A Tout Le Monde

とりもっち

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Ⅵ.Almost Honest

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小さな呻き声が静寂を破る。
声の主が意識を取り戻した事に気付き、ジョシュアは恐る恐る顔を向けた。
緊張した面持ちで見詰める先、床に倒れ伏していた背中が僅かに震える。
持ち上がった赤髪が周囲を確かめるようにゆっくりと左右に振れ、まだぼんやりとした視線がベッドの上を、そして壁にもたれて座るもう一人を捕らえる。
――瞬間、茶色の瞳に剣呑な色が宿った。
真っ直ぐに突き刺さる、憤怒と失望と悲嘆の入り混ざった激情の光。
己を断罪する眼差しに耐え切れず、反射的にジョシュアは顔を逸らした。
気まずい沈黙が張り詰める。
壁に張り付いたまま身動きも出来ず、ただ怯えに肩を震わせるだけ。
逃げ場の無い状況はさながら隅に追い詰められた獲物のようだった。
痛みに顔をしかめながら、ゆっくりとアルバートが起き上がる。
ふらつく足取りでジョシュアの目の前まで詰め寄ると、両腕を伸ばして襟元を掴み上げ、震える喉からかろうじて声を絞り出す。
「そんなに……ミアの事を……好きだったのか」
努めて感情を押し殺すように。
思いも寄らない内容に、つい顔を戻したジョシュアが口を開くより先にアルバートは言葉を続けた。
「そこまで……俺の事が……憎かったのか」
今にも泣き出しそうに顔が歪み、返答を待つかのように掴んだ手に力が篭もる。
怒りに任せて拳を振るう事も、罵倒して突き放してしまう事もせず、静かに問い詰めるアルバートの態度に。
――未だ切り捨てられてはいないのだと感じた時にはもう、ジョシュアには今まで必死に押し留めていた感情が溢れ出すのを止める事は出来なかった。
「っ、――違う!」
大きく首を振って否定すると、両手で頭を引き寄せ、勢いのまま口付ける。
閉じた唇にただ押し付けるだけの、不器用なキスを。
少しかさついた感触と、鼻に触れる温度。
無意識に閉じた視覚が、他の感覚を際立たせて。
ほんの数秒が永遠に感じられる程。
柔らかな赤髪に触れながら両手を肩に落とし、動かない身体をそっと押して離す。
一体アルバートはどんな表情をしているのだろうか。
見るのが恐ろしく、俯いた姿勢で怖々と瞼を開く。
「すまない……愛している……」
胸元に目線は落としたまま、積年の想いをただ一言に。
受け入れて貰えるはずなど無いのは分かりきっていた。
許されるとも思ってはいない。
随分と遠回りをした挙句、最悪のタイミングながらも、伝えられた、それだけでもう十分だった。
長く息を吐いて押し黙る。
沈黙が落ちる中、ゆっくりと襟元を掴んでいた手が離れ、片腕がぐいと拭う仕草をすると同時、
「…………気持ち悪い」
吐き捨てられた言葉に、ジョシュアは愕然と頭を上げた。
口元を袖口で拭きながら、アルバートがあからさまな嫌悪に顔を歪める。
先程の自虐的な表情から一変、そこには害意しか浮かんではいなかった。
明らかな拒絶に、さあっと血の気が引いていくのが分かる。
「――っ!」
咄嗟に部屋を出ようと駆け出したジョシュアの目の前で、ひとりでに扉が閉まる。
ピリピリと温度を下げながら張り詰めていく空気。
開かないドアノブを必死で回す背に、冷ややかな声が投げ掛けられる。
「そうか、……俺への当てつけだったのか」
遺憾とばかりな声音とは裏腹に、アルバートの顔には悠然とした笑みが浮かんでいた。
頭を左右に傾けながら、ゆったりとした動きで歩み寄る。
「さぞかし、滑稽だったろう? お前の子だと知らずに可愛がる様は」
振り向いたまま何をも言いあぐねて喘ぐだけの様子を尻目に、自嘲に肩を竦めて愉しそうに言葉を吐く。
間近まで距離を詰めた刹那、アルバートはジョシュアの首元を掴むと勢いよく床の上へと引き倒した。
