異世界に来たらオークになっちゃってたオレの流離譚

桜二朗

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第1章

オークの洞窟生活 (8)

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 階段は思った以上に深く長く続いており、その薄暗さからノラが燭台を持ち出したことの頷ける場所だった。淀んだ空気に僅かに混じる異臭はカビと汚物のせいだろうか。ようやく長い階段を下り終えると、奥行きのある細長い部屋へ出た。部屋の両脇には地下牢とは別の薄汚れた牢獄が並んでいる。

 「えっ、嘘っ、クロ様!? 何でこんな場所に!?」

 その時、向こうから小さな灯かりを持った何者かが駆け寄って来た。蝋燭に照らされたその歯並びの悪い顔立ちには見覚えがある。確かノラを部屋へ運んできた若い豚面人族オークのうちの1人だ。よく見ると奥の方にもう1人手槍も持った豚面人族が立っている。

 「うっわ、超驚きっス! クロ様、もしかして糞場へ向かわれるんスか?」
 「ああ、そうなんだ」
 「じゃあ、念のためにオレもご一緒しましょうか?」

 何の念のためだよ。心の中でツッコミを入れると意外にもノラはオレを見て小さく頷いた。これからウンコをする場所へ、コイツを一緒に連れて行けと言うのか。その意図はまったく読めなかったが、切実に訴え掛けるようなノラの眼差しに負けて歯並びの悪い豚面人族に同行を許可した。

 「あざっす! では、このベンデルが責任を持って糞場へご案内いたします!」

 ベンデルが糞場へって。吹き出しそうになるオレにはお構いなしに、どこかチャラい雰囲気を醸し出すベンデルは仲間の豚面人族へオレたちを糞場へと案内することを伝えると、はりきって部屋の突き当りにポッカリと開いた大穴へと先導した。

 オレたちは大穴の前で立ち止まると蝋燭で中を照らす。一緒に蝋燭に照らされた真剣なベンデルの表情と、燭台を持つ手とは反対の手に携える手槍に強い違和感を覚える。とても人をトイレに案内する者の緊張感ではない。この先にいったい何があると言うのか。

 大穴に足を踏み入れたオレは足元に広がる光景に驚愕する。立派な石造りの階段が先が見えないほど深くまで続いている。上階から降りてきた際に通った木材で補強された階段もかなりの長さだったが、この石造りの階段はその比ではない。オレは思わず眉を顰めた。

 豚面人族のことはよく知らない。今や自分もその一員ではあるが、オレが彼らのことで知っているのは、酒好きで強姦に正当性を唱えるような『ろくでなし』だと言うことくらいだ。だが、1つだけ言える事がある。彼らにはこれだけの穴を掘る労力も、掘った穴にこれほど立派な石造りの階段を作る技術もないと言うことだ。

 「なあ、これっていったい……」
 「ここは古い魔宮ラビリンスの跡地っス」
 「魔宮ラビリンス?」
 「はい。いわゆる迷宮ダンジョンってやつっスよ。もっともこの魔宮はかなり前から死に掛け見たいっスけどね」

 魔宮ラビリンス迷宮ダンジョン。既に死に掛けって、何が死に掛けてるんだ。ベンデルの言葉にオレの頭上には疑問符が乱立していた。

 「オレたちは糞場に向かってるんじゃないのか?」
 「勿論、糞場っスよ? あっ、もしかして我慢しきれない感じっスか? もうすぐなんで、ホントもうすぐなんで」

 勘違いしたベンデルが歩調を早める。そうではないのだがこの際どうでも良い。階段の先にある物をこの目で確かめた方が早い。足早に階段を下ると、やがてその先に特徴的な文様を模った巨大な鉄の扉が現れる。誰がトイレにこんな頑丈な扉を付けると言うのだ。その巨大な扉は明らかに異様な雰囲気を放っていた。

 「そんじゃ開けますよ」
 「待て、その先に何があるんだ?」
 「糞場っスよ?」

 あぁ、そうじゃない。もうその件はいいから。

 「さっき言ってた魔宮とか迷宮とか言うのは何だ?」
 「えっ? クロ様、迷宮を知らないんスか?」

 そう口にしたベンデルは不思議そうにオレを見詰めると、うろ覚えな雰囲気ながらも簡単に迷宮の説明をしはじめた。迷宮ダンジョンとは即ち魔宮ラビリンスのことで、簡単に言えばこの世界に自然発生的に産まれる魔物を産み出す『大穴』なのだとか。

