54 / 199
ヴレド伯爵領(47〜)
53
しおりを挟む馬車の中。辟易と同情の入り混じった表情を浮かべるソロウは、すっかり怯えきって腕に縋り付いてくるヴレド伯爵の背を黙ってさすってやっている。
彼に何が起こったのか。さっきは驚いたものの、今はなんとなく想像できる気がする。
(大方、リュークの内側を覗こうとでもしたんだろう。フォスター曰く、リュークには全ての神の加護が付いてるらしいから……まあ、そうなるわな)
ギムナックほどの信仰心を持たないソロウからすれば、ステータス以外で神の存在を認められる瞬間は少ない。「大地も空も海も全て神が創造なされた奇跡だ」などと言われたところで、「へえ」としか思わない。
ただ、それが事実であることは知っている。
──もしくは、「知っている」というよりも、「否定出来ない」と言うべきかもしれない。
とても論理的な話ではない。寧ろ漠然とした、直感的で抽象的な理論であって、只々現実として「物理的に不可能」という一言に尽きる。もはや宗教観や常識の問題ではない。違う方向を向きたいのに、しっかりと頭を固定されて叶わないような、目に見えない力の抵抗によって許されないのだ。
不条理な制限は、この世界に神の意思があることを常に知らしめている。
そこへ不用意に手を伸ばせば、神の逆鱗に触れかねない。
今回、知らず手を伸ばしてしまったヴレド伯爵は奇跡的にこの程度で済まされた。理不尽だが、神の慈悲に感謝すべきだろう。
「ヴレド伯爵。我々はこのまま夜営するが、貴公は如何なされるか。もし良ければ一緒に──」
グランツの親切な提案は、最後まで語られなかった。
馬車の前後で突如喚声が上がったからだ。悲鳴や号令が飛び交うも、大声が雑然としすぎていて状況が分からない。
何事だ、とグランツは腰の剣に手をかけて馬車を飛び出した。ソロウも続こうと勢い良く立ち上がろうとしたが、ヴレド伯爵にがっしりと腕を抱き込まれ、逆にシートへ倒れ込んでしまう。
「ちょっと、離してくださいよ伯爵!」
ソロウは伯爵を剥がそうと腕を引くが、何かの魔法を使っているらしく、びくともしない。気持ち悪いことに、まるで元々腕の一部のようですらある。
(この、クソ野郎が!)
絶対にリュークには聞かせないような文句を腹の中で吐き散らしながら、ソロウは半ば諦めて項垂れる。
そうするうちに、外の声がだんだんと鮮明に聞こえてくる。
「魔犬か!」
「ペガサス!?」
「でかい犬だ! いや、狼か!」
「ペガサス!?」
「狼じゃない、魔狼だ! こいつは私が引き受ける! お前たちはペガサスを──……ペガサス!?」
(なんだ……? 魔犬? 魔狼? ペガサス?)
