると、シャーちゃんがお腹の虫をグゥッと鳴らし、照れ臭そうにそんな事を言った。
 
「どうしよう……まさか何時間も歩くとは思わなかったからなーんも持ってきてない……」
「私に言われてもなー。
 私もこんなに歩くなんて思わなかったから特に何にも……イチゴ味の飴が12個あるけど食べる?」
 
「……食べる。
 2個ちょうだい」
「はいはい……えっ……あー、ここに補給されんのね。
 ちょっと怖いって兄貴」
 
「何か言った?」
「ううん、何にも。
 ところでおむすびあったの思い出したんだけど、居る? 天むす、ツナマヨのどっちかあげるよ」
 
 背負いカバンの中を探ると、新しく入れられたおむすびが3個と瓶に入った乳酸飲料があった。
 1番好きな辛子明太子を除いて、天むすかツナマヨをシャーちゃんに提示する。
 
「えっあるのー? 準備いいねピーちゃん。えーっとだったらツナマヨが欲しいかな」
「ツナマヨだね。いいよいいよー。はい」
 
「ありがとー……コンビニで売ってる感じのおにぎりだと思ったら。
 バリバリご家庭で握りましたって形だし、丁寧にラップされてるやつだこれ。
 いいの?」
「いいよいいよ別に。
 さっき羊羹を頂いたわけだしお相子でしょ。
 喉乾いたら言ってね。
 飲み物もあるから。
 ……乳酸飲料が1瓶だけだけど」
 
「助かるー。
 でもなんで乳酸飲料?」
「私があの味好きだから」
 
「あー、美味しいよね。
 でもおにぎりに合うかな?」
「慣れたら味はそれぞれで楽しめると思う」
 
 何処からともなく、感覚的に6時間おきに補充される食料を分け合いながら、食事をする。
 食事が終わったら、また歩みはじめる。
 背景的なもの以外で特に変わったことはない。
 
 もう暫く歩き続ける。一層暗くなった気がする。夜が近づいてきているのだろうか。
 
「ん?」
 
 ふと、シャーちゃんが足を止めた。
 
「どうしたの?」と尋ねるとシャーちゃんが「ここに似つかわしくないバットが落ちてる」と答え。
 木製のバットを拾い上げる。
 バットの持ち手の底をシャーちゃんは覗き込んで「咲坂」と呟く。
 咲坂、確か野球部でバッテリー……バッテリーが何かわからないけれど、野球の何がしを担う相方を探すために、北の通りに向かった男子生徒の名前だった気がする。
 
「どうしてここに落ちてたんだろ?」
「さー? でも、バットが少しへこんでるし穏やかな理由では無いと思う」
 
「何か……居るのかな?」
「どうだろ、でもバットがへこむような事がここからあると考えたほうがいいかもね」
 
 わからない事が増えた。
 不可解な事が増えた。どうしてバットが落ちているのだろう。バットの持ち主である咲坂は今どうなっているのだろうと。
 新たに加わった不可解が、さらなる恐怖へと繋がる。
 
「おーい、誰かいないのかー?」

 そんな時に、男の声が何処かから聞こえた。
 
「……私たちみたいにやって来た人かな?」
「かもね。行ってみようか」
 
 行きたくないなぁあああ。知らない人の声だもん。どんな人かわからないもん。ヤバイ人だったらどうするの? ……決めつけってダメだよね。でもさぁあああ、わからないもん。怖いんだもん。
 ……だけれど歩き続けて平行線な今、行かないと何もわからないままだから、万が一にでもシャーちゃんに置いていかれて1人になったらそれこそ1人で知らない場所に取り残された恐怖のあまり速やかに心肺が停止しかねないから。行かないと。
  
「う、うん。行こう」
「よし……スゥ。はーい、誰かがここに居ますよー」
 
 私たちは呼びかけに応えて、その人の声が聞こえるところへと向かう。
 
「おーい。こっちだー」
 
 ……声に違和感を感じる。まるで、こう。録音テープを再生した声を聞いている様な……そんな違和感を。
 
「おーい」
「はいはい、声的にもう近いですよー」
 
 声は近い、だけれどその近さに対して姿が見えなさすぎる。
 私は静かに、クマジロウを頭だけ出した状態で背負いカバンに閉まって、折り畳み傘を取り出す。警戒心はバリバリだ。
 
