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一話
★兎太ってよんでください
しおりを挟む「お嬢様、お迎えに参りました」
あまりにも冷静で落ち着き払った声がして、一瞬聞き間違いかと思った。
「え、…」
望の肩の隙間から見えたその姿に目を見開く。
怪しいネオンの光の中に、背の高い男が立っていた。
まともに服を着てる人が少ないこの淫らな世界で、一ミリの隙もなく肌を覆うスーツは一際強い存在感を放っていた。
(うそ…)
一瞬、幻覚を見てるのかと思った。でも、その整えられた黒髪も、黒ぶちの眼鏡とマスクで隠された顔も…ふわりと香る甘い匂いも、僕が記憶していたそのままで、
「あま…ぐち…さ、ん…?」
「はい、甘口です」
その優しい声に胸が熱くなる。甘口はテーブルを通路に押しやって、興奮状態の望の体を「失礼します」と言って引き剥がし、僕を乱れ狂ったソファから丁寧に抱き上げてくれた。
「おいッ!」
望がきつく睨み付け、取り返す為に腕を伸ばすが
「なんでしょうか?」
甘口が僕とは逆の方(顔を背ける形)で振り向き望に応える。甘口と目があったらしい望は驚いたように目を見開き、次の瞬間、悔しそうに唇を噛んだ。
「クソッ!…ウタのフェロモンに、ハァッ、他のテーブルの客も…寄ってきてる…!これ以上絡まれたくなかったら…ッ、さっさと行け!」
望は荒い息をしながら、それでも必死に僕が入ってきたカーテンを指差してくる。
(あ…)
望の言う通り、ぞろぞろと客達が迫ってくるのが見えた。キャストですら行為を中断し、食い入るように見ている(キャストは甘口を見てる人が多い気がする)。様々な匂いが入り混じるこの空間でも発情期フェロモンは打ち消せないのか、フロア中の視線を痛い程集めてしまった僕は…その恐ろしさに、甘口の腕の中でガタガタと体を震わせた。
「大丈夫、必ず、ご自宅までお送りしますから」
優しく囁かれる甘口の声に、強張っていた体から力が抜けていく。
(甘口さん…)
目を瞑り身を任せるように寄りかかると、甘口は一度抱き直すように持ち上げて…望に向き直った。
「望様、ご忠告感謝します」
「んなのいいからっ、早く、行け!新人の、ロッカーの場所は、知らねえから…、はッ、途中で、スタッフにでも、聞け…ッ」
「畏まりました。…お嬢様、少し揺れます」
「んんっ、は、ぁ、…」
甘口と望が何かを話していたが僕の茹った頭にはほとんど届いてなかった。ふわふわと揺られながら、呼吸の度に甘口の匂いを体に取り込んでいく。その甘い匂いはビールよりもよっぽど酔いを回してきて、ドキドキと体は熱くなって、
(ああ、そっか…、甘口さんも…)
バタン
車の扉が閉じられる音が響いた。僕は火照る体を持て余し、座席に横たわった姿勢のまま、運転席で収納ボックスを漁っている甘口へと手を伸ばす。
「はぁ、は、甘口さぁ、ん…」
「少しお待ちを。ここに抑制剤をストックしてあるんです。…ありました、…これです、前原さん、飲めますか?」
甘口が運転席からカプセルを渡してきたが、僕の震える手では飲むどころか薬を受けとる事すらできなくて、
「あ…っ、う」
ポロリと落としてしまう。
「ふぁ、うう、うえ、あ、甘口さん、甘口さんん…ごめ、なさぁ…」
「大丈夫です、もう一つお渡ししますね」
「うぅー、ひっく、あっ…」
今度は掌にのせてもらったが、口元に持ってくるまでに落としてしまった。申し訳なさ過ぎて床から拾おうとするがフラフラの僕ではそれすらも叶わない。
「…失礼します」
みかねた甘口が、後部座席の扉を開けて、僕の頭側から座席に入ってきた。
「こちらです。…口を開けてください」
「ぅあ…、んむ、んく、」
舌に抑制剤をのせられ、ペットボトルの飲み口を唇にあてがわれる。んくんくと喉を鳴らしてそれらを胃に流し込んでいくと、甘口は安堵するように頷き、後部座席から出ていこうとした。
「…あ…ッ」
バッ
その背中に、僕はとっさに手を伸ばす。
