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二十一話 越後の龍(その一) 

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翌朝、重治達一行は家康他、徳川家重臣達に見送られながら浜松を後にした。


「重治様、重大な任務ですな」


「うん。我々の動き方ひとつで、徳川家と織田家の運命が変わる。なんとしても上杉家の力を貸してもらわねばね‥‥」


いつになく真剣な新平の物言いであった。

この通常ならざる新平の態度こそが、これからの重治の役目の重大さを物語っているようであった。



浜松をあとにした重治達は、街からわずか半日ほどの街道分岐点の近くで、かなり早めの休息をある苛立ちを持って始めていた。
越後までのルートの選択のため、情報収集に向かわせていた伊蔵の部下の帰りを待ちわびていたのであった。

越後に向かうための最短ルート。それを選べば、現在敵対している武田家所領、甲斐の国を通ることになり、旅がより過酷なものへとかわりかねない現実が待っているのである。




その頃、信長は近江の横山城を起点に、浅井家居城である小谷城攻略のため、虎御前山に砦を築き上げ、総力戦を仕掛ける準備を始めていた。


そんな信長の元にも、信玄が出陣した知らせが届けられていた。


軍議に集まる家臣達が騒ぐ中、信長だけは他の者達とは違い、沈着冷静、とても落ち着きはらった態度であったと聞く。

重臣たちからの徳川への後詰めの提案に対しても、岩村城の後詰めの提案に対しても、そんな信長が動く事はなかったのである。

信玄が動く事は、前々より重治から聞いており、その事に対する策は、すべて重治と打ち合わせ済みだったのである。




焦りを感じながらも重治は、ゆっくりとした休息をとっていた。


「ふぅ、急がば回れってことかなぁ…!!!」


重治は、突然の人の接近に緊張をたかめた。
わずか数メートル。重治は、全くと言っていいほど気配を掴めず急接近を許してしまっていた。

少し怪しげな風体の商人風の装いの人物である。重治は、突然の接近に警戒を強め、男に殺気を放った。

男は放たれた殺気にも表情は変えず、更に近づくと片膝をついて頭をさげた。


「ふぅ…」


男の様子に重治は、それまでの緊張と警戒をゆるめた。

頭をあげたその男は、伊蔵に近づき耳打ちを始める。男の言葉を聞き取る伊蔵の顔がみるみるうちに厳しさを増していく。
話が終わったその男は、重治達に軽く頭をさげ、もと来た道へと駆け出して行ったのである。


険しい顔をした伊蔵は、ゆっくりと重治に近づき、先ほどの男からの話しを要約しながら、重治に話し始めた。


「信玄は、こちらの動きを知っているようです……」


「えっ!?」


「信玄も乱破を数多く抱えており、我らの事まで調べ上げておりました‥‥」


先ほどの商人ふうな男は、伊蔵の部下の変装で、甲斐の国、すなわち信玄の身辺を探っていた者であった。


これからの旅路、いや旅と言うほど生易しいものでは無く、生死を賭けた凄惨なものとなりそうな予感のする重治だった。


「重治様、どちらの道を選んでも、簡単には越後に近づけないと思われます。幸いな事には、今しばらくは襲撃されることがないらしいようです」


「……うん」


重治は、伊蔵の言葉を聞きながら、どんなに危険で困難な道のりであろうと最短の道を選ぶ以外、道はないと考えていた。


「関東へ回る時間が惜しい。危険は増すと思うけど甲斐の国を抜けよう」


「わかりました。手のものを使って、できうる限り安全を計りながら進みましょう」


「いや、それでは時間がかかりすぎる。越後に無事についても上杉謙信を簡単に説得できるとは思えない。今は、少しでも時間がほしい‥‥」


伊蔵は、重治の強い決意の言葉に、表情を強ばらせた。

しかし、伊蔵は、重治に反論する事はせず、かわりに才蔵を呼びよせ、耳打ちをした。

才蔵は、軽くうなずくと、これから進むべき道を甲斐へと向かって走り出した。

重治は、ただその様子を見ているだけであった。
重治の言葉に応じて、これまでも伊蔵は最善の方策をとってくれていた。
今回の行為もまた、重治の無理な願いに応えるべくの最善の方策なのであろう。


