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16.急接近

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「メル……それでもありがとう……メルも辛いのに……」
「友達が苦しんでいるんだから、そばにいてあげるのは当たり前だよ」

 友達……。どうしてかそんな単語を今は聞きたくなかった。

「メル……俺……っ」

 友達という単語に泣きそうになってしまって涙目で顔をあげると、ごくりとのどを鳴らしたメルと目があう。熱に浮かされた赤い瞳が。その瞳がなぜか離せなくて、離したくなくて。思わずジッと見つめていたら、メルの手がパスカルの手を握り絡めていた。

「せっかく我慢していたのに……止まらなくなってしまう……パスカル」
「俺も我慢したかったよ……でも……メルと一緒にいたいなって……。そう強く思ったら……離れると寂しくなって……」

 誰でもない。メルにだけこの不思議な切ない気持ちが溢れてくる。

「オレも……寂しいと思ってた」

 突然、一人称が変わってどきりとした。

「メル……?」
「ゴメン。使い分けているんだ。いろいろ事情があるから……。こっちが素なんだ」

 そうして優しく引き寄せられて抱き締められた。安心するぬくもりに寂しい気持ちが薄れていく。落ち着かなかったメンタルが急激に安らいでいく。とても安心して、飲んでもいないのに精神安定剤を服用したみたいに体の全部が安らいだ。

「オレも……パスカルと一緒にいたいと思ってた。触れたいとも思ってた。離れていると切なくて寂しくて。でも……こんな状態じゃ何をするかわからないから」
「メル……」

 それでも離れたくないと訴えるようにぎゅっと背中に手をまわしていた。離れたらひどく泣いてしまいそうだ。

「何をされても俺……メルなら……いいよ……」
「っ、パスカル……」

 メルが目を見開いて驚いている。

「おれ……メルにならいい」

 自分でも驚いている。ヒートで頭がおかしくなっているとはいえ、こんな事を言っているなんて。

 相手は友達のメルとはいえ男。同性同士なのに。いくらオメガバースの世界で生きているとはいえ、同性が好き禁断の関係とはならないはずなのに。メル相手ならそれ以上でもいいと思ってしまっている。

 やっぱりアルファとオメガという引き合う関係性だからだろうか。ヒート中だからわけもわからず寂しくなって情緒不安定になっているだけなのだろうか。

 抱擁を解いてもう一度メルを見上げると、すぐに自然と瞳は溶け合っていた。メルの瞳が夕暮れの茜色に染まっている。

「パスカル……いいのか?」
「いいよ……」

 じっとしばらく見つめあって、不思議な静寂と胸の鼓動と感情の赴くままに顔をどちらからともなく近づけあう。メルの手がパスカルの頬を撫でてお互いに目を閉じあうと、


「メル君~!パスカルは大丈夫か?」

 階段下の父トムの声に現実に引き戻された。唇同士が重なる寸前にはっとして、すぐにお互いは離れた。


「ご……ごめん。どうかしてるね……」
「ぁ……」

 そっとメルが立ち上がると同時に安心するぬくもりが離れていく。それがひどく寂しく感じて泣きそうになってしまった。

「パスカル……そんな寂しそうな顔しないで。ほっとけなくなっちゃう」
「だって……」
「今はご両親もいるから下手にキミに触れることはできないけど……」

 そう言いながら、メルは着ていた上着を脱いでパスカルの肩にかけた。ふんわりとメルの香りが漂ってきゅうっと胸が締め付けられた。

「これをオレだと思うっていうのはダメかな」
「メルの上着……」
「明日にでもいっぱい、服とか……持ってくるからさ」
「服……」

 そういえば主治医のエミリー先生が思い当たる節を言っていた。
 オメガやレアオメガのヒートの初期段階で、自分が想う人の匂いに包まれたいという願望が強く出てきて、本能的にそれを求めるようになるのだと。その匂いに包まれているとひどく安心して、不安になっていた気持ちもさっぱり落ち着くので、オメガやレアオメガの【巣作り】とも言われている。

 それと同時に、感情の起伏も激しくなって、ちょっとの事で傷ついたり泣いてしまう事も増えるのだという。その不安定なメンタルが原因で、オメガやレアオメガの自殺も多いのが社会問題にもなっているとも言っていた。

「……迷惑、かけちゃうな」
「いいよ。それでパスカルが安心してくれるならお安い御用だから。元気になったらまた顔を見せてね。ヒート期間は苦しいと思うけど……」
「……うん。がんばるよ……」

 本当は、メル本人がそばにいてほしいなんて厚かましい事は言えない。そこまでわがままなんて言えない。自分とメルは友達なのだ。心配はしても、距離感は大事だとこれまでの事を改める。オメガやレアオメガなら誰もが通る道だから、ちゃんと乗り切ってまた元気な姿をメルに見せなければ。

 ただ、さっき。
 キスしそうになってしまったけど、もし、していたらどうなっていたんだろう。





「っ、あ、ぐ、あ……は、ぁあ」

 その晩から本格的にやってきたヒート期間。特に三日目のピーク時は凄まじく気怠くて、トイレに行くのも辛くて、出しても出しても熱と欲望が抜けきらないもどかしさに何度も泣いた。

 こんなのが月に一回来ると思うと地獄だ。一週間以上部屋にこもることになるので両親にも迷惑をかける。おまけに汚れたシーツなどの洗濯も大変なのだから、つくづく不幸な性別だと思った。

「はあ……メル……ごめん……ごめん、なさ……」

 メルの服の匂いを嗅いでいると幾分か辛さも和らぐ。自分の欲望でたくさん汚してしまった事に罪悪感を覚えながらも、止まらない熱にどうしようもない。

「っ……メル………める……」

 困った時は助けてくれる同性の歳の近い友達。だから、こんな風に想う事はいけないとわかっている。だけど、ヒート期間中はずっと彼の事を考えてしまう。

 彼の姿、横顔、笑顔、彼の見たことがない逞しい裸を。

 そして、メルに愛されている自分の姿を想像した――……。

 彼は友達。だからこんな邪な事を考えてはだめだ。そう思いながらも止まらない自慰の手。熱の昂りが鎮まるのをひたすら待った。



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