 簡単にと言うものの『迷宮』と『魔宮』の他に『魔物』などと言う単語まで飛び出して、話はますますややこしくなっていく。

 大穴内には生きた地下迷路が広がっている。魔宮はその規模に寄って寿命があるらしく、生ある者の血肉や魔宮内部に残された栄養素を貪り成長を続けるのだそうだ。この大穴もかつては現役の魔宮だったらしい。だが、規模も小さく立ち入る者も少なかったため、やがて自然に枯れ果てたのだそうだ。彼らがここを住処にした頃には既に現在の状況になっていたと言う。つまりこの巨大な扉の向こうはかつての魔宮で、今は彼らの糞場となっているらしい。

 オレたちは巨大な鉄の扉を開けてかつての魔宮へと足を踏み入れた。そこは全面石造りの12畳ほどの小部屋で、その先に同じく左右に分かれた石造りの通路が続いている。魔宮の中はそれまでの通路のような真っ暗闇ではなく、天井付近に微かにぼんやりとした不思議な明るさを感じる。これなら蝋燭がなくても数メートル先までなら辛うじて見渡せる。それにしても何故こんな場所を糞場にしたのだろうか。オレのそんな疑問にベンデルがあっさりと答える。

 「ここだとすぐに綺麗になるんスよ」

 まったく意味がわからない。

 「さ、クロ様どうぞ、存分に用を足しちゃって下さいっス」
 「ここでか!?」
 「はい。出来ればあまり奥へは行かないで欲しいっス」

 ベンデルの言葉を聞いたノラは「お先に失礼します」と言い残し、そそくさと左側の通路へと進んで行った。どうやらオレよりもノラの方が我慢の限界が近かったらしい。

 「クロ様はしないんスか?」

 どうやら本気でここでウンコをしろと言ってるらしいベンデルの言葉に後押しされ、オレもノラとは反対の右側の通路へと進んだ。こんな場所にあまり長居もしたくない。オレは通りを曲がるとすぐに尻を出してしゃがみ込んだ。あまり遠くへは行くなと言われていたし、こんな気味の悪い場所で自ら奥へ進む気もない。

 ところが食生活が不規則なせいか、イマイチ硬めの『大』がオレの肛門様からなかなか出たがらない。必死で踏ん張っているその時、闇の向こうで何か蠢く気配を感じる。ベンデルは入口付近に待機したままだ。ノラなら左の通路に進んだはずだ。モゾモゾと何かが近付く。ひょっとして話にあった魔物、それともかつてこの魔宮で命を失った者の魂がさまよい続けているのか。

 「ブバァ!」

 暗闇に浮かぶ異形にオレは悲鳴の代わりに凄まじい勢いでオナラと共に『大』を放出した。毛の生えた尖った顔と鼻先から飛び出した数本の髭、突き出した前歯と闇に爛々と輝くつぶらな瞳。ドブネズミ。ネズミ科クマネズミ属に属する誰もが知るあのネズミの顔だ。だが、その頭は人間の子供ほどの大きさがあり、顔の下には小柄だが150センチ以上はあるであろう人間のような二足歩行をする体があった。さながらドブネズミ男とでも呼ぶべき怪物だ。

 オレも心臓が止まりそうなほど驚いたが、どうやらドブネズミ男もかなり驚いたようだ。背中を跳ね上げるとヨロヨロと後退った拍子に仰向けに転んだ。どこか怪我をしているのだろうか、明らかに動きに精彩を欠いているように見える。それに転んだ拍子にジャラリと音を立てる足元を見ると足枷が付けられている。どういう事だ。衝撃的な登場とは裏腹に、ドブネズミ男は手にしたこん棒を杖代わりに、立ち上がるのがやっとと言った様子だった。

