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七話
竜の祠
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***
「う…ケホッ、…あ、…?」
気が付くと俺は鍾乳洞のような空間に横たわっていた。天井に並ぶ白い柱からは常に水が落ちてきてピチョンピチョンと音が響いている。
「ゲホッ、ゲホッ…、むせ、すぎ、て、ケホッ、いっ、てえ…」
呻きつつ横たわっていた浅い池から這い出た。地面にはいくつもの池があり、湖とおなじ乳白色の水が溜まっていた。
「てか、洞窟の中なのに…明るいな」
鍾乳洞の壁面に蝋燭の火が置かれていて、ギリギリ見通せるほどの明るさを保っていた。定期的に置かれた蝋燭は人の手で置かれたものだとすぐにわかる。
「ここは…一体…」
『竜の祠だよ』
「?!」
返ってくるはずのない返答に飛び上がる。横を向けば、池の中から白い人影…ではなく輪郭のハッキリとした子供が現れた。原色に近い青色の髪と瞳を持つ、人間離れした見た目をした子供だった。池から半身を覗かせて無表情のまま語りかけてくる。
『やあ、誰かと話をするなんて久しぶりだ。ようこそ竜の祠へ。寛ぐ…のは難しいと思うけどゆっくりしていってね』
「……あ、あんたは…誰だ」
『僕は水竜様と呼ばれてる存在さ。別にこの山を守った覚えもなければ崇められる覚えもないんだけど、その名前で呼んでもらうのが一番手っ取り早いからそれでいいよ』
「!!!」
(この子供が水竜様だと?)
信じられない。信じられない…が山奥のしかも鍾乳洞の中に子供が迷い込むとは思えない。何よりも思念で語り掛けてくるのが人でない一番の証拠だ。
『察しがいいね。賢い君に一つ選ばせてあげよう』
池に半身を埋めていた水竜様が両手を上げた。その手にはそれぞれ人間が抱えられていて、右手にはフィン、左手には針がぶら下がっている。どちらも意識がない。サアっと血の気が引いた。
『君はどっちがほしい?白金の男?それともこっちの』
「フィン…!フィンを返してくれ…!」
からかうように言われたのを遮って指さした。水竜様は歯を見せて笑った後、ぽいっと俺の方にフィンを投げた。
「わ!っとと…!」
後ろに倒れ込みながら受け止める。自分の倍はある体を軽々と放り投げるなんてと驚きつつフィンの顔を覗き込んだ。
「フィン!フィン…!よかった、生きてるな…」
脈も呼吸もある。意識はまだ戻らなそうだがまた会えたことに胸が熱くなった。ぎゅっと抱きしめる。
『生きてるも何も、奴は不死身の体だろ?僕の嫌いな匂いがするからイジメてやったけど、もう充分苦しめたから満足さ。持って帰っていいよ』
食べたところで絶対腹を壊すしね、と笑いながら付け足してくる。そんな子供のようにあどけない笑顔を浮かべていた水竜様だったが、次の瞬間、左手に持っていた針の体をボキボキ折りながら食い始めた。
「…なっ!お、おいっ!」
水竜様はキョトンと不思議そうに見てくる。まさか俺に止められるとは思わなかったのか口元を赤く染めたまま尋ねてきた。
『なに?』
「何って…そっちが何してんだよ!殺す気か??」
『なぜ止めるの?森の中でのやり取りは全部聞いてたけど、君がこれを庇う理由はないだろう?これは君を殺そうとしたんだろう?』
(やり取りって…どうやって?いや、どこで聞いていたんだ?)
どんどんと疑問点が出てくる。まさか針にカメラを投げつけたのってあんたなのか。混乱する俺を前に水竜様は続けた。
『尊厳の死は魂の死を意味する。君はこれを許すべきじゃない』
「わかってる…許すつもりはねえよ。ただ、許さないからって殺す事になるわけでもねえだろ」
『罰を与えるために生かしたいの?自分で手を下した方がスッキリするのに…人間って本当に理解不能。…でも、まあ、君は恩人だし聞き入れてあげるよ』
「恩?」
『さっき森を歩いている時、奴らを竜の祠から遠ざけようとしてくれただろう?ここは僕の大切な場所だ。許可なく土足で踏み入られて、しかも撮影なんてされようものなら…怒り狂って、最悪の目覚めになる所だったよ』
「なる、ほど…」
『だから恩人の君の意見は尊重してあげる。けど、僕の眠りを妨げた罪は別の話だし、ちゃんと償ってもらうよ』
「つ、償うって…どうやって…?」
『そうだな、君の血を吸わせてほしい。もしくは肉を食わせてくれないかな?どちらを選んでも死にかけるギリギリの限界の量をいただくけど、結果的に生きていられるなら問題ないよね。君は誰も死なせずにすむし、僕はお腹いっぱいになってよく眠れる。お互い希望が叶うってわけだ』
(いやいや、限界までって死ぬだろ)
俺が顔をしかめていると水竜様は池の淵に頬杖をつきながら上目遣いで見てくる。
『僕だって好き好んでこんな事を言ってるわけじゃない。でも、今の僕はちゃんとした肉体がないから、眠りにつくのにも一苦労するんだ。何か口にしないと寝れる気がしない』
「肉体がないのにどうして生きてられているんだ?ってか、あんたは今生きてるのか…?」
『うーん。生きてると言えば生きてる。竜という形ではなくなっただけでね』
「…??」