「重治様、それでは参りましょう。時がおしゅうございます」


才蔵を偵察に先行させた伊蔵は、重治を守り抜く事を心に決め、重治よりも先に歩き始めた。


「……伊蔵、ありがとう」


重治の言葉は伊蔵に届くほどの物ではなかったが、訓練された伊蔵の耳には、十分な声の大きさであった。


「……重治様。置いて行きますぞ‥‥」


伊蔵は、振り返ることはしなかった。しかし、大きな声で、重治にまで、しっかりと届くようにと告げられた。

この言葉の意味の通りに伊蔵が重治を置いて行く事など有りえはしない。
伊蔵の精一杯の照れ隠しの言葉であったのである。


山崎新平は、伊蔵と重治との、そんなやりとりを優しい眼差しで、ただ、うらやましげに見守っていた。


「‥‥がっははは。それでは参りますか。腕がなりますわい。はははは」


先ほどまでとは違う、緊張した物言いとは全く無縁な、いつもの愉快で豪快な新平であった。


こうして、重治達は越後へ最短のルートを危険を承知で向かう事にしたのである。


三河から甲斐を抜ける街道は、武田軍の進軍路を逆にたどる事になるわけで、大きなトラブルを抱えない為には、いかに人目につかないで甲斐にたどり着けるか、その事、一点にかかっていた。


才蔵と末松が交代で行き先を偵察し、道無き道を進んでいく。
山中の獣道を通る事で、武田軍の部隊との遭遇だけは回避して、なんとか甲斐の国まで、あと一息という所まで来たときであった。


先を歩く伊蔵の背に緊張が走った。
伊蔵は、立ち止まり、後方の重治に手で合図を送った。

前方を注視し続けている伊蔵は、さっと腰の刀の柄に手を乗せた。


既に、戻っているべき筈の偵察で先行している末松は未だ戻っていない。


「なにもの!!」


前方の竹籔に向かい、伊蔵が怒鳴った。


「兄じゃ、遅くなりました‥‥」


竹籔で被われた獣道から籔をかき分け、傷ついた末松が現れた。


「末、どうした!?」


声をかけ近づこうとした伊蔵は、再び、末松の現れた竹藪の方にむかい怒鳴った。


「なにものだ!!」

「……伊蔵、さすがだな」


声とともに忍び装束を身に纏いし、忍びの中の忍び者という、威厳溢れるものが現れた。


「は、半蔵さま‥‥」


現れた忍びの名は、服部半蔵。
徳川家康に仕える、当代一といわれる凄腕の忍びであった。

その半蔵の姿も、よくよく見ると、わずかにながらも返り血を浴びたあとがあり、どうやら末松の傷にも関わりがあるのではないかと想像できた。


「兄じゃ、半蔵様にお礼を申してくれ」


「……?」


「実は、この先で襲撃しようと待ちかまえていた連中から危ないところを助けて頂いたのじゃ‥‥」


「ふふっ。礼など必要ないわ。……重治様、ここより甲斐の国までの露払いは、我らが家康様の命により、させて頂きました」


半蔵の話しによれば、重治達が浜松をたつ前に、半蔵の手のものによって、既に安全が確保されていたと言う。

そして、この国境に至るまでの安全を確保していたところ、武田の忍びのものによる重治襲撃を察知し、殲滅に向かったところ、末松が追われているところに出くわしたと言うのである。


