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無限の迷宮(110〜)
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しおりを挟む──ヴンダーに叩かれて目を覚ましたソロウは、ぼんやりとしていた意識が覚醒するにつれて青褪めた。
「ヴンダー……すまん、状況は……」
動悸がおさまらない。
あれが夢でなかったのなら、全員死んでいてもおかしくない。
いや、寧ろ生きている方がおかしい。
考えるほどに体の芯が冷える。
涙と鼻水と吐瀉物まみれのヴンダーは、なおも大泣きしながら「皆生ぎでまず」と、言ってソロウに抱きついた。
「お、おう……そうか、生きてるか」
頬が痛い。どうやらヴンダーから猛烈なビンタを浴びたらしく、口の中はズタズタで、頬はパンパンに腫れ上がっている。喋るのも大変なほど酷いが、この痛みのお陰で生きていると実感できる。
「ヴンダー、お前は怪我してないか? 他も、怪我人は?」
「皆ぶじでぇえずっ」
「そうか、そうか」
ソロウはヴンダーの背をぽんぽんと叩きながら、恐る恐る周りを見回してみる。ずっと向こうの方まで、点々と兵士たちが倒れているのが見える。魔物の姿は無い。それに、床に空いていた穴が綺麗サッパリ消えている。ソロウのすぐ近くに真っ赤な血溜まりがある。感覚で、それが人のものではないと分かる。
耳を澄ますと、ヴンダーの立てる音以外にもほんの微かに音が聞こえた。
「おい、ヴンダー。皆を起こしに行くぞ」
まずは安全の確保だ。全員で現在の状況と、何が起きてどうなったのかを整理する必要がある。ソロウは震える身体と心に鞭打って立ち上がり、泣いて使い物にならないヴンダーを引きずりながら、急いで近くの兵士たちを叩き起こして回り、そうしながらずっと奥の突き当たりを曲がったところでレオハルトとギムナックを発見してぎょっとした。
レオハルトは見るからに無傷だが、ギムナックの方は血まみれである。服は勿論、首元にまで血が飛んでいるし、床や壁までもべっとりと血で濡れている。
ヴンダーにレオハルトを任せてギムナックに駆け寄り、呼吸と脈拍を確認してみるが、異常はない。ほっとして何度か頬を叩くと、ギムナックは目を覚まして短く呻いた。
「おい、大丈夫かギムナック、怪我してるのか?」
「う、う、俺は……何故だ、俺は──」
ギムナックは錯乱状態で焦点が定まっていない。落ち着け、と何度もソロウが頬を打つが、落ち着くまでには時間がかかりそうだ。
ソロウはギムナックに大きな怪我がないことを確認すると、一度長く息を吐いて振り向いた。
レオハルトはヴンダーに叩かれて目を覚ましたようだった。美男子のシミ一つないはずの左頬が赤くなっている。ヴンダーは混乱のあまりレオハルトを叩いてしまったことに自分でも驚き、後悔しているようだった。
しかし、レオハルトがヴンダーに冷ややかな目を向けることはなかった。それどころか、普段温度を感じさせない端正な顔に微笑さえ浮かべて礼を述べた。
それが逆に恐ろしくて、ヴンダーは氷漬けにされたように動かなくなってしまった。
「すみません、ソロウ。皆は無事ですか」
早くも何事もなかったかのように冷静さを取り戻したらしいレオハルトに問われ、ソロウは若干どもりながら全員の無事を伝えた。
「ミハルとフルルはまだ起こしに行ってないんだが、じきに目を覚ますだろう」
「不思議ですね、生きていることが」
と、レオハルトが余りに呆気なく言い放ったので、ソロウは面食らって何度か頷くことしかできない。よく見ると、レオハルトも完全に冷静になった訳ではなく、まだ現実を受け止めきれていないようにゆっくりと視線を彷徨わせている。
それから数十秒の沈黙があった。張り詰めているような、呆けているような。それでいて、どこか涼し気な感じがあった。冷え切っていた胸に、ざわざわと感動が起こり始めていた。生還の喜びか、そもそもの生への喜びかも知れない。
ソロウは笑い出したい気持ちで一杯だった。それはレオハルトも同じだった。だが、二人は顔を見合わせて同時に小さく吹き出しただけで立ち上がると、いつの間にか目を覚ましていたフルルとミハル、それから十人の兵士を呼び、錯乱から放心状態へ移行したギムナックの近くへ集まって座った。
「ごめんなさい、私、なんだか記憶が曖昧で……」
ミハルが謝ると、「無理もありません」とレオハルトが口を開いた。「床に穴が空いたのを覚えていますか?」
「え、ええ……とても恐ろしかったのを覚えているわ。あの穴はもう塞がったの? それとも、私たちが移動したの?」
「穴は塞がったようです。皆は、どこまで覚えていますか?」
「穴から魔物が何十体も出てきて、戦闘状態となったのを覚えている。我々はソロウと共にミノタウロスを相手していた」中年の男らしい兵士が答えた。それに続けて「同じく、我々はスケルトンと戦っていた」と、前の声よりやや年配の兵士。
レオハルトは頷き、「他は?」とそれぞれの目を見やる。
フルルが耳を緊張させながら小さく手を挙げた。
「あ……あたし、見たんだ。兵士さん達がスケルトンと戦っていた、その向こう──あの穴の側に居たアークデーモンの、ステータスに」
そこまで言ってフルルは一旦呼吸を整えた。毛が逆立っていて、傍目にも彼女がとても興奮しているのが分かる。
全員の視線がフルルに注がれている。気付けばギムナックも我に返って話を聞こうとしている。
フルルは告げる。
「あれは、〈魔王の加護〉だった」
フルルの震える声が響くほど静まり返る中、若い兵士の声が不思議そうに言う。
「それは、あの魔物が魔王軍だったからでは? 魔王軍の残党ならたまに見かけます。ダンジョンに居ることもあるでしょう」
「加護は、ただの魔物には付きません」とレオハルトが言ったので、全員の視線がレオハルトを向いた。
「例え魔王軍であってもです。さらに〈魔王の加護〉などと、少なくともそのような加護のことは過去の記録にもありません」
「じゃ、じゃあ、あれは……」
「特別のものと考えて良いでしょう。誰か、魔王の姿を見た者は?」
レオハルトの質問に、まさか、何を、と動揺が広がる。
魔王がこんなところに居るはずがない──もし見たとしたら、とっくに殺されている──有り得ない──しかし魔王でなければこのようなこと──もし魔王ならせめて一太刀は入れたい。
あれこれと、俄にざわめく。
ただ、その様子を一歩引いたところに座って見ていたヴンダーだけが、ぐっと口を引き結んでいた。
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