『僕はこの山で眠りについた後、長い時をかけて体を水の中へと溶け込ませた。山に流れてる水全てに僕の命が宿ってるんだ。まるで血液のように…思うままに扱うことができる。例えばほら、滝壺の中で君を殺そうとした人影や、亡霊だって騒がれていたあの濃霧も僕がやった事だ。この山は僕そのものだからね』
さらっと聞き捨てならない事を言われた気がするがそこを突っ込んでいたら話が進まない。
「じゃ、じゃあ…この山全てがあんたの体だっていうなら、竜の祠って…」
『場所的に言えば胃袋?的な場所かな?』
「ひい…」
なんて所に迷い込んだんだと身震いする。フィンが竜の祠に向けて「化物の口の中に入っていくようだ」といっていたのもあながち間違っていなかったのだ。というかほぼ正解だった。
『ね?胃袋にまで入ってきた食材を食べないなんてありえないでしょ?これでも僕は必死に理性を働かせて我慢してるんだから。こんなに頑張ってる僕に対して君はまだ我慢しろって言うの?』
ぐいぐいと問い詰められる。俺はチラリとフィンと針の姿を確認してから水竜様の方を見た。
「あんたには感謝してるが…その苦労は俺のせいじゃ…」
『君のせいじゃないけど人間のせいではあるよねえ』
「うっ」
人間のルールを押し付けたならそっちの後始末は人間のお前が背負えと。ぐうの音も出ず、ため息と共に肩を落とした。
「…あげたら大人しく寝るんだな?」
『もちろん。竜に二言はないよ』
「それを言うなら男だろ。はあ、わかったよ…やりゃいいんだろ」
『よかった。僕無理やりって好きじゃないからさ』
ぽいっと水の中から針の体を投げ捨てる。後方でぐしゃりと耳を塞ぎたくなる音がしたが、多分生きてるはずだと言い聞かせた。水竜様は水辺に腰かけてから「おいで」と手招きしてくる。
「……血の方で」
『いいよ、好きな方の手をだして』
「…」
左腕を差し出せば、脈を探すように掌で撫でさすってくる。触れるというより空気が当たっているみたいな感じで不思議な感触だった。実体がない存在なのだと再確認する。
『僕が怖い?』
「…」
『君は賢くて度胸がある子だね、気に入った。あの時殺さなくて本当によかったよ』
滝壺での事かと視線で訴えれば小さく頷いてきた。それからチラリとフィンの方を見る。
『奴への見せしめに殺してやろうと思ったんだ。君からは奴の匂いがプンプンするからさ。こうしてる今だって、本能的には殺しちゃいたいぐらい不快な匂いがするんだよ。でもね、なんでかな…、魂そのものは僕好みの色をしていて嫌いになれない』
水竜様は舌なめずりした後噛みついてくる。構えていたから声は出なかったが、じゅるじゅると啜られる不快感に、逃げだしたい衝動に駆られる。
(落ち着け、殺意は感じない…)
耐えていれば終わる。そう言い聞かせて、一分、二分と永遠にも思える時間吸われ続けた。
「うっ……」
しばらくすると目眩がしてくる。貧血か。体を縦にしていられずフラりと倒れ込めば、水竜様が心配そうに覗き込んできた。
『大丈夫?死んだ?』
「…は、はあ…生きてる…てか、あんた、その、姿…」
『ああ、血を飲んでたら形がぶれちゃったね』
水竜様は苦笑しながら自分の体を見下ろす。先ほどまで子供の姿だった水竜様は青年の姿へと変わっていた。俺か、それより大きいかぐらいの背丈だ。
『人前に出る時は怖がられないように子供の姿でいるようにしてるんだけど、興奮するとつい調整が狂っちゃう』
「…」
『…僕が怖いかい?』
頬を撫でられる。何度も「怖いか」と尋ねる水竜様の青い瞳には恐怖の色が映っているように見えた。
(なんでこんなに…怯えてるんだ)
グレイの話だと竜は最強の存在で、恐れるものなんて何もないはずだ。しかし目の前の水竜様は俺を見下ろし怯えるように青い瞳を揺らしている。もしかしたら…俺に拒絶されるのを恐れてるのだろうか。幻獣から恐れられ、人間には崇められ、森の生き物全てからは避けられて。
(寂しいよな…)
普段は眠っているといっても今みたいに目を覚ませばありありと孤独感に苛まれるわけで。フィンの行きつく先はここなのかと思うと、どうしても他人事には思えなかった。
すっ
頬を撫でる手に自分の掌を重ねた。ほとんど感触のない冷気のような手だったが、それを握りしめる。少しでもこの瞬間の孤独が和らぎますようにと願いを込めて。
「…怖くねえよ」
『本当?』
「ああ、やる事成す事…存在すらぶっ飛んでるけど、悪意は感じねえしな」
『そう…』
上から覗き込む水竜様は困ったような顔をして笑った。
『君は…こんなにも嫌な匂いをしてるのに、愛おしいね…』
「は?んっ、おい、何して…」
『本当に憎たらしいったらないよ』
するりと冷気が服の中に入り込んでくる。違う。水竜様の手が腹を撫でてきたんだ。嫌な予感がして、仰向けのまま肘をついて下がろうとする。
『どこ行くのさ』
腰を掴まれて池に引きずり込まれた。共に腰まで水に浸かったところで見つめ合う。
「な、何すんだよ。もう血はあげただろ?」
『うん、だから僕の眠りを妨げた罰は終わり。死にかけの二人も外に逃がしてあげる。でも、君は別だ。君はここに残ってもらう』
「はあ?!」
君を家に帰してあげるとは約束してないよ、と目を細めてくる。とっさに池から出ようと足に力を込めれば、貧血でふらりと倒れ込んだ。水に落ちる前に水竜様が抱えてよしよしと頭を撫でてくる。
『ほら、血が足りないんだから横になってないと』
「う、くそっ…」