 その刹那、その背後からもう1匹の大柄なドブネズミ男の姿が。オレは背中に冷たいものを感じる。更にオレは尻を拭く紙を持っていないことに気付く。万事休すか。

 「おい、爺さん大丈夫かよ?」

 そう声を掛けながら大柄なドブネズミ男が小柄なドブネズミ男に手を貸す。

 「あぁ、すまん。掃除の途中で腰をやられたようだ」
 「まったく、あの新入りのせいでオレたちまで酷い目に合ったぜ」
 「まあ、そう言ってやるな」

 中腰のままズボンを上げれずにまごまごしていると、ようやくドブネズミ男たちもオレの存在に気付いたらしく、揃ってこちらに視線を向ける。オレは慌てて息子を手で覆い隠した。その時、足音と共に向こうからベンデルの声が聞こえた。

 「クロ様、どうかしたっスか?」
 「ベ、ベンデルこっちに何かいるぞ!」

 オレの声に慌ててベンデルが手槍を構えてオレを護るように前に立ちはだかる。

 「大丈夫っスかクロ様!?」
 「おい、それよりそいつら」

 そう言ってオレが指す先には、こん棒を手にしたドブネズミ男たちの姿があった。

 「よお、お前ら、掃除は終わったのか?」
 「はい。ただ、爺さんが腰をケガしたようで……」
 「そうか、ご苦労だったな。休憩してくれ。あれ、新入りは?」
 「それが、ついその辺まで一緒だったのに逸れちまって……」

 こいつらと知り合いなのか。オレは普通に話しているベンデルとドブネズミ男たちの顔を交互に見る。もしかしてこいつらも奴隷なのか。

 「ベンデルさん、今日の収穫です」

 そう言って小柄なドブネズミ男が腰に下げた袋を差し出した。ベンデルはそれを受け取ると袋を逆さにして中身を掌の上に出す。紫色に輝く小さな宝石の欠片のような物が3つほど転がり出た。この奥に鉱脈でもあるのだろうか。

 「おぉ、今日は多いな?」
 「はい。アイツら今日は随分と湧いてやがって……」
 「そうか。取り敢えず上に上がって休んでくれていいよ。後で飯持って来てやるから」
 「ありがとうございます」

 ドブネズミ男たちはペコペコと頭を下げると、大柄なドブネズミ男が小柄なドブネズミ男に手を貸しながら、オレたちの横を素通りして行く。しまった、それより紙だった。

 「なあ、ベンデル、尻を拭くもの持ってないか?」
 「尻を拭くものっスか……すいません、ちょっとそれは持ってないっス」

 マジか。流石にウンコの後に尻も拭かずにズボンを上げる勇気はない。

 「そのまま床に尻を着けるといいです。魔宮が綺麗にしてくれる」

 脇を抱えられるように歩く小柄なドブネズミ男が僅かにこちらに顔を向けながら言うと、小さく会釈をしてそのまま角を曲がり抱えられるように出口へと向かった。魔宮が綺麗にしてくれる。何だそりゃ。

 「あぁ、確かにそうっスよ。クロ様、そのまま尻を床に着けてみてください」

 コイツまで何を言い出すのかと思いながらも、オレは取り敢えず言われた通りにそのまま床に尻を着けた。ヒンヤリとした床の感触と同時にウンコの嫌な感触が伝わる。

 「うぴょっ!」

 ガックリと項垂れていると突然、尻にモゾモゾと奇妙な感触を覚え思わず変な声が出た。今のは何だ。

 「何かがオレの尻に触れたぞ!」
 「それ魔宮っス。魔宮が不要物を分解してくれるみたいっスよ」
 「魔宮が分解するだって……」

 つまりそれが魔宮が生きてるとか死んでるとか言ってたあれか。だが、たしかこの魔宮は枯れ果てたと。

 「大丈夫っスよ。別に尻を齧られたりしないっスから」

 そう言ってベンデルは笑う。

 「なあ、さっきのアイツは誰だ?」
 「あぁ、あの鼠面人族ラットマンたちは奴隷っス。糞場の掃除係っス」
 「掃除? でも、勝手に不要物は分解してくれるんだろ?」
 「まあ、それはそうなんスけど、あんまり放っておくと蟲が湧くんスよ。糞蟲が」

 やはり彼らは奴隷だった。それにしても#鼠面人族__ラットマン__なんて名前の鼠面の種族までいるのか。オレは自分が豚男なのを棚に上げてリアル過ぎる鼠男の気色悪さにドン引きしていた。