「半蔵様、ほんとうにありがとうございました」


「なんの。たんに主君、家康様の命に従ったまでの事」


重治の言葉に半蔵は、ごく当たり前の事を簡単に済ませたように、あっさりと答えた。


「半蔵様は、これからどうなされますのですか?」


「ふっ、知れた事。武田の動きを調べ上げ、仕掛けをかけるまで」


「……お気をつけて」


「うむ。お前も重治様に命を預けると決めた以上、しっかりと励むが良い」


「はっ。‥‥末のこと、助かりました」


伊蔵に話しかけた後、半蔵は軽く重治に会釈したのち、素早く去っていった。

伊蔵、才蔵、末松の三人は、半蔵が見えなくなっても、なお深々と頭を下げ続けていた。



伊蔵達三人は、幼い頃、重治に救われたのち、重治が現代に帰っていた時、信長に願い出て、伊賀の里に忍術修行に入っている。

いわば服部半蔵は、伊蔵達の師匠であり、仲間であったのである。


半蔵を見送った重治達は、半蔵の言葉を信じていてもなお、慎重を期して偵察を繰り返しながら、越後に向かって進んでいった。


さすがに伊賀者の頭領、半蔵の言うことだけあって、甲府の街を過ぎても重治たちが襲われる事はなかった。


しかし、重治には、そんな事よりも遥かに心配な知らせが、伊蔵の手下からもたらされていたのである。


「うーん、それが誠ならば、手遅れにならなければよいが……」


「うん。そうだね。‥‥そのためにも急がなければ」


武田信玄は、出陣するにあたり、北条家との和睦の他に、障害となる上杉謙信に対しても暗殺のために刺客を放ったらしいとの事であった。


歴史上の中で上杉謙信が暗殺された事実はない。

しかしそれは、重治が存在していない歴史の話しであって、重治が今いるこの世界の歴史が、重治の知っている通りの事実が起こり得ているわけではない。
それどころか、どちらかといえば、歴史の流れは少しずつずれてきているようにさえ思われた。


暗殺の話しを聞いた重治は、心の中で大丈夫だと言い聞かせ、平静を保つようするのが精一杯であった。
できることなら、空を舞う鳥のように、飛んで今すぐにでも謙信の元へいきたい、そんな気持ちになっていた。


「半蔵殿の言った通り、敵の忍びは現れなんだな」


「……う、うん。」


「重治様、どうなされた。先ほどの知らせの事ですかな!?」


「‥‥うん。大名暗殺なんて、簡単に成功はしないとは思うんだけど……」


重治は、はやる気持ちをぐっと抑えて、新平にそう答えた。


半蔵のおかげで甲府の町は無事に通りすぎる事は出来た。が、安全だと言われていのはここまでで、ここより北、信濃の国を目指すには、武田家につく忍者、透波の里の近くを通る事になるのである。

当然の事ながら、より危険は増す事は想像できた。かと言って、慎重に進んで行くことで、手遅れとなるようなことだけは避けねばならない。


「とにかく、急ごう。それしかないから」


慎重かつ大胆に、越後に向かって重治達は、歩き始めた。

理由は定かではないが南信濃の町諏訪を通過し北信濃に入っても襲撃されるような事はなかった。
ただ、伊蔵によると重治達の動きは常に見張られているらしく、いつ襲われるとも限らない状況が続いていたのであった。