『まだ動けるならもう少しだけ吸わせて?殺さないように気を付けるから』
「いっ、も、無理だって…っ!」
すでに貧血で頭痛と吐き気がすごいのに、これ以上は意識を保てない。水竜様の頭を押し返そうと掌に力を込めるが
すかっ
煙のように体が透けてしまう。
「なっ…?!おいっ!ずる、い…ぞ!」
そっちは触れられて、こっちは触れられないなんてフェアじゃない。キッと睨みつければ水竜様は血を啜りながら笑った。
『はは、竜と人間がフェアなわけないだろ』
「!!」
『大丈夫。万が一死んじゃっても、僕の腹の中で君はずっと生きられる。君の魂が自然に帰れないのは可哀想だけど、僕が一緒にいるからいいよね』
とんでもなく恐ろしい台詞を優しく囁いてくる。なんだこいつは。前言撤回。やっぱり恐ろしい存在だと思い直すが、今更恐怖した所で体は満足に動かず意識も落ちかけている。
(くそっ…)
青い瞳に魅入られながら目を瞑る、その時だった。
『チッ』
水竜様が苛立ちを隠さずに横を向く。視線の先にはフィンが立っていた。青白い顔をして今にも倒れそうだが、その体からはユラユラと炎が溢れている。
(あれ…)
いつもの赤い炎ではなく透明に近い炎だった。蜃気楼のように向こう側の景色が歪んで見える。
「ライから…離れろ…」
瞳孔が開いたままの状態で、完全にイカれていた。水竜様は失笑しながら俺の体を抱き上げる。そのまま池の中へ引きずり込もうとした。フィンが慌てて駆け寄る。
「ライ…!!」
『この子は僕のだ。死にかけのお前はさっさと逃げ帰りな…、っ!』
フィンは迷うことなく、俺を抱いた水竜様へと炎を向けた。もちろん俺には熱を感じない炎だったが、霧でできた水竜様の体は炎によって一瞬で気化し、消し飛んだ。
「うわっ…!」
支えをなくした俺の体をフィンがキャッチした。熱いほどの体温の腕に抱かれて見つめ合う。
「フィン…!」
「はあ、はあ…ライ、なんて場所に、迷い込んでるんだ…!さっきいじめた、腹いせ、なのか??」
「おっ俺のせいじゃっ、っ…!」
青白い顔をしたフィンが信じられないと睨みつけてくる。俺を睨みつけるなんて相当余裕がないらしいが、俺も説明できるほどの体力はなかった。
(やべえ…血失いすぎた…)
眩暈に襲われた後、フィンの腕の中に落ちて動けなくなる。
『お前はイカれてる、信じられないよ、まったく』
池の中から再び顔をだした水竜様が恨めしそうにこちらを見ていた。体を消し飛ばされても本体は山の水全てなのだからかすり傷にすらなってないのだろう。フィンがそちらに構えると、水竜様は首を横に振った。
『本来、ここに踏み込んだ幻獣は皆例外なく正気を失うんだよ。竜である僕の腹の中に飲み込まれてるんだし当然の事だけど。…ねえ、お前はどうして立っていられるんだ?平気そうな顔をしてるけど、正気を失ったり取り戻したりを繰り返してるんじゃないか?』
(え?!)
フィンの横顔を見た。確かにフィンは青白い顔のまま脂汗を流していて酷く辛そうに見えた。ずっと何かに耐えるように眉間に深いシワを刻んでいるし。俺の不安を感じ取ったのか、フィンが微笑みかけてくる。痛々しい笑みだった。もし声を発せられたら、腕を動かせたら…その頬に触れて「無理するな」と伝えられるのに。凍り付いたみたいに動かせない体が憎かった。
『お前のその吐き気がするような頑張りは、その子の為?ははっ笑えるね。大爆笑だよ。幻獣のお前が人間の真似事だなんて。幻獣が落ちぶれていくのを見るのは本当に悲しい、悲しい事だなあ』
「…私とライの話に、お前は関係ないだろう」
『僕の腹の中で抱き合っておいて関係ないは酷くない?はー…最近の幻獣は生意気で図々しいなあ』
二人の会話がどんどん遠くなっていく。まるで水の中から聞いてるみたいにくぐもっていた。意識もぼんやりしてくる。
(寒い…)
全身が寒くて寒くて仕方なかった。フィンの腕が触れてる部分だけが暖かくて、そこ以外は氷をあてられてるかのように冷え切っている。
「ライ…?!ライ!!」
『あらら、血を飲みすぎちゃったか』
二人が覗き込んできた。ぼんやりとそれを眺めていると、水竜様の手が頬に触れてくる。ひんやりと冷たい感触に不快感を感じていると、俺の代わりにフィンが手で払いのけた。触るな、と水竜様に威嚇する。
「ライから離れろ」
『いいの?僕が生気を吹き込まないとこの子死んじゃうよ』
「…っ」
『はは、良い事考えた。お前、ここで正座してて。僕が生気をあげる間ジッとしてられたら外に全員逃がしてあげてもいいよ』
「何を言って…」
『早く決めないとこの子が死んじゃうよ』
フィンは悔しそうに歯噛みした後、俺を地面に寝かせてすぐ横で正座の姿勢をとった。水竜様は勝ち誇ったように笑みを浮かべて、俺に視線を戻してくる。
『口を開けてごらん』
そう言われても動かせる部位は一つもない。ボーっと見つめてると、両手で顔を包まれ…唇に冷たい感触が重なる。水竜様の唇だと思うが冷水のように冷たくて、息をする度肺まで凍り付きそうな冷気が入り込んでくる。
「うぅ…ンン……ふっ、ん…ん??」
しかもしれっと舌まで入れてきてるし、顔をしかめれるぐらいに意識が戻ってきた頃やっと水竜様は離れていった。
『ついでにおまけも入れといたよ。これは恩返しの方ね』
「…な、に…言って」
