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二話 時を越えて
しおりを挟むただひたすらに歩くだけの頭の中は、混乱を越え、既に麻痺してしまい考えることすらできなくなっていた。
ただ、わからない事だらけの不安が呼び起こす恐怖の中で…。
重治は、歩いた。
ただ、ひたすら歩き続けた。
最初のうちは、周りに細心の注意を払いながら歩いたものの、やがて速まるその足並みは、速まって、速まって、走る速さへと近づいていった。
そんな時、どこからか人の声が、かすかに聞こえてきた。
重治の今いる場所からは、それを確認する事はできない。それは、一人のものではなく複数、それもかなりの人数だと思われる声であった。
『助かった。』重治は、そう思った。
重治の心は安堵感でいっぱいになっていった。
『やっと人に会える。』
自然、重治の足はどんどん速まった。
理解し難い出来事によって、突然、放り出された場所。
一人きりでいることに対しての不安と恐怖で心の中をすべて支配されていたからだ。
「おーい、おーい。」
重治は、遠くにやっと確認できた人影に、手を振った。ひたすらに大声で叫びながら、必死でその人影に向かって走って近づいていった。
人影がはっきりするにつれ重治の走る速さがゆっくりとなっていった。
その見える群集が映画の撮影か何かではないかと、重治に錯覚をさせていた。
いや、そうであることを願うしかなかった。
今、自分の視界に入っている人達は、現代人とはかけ離れた、いでたちで普通まず見ることのない姿であった。
その姿が、映画か何かの撮影でないのであれば、今いる場所、状況は現代ではないことを意味してしまう事になる。
重治の歩みは、さらに遅くなり、やがてスローモーションのようになり、そして止まった。
重治の側からの発見の瞬間は、当然見られていた側からも認識してしまったという瞬間でもある。
「‥そやつを捕らえよ。傷付けず、ここにつれて参れ。」
その重治にも届く叫び声が聞こえるや否や、どこからどうみても戦国時代の武将さながらの装いの10人、いや、それよりももっと数多い者達に重治は、一斉に囲まれることになる。
重治は、混乱していた。
『今は現代ではない?』
『目の前にいるのは戦国時代の武将?』
『そして…、ピンチ?!』
「わー、ちょっと、タンマ、タンマ。抵抗しません、いたくしないでー。」
重治は、多勢に無勢。すぐに覚悟を決め、最初から逃げる事よりも相手の出方に合わせることを選んだのである。
その事により、より正確な状況を得ようと考えたのであった。
それは、長年に渡って家訓により鍛えられる事になった能力のお蔭だったのかも知れない。
今まさに、TVや書物でしか見ることのできない、刀を腰に携えた戦国武将であろう人間が自分の周りを取り囲まんとしている。
そんな、こんな非常時でさえ、状況把握、分析を冷静にすることができたのである。
そして、自分を捕らえよと命じた者の前に、重治は突き出されることになった。
「‥若、捕まえてまいりました。」
「犬千代、万千代、離してやれ。」
「はっ。」
二人の武将に両脇をがっちりと固められ、若と呼ばれる者の前に重治はひざまずかされた。
犬千代に万千代。重治には、確かに記憶した覚えのある名前であった。
重治の頭は、混乱するなか、精一杯のフル回転をさせて、ある答えを導き出した。
犬千代。前田犬千代、後の前田利家。加賀百万石の大大名である。
そして、万千代。丹羽万千代、後の丹羽長秀、信長四天王が一人、鬼五郎佐でまちがいない。
そうなると、当然、目の前にいる、いやおられる方は、心の師、尊敬してやまない、織田上総の助信長様。なぜか俄かに親近感を感じ始める重治だった。
「お前は、どこの間者だ。」
「………」
たとえ親近感を感じようとも状況を考えると、おいそれといい加減に答えるわけには、とてもいかない。
「なぜ、その様な奇妙ななりをしておる。」
「なんじゃ、その履き物は。」
矢継ぎ早の質問攻撃である。
その時に、無意識のうちに、つい思わず口から出た言葉が、
「‥ほんとの信長?」
両脇に仁王立つ武将が刀を抜く音が聞こえた。
重治は、にわかに緊張した。いつ抜かれた刀が振り下ろされるやも知れぬのだ。
今、信長の機嫌を損ねることは、即、自分の命を危うくすることに繋がる。否が応でも重治の緊張は高まっていく。