 どこから声は聞こえているのだろうとふと考える。そこの曲がり角から? それとも真正面から? いや、いや可笑しい。絶対に何かがおかしい。
 私たちは声をたどって、歩いていたはずだ。でも、いつしか声の方向性がわからなくなっている。それもそうだ。四方八方から同じ声が聞こえるのだから。
 これにはシャーちゃんも気がついたらしく、いつしか声を辿っていた足は止まって周囲を警戒していた。
 
「おーい」
「おーい」
「おーい」
「おーい」
 
 私たちを囲んで何度も反芻はんすうされる「おーい」という言葉。
 空気が熱く、重く湿っていくのを感じる。
 
「……ピーちゃん。なんかキモいのが垂直の目線よりちょっと高いところにいる」
 
 先に見つけたのはシャーちゃんだった。
 どの方角にいるんだと思いつつ、視界をあげると。ニョロリと細い、くちばしの様に上下に開いた触手の様なものが、木から、荒廃した建物の割れ目から、前方からだけではなく四方八方から。こちらを覗き込んでいた。
 
「助けて、助けて」
「あ゛ああぁぁぁクソ! 当たらない! 皆さん! 逃げてください!」
「つ、つかまちゃった」
「痛い、痛いよ」
「警察の人はどこに行ったんだ!」
「皆んな、皆んな千切られた。潰された。あぁ……私も消えるのね。何で……私はただあの子を探しに来ただけなのに。や、やめてぇ」
 
 触手から、人の慟哭どうこくの様なものが聞こえてくる。
 恐怖を掻き立てられ、動けないでいると。
 
「適当に聞いた声を意味もわからず真似ているようだから。バッドもはたき落とされたし、俺はこうやって抵抗する事にする。
 ───その声は釣り餌だ。逃げろ、そぃつは人の声を真似する」
 
 と触手が言った。私はこの声を知っている。この声は──咲坂の声だ。
 
「逃げるよピーちゃん!」
 
 その声を聞いて、事態を理解したのかシャーちゃんは、私の手を掴んで走り出した。
 
「おーい!」
「痛いよぉ!」
「皆さん! 逃げてください!」
「誰かいないのかー!」
 
 触手は逃走に気がついたのか、叫ぶ様にして追いかけてくる。
 声を信じるのなら、アレはどうやって襲いかかるのだろう。
 引きちぎる様なことをするらしい、潰す様なことをするらしい。
 ……どうして血を見かけないのだろう。
 疑問は尽きない。
 だからと言って確認のために、観察のために後ろを振り向く余裕は私にはなく。手を引くシャーちゃんに流されるがまま、走り続ける。

 火事場の馬鹿力と言う者は本当にあるようで、いくら走っても疲れる気がしない。
 それと人間の足よりも遅いのだろうか、追いつかれる感覚もしない。
 ……楽に逃げ延びられるのでは? いやいや、なわけない。
 少なくともあの声を現状把握の頼りにするのなら、こんなにアッサリ逃げられるのだったら、あんな悲壮感を感じられる声は上げないだろう。
 じゃあ、何がある? アレらは何をしてくる?

「あぁあああああ!」
「へッ、かかってこい! お前の相手は俺だ!」
「いやだ、いやだよ。あぁ母さん……」
「おーい」
 
 ゴチャリと十人十色、定まることのない声たち。
 それが背後から……しばらく走っているうちに前方からも聞こえてくる。
 まだ数が居た。遭遇したアレらだけじゃあなかった。
 血が残らなかった原因はわからないけれど、声が危機迫るものだった理由は予感できた。
 物量作戦。また、肉食獣が狩をするときに用いるような群の連携。これら触手の様な怪物の武器はこれらの2つに1つ、最悪両方あると私は見た。
 