口を拭いながら体を起こす。嘘みたいだが、先程までの重い貧血の症状は消えていた。生気を入れるというのはこんなに効果があるのかと驚く。
「…そろそろ、いいか」
フィンがジト目でこちらを見ていた。正座のままで、拳を強く握りしめすぎて掌から血を流した状態だった。俺が目の前でキスされてたんだからそうなるのも仕方ないが、ある意味世界で一番恐ろしい幻獣がそこにいた。
『はは、うん、もういいよ。お前のその顔が見られて僕は大満足だから、あははは!…おっと』
笑い転げる水竜様をフィンの炎が覆って爆発させる。しかし次の瞬間、池からまた水竜様が顔を出した。それもまたすぐに炎で消し飛ばされたが、水竜様は池の中に入ったまま歯を見せて笑った。今やっと気づいたがあの笑い方は笑顔の意味ではなく威嚇の方だったらしい。しっしっと水竜様は手を払ってくる。
『ほら、もう帰りなよ。そのゴミもちゃんと持って帰ってね』
ゴミと言われた針を目で追って
(そうだった、アイツも連れて帰らねえと…)
重い体を引きずるようにして立ち上がった。傍に行って確認すると、腕と足が一本ずつ折れてるが生きてはいるらしい。肩に腕を回して抱えた後、どこへ向かえばいいのかと周囲を見回す。
『あっちだよ。迎えが来てる』
目の前に現れた水竜様が指差してくる。蝋燭の並べられてる壁面に通路のような穴が開いていた。俺が礼を言おうとするとフィンの炎が水竜様を消し飛ばしてしまう。
「ライ、一刻も早く出よう。これ以上ここにいたら…本当に気が狂いそうだ」
急かしてくるフィンに連れられて通路へ向かった。チラリと振り向けばひらひらと水竜様が手を振ってくる。
『またね、ライ』
水竜様は欠伸を噛み殺しながら池の中に沈んでいった。寂しさを感じる事のない優しい微睡の中に戻ったらしい。
(何がまたねだ)
もうしばらくは目を覚ますなよと心の中で呟いて針の体を抱え直した。フィンの方に向き直る。静かに頷き合った後、針の体を引きずって二人で竜の祠を後にした。
***
「あー!ライ!フィンも!どこに行ってたのヨ~~!!」
竜の祠から通路を進むと、昼間に雨宿りをした洞穴の入り口にたどり着いた。グレイと陸郎、そして吾郎の三人が並んで待っている。
「迎えってグレイ達だったのか…」
「何の話?てかなんで竜の祠から出てくるのヨ??フィン、あんた大丈夫??酒で潰れた時より酷い顔してるワヨ」
大丈夫なわけがない、と首を振るフィン。竜の祠にいる時よりは顔色が回復しているがまだこの位置でも苦しいらしい。そりゃそうか。この山全体に水竜様の気配はある。やけにフィンは嫌われていたし下山しない限り不快感は拭えないだろう。
「で、ライが抱えてる子が例の迷惑ボーイズの一人?」
「ああ、配信者の、主犯だ」
「やっぱりライ達がボーイズを捕まえてくれたのネ。花火が急に上がったと思えば待機場所には誰もいないし…焦ったんダカラ」
「ごめん…色々あって」
「ふふ、そうみたいネ。後で聞かせてチョーダイ。ひとまず、このボロボロくんも他の子達と並べちゃいまショ」
「他の子達?」
グレイに連れられ洞穴の外に出て確認すると、針の仲間たち三人(カメラマンだけいない)が腕を縛られた状態で転がされていた。
「助けて…くれ…殺される…」
「亡霊が…亡霊…」
「ひいい…死にたくない…」
うわ言のように三人とも「亡霊」と呟いている。湖で見失ったはずのコイツらがどうしてこんな場所に“揃って”寝かされているのか。不思議に思っていると
ドスンっ
森の暗がりから何かが着地するような音がした。
ズル…ズル…
重いものを引きずる音と共に、刺すような銀色の光が二つ現れた。それから見慣れた姿が暗がりから顔をだす。思った通り、狼の耳と尻尾を生やしたソルだった。
「ソル!よかった…無事だったのか…!」
「チッ」
ソルは舌打ちしつつも俺の言葉に尻尾をユラユラと揺らした。戻ってきてくれたことにホッとしているとフィンが俺達の前に出た。
「狼男、私達とは一緒にいられないのではなかったか」
まるで森に帰れと言わんばかりの態度にソルは顔をしかめる。
「はっ!今回くそ役立たずだった癖によく吠えやがるぜ!恥ずかしい奴だなあ?!」
そういうソルの手にはカメラマンの男が抱えられていた。これで四人+針で全員捕まえられたという事になる。
(…ソルがコイツらを回収してくれたのか?)
意外だった。森に姿を消したはずのソルが俺たちに協力してくれるとは思わなかった。フィンが言っていた通りずっと森の中で俺達を見ていたという事だろうか。だとしても俺達に協力するのはどんな心境の変化だ。フィンも驚いているのか男達を見た後ソルの方に視線を戻した。
「お前が…この者達を捕らえたのか…?」
「ああそうだぜ。てめえと違ってオレは、ライが必死に体張ってる間もおねんねできるほど図太くはできてねえからなあ~」
「??」
「おいソル…っ!!!」
慌てる俺に対してソルは男を抱えてる方とは逆の手でカメラを掲げてきた。これ見よがしに針達の撮影用のカメラを見せつけてくる。それは先程針の顔面にめり込んだカメラで…。
(まさか…!)
俺の視線に応えるようにソルは舌を出した後、ぽいっと投げつけるモーションをする。やっぱりそうだ。あまりにもタイミングが良すぎると思ったが、針にレイプ(未遂)された時カメラを投げつけて助けたのはソルだったのだ。
(…いや!見てたならもっと早く止めろよ!)
