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十五章/最初で最後の分岐点

さよならの分岐点

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 しんみりする中で二人は風呂に入り、そこでもひと波乱といえそうな濃厚な時間を過ごして体温を確かめ合った。
 異様にすっきりした表情の直と熱に浮かされた甲斐。女将に入浴後の甲斐の顔色を心配されたが、恥ずかしくなって必死で「大丈夫です」と答えて部屋にそそくさ戻る。
 顔色がだいぶ落ち着いてきた頃、時計を見ながらさっと身支度を整えて、女将に礼を言って民宿を後にする。そのまますぐに駅へ向かい、帰りの新幹線へ乗り込んだ。

 車内で遅い朝食弁当を食べる羽目になってしまったのが悲しいけれど、昼前までには地元へ戻っているようにと父親の正之に言われているからだ。念入りに。そして、別れも一緒に済ませておくようにとも言われている。
 夕方にはすぐに婚約についての正式な記者会見を開く事になっているため、感傷に浸る暇さえも与えられていない。
 別れの時間は刻々と迫っていた。


「甲斐」
 窓の景色をぼうっと眺めながら、直は甲斐の肩越しにもたれかかる。
「…どうした?」
「……オレ、お前がいいって言うんなら……婚約もなかった事にする…」
「直…?」
「何もかも捨てて…お前とだったら…一緒に逃げてもいい。全てを失っても、お前さえそばにいてくれれば、オレは何もいらない…。全てを捨てられる」
「何…言ってんだよ…。そういうの…テレビや映画だけにしてk「本気だ」
 直は甲斐の顔をじっと見つめている。
「お前と…ずっとずっと…一緒にいたいんだ…。生涯…死ぬまで。時間が続く限り、お前のそばにいたい。金も地位も今まで出会ったすべてのものを捨ててでも……お前一人との時間を選びたい」

 とんでもない事を言う奴だな…と思う。でも、甲斐はすぐに顔を横に振る。

「駄目だろ…。お前にはお前のやるべき事があるだろう?お前だってこれで最後にすると頷いたじゃないか。全部、思い出にするって……。俺の事も、今までの事も、この関係も、今日で終わりにするって」

 モラリストのような言い方に自分に嫌気がさしてしまった。
 でも、そんな事は普通にありえない話だ。今更どうしようと言うのだろう。二人だけで逃げるなんて事は、さすがに映画やドラマじゃあるまいし、非現実的すぎる。あの正之が許すはずがない。絶対に。

「…冷てぇな…お前…」
 直は不貞腐れたように悄然とつぶやく。目は潤んでいた。
「…冷たく言ったつもりじゃねぇんだけど…」
「それが……冷たいじゃねぇか…。お前は…オレと違って平気そうな顔してやがるんだから。どうせオレなんていなくてもいいって思ってんだろ」
 投げやりな言い方でそう言い、甲斐の方を見ると、

「そうだよ」

 と、甲斐はあっさり返事をした。直は目を見開いて驚く。

「だって、約束しただろう?今日までで終わりにすると、思い出にすると。今更何をぐだついてんだよ。もう終わりなんだよ、この関係は。どうせ、あと数分で駅に着く。着いたらそのままサヨナラなんだから…。恋愛ごっこはもうやめだ」

 淡々と捲し立てる甲斐に直は茫然とする。
 ここで直に優しくしてしまうと、話が振り出しに戻ってしまう気がする。余計に直が泣いて縋りながらも離してはくれないかもしれない。それで仕方ないとばかりに自分が手を差し伸べてしまうかもしれない。だったら、冷たい言葉で幻滅させるしかないんだろう。
 後腐れないように、すっきり別れるにはこうするしかないのだと。
 でなければ、自分も別れが辛くなって、今にも泣いてしまいそうだから。

「オレは…こんなにも…離れたくないのに……。お前を失いたくないのに…所詮は…やっぱりオレの独りよがりの想いだったわけだな…」
「………」

 甲斐はうなだれたまま何も言わない。黙って唇をかみしめている。
 きっと隣で直は泣いているんだろう。瞳に涙をいっぱいにためて、寂しさに震えているんだろう。
 その涙を拭ってやりたいのに、もう拭ってやることはできない。

 

 無情にも駅に到着した新幹線は続々と乗客が降りていく。
 二人も終始黙りがちに降りてホームをゆっくり歩く。会話は当然ない。自分達が最後の乗客だったようで、新幹線用のホームには自分達だけしかいない。
 こんな悲哀に満ちた雰囲気になりたかったわけじゃないけど、直を突き放すためには仕方のない事なのかもしれない。
 だけど、最後くらいは笑顔で終った方が後悔も少なくていいだろう…と、甲斐は意を決して振り返る。と、いきなり正面から抱きしめられた。
 ふんわり香る直のにおいと抱擁に戸惑う。

「行くなよ…甲斐」
 やはり涙声だった。
「行かないで…くれよ……っ」
 とめどなくこぼれる涙が甲斐の肩を濡らす。
「愛してるんだ…どうしようもなく…。イヤでも、嫌いでも、いいから……そばにいてくれよ…。お前だけが…甲斐のそばにいる時が……唯一の…オレの幸せなんだよ。オレの……幸せを……奪わないでくれよ……」
「……っ」
 甲斐は依然と苦しげに唇を噛み締めている。
「そんなお前がいなくなったら…オレは…もう……」

 二度と幸せになんてなれない……と、小声でつぶやいた。

「直…」
 どんどん強まる抱きしめられる腕。放そうとしても決して放してはくれない。どうしようかと考えていると、

「そこまでだ」

 第三者の声が聞こえて顔をあげると、矢崎正之が数人の部下を引き連れて目の前に立っていた。タイムリミットだと言いたげに直を連れに来たんだろう。本当に感傷に浸る暇さえもなかったように思う。
 
「直、いい加減にしたらどうだ。自分の立場をわかっていないのか。矢崎財閥の次期トップとして全く見苦しい。この場を婚約者のカレンさんが見たらどう思うか……はやく来なさい。夕方の記者会見の時間に間に合わなくなる。打ち合わせもあるというのに」
「………」
 直は黙っている。
「はやくしなさい!」

 もう一度きつめに促すが直は動かない。
 全く動こうとしない直に、親子のやり取りを見て甲斐は意を決した。

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