西からきた少年について

ねころびた

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無限の迷宮(110〜)

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 ビードーは、すぐそこに放置されている荷車から黒々とした砲丸をわし掴み、助走をつけて魔物の海の中へ投擲した。ドーン、と大きな音が広い草原に響き渡って、魔物の波が一部乱れて鈍化する。砲丸とは本来荷車の向こうに設置してある大砲で放つものだが、投げるのがビードー流だ。決して砲術の心得がないからという訳では無い。それから砲丸を二つ三つと続けて放る間、コネクタも矢筒が空になるほど弓を射て魔物を討ち取った。

「神隠しだろう」

 と、四つめの砲弾を持ち上げたビードーがぽつりと言った。

 グランツが最後に目撃されたのが、丁度ビードーたちがウェルカ村でフルルと別れた日の朝だという。
 ビードーたちが一件を聞き及んだのは、ウェルカ村から南の街で緊急依頼を受けようとしたときのことだったが、初め噂を仄聞したときには最新の冗談と信じて疑わず、また、酒を飲んでいたこともあって皆で大笑いしたものだ。ところが、そこの冒険者ギルド会館の中は、直後からにわかにその話で持ちきりになった。情報通で知られる数名の口からまことしやかに阿呆っぽい情報がもたらされるので、ビードーたちの笑い声も次第に乾いたものへと変わっていった。
 それで、どうやら辺境伯がテヌート伯爵領を出て、アーカス侯爵領に入るまでのほんの短い道中に消えたという話は本当のことらしいと思うようになった。であっても、まだ信じ難い。よもや、あの短距離をたどり着けないというのは、一体どういった才能によるものか。目を瞑っていてもたどり着く。寧ろたどり着かない方が余程難しいだろう。この場合、神隠しということにしておけば随分と信じやすくなるのではないか。ビードーはそう思うのだった。

「どうもテヌート伯爵領とアーカス侯爵領の領地堺に迷宮が出現したらしいよ。領主様は、その迷宮へ向かわれたようだ」

「は、迷宮? 領主様は王城に向かってたんじゃなかったのか?」

「王城に向かってたはずさ。でも迷宮に入ったんだろ」

「むう、さてはまた小難しい話かあ? 貴族ならではの駆け引きが……とか言うんじゃねえだろうな」

「いやあ、小難しいというか、多分度し難いだけだと思うよ。辺境伯のことだから」

 コネクタは嬉しそうに口角を上げながら、荷車にあった矢をまとめて矢筒に入れた。そろそろ降りなければ、包囲されてしまう。

 二人は特に合図などもなく、揃った動きで階段を降りた。四階の高さから階段を降りきると、砦の外壁に阻まれて魔物の軍勢は全く見えなくなった。しかし魔物の立てる足音や鳴き声は日常であり得ないほど大きくて、地獄の蓋を開けたようなおぞましさである。ついに恐怖の感情を無視できなくなった二人は、気付けば思い切り駆け出していた。

「クソ、馬がねえ!」

 厩舎はもぬけの殻だった。他も、人と動物の気配はどこにもない。逃げ足早くて何よりと喜ぶべきか、それとも。

「薄情者どもが! これだから人間様ってやつはよう!」

「仕方ない、とにかく走ろう!」

 二人は青褪めながら走った。本当は、馬が足りないことは分かっていた。初めの方に威勢の良かった騎兵がたくさんの馬を無駄に死なせるところを見ていた。
 なのに足止めをするなどと、格好つけて言うべきではなかった。どうせ、大した足止めにもならなかった。仕方ない。あの軍勢で迫られては、何をしたって結果は同じだ。それでも、人間と一緒になって我先にと逃げ出すのが格好悪いと思ってしまったのだ。あの低俗な人間どもと馬を取り合って、揉み合って、敗北感を引き摺って後退の路につくのが、心底格好悪いと思ってしまったのだ。まったく、仕方のない。


 ほとんどの獣人族と違い、ほとんどの竜人族は走るのが苦手だ。ビードーも例に漏れず鈍足で、ただいくらか歩幅が大きいのでまだマシな方というだけに過ぎない。どすどすと重たい音を立てながら懸命に走るが、このままでは黒い波に飲まれる。

 先に行け、とビードーは恐ろしい剣幕で怒鳴ったが、コネクタは後方に矢を放つばかりで聞こうとはしなかった。やがて、迫ってきた。小型のケンタウロス、黒いウォーウルフ。飛び抜けて速い二体が飛び掛かってきた。ビードーは振り向きもせず剣を振り回す。振り向けば追い付かれる。足がもつれる。コネクタは弓を引き続ける。もう矢が切れる。

 ああ、地獄が迫ってきた。






「こっちだ!」

 若い兵士の声が二人の地獄を斬り裂いた。
 幻聴かと思った直後、「キャン」という悲鳴に振り向いたビードーは、槍に貫かれて倒れて後続に踏み潰されるウォーウルフの影を見た。その目を、今度は横に向けた。

 騎兵が十騎、斜めに駆けてきた。魔物の群れの先頭集団を抉るように曲線を描いて駆け抜け、颯爽とビードーたちの元へやって来る。二番手、四番手の騎兵がからの馬を連れている。

 ビードーとコネクタは、目の潤みを風で拭って、馬に飛び乗った。ビードーの乗った馬が一瞬潰れかけたが、なんとか耐えた。よく見れば、その馬は見事な馬車馬だった。もしくは、重砲兵用の軍馬かも知れない。ビードーに相応しい巨体で、脚も胴も首も鼻も太い。そして、よく走る。世の中にこんな馬がいたのかと驚くほど完璧な馬だった。

「助かったぜ!」

「ありがとう!」

 二人が素直に礼を言うと、騎兵らは「こっちの台詞だ! 恩に着る!」と歯切れ良く返した。

 心の底から感動したビードーとコネクタは、命の危険を顧みず死地に駆け付けてくれた勇敢な騎兵らを讃え、喜び、黒い波の音が聞こえなくなるまで長いこと歓喜の声を上げ続けたのだった。











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