僕の彼女は押しに弱い

あんぜ

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十一章 芸能界へ

第74話 プール掃除

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 それから三日後の土曜日、渚と共に学校へ。手には水着の入った防水バッグ。
 一足先に夏の気分を味わえる気がした。渚もすごく楽しそう。楽し…………そう?

「渚、まさかとは思うけど水着、ビキニ入れてきてないよね?」
「えっ!? まっ、まさかっ。学校のだよ?」

 怪しい……何と言うか、渚の家に向かう時の――何かエッチなことを考えている時の顔をしていた気がする。


 学校まで行くと、バス停の傍の降車スペースにワンボックスが停まる。
 降りてきたのは奥村さん。

 奥村さん、普段は駅まで送ってもらい、そこから歩いて登校していると言っていた。
 山咲さんみたいに校内で降車しないとはいえ、車で学校前まで送って貰っているのは珍しい。

「渚、ちょうどいいところに――」
「百合ちゃん!! おはよう!!」

 何故かダッシュで駆け寄る渚。
 奥村さんに駆け寄ったと思ったら、今度はこそこそと小声で話をしている。
 まあ、聞かれたくないような話なら待とう。

「――そう、残念ね」

 何が残念なのかは知らないが、奥村さんのそんな言葉で締めくくられた会話を終えると、渚が奥村さんを連れて戻ってきた。

「瀬川くん、おはよう」
「おはよう、奥村さん……何かあった?」
「何でもない、何でもないよ太一くん」

 渚には聞いてないんだけど――なんて言ったら怒りそうなのでやめておいた。


 ◇◇◇◇◇


 プールの傍までやってくると、既に鈴音ちゃんたち水泳部は集合して道具を揃えていた。バイトにやってきているカップルも何組か。相馬たちも居たので声を掛け、皆に挨拶をする。

「おぁっ、あれ、奥村さんじゃん…………奥村さん、水着……?」

 男子の誰かがそう言うと、傍に居た女子に頬をつねられていた。
 まあ、水着と言っても学校指定の水着なので男子も女子も下は三分丈。
 そんなに言う程ではないよね。




 ――――なわけがなかった。

「な、渚、上に着る物、何か持ってないの!?」

 渚の並外れた体型を完全に忘れていた。
 だって去年は渚、背中を丸くして隅っこの方で小さくなっていたもの。
 それに当時はちらりちらりとしか見ていなかったのもあった。

 じっくり見るとなんかマズい気がする。水着に潰されてはいるが明らかに目立つラインな上に、奥村さんと並んで堂々と待っていたものだから目のやり場に困る。中身を知ってる彼氏なら余裕? そんな余裕どこにもない。むしろ、薄い布の向こうに渚の体があると考えると余計に意識してしまう。

「百合ちゃんが居るから平気かなって思ってたけど……」
「やっぱり上、着てきましょうか」

 周りを見ると、女子はみんなラッシュガードかパーカーを羽織っていた。
 男子の何人かはちらちらと渚と奥村さんの方を見ていたし、プールサイドに居たおっさん――おっさん? いや、お兄さんか?――はガン見していてヤバかった。


 ◇◇◇◇◇


 プールサイドに居たおっさ――お兄さんは水泳部のコーチだった。
 コーチと言っても、スポーツ用品店勤めの、大学で水泳選手だった人がボランティアで引き受けてくれているコーチなのだそうだ。最初の挨拶で聞いた。

「やっぱコーチ引き受けてよかったわ……」

 ――とか独り言ちていたので、鈴音ちゃんに――あの人大丈夫なの?――と聞いてみたら、案の定大丈夫じゃないらしい。

「下心丸出しだから他にいいコーチが居たら変えて欲しいくらいよ」

 うわあ――と渚たちと苦笑いしていた。ただ、指導はしっかりしていて成績も残せてるらしい。

「コーチ! 真面目にやれ!」
「ええやん、曽根先生かて今度卒業生と結婚するんやろ?」
「コーチ! 手を出したら成金みたいに刑務所送りだからね!」
「ワシ、手ぇ出してないやん」
「見るのも禁止!」
「勘弁してくれ……」

