西からきた少年について

ねころびた

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氷竜駆逐作戦(78〜)

78 悲運の男

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 天蓋付きのベッドの中、哀れなヴンダー・トイは一人悲しみに暮れていた。

「どん底と思っていたのに、まさか二重底になっていたなんて……うぅ……」

 もう魔力の一滴も感じられない出涸らし以下の自分が単騎特攻を強いられる羽目になろうとは。

 ここには悪魔しか居ないのか。ここは悪魔城だったのか。

 おかしい。自分は癒されるために美しき街オローマを訪れたのではなかったか。
 オローマでチーズたっぷりの〈ピッツ〉を食べて、美味いコーヒーを飲みながらぼうっと街を眺め、夜は宿のテラスで強い酒をちびちびやりながら星空を見上げ、別の日はスパータ村の水辺で可憐な女性と軽く会話をして、翌日の夕方までシーツに埋もれる、そんな療養生活を思い描いていたはずでは。

「世界とは、こんなにも僕に厳しいものだったのか?」

 ずっとトントン拍子で来ていたじゃないか。貧しくもなければ裕福でもない家庭に生まれ育ち、勉強も魔法の練習も適度にこなし、人付き合いも当たり障りなく、流されるまま生きてきて、気付けばS級冒険者。
 王都ノルン冒険者ギルド本部所属、最強パーティーの魔法使い。
 記者と女性たちに追いかけ回される日々。
 年々増えていく勲章。
 高難度の迷宮ダンジョン攻略依頼。
 見送ってくれる沢山の人々。
 素晴らしい仲間たち。
 名誉、栄光、金銀財宝。
 
 ──あまりにも出来すぎていた。

 まさか自分が魔法使い生命を絶たれることになろうとは思ってもみなかったが、今思えばこうなることで歪んでいた運命が修正されたのかも知れない。
 これまでの幸運は、一生分を前借りしていただけだった。そう考えれば、お釣りが来るほど良い夢を見させてもらったものだと納得できる気もする。

 心残りがあるとすれば、まだ若い息子を失うことになろう両親と、ダンジョン攻略を断念させてしまったパーティーのことだ。


 両親には本当に申し訳ない。

 この間まで、出来るだけの親孝行をしていたつもりでいたが、今となるとまだまだ全然何もしてあげられていないような気がする。もっと頻繁に実家に寄って一緒にご飯を食べればよかった。一緒に出かけて思い出を作れば良かった。

 結局、産み育てて貰っただけで、僕はそれ以上のものを何も返せていないではないか。
 もし、もしもまた会えることがあれば、もっと沢山のことを話したい。冒険のこと、仲間のこと。そして、叶うなら孫の顔も見せてやりたい。

 まあ、孫に関しては一番上の姉が六人、二番目と三番目の姉が三人ずつ、合わせて十二人も授かったのが救いだ。そういえば、甥や姪にも久しく会っていない。皆に手紙を書こう。最後の手紙を、丁寧に書こう。



 パーティーの皆へも手紙を書かなければ。

 僕の後釜ならすぐに見つかるだろう。僕は本当は皆にもてはやされるほど優れた魔法使いではないし、呪いも防げないような……ゴミ……価値のない……──違う。少なくとも、彼らは僕のことを認めてくれていた。
 早く良い魔法使いを見つけて、楽しい冒険を続けていってくれと願う。

 僕が呪いにかかったからといって、冗談でも解呪特化の魔法使いなんか探さないよな? 駄目だぞ、「解呪特化型」なんて文句は、「幸せの壺」「肩こりが治るふだ」「自己啓発講習会」を超える詐欺の常套句だ。よもや、そんな胡散臭い言葉に惑わされるS級パーティーではあるまいが、一応手紙にも書いておくか。

 さて、となれば、まずは紙と封筒を用意しなければ。城の誰かに頼めば紙束くらいいくらでも貰えるだろう。

 羽ペンとインクも必要だ。僕のマジックバッグはオローマの街と共に雪に沈んでしまったらしい。不便だが、今更未練もない。僕の命と引き換えに雪が溶けたなら、中身はせいぜい美しき街の復興にでも使ってくれれば本望だ。

 嗚呼、せめて美味しいピッツを一口食べてみたかった。


 僕は死ぬ。言われるがままドラゴンに強盗を働こうとして殺される。その前に、雪山で野垂れ死ぬかも知れない。最期に一花咲かせることもなく、たった一人で眠るように死ぬかも知れない。

 ……だって、魔力を失った僕がアルベルム辺境伯とテヌート伯爵に逆らえる訳ないじゃないか!


「はあ……短い人生だっ──」

 呟き終わる前にドアがノックされた。

「準備はできたかしら、ヴンダー?」

 淡々としたミハルの声に、ヴンダーは飛び上がる。

「もう!? まだ両親への手紙を書き始めてもいないのに!?」

「手紙? 後で書けばいいじゃない。もう朝の十時を回ってるのよ」

「後じゃ駄目でしょう、遺書なんだから!」

「遺書……? ああ、多分大丈夫よ。あなたは死なないと思うわ」

「『多分』? 『思う』? 絶対嘘じゃん! 僕はね、両親と三人の姉、十二人の甥と姪、それからパーティーメンバーの四人に手紙を書かなくちゃならないんだ! 出来ることなら、世話になったギルド職員の皆と武器防具屋、薬屋、本屋と宿屋に食堂、仲の良い女の子たちにも書きたいくらいなんだ!」

 ここまで言って、溜息が聞こえた気がして一瞬躊躇ったが、どうせ最後なんだからどうとでもなれの精神で続行するヴンダー。

「そう、僕は手紙を書きたい! 僕のこれまでの想いと大切な人たちの良き未来を願う手紙を山のように書き残したい! でも我慢するさ。手紙は血縁者とパーティーメンバーだけ。そのくらい許してくれたっていいだろ? それとも、誰も僕を憐れんではくれないって訳ですか? S級冒険者から凡人以下に転落し、いきなり死地に飛び込めと命じられたこの僕を! 僕は、何故僕が選ばれなくちゃならなかったのか、その理由さえ未だ知らないんだよ。せめて遺書くらい気の済むまで書かせてくれ!」

「困ったわね。じゃあ、ひとまず出来立てのピッツを食べてから考えることにしない?」

 ドアの向こうから、なんと蠱惑的な提案だろう。
 精神の安定を失っている哀れなヴンダーは、それがあたかも神の囁きであるかのように錯覚し、いとも簡単にベッドから転げ落ちると、蜘蛛が床を這うようにしてドアへと向かったのだった。

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