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無限の迷宮(110〜)
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しおりを挟むトレントの姿が消え失せた後は、何も無い真っ黒な空間が一行を包んだ。どこを見ても黒いが、ものは見える不思議な視界が不気味である。この恐ろしいはずの黒の世界は、しかし、奇妙な案山子のせいで弛緩した空気が漂っている。
案山子の脚ともいえる木の棒は、何も無いところに突き刺さっている。そこが地面や床であるのかは一見して分からない。そして、誰しもの足や手や膝や尻に触れている部分が地面や床であるのかも分からない。ただ、もう誰も自分が落下しているとは感じていなかった。リンなどは早くもグランツを内包する寝袋を枕代わりに寛いで、毛繕いを開始している
「ね、ねえ、この案山子……」
ミハルが恐る恐る案山子に近づこうとしてレオハルトに「待ってください」と引き留められた。
「案山子はさておき、そこの亀裂に近付くべきではありません」
言われてミハルは喫驚した。案山子の後ろにはっきりと亀裂が入っている。白いようで黒いような、目がおかしくなりそうな異質の色彩と、ぽっかりと空いた割れ目には落ちたら確実に命を落とす断崖絶壁の淵を覗き込むのに似た怖さと魅力がある。
トコトコと歩いてきたリュークが、その亀裂へ腕を入れた。唖然とする面々などお構いなしに、亀裂の中から一本の木の杖を取り出す。形状はミハルの杖とよく似ている。亀裂は役目を果たしたと言わんばかりにゆっくりと閉じて消えた。少年は杖をひとしきり眺めたあと、またトコトコと歩いてミハルのところまで行き、杖を差し出した。
「え……?」
ミハルは困惑する。隣のレオハルトをちらりと見やる。レオハルトは黙って頷く。次いでソロウとギムナックを見ても頷かれただけで、ミハルは渋々ながらに覚悟を決めて杖を受け取った。
とても滑らかな質感の木だ。そうとうの樹齢らしく、とにかく硬い。それでいて程よく歪んだ長い柄と、柄から美しい曲線で太くなった握りの形に古き良き上品さがうかがえる。値がつけられるような物ではない。魔法神の杖と言われても納得するほどの一本だ。
ミハルとレオハルト、そしていつの間にか目覚めて這ってきたヴンダーの三人が陶然としてこの杖を眺めている。
「おい、大丈夫か魔法使いども」
胡座をかいて座っているソロウに言われて、三人はようやっと我に返った。
「この杖……リューク、この杖は一体何? さっきの亀裂は何だったの? それに、ここはどこ? トレントは何故消えたの? あの案山子は?」
ミハルは無意識に質問を垂れ流していた。リュークは答えられない。あっと思ったミハルは口を閉じてソロウに視線を投げる。
「あー……、まあ、とりあえず、ここはどこなんだろうな?」
「どこなんだろうな?」
リュークはソロウのところまで歩いていくと、隣に小さな胡座をかいて座り、笑顔で返した。ソロウは面映くなって目を逸らし、「じゃあ」と質問を切り替える。
「ここはもう木の部屋じゃないよな?」
「うん」
「となると、『洞窟の迷路』ってところか?」
「ちがうよ」
「木の部屋の次は洞窟の迷路じゃなかったか?」
「木の部屋と洞窟の迷路の下の、間のところだよ」
「中間……いや、狭間ってやつか」
非常に流れの良い会話だ。レオハルトはソロウの話術を学ぼうと集中する。
ソロウは続ける。
「ここから出たら洞窟の迷路があるのか」
「あるよ」
今日のリュークは調子が良い。もしくは、ソロウの調子が良いので答えやすいのかも知れない。ギムナックや、ギムナックの影に隠れていたフルルと、そこら辺に散らかっていた兵士たちも安心して聞き耳を立てている。リンはまだ毛繕いをしている。
「そうか。あの杖は良い杖だな。どこにあったんだ?」
「良い杖じゃないよ」
ソロウの口が止まった。リュークはソロウを見上げたまま、ミハルが持っている杖を指さした。
「トレントだよ」
けたたましい叫び声を上げたミハルが、すぐにでも渾身の力で投げ捨てようとした杖を一瞬目に映して硬直する。
杖の柄の中ほどに、ぼんやりと老いた顔が浮かび上がっている。笑いジワの深い柔和な笑みが見える。
それがミハルを見てこう言うのである。
「水のやり過ぎはぁ、根腐れしますからぁ、よぉに気を付けとってぇくださいや」
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