 水泳部の女子たちによってコーチは離れたところに立たされる。僕らはデッキブラシを持って水の抜かれたプールにサンダルを履いて降りていった。プールの底はドロドロとした緑色の汚泥が溜まっており、酷く青臭い。プールは広いから風向きによっては植樹の落ち葉も大量に入るみたいだった。ぬたぬたと蠢く何かも潜んでいた。

 ヒィ――みたいな言葉にならない悲鳴をあげていたのは宮地さんだった。鈴音ちゃんは親しい彼女にも声を掛けたのだろう。――ということはその宮地さんの傍にいる日焼けしたスポーツ刈りの男子が彼氏だろうか。流石に彼氏の方は平気そうだった。

 相馬も引きつった顔をしていた。固まってはいないようだったけれど。
 ノノちゃんは――と心配していると、渚がバシャバシャと緑の水しぶきを立てながらはしゃいでいた。うん、わかるよ渚。非日常との遭遇でテンション上がっちゃうんだね。良く言えば童心に帰る。悪く言えばおっちょこちょい――ほら、コケた。

「あーあー、渚、大丈夫? お尻打ってない?」
「ごめんね、楽しくてつい……」
「渚、急に走り出すからびっくりしちゃった」
「す、鈴代さん、元気だね……」

 僕と奥村さんが渚を引っ張り起こすと、頭の上からシャワーが。

 きゃっ!――と渚たちの悲鳴。プールサイドを見ると麦わら帽子を被ってホースを持ったノノちゃんが。

「ごめっ、ごめん、汚れ落とそうと……」
「いいよノノちゃん、暑いから大丈夫!」

 あはは――と笑いながら渚が言った。旅館や海浜公園でもそうだったけど、渚は水辺に来ると急に元気になるな。

「こんな元気いっぱいな渚、直接見るの初めて」
「水辺に来ると元気になるんだよなあ」

 ――と言いながら声の主、奥村さんを見やると、水の滴る前髪を指で退けていた。――やばい。こっちもやばかった。ただでさえ大学生みたいな色香の奥村さんが、ラッシュガードを付けているとは言え水着で水に濡れていた。渚があまり怒らない奥村さん相手とは言えど、今日はできるだけ見るのを避けていた方がいい気がする。

「ほら、遊んでないでバイトバイト」

 鈴音ちゃんが声を掛けてくる。
 鈴音ちゃんたち水泳部は部の水着――競泳水着になるのかな?――の上からゆったりしたパーカーを着ているので、渚たちと違ってスパッツ的な見た目ではない。逆に何も穿いてないように見えなくもないけれど、渚や奥村さんに比べたら全然安心できた。水泳部の男子も部の水着を穿いてるのですぐわかる。が――。

「ん? 彼は独りで参加?」

 奥村さんを除けばバイトはみんなペアで誘われているようだった。今のところは面識も少ないだろうからそれぞれペアで行動しているのでよくわかる――が、その中で学校の水着を穿いて独り、デッキブラシで一生懸命にゴシゴシやってる男子生徒が居た。

「え……ああ、うん、そうね」

 妙に歯切れの悪い返事を返す鈴音ちゃん。
 その男子もこちらが見ているのに気づいたのか、少し手を止めて僕らの方に会釈してくる。

「あれっ? 渚、あれってこの間挨拶してきた一年じゃない?」
「えっ? う~ん、そうだっけ?」

 ダメだ。人見知りの渚は七虹香のように人の顔を覚えてない。まあ、僕も変わらないんだけど。

「あの彼、このあいだ渚に挨拶してきたんだ――」

 ――って鈴音ちゃんに話しかけると、既にそこに鈴音ちゃんの姿は無かった。


 ◇◇◇◇◇


 初夏の日差しの中、2時間近くもこの窪みの中でデッキブラシ掃除をしているとそれはもう暑かった。ノノちゃんみたいに帽子を持ってきている生徒も居たけれど、僕らも持ってくればよかった。緑の汚泥が退いて水色のプールの底が見え、清水が撒かれると照り返しで余計に暑かった。相馬と一緒に、上からノノちゃんに水をかけてもらっていた。

