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お菓子とエールの街(28〜)
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レオハルトが歩くと、神が海を割るように客たちが揃って道を開けた。進むたび、レオハルト様、と困惑する声と黄色い声、なにやら恍惚とした野太い声が上がる。
レオハルトは全くの無表情でリュークのすぐ側まで行くと、一つ咳払いをして口を開いた。
「それを仕舞いなさい、リューク」
「スライム?」
と、リュークはレオハルトを見上げてスライムを持ち上げた。いつもの純真な瞳である。レオハルトはややもすれば言葉に詰まりそうになるところ、つとめて穏やかに「ええ、それです」と頷く。
「街でスライムと遊ばないようにとアルベルムで言ったはずですが、覚えていますか?」
「何かを買うときは、お金がいるんでしょ?」
「……今、何と?」
いつも冷静な男レオハルトの鉄壁の仮面がぴくりと動いた。リュークはスライムとレオハルトを見比べて何やら悩んでいる。レオハルトは時間稼ぎのように近くに転がっていた木椅子を直してリュークの斜め前に座り、小さな手が掴んでいるスライムをじっと見下ろす。
「……お金、と言いましたね。もしや……いえ、もしかすると、ですが、スライムを売ろうとしたのですか?」
「お金だよ。スライムのお金」
「スライムのお金……? スライムを買ったのですか……?」
「違うよ、スライムのお金だよ。でも、戻せないから分けようと思うんだ」
「少し待ってくださいね。ソロウ、ちょっといいですか」
さすがのレオハルトもたまらず救援要請を出した。呼ばれたソロウは赤い髪をかき上げながら、明らかに困った表情を浮かべつつ二人の側に椅子を持ってきて腰掛ける。
「よいしょ、っと。……ああ、リューク? 金ならアルベルムで銀貨を二枚渡しただろ。あれはどこへやったんだ?」
「スライムにあげた」
「あぁー……」
なるほど、とソロウ。レオハルトも冷静さを取り戻し、奇妙な答えが解き明かされるのを待ち望んでいる。
「スライムに銀貨を食わせたんだな。で、今はその銀貨を取り戻したいのか」
「うん。でも戻せないから、分けようと思って」
「スライムを? いや待て、そもそも何に金を使いたいんだ?」
「ご飯をもらったから、誰かにお金をあげるんでしょ?」
これを聞いていた周りの大人たちは、急激に込み上げる感情を堪えきれず顔を手で覆ったり、天井を仰ぎ見たり、目頭を押さえたりした。
それから客の一人が「ほらみろ、良い子じゃないか! この子が魔王軍の訳がない!」と叫ぶと、「そうよ、この子は優しい子だわ!」「飯代を払いたかっただけじゃないか! 誰だ、魔王軍なんて言った野郎は!」「酒の飲み過ぎでどうかしちまったんじゃねえのか!」といった文句が次々と噴出した。
一方で、「スライムを召喚したことが問題なんじゃないのか!」「現に魔物を使役してるんだぞ!」「マジックバッグ? ならスライムが生きて出てくるわけがないだろ!」「魔王の手先じゃないってんなら証拠を見せてくれよ!」「酒の飲み過ぎでどうかしちまったんじゃねえのか!」という悲鳴じみた声も上がっている。
(そうだよなあ、それが真っ当な反応だよなあ)
ソロウは悲鳴じみた方に理解を示し、うんうんと頷いている。
ピクシアの森で初めてそれを目の当たりにしたときは驚いたものだが、今思えばあのときは眠気と疲労が限界に達しており、しかも周りが魔物だらけの森の中だったこともあって、半ば諦めと自己暗示のような形で奇跡的に順応できただけだった。
アルベルムの住人にしても似たようなものだ。黒いドラゴンとナナイの印象が強烈過ぎて、スライムのことは見過ごされた。
が、本来なら剣を突き付けて「魔王の手先か」と問い詰めて然るべき場面だったのだ。
「って言っても、お前には分かんねえもんなあ」
そう苦笑するソロウの言い方があまりにも優しかったので、リュークは何となく嬉しい気持ちになってニコニコと笑顔を浮かべた。
騒いでいた大人たちは、己の前に鏡を据えられた気分になった。
あの純真な子供と、顔に似合わず真に優しき冒険者に比べ、今の自分はどれほど醜く歪んでいて、臆病で、矮小なことか。たかがスライム一匹と少年に怯え、大勢の大人が寄って集って、なんと恥ずべき態度であっただろう。
「……悪かった。少し、取り乱し過ぎた」
先ほどリュークと同席していたリザードマンが、剣を抜こうとしていた手をおろしてリュークの横で大きな体を縮めて膝をつき、頭を下げて謝罪した。