とにかく騒然としている。しかし、グランツが居る限り心配はいらないだろうと考える。
護衛の存在意義は微塵も無いと言わざるを得ないが、グランツ曰く「民を守るのが貴族の役目」らしいので、役目を全うさせてやるという大義名分で問題はあるまい。
「うわ、巨大化したぞ! 隊形を乱すな!」
「ペガサス!?」
「絶対に噛まれるなよ!」
外の喧騒はいよいよ激しさを増すばかり。ソロウは左腕にくっついている伯爵を見下ろして大きく溜息を吐いた。
馬車を背に構えるグランツ一行は混乱の最中にある。
唯一リュークだけは大人たちの動揺に対して動揺しているだけなのと、レオハルトは持ち前の冷静さを失っていなかったが、馬車を挟んで後方に出現した銀色の〈魔狼〉と、前方に翼の生えた白馬──所謂〈ペガサス〉と思しき生物の登場によって引き起こされた混乱は容易く鎮静しそうにない。
「よし! ペガ……ペガサス? いや、ペガスス? いや、やはりペガサスか? ──は、しばらく様子見だ。とにかく、こっちの魔狼を片付ける。お前たちは下がっていなさい」
グランツは空想上の存在と云われるペガサスの存在と呼称に引っかかりを覚えつつも、強敵に違いない魔狼との対戦に心躍らせる。
一方、銀色の魔狼の方も嬉しげに舌を出して息を切らせている。
魔狼の大きさは、ギムナックより大きく馬よりは少し小さい。頭部から尻尾にかけての上側は黒みがかった銀色で、下側は顎から尻尾の先まで殆ど白に近い毛色をしている。泥浴びをしたのか汚れているが、元が綺麗な毛並みであることは見て取れる。
リュークの体より大きいモフモフの尻尾が千切れそうな程振り回されて、むせ返るほど土埃がたっている。グランツはそれを「目眩ましとは、頭の切れる魔物め」と勘違いにて喜色満面。
馬車の前方では、長いまつ毛を伏せたまま優雅に首を振り尻尾を揺らすペガサス。月下に映える雪原のごと、皓々たる姿の美しきかな──などと悠長に感想を述べる者はこの場に居ない。
急に翼の生えた白馬を見張ることしか出来ないミハルとギムナックは、神に祈るために組んだままにしていた両手を、無表情のまま、今になってようやく解いたのだった。
3
あなたにおすすめの小説
大和型戦艦、異世界に転移する。
焼飯学生
ファンタジー
第二次世界大戦が起きなかった世界。大日本帝国は仮想敵国を定め、軍事力を中心に強化を行っていた。ある日、大日本帝国海軍は、大和型戦艦四隻による大規模な演習と言う名目で、太平洋沖合にて、演習を行うことに決定。大和、武蔵、信濃、紀伊の四隻は、横須賀海軍基地で補給したのち出港。しかし、移動の途中で濃霧が発生し、レーダーやソナーが使えなくなり、更に信濃と紀伊とは通信が途絶してしまう。孤立した大和と武蔵は濃霧を突き進み、太平洋にはないはずの、未知の島に辿り着いた。
※ この作品は私が書きたいと思い、書き進めている作品です。文章がおかしかったり、不明瞭な点、あるいは不快な思いをさせてしまう可能性がございます。できる限りそのような事態が起こらないよう気をつけていますが、何卒ご了承賜りますよう、お願い申し上げます。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
最低のEランクと追放されたけど、実はEXランクの無限増殖で最強でした。
みこみこP
ファンタジー
高校2年の夏。
高木華音【男】は夏休みに入る前日のホームルーム中にクラスメイトと共に異世界にある帝国【ゼロムス】に魔王討伐の為に集団転移させれた。
地球人が異世界転移すると必ずDランクからAランクの固有スキルという世界に1人しか持てないレアスキルを授かるのだが、華音だけはEランク・【ムゲン】という存在しない最低ランクの固有スキルを授かったと、帝国により死の森へ捨てられる。
しかし、華音の授かった固有スキルはEXランクの無限増殖という最強のスキルだったが、本人は弱いと思い込み、死の森を生き抜く為に無双する。
S級スキル『剣聖』を授かった俺はスキルを奪われてから人生が一変しました
白崎なまず
ファンタジー
この世界の人間の多くは生まれてきたときにスキルを持っている。スキルの力は強大で、強力なスキルを持つ者が貧弱なスキルしか持たない者を支配する。
そんな世界に生まれた主人公アレスは大昔の英雄が所持していたとされるSランク『剣聖』を持っていたことが明らかになり一気に成り上がっていく。
