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山の音楽家が奏でる山の景色 2

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  フランスのパリに住んでいたはずの俺は今とんでもない山の中の一軒家に放り込まれて途方に暮れている。おしゃれなカフェもないし、遊ぶところもない。楽譜を探そうにも本屋もないと言うないない尽くしどころか文明もない。
 古い田舎の家にあるようなオーブンは薪を使うし、まるで昔話のようなおとぎの国のような異世界に迷い込んだようだ。 
 そしてこの家では働かざる者食うべからずと言う家訓があり、俺は鶏の面倒を見る事になった。
 真っ白でふわふわなこいつらは人馴れしているのか小屋に掃除に行くとどこからともなく集まってきて周囲をうろうろしたり追いかけてきたりと、ちょっと怖い。だけど一匹大人しく触らせてくれる奴が居て、
 この山の中の家での一日はこうだ。
 起きたらご飯を食べて、鶏小屋の掃除をする。
 一輪車で木くずや藁を敷地の奥にあるゴミ捨て場に捨てに行き、室内を綺麗に掃除する。水の容器を洗って新しい水を入れ、エサの補充をし、卵があったら回収する。その時に日付をペンで書いて置く事。そこまでできたらこの家の裏側の出入り口からは言った所にある藁や木くずを小屋の中に広げるように撒けばいい。
 ここでの仕事はそれだけなのだが、何故か結構な時間を要する上に、終わったら綾人にチェックをしてもらわなくてはいけない。
『嫌味に聞こえるかもしれないけど人間よりずっと小さな生き物だからな。ちゃんと清潔にしておかないとすぐに病気になる』
 これだけ臭かったら病気になるなと納得して頷けば
『病気になったらすぐに死ぬ。食べる為に育ててるから薬は使わないから助けはしない』
 そう言った温度のない瞳が俺を真っ直ぐ見て
『病気になったら他の烏骨鶏にうつらないように殺さないといけない。
 病気がうつったのが分ったら全羽殺処分だ。野鳥から他の鶏達に移る前にここで歯止めをかける。それが良き物を飼う者の責任で人間のエゴだ。
 その手で烏骨鶏を殺す事になりたくなかったらちゃんと掃除をする事、ただそれだけがこの山での仕事だ』
 命なんて責任を押し付けるなと思った物の、このやけになつっこい鶏のせいでせっせと俺は掃除に励んでいた。
 そんな恐ろしい話を聞いた後なので少し慣れた今はじっくりと観察をする余裕も生まれた。そこで気が付いたのが一羽他の鶏と比べてあまり艶がないと言うか、嘴とか足の爪が削れたり折れたりしているのを見て
『綾人、この鶏ひょっとして病気?』
 俺、丁寧に掃除してるぞと俺の責任じゃないと言う様に訴えれば綾人は何度か瞬きをしたと思ったら
『ああ、こいつは一番のお姉さんなんだ。もう二年ぐらいかな?まだまだ若い部類だけど、他の烏骨鶏達が一年未満だからちょっと年を取ってる分そう見えるんだ』
 言いながら抱き上げて喉元をさすったりすれば気持ちよさそうにうっとりと目を細めてるのを見て俺もやりたいと手を伸ばせば綾人はそいつを俺に抱かせてくれた。
『若い部類で二年?』
 何でみんなそんなにも最近産まれた物ばかりなのかと不思議そうに一年二年ではここまで汚れない鳥小屋を見て言えば
『飯田さんが一年未満の奴らが美味いからって、そこまで長生きさせてないんだ。
 寿命は大体十年から十五年、犬や猫と同じ位か。そう考えればこいつだってまだまだ若鳥のうちだな』
『う、美味いから……って……』
『そう。美味いんだ。成長すれば成長するだけ肉質が固くなるんだって。
 月に一度は捌いてくれるから、その時美味しく料理してもらおうな?』
 言いながら壁の戸棚から缶を取り出したかと思えば腕の中の鶏が暴れ出して俺を蹴り飛ばして綾人の方へと飛んで行った。と言うか、落下して行ったと言うのがあってるぐらいの飛べない鳥の代表の鶏は缶から取り出して自分の周りに放り投げた物に向かって一心不乱につつきだせばどこからともなく鶏達が集まってきて鶏に囲まれるハーレムが出来上がっていた。
 なにそれ、羨ましい!
『綾人!何の餌あげたの!』
 鶏に囲まれた綾人が羨ましすぎてその缶の中味は何だと言えば
『これ?ミルワーム。触れるのなら掃除の後に少し上げてもいいぞ』
 そう言って器用に鶏をかき分けて俺の元にやって来た綾人は俺の手のひらにミルワームとやらを置くのだった。
『……!!!』
 声のない絶叫!
 手の平に置かれたひものような乾燥したなんとなく生理的嫌悪をする何かに慌てて手の平からは叩き落としてズボンに手をこすり付けてその感触を忘れようとする物の簡単に忘れる事が出来たらこんなにもぞわぞわとした気分になるわけがない。
『何?何コレ?!』
 顔を青ざめて聞けばそっと缶の中味を見せてくれるもとっさに目を反らしてしまった。
