西からきた少年について

ねころびた

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元魔王城(142〜)

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 どうにか這ってリンの尻尾から逃れたソロウとギムナックは、後退あとずさりを始めた吸血鬼を引き留めるでもなく眺めるだけの少年に対し、畏怖にも似た感情を抱いた。
 その少年は、ソロウたちから見ると今もただの子供である。恐るべき身体能力や、強大な魔力や、戦況を覆し得る頭脳を持ち合わせているようには到底見えない、ただの人間の子供。にも関わらず、吸血鬼のような上位の魔物がたった一人の少年を前にして怯えている。その理由わけを知りたいと思うのに、いざ知るとなると怖ろしさで目も耳も塞いでしまいたい衝動に駆られる。

「おい、動けるかソロウ」

「あー……それが無理っぽいんだよなぁ。どうやったって体が持ち上がらねえ。回復薬じゃ血は増やせねえからなぁ。まったくクソッタレも良いとこだぜ」

「むう……。リン、なあリン、聞こえてるか?」

 リンがギムナックを見下ろした。

「俺達のことはいいから、リュークを守ってくれ。吸血鬼に血を取られたら……あの小さな身体ではすぐに干からびてしまう。頼む、リン」

 ギムナックの懇願に、リンは小首を傾げた。そして、不安げに返答を待つギムナックの丸い頭をべろりと舐めて、まるで「心配するな」というように一度だけ吠えた。
 



 少年リュークが吸血鬼を追い始めた。それはいつもの散歩のような歩調で、しかし手にトレントの杖があるだけでいやに物騒に見える。

「どうしたら治るの?」

 リュークは大人たちに尋ねるのと同じように吸血鬼へ尋ねた。リュークと距離を取っている吸血鬼は、二十歩も離れていても彼の声を聞き取り、ブンブンと激しく首を横に振る。

「わわ、分からぬ! 死体を眷属として蘇らせるか、アンデッドとして操るならまだしも、私は治癒は……治癒は出来ないのだ!」

「ちゆ……」

 リュークも治癒は苦手だ。というよりも、殆ど経験がない。彼自身には〈自動回復〉や〈散歩マスター〉のスキルがあるため、治癒魔法を必要としないのだ。
 しかも、ナナイやリュークの他の友だちだって怪我をする機会はそうそう無いだろうし、見るからに液体のようなスライムにはおよそ怪我や病気という概念がなく、生きているか死んでいる──スライムは死ぬと完全な液体となっていつの間にか消える──かの状態しかないので治癒行為などとは無縁である。なので、いくら魔法が達者な彼といえど、縁のない治癒魔法などは頭に思い描くのも難しければ、魔法にするのも難しいのだった。
 それに、彼は自然淘汰に横槍を入れることはあまりしない。弱肉強食の世界である西の荒野では魔物が魔物を殺し殺される光景が常であったが、リュークもその常に順応していて、負けそうな魔物に味方したり、傷付いた魔物を助けたりというような真似は殆どしなかった。
 とはいえ、とりわけ進んで自然淘汰の掟を守ろうとしていたつもりもなく、いつだったか気が向いたときにはゴブリンの子供を助けようとしたこともあった。だが、上手くいかなかった。リュークよりずっと小さかったゴブリンの子供は、リュークの奇妙な魔法により巨大化し、容姿も変わり、未知の怪獣と成り果てて今も荒野を彷徨っている。
 あまりにもゴブリンとかけ離れた存在となったことで群れに戻れなくなってしまった哀れなゴブリンの子を見たとき、リュークは生まれて初めて他者へ対する申し訳ない気持ちというものを学んだ。

 この一件のこともあって、リュークは治癒が苦手である。それで言うと、グランツの腕が飛んだときにプーパが居たことは真に幸いであった。もしもプーパが居なければ、リュークはまた奇妙な魔法を使ってグランツを化物へと進化させていたことだろう。

「ヴァンパイア、治せないならお前はいらないよ」

 リュークはさも当然の如く冷酷な言葉を吐いた。ソロウたちは、はっとして耳を疑う。

(リューク? あれは本当にリュークなのか?)

 吸血鬼は後退する足をもつれさせ、尻餅をついて転けた。気位の高い上級の魔族とは思えぬ無様な格好である。

「待ってくれ! 待って! 話せば分かる、分かり合える!」

「お前がみんなの血を取った。みんなが可哀想だ。だから、お前は治さなくちゃいけない。でも治せないから、やっつける」

「あ、いやいやいやいや、嫌だ! た、たす、助けて! 助けてください!」

 吸血鬼は尻餅をついたまま叫喚した。
 すでに吸血鬼の爪先に触れるところまで来ていたリュークは、ソロウとギムナック、そしてずっと後ろの方で静観していたレオハルトの口が「あ」と動く前に、黙ってトレントの杖を振り上げた。


 

 
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