王族になり、裕福な暮らしをし、将来は王女との結婚も約束され盤石な人生を歩むアレス。
しかし物事がうまくいっている時こそ人生の落とし穴には気付けないものだ。
突如現れた謎の老人に剣聖のスキルを奪われてしまったアレス。
スキルのおかげで手に入れた立場は当然スキルがなければ維持することが出来ない。
王族から下民へと落ちたアレスはこの世に絶望し、生きる気力を失いかけてしまう。
そんなアレスに手を差し伸べたのはとある教会のシスターだった。
Sランクスキルを失い、この世はスキルが全てじゃないと知ったアレス。
スキルがない自分でも前向きに生きていこうと冒険者の道へ進むことになったアレスだったのだが――
なんと、そんなアレスの元に剣聖のスキルが舞い戻ってきたのだ。
スキルを奪われたと王族から追放されたアレスが剣聖のスキルが戻ったことを隠しながら冒険者になるために学園に通う。
スキルの優劣がものを言う世界でのアレスと仲間たちの学園ファンタジー物語。
この作品は小説家になろうに投稿されている作品の重複投稿になります
魔王を倒した勇者を迫害した人間様方の末路はなかなか悲惨なようです。
カモミール
ファンタジー
勇者ロキは長い冒険の末魔王を討伐する。
だが、人間の王エスカダルはそんな英雄であるロキをなぜか認めず、
ロキに身の覚えのない罪をなすりつけて投獄してしまう。
国民たちもその罪を信じ勇者を迫害した。
そして、処刑場される間際、勇者は驚きの発言をするのだった。
《レベル∞》の万物創造スキルで追放された俺、辺境を開拓してたら気づけば神々の箱庭になっていた
夏見ナイ
ファンタジー
勇者パーティーの雑用係だったカイは、魔王討伐後「無能」の烙印を押され追放される。全てを失い、死を覚悟して流れ着いた「忘れられた辺境」。そこで彼のハズレスキルは真の姿《万物創造》へと覚醒した。
無から有を生み、世界の理すら書き換える神の如き力。カイはまず、生きるために快適な家を、豊かな畑を、そして清らかな川を創造する。荒れ果てた土地は、みるみるうちに楽園へと姿を変えていった。
やがて、彼の元には行き場を失った獣人の少女やエルフの賢者、ドワーフの鍛冶師など、心優しき仲間たちが集い始める。これは、追放された一人の青年が、大切な仲間たちと共に理想郷を築き、やがてその地が「神々の箱庭」と呼ばれるまでの物語。
戦場帰りの俺が隠居しようとしたら、最強の美少女たちに囲まれて逃げ場がなくなった件
さん
ファンタジー
戦場で命を削り、帝国最強部隊を率いた男――ラル。
数々の激戦を生き抜き、任務を終えた彼は、
今は辺境の地に建てられた静かな屋敷で、
わずかな安寧を求めて暮らしている……はずだった。
彼のそばには、かつて命を懸けて彼を支えた、最強の少女たち。
それぞれの立場で戦い、支え、尽くしてきた――ただ、すべてはラルのために。
今では彼の屋敷に集い、仕え、そして溺愛している。
「ラルさまさえいれば、わたくしは他に何もいりませんわ!」
「ラル様…私だけを見ていてください。誰よりも、ずっとずっと……」
「ねぇラル君、その人の名前……まだ覚えてるの?」
「ラル、そんなに気にしなくていいよ!ミアがいるから大丈夫だよねっ!」
命がけの戦場より、ヒロインたちの“甘くて圧が強い愛情”のほうが数倍キケン!?
順番待ちの寝床争奪戦、過去の恋の追及、圧バトル修羅場――
ラルの平穏な日常は、最強で一途な彼女たちに包囲されて崩壊寸前。
これは――
【過去の傷を背負い静かに生きようとする男】と
【彼を神のように慕う最強少女たち】が織りなす、
“甘くて逃げ場のない生活”の物語。
――戦場よりも生き延びるのが難しいのは、愛されすぎる日常だった。
※表紙のキャラはエリスのイメージ画です。
第2の人生は、『男』が希少種の世界で
赤金武蔵
ファンタジー
日本の高校生、久我一颯(くがいぶき)は、気が付くと見知らぬ土地で、女山賊たちから貞操を奪われる危機に直面していた。
あと一歩で襲われかけた、その時。白銀の鎧を纏った女騎士・ミューレンに救われる。
ミューレンの話から、この世界は地球ではなく、別の世界だということを知る。
しかも──『男』という存在が、超希少な世界だった。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる