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ヴレド伯爵領(47〜)
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しおりを挟むそれから数分も我慢してみたギムナックだったが、ついに包丁を置いて首を振った。
「ああ、駄目だ。どうも俺なんかが考えて理解できるものじゃない。でも、それじゃあミハルのマジックバッグはどんな仕組みなんだ? それも複雑な構造なのか?」
「私のは単なる空間魔法。伸縮性に優れた袋の中に更に五つの『箱』が入っているようなイメージよ。一つの箱に収納できる量は限られているから、貴方も知っている通り、あまり大きなものは入れられない。鞄自体を改造する魔法だから、一度この魔法で加工したものは半永久的にマジックバッグとして使えるわ」
街で売られているマジックバッグは大体これと同じね、とミハルは自慢げに自分の肩掛け鞄を叩いた。
「勿論あなたも知っての通り、売ってるからって誰でも扱える訳じゃないけどね。中身を出すときには、〈マジックバッグ〉の呪文でその箱の位置を入れ替えて取り出すものを決めているの。だから、リュークみたいに次々と自由に出し入れすることは出来ない。
ねえ、リュークは何故そんなに沢山の物の中から目当てのものだけを取り出せるの?」
いつの間にか「夜ご飯セット」を全て出し終え、ペガサスの鼻の穴に息を吹きかけて遊んでいたリュークは、ミハルに問いかけられて振り向いた。
「めあてのもの?」
「そのバッグには色んなものが入ってるのに、必要なものだけを出し入れ出来るでしょう? バッグの中のものをどうやって選んで掴んでいるの?」
以前、アルベルムで大人たちが革袋の中身を探ろうとしたときには、とにかく中にあるものが無差別に取り出された。逆さまにすると、雪崩のように次々と中の物が落下した。とても取り出すものを選べるような状態ではないように思えたものだが、所有者であるリュークにとっては、革袋の中は無秩序ではないらしい。
リュークの手は、スライムも、神官の遺体も、夜ご飯セットも、小さな泥団子や木の枝や昆虫ですら好きに選んで取り出せるのだ。
「パンを食べるときにパンを持つのと同じだよ」
「えっ」
ミハルは驚いた。ギムナックも驚いた。
リュークがこのように流暢に「例え話」を用いたのは初めてのことだった。
しかし、その後の質問に対してはあまり的確な返答はなかった。
マジックバックの空間に仕切りがあるのか無いのか、時間が止まっているのか動いているのか、収納したものを把握できているのか、忘れてしまったものはどうなるのか、どんな魔法が掛けられているのか、何一つ分からずじまいだった。
「そうよね、そんなに簡単に分かる筈がないわよね」
ミハルはちょっぴり可笑しそうに笑って、竈の火加減を調整した。竈では大きな鍋が火にかけてあって、鍋の中ではお湯が気泡を上らせ始めている。
一つの魔法は、魔法同士を組み合わせた〈魔法式〉で成り立っており、魔法式一つには多大な価値がある。魔法とは、漠然と祈って使えるものではなく、全てが原理から構築された魔法式に基づいて完成されるのだ。
魔法式は、その全てが難解だ。魔法を発明する人々は偉大なのだ、とミハルは常々思っている。そして、魔法の原理や式の構成について悩み考え、仮説を立てては証明に勤しんだり、理論を展開していくことに魔法使いの醍醐味があるとも思っている。
また、他人の魔法式を正当な理由なく無理矢理に明かそうとする行為は〈魔法ギルド〉によって世界基準で禁止されており、これを破るような礼儀知らずは冒険者ギルドや商業ギルドからも追放されて路頭に迷う羽目になる。
「魔法使いっていうのは、変に気が長いところがあるな。普段は短気なことが多いのに」
余計な一言を零したギムナックを、ミハルの鋭い一瞥が叱責した。
それからしばらくの後、リュークは、ミハルの隣へ行って鍋を覗き込んだ。調味料で味付けした汁の中に、ギムナックが刻んだ肉や野菜がたっぷり入っている。普通は干し肉や乾燥豆を入れて作る質素なスープだが、新鮮な食材を使うだけで豪華な鍋になる。
「おいしそうだね」
「あなたのお陰よ、リューク。たくさんあるから、おかわりしてね」
ミハルは嬉しそうに言うと、小さな椅子に腰掛けるギムナックに声を掛ける。
「ギムナック、少しソロウたちの様子を見てきてくれない? 閣下の戦闘が長引きそうなら一旦火を止めるから」
ギムナックは「分かった」と返し、駆け寄ってきたリュークの手を引いてソロウとレオハルトのもとへ向かった。
途中、しっかりと天幕を張り終えた兵士たちが周辺の見回りに行くところにすれ違った。彼らはもう完全に落ち着いていて、リュークに向かって元気に手を振る余裕も取り戻していた。
その先に居るレオハルトは未だ結界を張り続けていて、遥か彼方から飛んでくる見えない攻撃を正確にいなしている。
ギムナックは申し訳なさげにソロウの隣に立ち、「どんな様子だ」と尋ねた。
ソロウは自分の無精髭を撫でつつ、「まあ」と苦々しく口を開く。
「どっちも本気じゃないもんで、いつ終わるかも分からねえな。魔狼が言葉を理解できるなら休憩を挟んでも可笑しくないくらい仲良くやってるぜ」
「魔狼のくせに人馴れしてるのか? どうも魔王軍じゃないような感じがするが、かと言って誰かの〈使い魔〉でもなさそうだぞ」
冒険者ギルドでC級モンスターに分類されているウォーウルフや、火山地帯に住まうファイアウルフ、豪雪地帯に住まうアイスウルフ、闇を操るダークウルフ、神獣とされる希少種フェンリルなど、狼系の魔物は複数種類が確認されている。
魔狼というのはそれらの総称であるが、今回現れたのは、そのどれでもないようだとソロウは思う。
毛色はウォーウルフに近いように見えて、ウォーウルフにしては綺麗過ぎる気もする。ウォーウルフはもう少しくすんだ色で、体躯はもっと小さい。しかも、グランツの攻撃を難なく弾くところを見るに、纏う魔力も桁外れに多いようである。
「フェンリルの亜種じゃないかと思うんだが、フェンリル自体見たことがないからよく分からねえ」
「そうだな。俺も見たことがないが、少なくとも気配はウォーウルフより遥かに格上だ。ほら、リューク。あそこで閣下が戦っているのが見えるだろう? あれが終わったら皆で晩飯をたべような」
ギムナックが途中からリュークの隣にしゃがんで言うと、リュークは「みんな、お腹すいたね」と同意を求めるようにギムナックと目を合わせた。
ギムナックは「そうだな」と返事をした。
ソロウとレオハルトは、何となしにその様子を眺めている。
リュークが息を吸い込んだ。
「リン! ご飯ー!!」
これまでにない大きな声で叫んだリュークは、とても満足した様子で荒野を見つめている。
ギムナックたちも、近くに居た兵士たちも、驚愕のあまり瞬きすら忘れている。
そして、そんな彼らの沈黙を割るように空から降ってきた大きな銀色の魔狼。
派手な音と土煙を上げて四人のすぐ近くに着地した魔狼は、咄嗟に結界を張り直そうとしたレオハルトの脇をすり抜けてリュークに飛びかかった。
「ははっ、重い、くすぐったい」
呆気にとられる大人たちの前で、殆ど魔狼の毛に埋もれながら匂いを嗅がれ、大きな舌に舐め回されるリュークは、テルミリア教会の裏庭で少女に押し倒されたときと同じ笑い声を上げたのだった。
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