「い、いかない、れ、っ」
「………前原さん…、大丈夫、どこにも行きませんよ」
僕がどれだけ必死の顔をしていたのか、甘口は出ていくのを止めて再び後部座席に戻ってきてくれた。
バタン
後ろ手に扉を閉じる。
「あま、ぐち、さ…っ」
「抑制剤は効くまで少し自分がかかります。横になってなるべくリラックスした状態で深呼吸をしてください」
「は、ふ、はぁ…ふぅ…、は、けほっけほっ」
「水はこちらに」
さっき抑制剤と一緒に飲んだペットボトルを差し出され、僕は何も考えず、横になったまま飲もうとして「んぷ」と思いっきり顔面にぶっかけてしまう。
「う、ゲホゲホ、けほっ、うう…ッ」
いくらどんくさいとはいえ普段はこんな事絶対しないのに。どうして甘口の前ではみっともない姿ばかり見せてしまうのだろう。自分が情けなくて消えてしまいたくなる。
「うう、ひっく、うぇ、ひっく、う~…っ」
わりとガチで泣き出した僕を甘口は静かに見つめた。それからチラリとペットボトルに視線を移す。
「…前原さん、少し体を上げて、自分の足の上に頭を乗せてもらえますか」
「ううっ、え…?んん…ふぁ、い…」
言われるまま仰向けで頭をのせると、まるで甘口に膝枕をしてもらってるみたいな体勢になった。いやこれは完全に膝枕なのだけど。甘口という“性”を感じさせない清廉な人の膝の上にいるとむしろ高級枕を試させてもらってるかのような緊張感に包まれた。興奮なんて以ての外である。
(頭、重くないかな…いや重いよな…ちょっと首上げとこうかな…)
余計なことをぐるぐると考えてると、甘口が体を動かす気配がした。恥ずかしくて閉じていた瞼を恐る恐る開けると…、ペットボトルの水を含ませる甘口と目があった。
「!!?」
首を支えられながら頭を持ち上げられる。そのまま甘口の柔らかい唇と重なって、
チュ…
「ん?!!」
ドキッと胸が高鳴った。
心臓が止まってしまったんじゃないかと思えるほど強く跳ねて、息が詰まる。
(え…)
今日僕は色んな男とキスをした。でも、その誰よりもドキドキさせられた。口移しで水を与えてるだけなのに、今日やったどんな行為よりも興奮した。まるで誰も見つけてない名作BLと出会った時のような底知れぬ興奮。
早く次のページが見たい。
読みたい。
焦らされながらも、ドキドキとその先を期待するだけで不思議と満たされてしまう…この充足感は、
もどかしさは、きっと、
…好きという感情だ。
「んん、…ん、…んく…ぷは、…あ、あまぐちさ、」
シャツを握りしめ、離れていく唇を惜しむと、お代わりを求めると思ったのか甘口は再びペットボトルを口にして、軽く含んでから唇を重ねてくる。
「う、んぅ、んく…んく、」
「…」
「…ん、ふぅ、んぅー…んく、んっ、…」
「…」
温い水がこんなに美味しいなんて。いっそ甘くも感じるその水をぺろりと唇まで追いかけて体に入れる。口の端から溢れていく分は甘口の手袋に包まれた指先で拭われた。何度目かの口移しでやっと熱が引いてきて、ホッと一息つけるようになる。
「ふぁ、はぁ…はぁ…は、ふぁ…」
体が落ち着いてくると、かなり体力を消耗していたのか、今度は急激な眠気に襲われ…目を開けていられなくなる。
「ん、…はぁ、…あま、ち、…さ、…」
眠りの淵に落ちながら不安になった僕は手近な布を掴んだ。多分それはスーツの袖だったと思うのだけど、甘口は決して振り払おうとはせず好きに掴ませてくれていた。
「前原さん、疲れたでしょう。少しお眠りになってください」
「ぅ……あ、ま……ち、…さん…」
「はい、なんでしょう」
「う、うたって、よんで…くだ…さ、」
「…!」
甘口が眼鏡の奥で目を見開く。迷うように唇を震わせ、そして気付く。
スヤ…
前原兎太はすでに寝入っていた。甘口はホッとしたように眉を下げ
「ズルい子ですね」
汗で濡れた兎太の前髪を優しく撫でるのだった。
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