刀を抜いて構える両脇の二人に、細心の注意を払いつつ、信長に対しては一言、一言を選びながら、重治はゆっくりと語り始めた。
「おれ、いや、私は決して怪しい者ではなく‥、どこの間者でもありません。」
「はははは、そんなことは、そのほうの格好を見れば解るわ。わしも歌舞伎ものと言われるが、その様な奇妙な出で立ち、見たこともないわ。」
重治の頭の中は、会話を交わすその間も、フル回転していた。
信長が、若と呼ばれているということは、父親の信秀が未だ生存していて、信長が織田を継ぐ前の時代である。
信長の父、信秀は美濃のマムシと呼ばれる斎藤道三が争っていた。
その信秀の死後、信長が父親から家督を継いだ年齢が十九歳。
そして、尾張を治めるため、本家筋の信友を攻め従わせ、弟の信行をも殺害する。
今の信長の状況を知ることが、身の安全に繋がることであると、重治コンピューターは結論づけていた。
根拠の全くない、至って頼りのないものでは有りはしたのだが…。
「‥信長様は、今の尾張の置かれた状況をどうお考えですか。…私には、私には、これから起こる出来事を視ることができまする。」
重治は、使い慣れない言葉に何度も舌を噛みそうになりながら、そう、信長に語った。
その言葉が見事に信長の琴線にかかったようであった。
「‥ほほう、これから起こる事がわかるとな…。」
信長は、ニヤリと笑った。
それが合図となった。
それまで、重治の両脇に控えていた、犬千代、万千代が構えていた刀を勢いよく振り下ろしたのである。
重治は、自分の左右からの殺気のが強まった一瞬で、自分の言葉の選択が間違ったことに、すぐに気づいた。
重治は、命のかかった緊張の中、より集中を高め、自分の周りのすべての出来事に対する空気の流れを捉えていた。
水面が鏡のようになるがごとく、心静かに研ぎ澄まされていくなか、亡くなった爺様の言葉が思い出されてていた。
「いいかい、治や。怖いと思ったら駄目なんじゃ。」
「でも爺様。刀は切れるし、血が出ちゃうよ。」
「当たらないように、よおうく見るんだ…。怖いと思うと目を瞑ることもあるだろうし、体が自分の思い通りに動かなくなるんじゃよ。」
重治の爺様は、元は戦国時代にまで遡るという実践古武術を継承していた。
そしてそれは、重治も幼き頃より爺様に手ほどきを受け、ずっと修行を積んできた継承者でもあったのだ。
「治や、集中じゃ集中。」
爺様の声が頭に響いた。
重治の体は、頭が考えるよりも素早く反応した。
わずかにだが、万千代より早く振り下ろされだした犬千代ほうに向かっていた。
体を傾けるその体重移動を利用して、立ち上がり、振り下ろされてくる刀より早く懐に入り込む。それと同時に手元を跳ね上げた。
そして、間髪入れず、拳をみぞおちへと打ち込んでいた。
その後、重治は、体を入れ替えて、犬千代を盾として万千代の方へ重治は突き出した。
突き出された万千代は、当然、剣崎がにぶり、重治を切りに、踏み出すことに躊躇せざるを得ない。その結果、犬千代と万千代は、交錯ぶつかり、合い倒れる結果となったのであった。
ぱちぱちぱちぱち。
手をたたく音が重治の耳に届いて聞こえた。
その手を叩く音が響いたあと、重治の周りを遠巻きにして囲んでいた者達の殺気が消えた。
「はっははは、見事、見事。‥見たこともない技を使いよる。」
信長は、うずくまる2人に目で合図を送った。
犬、万ふたりの千代は、重治を睨みつけながら、立ち上がり、そして拾い上げた刀を鞘に収めた。
「…おぬし、なかなかやるな。」
犬千代は、ニヤリと重治に微笑みかけた。
『‥おいおい、前田利家が、俺のこと誉めてるよ。あの百万石の大名様がだぜ!こりゃあ、もう爺様に感謝、感謝だ。』
重治は心の中で、そう感慨にふけっていた。
信長にとっては、ほんの遊びのつもりだったのであろう。
険しい顔ひとつする訳ではなく、二人が重治にあしらわれるさまを楽しげに眺めていたのであった。
「そのほう、名を何と申す。」
「えっ、おれ?‥あっ、はい。竹中重治といいます。」
「よし、重治。わしの家来になれ。」
「へ?!………。」
「‥勝三郎。こやつの面倒、そちが見よ。」
信長の気まぐれからくる一言で、重治は、この時より信長の家臣、武士になることになる。
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