北信濃と越後の国境の近く、北関東へも抜ける事の出来る街道の分岐点となる場所まできたときの事であった。


北関東方面の方から、辛うじて馬であることが何とかわかる、胡麻粒が如き小さな点が、こちらにむかって、どんどんと大きくなってくる。

その馬は、信じられないほどの凄い勢いで走っている。

その馬の姿形がはっきりとするにつれ、その後ろを追う黒装束の一団の姿もまた、はっきりと捉えることができるようになっていた。


にやりと山崎新平は、笑った。


「もちろん、助けるんですよね?」


「ふぅ……」


伊蔵の苦労をよそに、トラブルは向こうの方からやってくる。
ため息を一つ、大きく吐き出した伊蔵は、走り出していた。


細い山間部の道のせいなのであろうか、忍者群はいつしか爆走する馬に追いついて、並走するまでになっていた。

並ばれ追い込まれた馬上の人物は、忍の爆走する馬への攻撃により、馬の転倒に伴い、転げ落ちた。


馬上より転げ落ちた、その人物は、忍びの最初の攻撃を辛うじてかわしたものの、その間に、忍びの者達に囲まれてしまい、全ての逃げ道を失っていた。


「助太刀いたす!」


新平は、腰の刀をするりと抜くと、言うが早いか、即座に忍びに切りかかる。

その後を才蔵、伊蔵の順に切りかかり相手の陣形を崩していく。


さすがに訓練の行き届いた忍びの集団だけあって崩された陣形をすぐに補正していく。

多勢に無勢で、どんどんと追い込まれていく伊蔵たちの様子を見て、ケガのために戦いに加わっていなかった末松もまた刀を抜き、敵の中へと切り込んでいった。


簡単に斬り倒す事の出来ない焦りからか、さすがの新平も笑顔が無くなっていた。

一人、二人を倒しても、陣形は崩れかけはするものの、すぐに元の形へと蘇る。
段々と相手の体力を奪っていく老練な、多人数を生かした陣形であった。


戦いに加わる事を、即ち、危険に直面せぬよう諭されていた重治ではあったが、分の悪い戦いで追い込まれていく味方をただ黙って見ている訳など出来はしなかった。


重治が幼い頃、爺様より習い受け継いだ古武術の中に、今、目の前で繰り広げられている戦いに似た、多数による陣形攻撃があった事を 重治は、思い出していた。

そんな僅かな間にも、馬上にあった人物も、新平達も、一定の距離からの繰り返しの敵の攻撃によって、一方向へと追い込まれ、どんどん動きを制限されていく。


そんな味方が窮地に立たされた時、重治はついに動いたのである。

敵の動きには、ある一定の規則性があり、その動きを統括、指示している者を見極めに成功しての事である。


敵の司令塔となる人物、組織だって動く忍者たちの中で、ただ一人だけ、変則的なというよりも、他より先んじて動く者がいた。
その人物を目標に、重治は懐にしまってあった、今では御守りの代わりに持っていた唯一の武器、家宝の小刀を鞘から抜き、一気にせまったていった。


重治の急襲に、忍者群の頭と思える、その相手もさすがに怯んだ。

司令塔の動きが重治の急襲によって封じられると、敵のそれまでの動きが、突然、単調なものへと変わっていった。


重治は、爺様から教え込まれた竹中流実践古武術の秘技、縮地法を持って、敵の振り下ろす刀を寸前でかいくぐり、そのままの勢いで、体を浴びせて、敵と一緒に倒れ込む。

そんな、一連の動作の中、重治の持つ小刀は、すでに相手の喉元に突き刺さっていた。


もともと個人の能力で引けを取っていた訳ではない。
単調な動きの中、個人対個人では負けるはずはなかった。

一気に形成は代わり、敵の中の誰かが叫んだ。


「引けぇー!!」


敵の忍者達は潮が引くがごとく、敵ながらにも見事なまでの素早い逃げ足であった。

重治は戦いのすんだ中、敵の逃げ去るのを何をするでなく、ただぼんやりと眺めていた。


『人を殺めた』


戦国の世に来ることになって、それまでは人の生き死にはまるで他人事のように感じていた。

相手の刀が目の前を通過するときも、手傷を負わせたときも、どこかバーチャルの世界で、自分には関係のないゲームの中の世界の出来事のように思えていた。


しかし今、手の中にある竹中家で家宝にしていた小刀からは、相手の首を薙いだ時についた血のりが付いている。


「重治さまぁー」


「重治様、大丈夫ですか?」


「重治様、お怪我はありませぬか?」


口々に自分の名を叫び、心配して駆け寄る仲間がいる。


「……ふぅ。大丈夫……」


重治は心配して駆け寄ってくれた者達に軽く手を上げて答えた。
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