リュークは状況を理解できず、ソロウやレオハルトを見て助けを求める。しかし、助け舟が出される前に他の客たちが恐る恐る、次第に競うように謝罪の言葉を口にし始め、ついには喧しい懺悔大会が始まってしまったのだった。
レオハルトは全くの無表情でリュークのすぐ側まで行くと、一つ咳払いをして口を開いた。
「それを仕舞いなさい、リューク」
「スライム?」
と、リュークはレオハルトを見上げてスライムを持ち上げた。いつもの純真な瞳である。レオハルトはややもすれば言葉に詰まりそうになるところ、つとめて穏やかに「ええ、それです」と頷く。
「街でスライムと遊ばないようにとアルベルムで言ったはずですが、覚えていますか?」
「何かを買うときは、お金がいるんでしょ?」
「……今、何と?」
いつも冷静な男レオハルトの鉄壁の仮面がぴくりと動いた。リュークはスライムとレオハルトを見比べて何やら悩んでいる。レオハルトは時間稼ぎのように近くに転がっていた木椅子を直してリュークの斜め前に座り、小さな手が掴んでいるスライムをじっと見下ろす。
「……お金、と言いましたね。もしや……いえ、もしかすると、ですが、スライムを売ろうとしたのですか?」
「お金だよ。スライムのお金」
「スライムのお金……? スライムを買ったのですか……?」
「違うよ、スライムのお金だよ。でも、戻せないから分けようと思うんだ」
「少し待ってくださいね。ソロウ、ちょっといいですか」
さすがのレオハルトもたまらず救援要請を出した。呼ばれたソロウは赤い髪をかき上げながら、明らかに困った表情を浮かべつつ二人の側に椅子を持ってきて腰掛ける。
「よいしょ、っと。……ああ、リューク? 金ならアルベルムで銀貨を二枚渡しただろ。あれはどこへやったんだ?」
「スライムにあげた」
「あぁー……」
なるほど、とソロウ。レオハルトも冷静さを取り戻し、奇妙な答えが解き明かされるのを待ち望んでいる。
「スライムに銀貨を食わせたんだな。で、今はその銀貨を取り戻したいのか」
「うん。でも戻せないから、分けようと思って」
「スライムを? いや待て、そもそも何に金を使いたいんだ?」
「ご飯をもらったから、誰かにお金をあげるんでしょ?」
これを聞いていた周りの大人たちは、急激に込み上げる感情を堪えきれず顔を手で覆ったり、天井を仰ぎ見たり、目頭を押さえたりした。
それから客の一人が「ほらみろ、良い子じゃないか! この子が魔王軍の訳がない!」と叫ぶと、「そうよ、この子は優しい子だわ!」「飯代を払いたかっただけじゃないか! 誰だ、魔王軍なんて言った野郎は!」「酒の飲み過ぎでどうかしちまったんじゃねえのか!」といった文句が次々と噴出した。
一方で、「スライムを召喚したことが問題なんじゃないのか!」「現に魔物を使役してるんだぞ!」「マジックバッグ? ならスライムが生きて出てくるわけがないだろ!」「魔王の手先じゃないってんなら証拠を見せてくれよ!」「酒の飲み過ぎでどうかしちまったんじゃねえのか!」という悲鳴じみた声も上がっている。
(そうだよなあ、それが真っ当な反応だよなあ)
ソロウは悲鳴じみた方に理解を示し、うんうんと頷いている。
ピクシアの森で初めてそれを目の当たりにしたときは驚いたものだが、今思えばあのときは眠気と疲労が限界に達しており、しかも周りが魔物だらけの森の中だったこともあって、半ば諦めと自己暗示のような形で奇跡的に順応できただけだった。
アルベルムの住人にしても似たようなものだ。黒いドラゴンとナナイの印象が強烈過ぎて、スライムのことは見過ごされた。
が、本来なら剣を突き付けて「魔王の手先か」と問い詰めて然るべき場面だったのだ。
「って言っても、お前には分かんねえもんなあ」
そう苦笑するソロウの言い方があまりにも優しかったので、リュークは何となく嬉しい気持ちになってニコニコと笑顔を浮かべた。
騒いでいた大人たちは、己の前に鏡を据えられた気分になった。
あの純真な子供と、顔に似合わず真に優しき冒険者に比べ、今の自分はどれほど醜く歪んでいて、臆病で、矮小なことか。たかがスライム一匹と少年に怯え、大勢の大人が寄って集って、なんと恥ずべき態度であっただろう。
「……悪かった。少し、取り乱し過ぎた」
先ほどリュークと同席していたリザードマンが、剣を抜こうとしていた手をおろしてリュークの横で大きな体を縮めて膝をつき、頭を下げて謝罪した。
リュークは状況を理解できず、ソロウやレオハルトを見て助けを求める。しかし、助け舟が出される前に他の客たちが恐る恐る、次第に競うように謝罪の言葉を口にし始め、ついには喧しい懺悔大会が始まってしまったのだった。
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