「うわ、やっば」
「あ、あぁ」
 
 その予測はある意味正しくて、大方間違えていた事を私は知る事になる。
 多くの声がそこにあった。
 多くの触手がそこにあった。
 触手の様な化け物はそれで完成された単体の存在ではなかった。
 触手は、今目の前に出現した。
 かつて公園であっただろう場所にただずむ触手が梨型に集まった様な化け物の副産物で、私たちをここに追い込むための動きをしていたにすぎなかったのだと悟る。
 
 私は腰を抜かして地面に尻餅をつく。
 終わった。逃げられるわけがない。
 バケモノの懐にまで追い詰められた。
 恐怖が満ちていく。
 
 深呼吸をする声が聞こえた。触手から聞こえたものではない。シャーちゃんから聞こえたものだ。
 何で今深呼吸? と思って視線をシャーちゃんに向けると、シャーちゃんは咲坂のバットを握りしめていた。
 
「何、してるのシャーちゃん?」
「見たらわかるでしょ。
 ちょっと頑張ろうとしてんの。
 ピーちゃん。
 もし万が一、奇跡的に私にアレが注目したら。
 間髪入れず街まで逃げ帰って。
 それで学校の時に問答無用で逃げ帰ちゃった私の件はチャラって事で」
 
 ────シャーちゃんは、気にしていたのか。私をヤバイ子供たちが出てきた学校に置いて逃げた事を。
 ……気にしなくていいのに。あんなヤバイのが出たら逃げ出すのが当然なんだから。
 ほんと、やめてよ俺にここは任せて逃げろだとか、漫画じゃあないんだから。
 ……もし奇跡的に逃げ帰れても、そこにあるのはもう、1人でいる。
 いつこの化け物がやってきてもおかしくない状況からくる恐怖しかないのに。
 それに、動けない。腰が抜けている。
 奇跡的な可能性さえ残らず私は逃げられない。
 シャーちゃんの頑張りは無駄になる。
 
「きなよバケモノ。私はピーちゃんより肉つきないから美味しくないと思うけど。先に食べるならメインより前菜でしょ」
 
 シャーちゃんはそう言って私の前に出て守る様に啖呵を切る。
 だけれど、勝てるわけなんてどこにもなく。
 詰んでいる状況にしか見えない。
 腰の抜けた私に何ができるだろう。
 そう思っていると、クマジロウが目に付いた。
 ……兄貴、兄貴なら。
 私を2年間何かから守り続けた兄貴なら……この時、どうしたのだろう。
 もし此処にいたなら、どれだけ心穏やかで要られただろう。
 そう思っていると私は無意識にクマジロウをすがりつく様に抱きしめて、私たちを助けてと口に出して懇願していた。
 
 クマジロウに抱きついて震えているとチョキチョキチョキ、薄い刃物が擦れる音が聞こえた。
 嫌な音。怖い音。あぁあの子供達を思い出す。人差し指を切られた痛みを思い出す。
 
「アハハハハハ」
 
 子供たちの笑い声は近づいてくる。駆ける靴音が近づいて来る。
 そして、ただでさえ混乱する私の目には、今にも襲いかからんとする触手に私たちの後ろから飛びかかった子供たちが映った。
 ……状況の意味がわからない。何が起こっているんだろう。
 そんな困惑が安定する前に、子供たちがその手に持つハサミで触手を切り刻みはじめ、触手が暴れ。
 数人の子供達が触手に貫かれて消滅しと場は混沌極まった。
 
「……どういう状況なの」
「私もわかんない」
 
 そんな私たちの困惑に答えるようにヒタリヒタリと足音が、こんなさわがしいなかでも聞こえる。
 振り返ると、あぁやはり、私に似た悪意あるあの女がこちらへと、忌々しそうな表情を浮かべてやって来ていた。
 
「小鳥なんて大っ嫌い。死んじゃえばいいのにって何度も思うけど……お兄ちゃんが助けてやってくれなんて私に頼むなら……業腹だけど助けてあげる」
 
 どうやら至極嫌そうな表情の彼女は、私たちを助けに来たらしい。
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