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テヌート伯爵領(60〜)
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しおりを挟むヴンダー・トイは、弱々しい笑みを浮かべて身を起こそうとした。だが、グランツがそれを止め、寝たままにさせた。
「一度会ったことがあるかな、ヴンダー・トイよ」
「はい……再びお会い出来るとは光栄です、アルベルム辺境伯ポールマン閣下。このような格好で、申し訳ありません」
ヴンダーの大きな目は、今にも泣き出しそうである。振り絞る声は嗄れていて、いっそ悲壮感というものが青年の口を借りて喋っていると言われても納得しそうなほど暗い。
テヌート伯爵は、天蓋のカーテンを完全に開け放つと、レオハルトと冒険者たちとリューク、そしていつの間にかギムナックに背負われているリンのことを紹介した。
「やはり、呪いのことは分からなかったかい」
書庫にある魔法と呪い関係の本をあさり尽くしたが、もとより珍しい闇属性にまつわる資料は少なく、呪いは生み出されるもの千差万別で、調べれば調べるほど特定する気力が奪われていった。
「いいんです……もう……。僕は魔法使いには戻れそうにない。だいいち、S級冒険者なんて大層なものになれたことが奇跡だったんだ……夢……そう、夢を見ていただけ。余生は畑を耕して生きていきます……いや、僕なんかが農家になれるわけがありませんよね……僕みたいな能無しは、畑の肥料にでもなれば良い……」
見てくれはともかく、どうやらまだ死にそうにはない。
ミハルの後ろに隠れていたリュークがベッドを覗き込み、「うわあ」と驚いた。それから「人がいたんだね」と囁くように言ったので、大人たちはてっきり、ヴンダーが窶れ過ぎて人として認識しにくかったのかと思い、哀れな青年を一層哀れんだ。
ヴンダーはリュークの反応に周りがざわめいていたことにも気付かず、暫く気の済むまで弱音を吐いたあと、「すみません」と突然我に返った様子で謝った。
「この通り、魔力を失った僕がお役に立てることはありません。テヌート伯爵のこれまでのご厚意には感謝いたしますが、僕には……ああ……僕にはもう……僕はミミズと暮らします……でも、ミミズでさえ畑にとって有益なのに僕ときたら……はあ……」
ヴンダーはまたもやグズグズとぼやき始め、ついに枕に顔を埋めてしまった。
伯爵とグランツに目配せされたレオハルトとミハルが前へ出てヴンダーの魔力の状態を探ってみる。
「ありませんね、全く」
「ええ、本当に全く無いわ」
二人の言葉が岩のようにヴンダーの頭に落ち、可愛そうなヴンダーは枕を濡らすことしかできない。
どうやら、現時点で回復の見込みはなさそうである。
ところが、子どもというのはどんなものにも価値を見出す天才である。野にも山にも興味を持ち、川や海のきらめきを宝石に例え、空は無限で雲は芸術品である。虫に社会性を見出し、二枚の葉っぱに優劣をつけ、野菜にも敵味方があると言う。野菜の敵味方は日によって変わることもある。
川底のヌルヌルではしゃぎ回り、道端の小石を宝物にする。見えない風を追いかけ、「追いついた」と自慢げに振り向く。
「アイスドラゴンに気づかれないね」
リュークがそう言ったのは、決して慈悲の心をかなぐり捨ててのことではなく、単に子どもらしい純粋で柔軟な発想によるものである。
寧ろ、恐るべきはこれを聞いて一斉にヴンダーを見下ろした十二の瞳の方だった。どれもがヌラヌラとした怪しげな光を宿している。悪魔に魂でも売り渡したのかと問いたくなるような無慈悲の匂いがする。
急な沈黙を不思議に思って顔を上げてしまった不幸なヴンダーは、この世にも恐ろしいものを見て「ひいっ」と悲鳴を上げた。
「ななな、なんです!? 何なのです!?」
「君、登山の経験はあるよな?」
恐れをなして身を起こし、後退りするように仰け反るヴンダー。高圧的にじりじりと顔を近づけるグランツ。
グランツの背後に佇む悪魔たち──ヴンダーにはそう見えている。
「何故登山!? いやいやいや、無理ですよ! っていうか何故!? 僕、病人! よくご覧になってくださいよ! 僕! 病人!」
「いいえ」と、レオハルト。「貴方は病人ではなく、ただ己が役立たずとなってしまったなどと勝手に思い込み、勝手に断食しているだけで、おそらくは思春期の再来か、小説の読み過ぎで悲観に酔いしれている、若しくはただ面倒な心理状態にあるというべきでしょう。
その思い込みを払拭し、貴方を再び英雄として返り咲かせてみせようというのです。さあ、ミミズと暮らす妄想は終わりにして、我が主、アルベルム辺境伯とテヌート伯爵の心遣いに感謝しながら雪山へ向かってください」
「え、嘘でしょ……?」
嘘でしょ。
そう繰り返すヴンダーの嗄れ声だけが虚しく絨毯に落ちて、儚く消えていった。
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