『ヴェール ドゥ テール!!!』
「ミミズじゃない。ミルワーム、ヴェール ドゥ ファリーンだ」
『一緒!気持ち悪いのに変りはない!』
『それは激しく同意する』
 思わずミルワームを素手で掴んでいた綾人と握手をしてしまった。
 足元はミルワームとやらを奪い合う鶏達の争奪戦に身動きが出来ないけど、初めて動物とのふれあいは何処かくすぐったい。例え靴ひもをミルワームと間違えてつつかれていようが、何だか綿毛のような羽が足をくすぐって笑ってしまう。
『さて、烏骨鶏ハウスの掃除も終わったから、練習の時間だ』
『ビエンスゥー!二階を借りるよ!』
 パンと手で大きな音を立てるように手を叩く綾人にびっくりして逃げて行く鶏達に「このチキンめー」なんて言って笑う綾人を意地悪だなぁと思うもそれでも警戒しながら足元にまだ残るミルワームを突く奴らも大概だなと笑ってしまうも俺はまだ新築にも近い離れの荷物置き場からジョルジュから預かってるバイオリンを抱えて鶏小屋の二階へと向かう。
 離れの二階はマサタカが作曲の仕事場にしてしまったので邪魔は出来ないので別の場所がないか綾人に聞けばトイレからは遠いけどと言う条件で鶏小屋の二階を案内してもらった。
 鶏小屋の裏からコンクリートを敷き詰めた広い部屋へと案内された。何に使うのかわからないが少し変わった部屋だなと言うのが正直な感想。だけど綾人はこの部屋ではなく、一つのドアを開けてドアからすぐの階段を真っ直ぐ上って行く。靴のまま上って行くので俺も同じように靴を履いたまま上ればすぐにこの場所も手入れされたばかりの部屋だと理解した。
 左右の壁は白く、パリに住んでいた時のアパートを思い出す。もっともアパートの壁は薄汚れて灰色っぽかったが、ここはまだ壁を塗ったばかりのような真っ白で……思い出した。
 マサタカから見せてもらった動画でこの部屋を作っている過程の動画があった。
 階段を一歩一歩踏みしめて上りつめれば一面の白くて広い、そして黒の柱や梁が走る美しいコントラストに目を奪われるまだ真新しい木の匂いに満たされた空間があった。
『わぁ……』
 なんて表現すればいいのだろうか。
 どんな音楽室やスタジオよりもホッとするような温かさを感じる部屋だった。
 友情の形として作られた部屋を綾人は大切にしているのだろう。あまり使用した形跡はない物の埃も落ちてないし、空気も籠ってない。柱と同じく黒でペイントされた棚にも埃は積もってない。
 足元に小さな窓がある物の後から付けたのか新品のサッシの二重構造になっていて、そこだけが妙な違和感を覚えるも隙間風が入りそうだから仕方がないのかなと見学をしていれば
『これが電気のリモコン。寒かったらオイルヒーター使って。後でミネラルウォーターを淹れた水筒を持って来るよ。それとも温かい方が良い?
 一応断熱、防音の使用になってるらしいけど、烏骨鶏が下に住んでるからうるさくても勘弁してな?向こうの方が先住民だから』
『ウィ。大丈夫。あいつらの声にも慣れた』
 言えば珍しい事に嬉しそうな顔を俺に向け
『ここは静かだからあまり熱中しすぎると時間を忘れるからスマホで休憩時間をアラームセットしておくといいぞ。俺は作業に集中しすぎないようにわざと邪魔する様にセットしてる』
『なるほど。綾人でも集中する事があるんだ』
『あるぞー。畑仕事してる時は必須だな。熱中症でぶっ倒れないようにとか、脱水症状で倒れないとかさ。ここ普段俺以外誰もいないからセルフディフェンスしないと即死亡フラグが立つぞー』
『ほとんどサバイバルだね』
 まるで体験したかのような説明に呆れてしまうも
『だけどそれは俺達も落ちる罠だね。
 防音の部屋で倒れても誰も気付いてもらえないって言う罠があるから』
 それはないわーと言う視線の綾人は後ずさる様に良い勝負だろうとおもった物のそうではないらしい。
『まぁ、練習の邪魔になるから俺もう行くな?昼になったら呼びに来るから』
 そう言ってごゆっくりと言い残して駆け足で逃げる様に去っていくのだった。
 何なんだと思いながらもバイオリンをケースから取り出す。
 最初は音合わせ。
 バイオリンを始めた時は父さんがバイオリンの弾き方を教えてくれた。
 チューニングの仕方からメンテナンスの仕方。勿論スコアの読み方も立ち方構え方、何より絶対音感を身に着ける為に母さんのおなかの中に居る時からクラッシックを聞いて学んだと言う。
 だけど俺が人前でバイオリンを弾くようになってから父さんは母さんや俺に暴力を振るうようになった。
 噂によると……

 まだ六歳にならない子供が音楽大学首席で卒業したのにプロとして認められない父親を越えてしまったから人としても落ちぶれて行った、と。

 俺がバイオリン以外の道を選べなくなった瞬間だった。



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