助けられた感謝が吹き飛ぶ程の怒りに思わず睨みつける。ソルがケラケラと笑った。
「いや~もうちょっと見たいな~っと欲が」
「おまっっ…!!」
俺が苦しんでるのを楽しく観賞していたと。なかなかいい性格をしている。とりあえず後で殴る。そう心に決めたところで横にいたフィンが意味がわからないと首を振った。
「待ってくれ…どういうことだ、ライに一体何があったというんだ?!」
「あ、後で話す!!(今は言いたくねえっ)」
「……ライ」
尋問されたいのかと無言の圧を送ってくる。ひいっと震えつつ、こちらとしても陸郎達に聞かれるのを避けたいわけで。互いに沈黙していると
「えーっと?とりあえず、迷惑ボーイズはこれで全員捕まえられたって事でいいのヨネ?」
不穏な雰囲気を察知したグレイが口を挟んでくる。皆の視線が散らばった事でホッと胸を撫で下ろした。
「そのようですな。見た限り彼らは命に別状はなさそうですし、一度旅館に戻りましょうか」
グレイの横にいた吾郎が針達を一瞥して続ける。
「積もる話はまた明日、皆さんの目が覚めてからにしましょう」
そういって寝たきりの針の体を陸郎と共に抱えた。針の仲間達も抵抗する事なく吾郎の後についていく。俺とグレイ、それからフィンとソルも続いた。
これでやっと、長くて暗い滝ツアーから俺達は帰還するのだった。
「う…ケホッ、…あ、…?」
気が付くと俺は鍾乳洞のような空間に横たわっていた。天井に並ぶ白い柱からは常に水が落ちてきてピチョンピチョンと音が響いている。
「ゲホッ、ゲホッ…、むせ、すぎ、て、ケホッ、いっ、てえ…」
呻きつつ横たわっていた浅い池から這い出た。地面にはいくつもの池があり、湖とおなじ乳白色の水が溜まっていた。
「てか、洞窟の中なのに…明るいな」
鍾乳洞の壁面に蝋燭の火が置かれていて、ギリギリ見通せるほどの明るさを保っていた。定期的に置かれた蝋燭は人の手で置かれたものだとすぐにわかる。
「ここは…一体…」
『竜の祠だよ』
「?!」
返ってくるはずのない返答に飛び上がる。横を向けば、池の中から白い人影…ではなく輪郭のハッキリとした子供が現れた。原色に近い青色の髪と瞳を持つ、人間離れした見た目をした子供だった。池から半身を覗かせて無表情のまま語りかけてくる。
『やあ、誰かと話をするなんて久しぶりだ。ようこそ竜の祠へ。寛ぐ…のは難しいと思うけどゆっくりしていってね』
「……あ、あんたは…誰だ」
『僕は水竜様と呼ばれてる存在さ。別にこの山を守った覚えもなければ崇められる覚えもないんだけど、その名前で呼んでもらうのが一番手っ取り早いからそれでいいよ』
「!!!」
(この子供が水竜様だと?)
信じられない。信じられない…が山奥のしかも鍾乳洞の中に子供が迷い込むとは思えない。何よりも思念で語り掛けてくるのが人でない一番の証拠だ。
『察しがいいね。賢い君に一つ選ばせてあげよう』
池に半身を埋めていた水竜様が両手を上げた。その手にはそれぞれ人間が抱えられていて、右手にはフィン、左手には針がぶら下がっている。どちらも意識がない。サアっと血の気が引いた。
『君はどっちがほしい?白金の男?それともこっちの』
「フィン…!フィンを返してくれ…!」
からかうように言われたのを遮って指さした。水竜様は歯を見せて笑った後、ぽいっと俺の方にフィンを投げた。
「わ!っとと…!」
後ろに倒れ込みながら受け止める。自分の倍はある体を軽々と放り投げるなんてと驚きつつフィンの顔を覗き込んだ。
「フィン!フィン…!よかった、生きてるな…」
脈も呼吸もある。意識はまだ戻らなそうだがまた会えたことに胸が熱くなった。ぎゅっと抱きしめる。
『生きてるも何も、奴は不死身の体だろ?僕の嫌いな匂いがするからイジメてやったけど、もう充分苦しめたから満足さ。持って帰っていいよ』
食べたところで絶対腹を壊すしね、と笑いながら付け足してくる。そんな子供のようにあどけない笑顔を浮かべていた水竜様だったが、次の瞬間、左手に持っていた針の体をボキボキ折りながら食い始めた。
「…なっ!お、おいっ!」
水竜様はキョトンと不思議そうに見てくる。まさか俺に止められるとは思わなかったのか口元を赤く染めたまま尋ねてきた。
『なに?』
「何って…そっちが何してんだよ!殺す気か??」
『なぜ止めるの?森の中でのやり取りは全部聞いてたけど、君がこれを庇う理由はないだろう?これは君を殺そうとしたんだろう?』
(やり取りって…どうやって?いや、どこで聞いていたんだ?)
どんどんと疑問点が出てくる。まさか針にカメラを投げつけたのってあんたなのか。混乱する俺を前に水竜様は続けた。
『尊厳の死は魂の死を意味する。君はこれを許すべきじゃない』
「わかってる…許すつもりはねえよ。ただ、許さないからって殺す事になるわけでもねえだろ」
『罰を与えるために生かしたいの?自分で手を下した方がスッキリするのに…人間って本当に理解不能。…でも、まあ、君は恩人だし聞き入れてあげるよ』
「恩?」
『さっき森を歩いている時、奴らを竜の祠から遠ざけようとしてくれただろう?ここは僕の大切な場所だ。許可なく土足で踏み入られて、しかも撮影なんてされようものなら…怒り狂って、最悪の目覚めになる所だったよ』
「なる、ほど…」
『だから恩人の君の意見は尊重してあげる。けど、僕の眠りを妨げた罪は別の話だし、ちゃんと償ってもらうよ』
「つ、償うって…どうやって…?」
『そうだな、君の血を吸わせてほしい。もしくは肉を食わせてくれないかな?どちらを選んでも死にかけるギリギリの限界の量をいただくけど、結果的に生きていられるなら問題ないよね。君は誰も死なせずにすむし、僕はお腹いっぱいになってよく眠れる。お互い希望が叶うってわけだ』
(いやいや、限界までって死ぬだろ)
俺が顔をしかめていると水竜様は池の淵に頬杖をつきながら上目遣いで見てくる。
『僕だって好き好んでこんな事を言ってるわけじゃない。でも、今の僕はちゃんとした肉体がないから、眠りにつくのにも一苦労するんだ。何か口にしないと寝れる気がしない』