痛みに呻き声を上げる身体を仰向けに転がし、四つ這いの姿勢で覆い被さると、逃げようとする動きを片膝で封じ、両掌で頭を挟み込む。
混乱をきたした表情で見上げる様子を楽しむように目を細めて。
満足気に見下ろしてから、ゆっくりと顔を近付けたアルバートは、――そのまま唇を重ねた。
「っ、……ん!」
驚きに目を見開かせ、ジョシュアがくぐもった声を上げる。
更に深く挿し入った舌が蛇のように口内をなぞり、ぞわぞわと背筋が粟立つ感覚に身を捩らせる。
頬に触れる手は酷く冷たく、体内までが冷気に侵されていくようだった。
不意に鳩尾を抑えていた膝が離れ、おもむろに脚の間に押し付けられる。
「っは、……これで勃つのか」
硬い感触を確かめるように小突きながら、アルバートが呆れた声で言い放つ。
羞恥の走った顔を屈辱に歪め、耐え切れずにジョシュアは顔を背けた。
あまりの状況に動転して何も判断が付かない。
身動ぎさえ忘れた襟元に手が差し込まれ、白いカラーを、そして上着のボタンを外していく様を視界の隅でただぼんやりと眺める。
長い指先がすうっと素肌をなぞり、吐息のような台詞が耳元に落ちる。
「ずっと、……こうして欲しかったんだろう?」
「っ、違、――!」
振り向きざま言い掛けて、ジョシュアは絶句した。
思わず合わせてしまった視線の先、禍々しく光る瞳の色、その意味する事を。
目の前の相手が幼馴染では無いと、認識するよりも早く。
見えない腕で掴まれたように身体が宙へと浮かび上がる。
己の意思とは関係無く手足が開かれ、左右に固定される様は十字架へと磔となった神の子を模したかの如くに。
重苦しい浮遊感が全身を包み込み、指先までもが縫い留められて動かない。
「は、……っ!」
不意に感じた感覚に鼓動が跳ねる。
かろうじて動かせる視界に突如現れた数匹の黒い蛇を。
絡み付き、蠢き、服の中へと潜り込んでいく。
肌を滑るざらついた皮の乾いた感触と、無機質な冷たい温度。
這い上がって来た一匹がするすると首へと巻き付き、鎌首をもたげた舌先が頬に触れる。
小さく息を吐いて、ジョシュアはきつく瞼を閉じた。
――これは幻だと。ただの悪夢だと。
「主よ……」
動かせぬ手足に代わり、頭の中で十字を切る。
祈りを口にした瞬間、何かが割れるような鈍い音が耳に響いた。
寸暇をおいて両肩に激痛が走る。
目を開けて映ったものは、蛇のように捻じ曲がった己の腕だった。
「あ、あああっ!」
突き上げる痛みに声を上げる。
同時に身体を宙へと持ち上げていた力が消滅し、ジョシュアは重力のままに床へと叩き落とされた。
衝撃に息が詰まり、天井を仰いだまま身動ぎ一つも出来ずに固まる。
不自然に両腕を投げ出して転がる姿は、まるで糸が切れた人形のようだろう。
痛みに食いしばった歯の隙間から浅い呼吸を繰り返す。
耳の奥、割れんばかりの警鐘と。
脈打つ度に頭が痛む。
恐怖で歪む視界の中、燭台の炎に照らされた人影が大きく揺らぐ。
「っ、……来るな!」
近寄ってくる気配に、無駄と解りながらも叫ばずにはいられなかった。
芋虫のように身をくねらせて逃げるジョシュアの背中を、革靴が容赦なく踏み付けて動きを封じる。
「可哀そうに……。お前は誰にも愛されていない」
やけに芝居がかった口調と、どこか喜色を孕んだ声。
見上げる顔に黒い影が落ち、伸びた片腕がじっとりと汗ばんだ額を撫でる。
「……お前は、神の愛に値しない」
憐れみを湛えた表情が、愉し気に口角を歪ませて。
見慣れた顔、聞き慣れた声、それが今はどちらも紛い物にしか見えない。
両頬を手の平が優しく包み込む。
その氷のような体温よりも更に冷ややかなのは。
貼り付いた微笑がゆっくりと唇を開く。
「ならば、……代わりに愛してやろう」
けして有り得ぬ台詞を吐きながら、愛しい人の面影で悪魔が嗤う。
最早抵抗も忘れた身体を投げ出したまま、黒い衣服が剥ぎ取られていく様を、ジョシュアは絶望的な気分でただ眺めていた。
 
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