「はい皆、お疲れさま。これ、僕のポケットマネーからのサービス」

 そう言ってあのコーチはいつの間にか大きなバケツの中で大量のラムネを氷で冷やしていた。

「えっ、コーチ気が利く!」
「マジで? コーチありがとう」

「見直した? 後でドライブでも行かへん?」
「えっ、やですよ」
「コーチ、俺らが付き合いますよ」
「男は遠慮しとくわ」
「コーチつれないなあ」

 エロいおっさんかと思っていたけど、何だかんだ言われつつも水泳部のコーチは部員から好かれているように見えた。

「はい、どうぞ。お疲れさま」

 水泳部の部員さんがラムネを配ってくれていた。
 僕らは礼を言ってプールの縁に腰掛けると、水が入っていくプールを眺めながらラムネを開けた。

「綺麗だね。キラキラしてる」
「うん」

 渚がそう言い、僕は頷く。
 複雑な波紋が太陽の光を照り返す。これは――。

「ずっと見てられそう」
「同じこと思った」

「プールって昔から苦手だったんだ」
「そうなんだ?」

「うん、学校で裸になるみたいで。幼稚園の時からかな」
「わかるかも」

「でも今は楽しみで仕方がないかも」

 ふふっ――と二人で笑った。

 ――ただ、すごく申し訳ないんだけど渚の向こう側には奥村さんが渚にくっつくようにして座ってるんだよね。二人の世界に入ってしまって置いてけぼりにさせているのが申し訳なかった。

 ん?――と渚が小さく言う。

 奥村さんがつついて促したのか、渚が僕の後ろに目をやる。

「仲睦まじいところ悪いわね」

 振り返ると鈴音ちゃんが居た。それからもうひとり――。

「瀬川先輩、初めまして。一年の小川 春希おがわ はるきと言います! 先日は鈴代先輩の彼氏さんとは知らず、挨拶しそびれてしまいすみませんでした!」

 そう言って挨拶してきたのは、あの渚に挨拶してきた一年生。背はそれほど高くない、少し日に焼けてはいるけれど、どちらかというと色白の男子だった。

「えっと……」
「鈴音ちゃん、知り合いだったの?」

「ええと…………(付き合ってる)」

 鈴音ちゃんとは思えないような小さな声でそう言った。

「「ええー!?」」
「ちょっとっ……声、大きいっ」

 慌てる鈴音ちゃん。対して小川くんは落ち着いたものだった。
 ただ、周りを見たところ、水泳部の部員たちは鈴音ちゃんたちの方を見てニコニコしながら何か話し合っているから、部員たちには知られているのだろう。

「小川くんも水泳部なの?」
「あれ? 学校の水着だったよね?」
「ぁえっと……」
「僕は園芸部です! オリエンテーションの部活動紹介で渋谷先輩にひと目惚れしました」

「なんで園芸部なの?」
「水に入るの苦手だからです! 園芸部の畑が傍なのでいつも見てられると教わりました」
「それ鈴音ちゃんとしてはダメなやつじゃ……」

 渚と二人で鈴音ちゃんを見ると、目を逸らして俯いていた。

「まあ、五月までは市民プールだったんですけどね!」
「鶴田さんが言ってた男子って小川君のことだったんだ?」

「はい、鶴田先輩には鈴代先輩が園芸部の救世主だと聞いてます」
「ああ、それで渚の事は知ってたのか」

「どっちにしてもよかった! 鈴音ちゃんに恋人ができて」
「うん、よかった。おめでとう」
「渋谷さん、おめでとうございます」
「ぁ、ありがとう……」

 恥ずかしそうに返した鈴音ちゃんは本当に幸せそうだった。
 こうして僕らの半年以上に渡る心配の種がひとつ解消されたのだ。

 







「それで!? どこまでいったの? どんな告白されたの?」
「渚、声大きい! あんた笹島みたいになってるわよ、最近!」

 鈴音ちゃんの言う通りだと思った。






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