「肉体がないのにどうして生きてられているんだ?ってか、あんたは今生きてるのか…?」
『うーん。生きてると言えば生きてる。竜という形ではなくなっただけでね』
「…??」
『僕はこの山で眠りについた後、長い時をかけて体を水の中へと溶け込ませた。山に流れてる水全てに僕の命が宿ってるんだ。まるで血液のように…思うままに扱うことができる。例えばほら、滝壺の中で君を殺そうとした人影や、亡霊だって騒がれていたあの濃霧も僕がやった事だ。この山は僕そのものだからね』
さらっと聞き捨てならない事を言われた気がするがそこを突っ込んでいたら話が進まない。
「じゃ、じゃあ…この山全てがあんたの体だっていうなら、竜の祠って…」
『場所的に言えば胃袋?的な場所かな?』
「ひい…」
なんて所に迷い込んだんだと身震いする。フィンが竜の祠に向けて「化物の口の中に入っていくようだ」といっていたのもあながち間違っていなかったのだ。というかほぼ正解だった。
『ね?胃袋にまで入ってきた食材を食べないなんてありえないでしょ?これでも僕は必死に理性を働かせて我慢してるんだから。こんなに頑張ってる僕に対して君はまだ我慢しろって言うの?』
ぐいぐいと問い詰められる。俺はチラリとフィンと針の姿を確認してから水竜様の方を見た。
「あんたには感謝してるが…その苦労は俺のせいじゃ…」
『君のせいじゃないけど人間のせいではあるよねえ』
「うっ」
人間のルールを押し付けたならそっちの後始末は人間のお前が背負えと。ぐうの音も出ず、ため息と共に肩を落とした。
「…あげたら大人しく寝るんだな?」
『もちろん。竜に二言はないよ』
「それを言うなら男だろ。はあ、わかったよ…やりゃいいんだろ」
『よかった。僕無理やりって好きじゃないからさ』
ぽいっと水の中から針の体を投げ捨てる。後方でぐしゃりと耳を塞ぎたくなる音がしたが、多分生きてるはずだと言い聞かせた。水竜様は水辺に腰かけてから「おいで」と手招きしてくる。
「……血の方で」
『いいよ、好きな方の手をだして』
「…」
左腕を差し出せば、脈を探すように掌で撫でさすってくる。触れるというより空気が当たっているみたいな感じで不思議な感触だった。実体がない存在なのだと再確認する。
『僕が怖い?』
「…」
『君は賢くて度胸がある子だね、気に入った。あの時殺さなくて本当によかったよ』
滝壺での事かと視線で訴えれば小さく頷いてきた。それからチラリとフィンの方を見る。
『奴への見せしめに殺してやろうと思ったんだ。君からは奴の匂いがプンプンするからさ。こうしてる今だって、本能的には殺しちゃいたいぐらい不快な匂いがするんだよ。でもね、なんでかな…、魂そのものは僕好みの色をしていて嫌いになれない』
水竜様は舌なめずりした後噛みついてくる。構えていたから声は出なかったが、じゅるじゅると啜られる不快感に、逃げだしたい衝動に駆られる。
(落ち着け、殺意は感じない…)
耐えていれば終わる。そう言い聞かせて、一分、二分と永遠にも思える時間吸われ続けた。
「うっ……」
しばらくすると目眩がしてくる。貧血か。体を縦にしていられずフラりと倒れ込めば、水竜様が心配そうに覗き込んできた。
『大丈夫?死んだ?』
「…は、はあ…生きてる…てか、あんた、その、姿…」
『ああ、血を飲んでたら形がぶれちゃったね』
水竜様は苦笑しながら自分の体を見下ろす。先ほどまで子供の姿だった水竜様は青年の姿へと変わっていた。俺か、それより大きいかぐらいの背丈だ。
『人前に出る時は怖がられないように子供の姿でいるようにしてるんだけど、興奮するとつい調整が狂っちゃう』
「…」
『…僕が怖いかい?』
頬を撫でられる。何度も「怖いか」と尋ねる水竜様の青い瞳には恐怖の色が映っているように見えた。
(なんでこんなに…怯えてるんだ)
グレイの話だと竜は最強の存在で、恐れるものなんて何もないはずだ。しかし目の前の水竜様は俺を見下ろし怯えるように青い瞳を揺らしている。もしかしたら…俺に拒絶されるのを恐れてるのだろうか。幻獣から恐れられ、人間には崇められ、森の生き物全てからは避けられて。
(寂しいよな…)
普段は眠っているといっても今みたいに目を覚ませばありありと孤独感に苛まれるわけで。フィンの行きつく先はここなのかと思うと、どうしても他人事には思えなかった。
すっ
頬を撫でる手に自分の掌を重ねた。ほとんど感触のない冷気のような手だったが、それを握りしめる。少しでもこの瞬間の孤独が和らぎますようにと願いを込めて。
「…怖くねえよ」
『本当?』
「ああ、やる事成す事…存在すらぶっ飛んでるけど、悪意は感じねえしな」
『そう…』
上から覗き込む水竜様は困ったような顔をして笑った。
『君は…こんなにも嫌な匂いをしてるのに、愛おしいね…』
「は?んっ、おい、何して…」
『本当に憎たらしいったらないよ』
するりと冷気が服の中に入り込んでくる。違う。水竜様の手が腹を撫でてきたんだ。嫌な予感がして、仰向けのまま肘をついて下がろうとする。
『どこ行くのさ』
腰を掴まれて池に引きずり込まれた。共に腰まで水に浸かったところで見つめ合う。
「な、何すんだよ。もう血はあげただろ?」
『うん、だから僕の眠りを妨げた罰は終わり。死にかけの二人も外に逃がしてあげる。でも、君は別だ。君はここに残ってもらう』
「はあ?!」
君を家に帰してあげるとは約束してないよ、と目を細めてくる。とっさに池から出ようと足に力を込めれば、貧血でふらりと倒れ込んだ。水に落ちる前に水竜様が抱えてよしよしと頭を撫でてくる。
『ほら、血が足りないんだから横になってないと』
「う、くそっ…」
『まだ動けるならもう少しだけ吸わせて?殺さないように気を付けるから』
「いっ、も、無理だって…っ!」
すでに貧血で頭痛と吐き気がすごいのに、これ以上は意識を保てない。水竜様の頭を押し返そうと掌に力を込めるが