 「その糞蟲ってのは何なんだ?」
 「えっと、この魔宮はほぼ死んでるんで、もう大した魔物とかは産み出さないんスよ。でも、魔宮の中って外よりも魔素が溜まりやすくって、放っておくと何か湧いて来るんす。超低級なヤツっすけどね────」
 「きゃあ!」

 その時、反対側の通路へと向かったノラの悲鳴が聞こえる。まさかその糞蟲と言う魔物でも現れたか。オレとベンデルは急いでノラの元へと駆け付けた。するとノラの向こうの暗闇の中にひ弱な鼠人族の姿があった。

 「ノラ、だいじょうぶか!?」
 「お前、何してんだ!」
 「い、いや、何もしてないアル! ちょっと道に迷っただけアル!」
 「ち、違うんです。この人は本当に何もしてないんです! 急に暗闇から現れたので私びっくりして……」
 
 ベンデルがひ弱な鼠人族に手槍を向けると、ノラが慌ててその前に立ちはだかり弁護する。

 「ベンデルすまん。どうやらそうらしい」
 「い、いや、クロ様が謝ることないっスよ。さあ、用が済んだら上へ戻りましょう」

 出口までオレたちを案内したベンデルは、奴隷たちの飯を上に取りに行くと言って、ひ弱な鼠人族を引き連れて先に駆けて行った。オレが駆け出したベンデルの背中に向けて礼を叫ぶと、ベンデルは立ち止まって振り返り、恐縮したように何度も頭を下げて上の階へと駆けて行った。

 「クロ様、糞場どうでした?」
 
 隣を歩くノラが訊ねた。いや、どうって聞かれても。

 「魔宮ラビリンスなんてものがあるとは流石に驚いたよ。そう言えばベンデルのやつ紫色の小さな欠片を受け取ってたけど、あの奥で採掘作業でもしてるのか?」
 「いえ、多分それは魔晶石だと思います。魔物がときどき体内に宿す魔素の結晶みたいものらしいです」
 「魔物ってのは糞蟲のことか?」
 「糞蟲だけとは限らないですが、この魔宮はほとんど枯れてるみたいなので他の魔物はあまり現れないのかも知れませんね。そのためにも掃除係が適度に糞蟲を駆除してるんだと思います」

 ノラはさして特別なことでもないように言う。彼女の説明によれば糞蟲が増えれば、万が一、糞蟲よ大型の魔物が現れた際に糞蟲を餌にして繁殖し、更に大型の魔物を産み出す切っ掛けになりかねないのだそうだ。この不思議な石造りの迷路の中に生態系のようなものが出来るのかと思うと不思議でならない。案外ここを糞場としたのも自然に綺麗にしてくれるだけでなく、適度に養分を与えることで魔宮が完全に死に絶えないようにしているのかも知れない。

 そんなことを考えながら一方でオレは薄々感じてはいたが、どこか踏ん切りが付かないでいた思いが確信に変わるのを感じていた。ここはオレがいた世界とはまったく違う別の場所。異世界だ。そう結論付ければ様々な疑問が「異世界だから」のひと言で片付いてしまう。

 「クロ様、どうかしましたか?」
 「いや、何でもない」

 神妙なオレの表情から何かを感じ取ったらしいノラが小首を傾げる。今は記憶が蘇るのを待つしかない。そんなことを考えているうちに上の階へ着くと、手槍を持った見張りらしき豚面人族が「お疲れ様でした」と出迎えてくれた。ウンコをするのに疲れてる場合ではないのだが、正直ちょっと色々あり過ぎて気持ち的に疲れた。

 鼠人族の奴隷たちは既にそれぞれの牢屋へと戻り、座ったり横になって寝そべったりして休憩している。1番端の牢屋の中で背中を丸めて隅で小さくなっているのが、先程のひ弱な鼠人族だろう。牢屋の前を通り過ぎると俯いたままチラリとこちらに視線を向けたが、オレたちと目が合うと慌てて目を逸らした。
 
 上層へと向かう階段。ジャラジャラと引きずるノラの足に着けられた足枷の鎖の音が狭い空間に響く。この足枷を何とかしてやれないものだろうか。オレたちは長い道のりを歩き自室へと戻った。
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