すかっ
煙のように体が透けてしまう。
「なっ…?!おいっ!ずる、い…ぞ!」
そっちは触れられて、こっちは触れられないなんてフェアじゃない。キッと睨みつければ水竜様は血を啜りながら笑った。
『はは、竜と人間がフェアなわけないだろ』
「!!」
『大丈夫。万が一死んじゃっても、僕の腹の中で君はずっと生きられる。君の魂が自然に帰れないのは可哀想だけど、僕が一緒にいるからいいよね』
とんでもなく恐ろしい台詞を優しく囁いてくる。なんだこいつは。前言撤回。やっぱり恐ろしい存在だと思い直すが、今更恐怖した所で体は満足に動かず意識も落ちかけている。
(くそっ…)
青い瞳に魅入られながら目を瞑る、その時だった。
『チッ』
水竜様が苛立ちを隠さずに横を向く。視線の先にはフィンが立っていた。青白い顔をして今にも倒れそうだが、その体からはユラユラと炎が溢れている。
(あれ…)
いつもの赤い炎ではなく透明に近い炎だった。蜃気楼のように向こう側の景色が歪んで見える。
「ライから…離れろ…」
瞳孔が開いたままの状態で、完全にイカれていた。水竜様は失笑しながら俺の体を抱き上げる。そのまま池の中へ引きずり込もうとした。フィンが慌てて駆け寄る。
「ライ…!!」
『この子は僕のだ。死にかけのお前はさっさと逃げ帰りな…、っ!』
フィンは迷うことなく、俺を抱いた水竜様へと炎を向けた。もちろん俺には熱を感じない炎だったが、霧でできた水竜様の体は炎によって一瞬で気化し、消し飛んだ。
「うわっ…!」
支えをなくした俺の体をフィンがキャッチした。熱いほどの体温の腕に抱かれて見つめ合う。
「フィン…!」
「はあ、はあ…ライ、なんて場所に、迷い込んでるんだ…!さっきいじめた、腹いせ、なのか??」
「おっ俺のせいじゃっ、っ…!」
青白い顔をしたフィンが信じられないと睨みつけてくる。俺を睨みつけるなんて相当余裕がないらしいが、俺も説明できるほどの体力はなかった。
(やべえ…血失いすぎた…)
眩暈に襲われた後、フィンの腕の中に落ちて動けなくなる。
『お前はイカれてる、信じられないよ、まったく』
池の中から再び顔をだした水竜様が恨めしそうにこちらを見ていた。体を消し飛ばされても本体は山の水全てなのだからかすり傷にすらなってないのだろう。フィンがそちらに構えると、水竜様は首を横に振った。
『本来、ここに踏み込んだ幻獣は皆例外なく正気を失うんだよ。竜である僕の腹の中に飲み込まれてるんだし当然の事だけど。…ねえ、お前はどうして立っていられるんだ?平気そうな顔をしてるけど、正気を失ったり取り戻したりを繰り返してるんじゃないか?』
(え?!)
フィンの横顔を見た。確かにフィンは青白い顔のまま脂汗を流していて酷く辛そうに見えた。ずっと何かに耐えるように眉間に深いシワを刻んでいるし。俺の不安を感じ取ったのか、フィンが微笑みかけてくる。痛々しい笑みだった。もし声を発せられたら、腕を動かせたら…その頬に触れて「無理するな」と伝えられるのに。凍り付いたみたいに動かせない体が憎かった。
『お前のその吐き気がするような頑張りは、その子の為?ははっ笑えるね。大爆笑だよ。幻獣のお前が人間の真似事だなんて。幻獣が落ちぶれていくのを見るのは本当に悲しい、悲しい事だなあ』
「…私とライの話に、お前は関係ないだろう」
『僕の腹の中で抱き合っておいて関係ないは酷くない?はー…最近の幻獣は生意気で図々しいなあ』
二人の会話がどんどん遠くなっていく。まるで水の中から聞いてるみたいにくぐもっていた。意識もぼんやりしてくる。
(寒い…)
全身が寒くて寒くて仕方なかった。フィンの腕が触れてる部分だけが暖かくて、そこ以外は氷をあてられてるかのように冷え切っている。
「ライ…?!ライ!!」
『あらら、血を飲みすぎちゃったか』
二人が覗き込んできた。ぼんやりとそれを眺めていると、水竜様の手が頬に触れてくる。ひんやりと冷たい感触に不快感を感じていると、俺の代わりにフィンが手で払いのけた。触るな、と水竜様に威嚇する。
「ライから離れろ」
『いいの?僕が生気を吹き込まないとこの子死んじゃうよ』
「…っ」
『はは、良い事考えた。お前、ここで正座してて。僕が生気をあげる間ジッとしてられたら外に全員逃がしてあげてもいいよ』
「何を言って…」
『早く決めないとこの子が死んじゃうよ』
フィンは悔しそうに歯噛みした後、俺を地面に寝かせてすぐ横で正座の姿勢をとった。水竜様は勝ち誇ったように笑みを浮かべて、俺に視線を戻してくる。
『口を開けてごらん』
そう言われても動かせる部位は一つもない。ボーっと見つめてると、両手で顔を包まれ…唇に冷たい感触が重なる。水竜様の唇だと思うが冷水のように冷たくて、息をする度肺まで凍り付きそうな冷気が入り込んでくる。
「うぅ…ンン……ふっ、ん…ん??」
しかもしれっと舌まで入れてきてるし、顔をしかめれるぐらいに意識が戻ってきた頃やっと水竜様は離れていった。
『ついでにおまけも入れといたよ。これは恩返しの方ね』
「…な、に…言って」
口を拭いながら体を起こす。嘘みたいだが、先程までの重い貧血の症状は消えていた。生気を入れるというのはこんなに効果があるのかと驚く。
「…そろそろ、いいか」
フィンがジト目でこちらを見ていた。正座のままで、拳を強く握りしめすぎて掌から血を流した状態だった。俺が目の前でキスされてたんだからそうなるのも仕方ないが、ある意味世界で一番恐ろしい幻獣がそこにいた。
『はは、うん、もういいよ。お前のその顔が見られて僕は大満足だから、あははは!…おっと』
笑い転げる水竜様をフィンの炎が覆って爆発させる。しかし次の瞬間、池からまた水竜様が顔を出した。それもまたすぐに炎で消し飛ばされたが、水竜様は池の中に入ったまま歯を見せて笑った。今やっと気づいたがあの笑い方は笑顔の意味ではなく威嚇の方だったらしい。しっしっと水竜様は手を払ってくる。
『ほら、もう帰りなよ。そのゴミもちゃんと持って帰ってね』
ゴミと言われた針を目で追って
(そうだった、アイツも連れて帰らねえと…)
重い体を引きずるようにして立ち上がった。傍に行って確認すると、腕と足が一本ずつ折れてるが生きてはいるらしい。肩に腕を回して抱えた後、どこへ向かえばいいのかと周囲を見回す。
『あっちだよ。迎えが来てる』
目の前に現れた水竜様が指差してくる。蝋燭の並べられてる壁面に通路のような穴が開いていた。俺が礼を言おうとするとフィンの炎が水竜様を消し飛ばしてしまう。
「ライ、一刻も早く出よう。これ以上ここにいたら…本当に気が狂いそうだ」
急かしてくるフィンに連れられて通路へ向かった。チラリと振り向けばひらひらと水竜様が手を振ってくる。
『またね、ライ』
水竜様は欠伸を噛み殺しながら池の中に沈んでいった。寂しさを感じる事のない優しい微睡の中に戻ったらしい。
(何がまたねだ)
もうしばらくは目を覚ますなよと心の中で呟いて針の体を抱え直した。フィンの方に向き直る。静かに頷き合った後、針の体を引きずって二人で竜の祠を後にした。
***
「あー!ライ!フィンも!どこに行ってたのヨ~~!!」
竜の祠から通路を進むと、昼間に雨宿りをした洞穴の入り口にたどり着いた。グレイと陸郎、そして吾郎の三人が並んで待っている。
「迎えってグレイ達だったのか…」
「何の話?てかなんで竜の祠から出てくるのヨ??フィン、あんた大丈夫??酒で潰れた時より酷い顔してるワヨ」
大丈夫なわけがない、と首を振るフィン。竜の祠にいる時よりは顔色が回復しているがまだこの位置でも苦しいらしい。そりゃそうか。この山全体に水竜様の気配はある。やけにフィンは嫌われていたし下山しない限り不快感は拭えないだろう。
「で、ライが抱えてる子が例の迷惑ボーイズの一人?」
「ああ、配信者の、主犯だ」
「やっぱりライ達がボーイズを捕まえてくれたのネ。花火が急に上がったと思えば待機場所には誰もいないし…焦ったんダカラ」
「ごめん…色々あって」
「ふふ、そうみたいネ。後で聞かせてチョーダイ。ひとまず、このボロボロくんも他の子達と並べちゃいまショ」
「他の子達?」
グレイに連れられ洞穴の外に出て確認すると、針の仲間たち三人(カメラマンだけいない)が腕を縛られた状態で転がされていた。
「助けて…くれ…殺される…」
「亡霊が…亡霊…」
「ひいい…死にたくない…」
うわ言のように三人とも「亡霊」と呟いている。湖で見失ったはずのコイツらがどうしてこんな場所に“揃って”寝かされているのか。不思議に思っていると
ドスンっ
森の暗がりから何かが着地するような音がした。
ズル…ズル…
重いものを引きずる音と共に、刺すような銀色の光が二つ現れた。それから見慣れた姿が暗がりから顔をだす。思った通り、狼の耳と尻尾を生やしたソルだった。
「ソル!よかった…無事だったのか…!」
「チッ」
ソルは舌打ちしつつも俺の言葉に尻尾をユラユラと揺らした。戻ってきてくれたことにホッとしているとフィンが俺達の前に出た。
「狼男、私達とは一緒にいられないのではなかったか」
まるで森に帰れと言わんばかりの態度にソルは顔をしかめる。
「はっ!今回くそ役立たずだった癖によく吠えやがるぜ!恥ずかしい奴だなあ?!」
そういうソルの手にはカメラマンの男が抱えられていた。これで四人+針で全員捕まえられたという事になる。
(…ソルがコイツらを回収してくれたのか?)
意外だった。森に姿を消したはずのソルが俺たちに協力してくれるとは思わなかった。フィンが言っていた通りずっと森の中で俺達を見ていたという事だろうか。だとしても俺達に協力するのはどんな心境の変化だ。フィンも驚いているのか男達を見た後ソルの方に視線を戻した。
「お前が…この者達を捕らえたのか…?」
「ああそうだぜ。てめえと違ってオレは、ライが必死に体張ってる間もおねんねできるほど図太くはできてねえからなあ~」
「??」
「おいソル…っ!!!」
慌てる俺に対してソルは男を抱えてる方とは逆の手でカメラを掲げてきた。これ見よがしに針達の撮影用のカメラを見せつけてくる。それは先程針の顔面にめり込んだカメラで…。
(まさか…!)
俺の視線に応えるようにソルは舌を出した後、ぽいっと投げつけるモーションをする。やっぱりそうだ。あまりにもタイミングが良すぎると思ったが、針にレイプ(未遂)された時カメラを投げつけて助けたのはソルだったのだ。
(…いや!見てたならもっと早く止めろよ!)
助けられた感謝が吹き飛ぶ程の怒りに思わず睨みつける。ソルがケラケラと笑った。
「いや~もうちょっと見たいな~っと欲が」
「おまっっ…!!」
俺が苦しんでるのを楽しく観賞していたと。なかなかいい性格をしている。とりあえず後で殴る。そう心に決めたところで横にいたフィンが意味がわからないと首を振った。
「待ってくれ…どういうことだ、ライに一体何があったというんだ?!」
「あ、後で話す!!(今は言いたくねえっ)」
「……ライ」
尋問されたいのかと無言の圧を送ってくる。ひいっと震えつつ、こちらとしても陸郎達に聞かれるのを避けたいわけで。互いに沈黙していると
「えーっと?とりあえず、迷惑ボーイズはこれで全員捕まえられたって事でいいのヨネ?」
不穏な雰囲気を察知したグレイが口を挟んでくる。皆の視線が散らばった事でホッと胸を撫で下ろした。
「そのようですな。見た限り彼らは命に別状はなさそうですし、一度旅館に戻りましょうか」
グレイの横にいた吾郎が針達を一瞥して続ける。
「積もる話はまた明日、皆さんの目が覚めてからにしましょう」
そういって寝たきりの針の体を陸郎と共に抱えた。針の仲間達も抵抗する事なく吾郎の後についていく。俺とグレイ、それからフィンとソルも続いた。
これでやっと、長くて暗い滝ツアーから俺達は帰還するのだった。
10
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