裏信長記 (少しぐらい歴史に強くたって現実は厳しいんです)

ろくさん

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二十一話 越後の龍(その二)

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『大丈夫』そう、こんな時が来ることはずっと前から覚悟していたはず。重治は、心の中で、そう何度も何度も繰り返しつぶやいた。『大丈夫』と。



「いやぁ、助かった。かたじけない。この通りじゃ」



忍の者に追われていた人物。そのぱっと見粗野な装いにもかかわらず、気品や威厳さえにじませた、その人物が重治達に礼を言った。

その人は、深々と頭を下げるなど、とても気さくで腰の低い、好人物に感じられた。


「ふうぅ‥‥」


重治は、もう一度大きく息を吐き出し、その人物に話しかけた。


「お怪我はありませんでしたか?」


「はぁ、幸にもあなたがたの助太刀のおかげにて、落馬のさいのすり傷程度。‥‥助かりました」


自分の体を再度確認したその男は、そう言うと再び、重治にむかって、深く頭を下げた。


「お主‥‥、何故に、あのような者らに襲われ申した?」


「は、はぁ……」


新平の問かけは、一切の遠慮もなく、相手の核心に触れた。


「‥‥まぁ、坊主にしてやられた。ってとこだろうな‥‥」


「はぁ?なんと言われた?」


小さな声で独り言のようにつぶやいた、その男の言葉の意味を この時、重治達には理解する事ができなかった。


「拙者、うえ、うぉほん。……な、長‥‥、そう、長島、‥‥か、影信と申して、‥そう、越後の春日山城で上杉謙信様に仕えておりまする……」


「おぉ、これは奇遇。我らもこれより越後に向かうによし。ともに参ろうではないか。がはっははは」


新平は、ただならぬ重治の様子を気にかけつつ、いつもより増して、明るく豪快に笑った。


重治にとって、新平の笑いは何よりもの薬となっていた。

人をこの手にかけた。
確かにこれまで自分の考え出した策により多くの命を奪ってきた自覚は重治にはあった。しかし今、自らの手で……それは、平和な時代に生まれ育った重治にたいへんな衝撃をあたえていた。

重治は、今、自分が一人ではないと、改めて強く思い知らされていた。
この仲間とならば、どんな困難にでも立ち向かえると、自分自身の落ち込みそうになる弱い心を奮い立たせるのであった。


「それは助かる。また、いつ襲撃されるともわからない。こちらからもお頼み申す」


「遠慮は、無用です。先ほどの忍び、間違いなく透波の者。武田の刺客に間違いないと思います。我らも訳あって、武田の手の者に狙われております」


「なんと‥‥。それでは、なおの事、一緒に御同行させてもらえれば、ありがたい。戦力は一人でも多いほうがいい」


長島と名乗った人物と越後までの道中をともにする事になった重治達は、その戦いの場をあとに、越後への旅路に再びついた。


山間部の見通しの悪い道を襲撃を警戒しながらも足を早めていった。

幾度か、登り下りを繰り返したあと、漸く、遠くにキラキラと光る景色が山あいから見られるようになっていた。


「ふぅ。やっと、帰ってきた‥‥」


「あのキラキラしたのは海ですか!?」


峠近くの襲撃からは、再びの襲撃を受ける事もなく、無事に国境を越え、越後の国に入る事が出来たようであった。


「ほぉ、あれがのぉ‥‥」


「美味い、魚が食べられますぞ」


「な、なに!! そ、それは、まことか‥‥。重治さまぁ、い、急ぎましょう。美味い、魚が待っておりますぞ!!」


山道での登り下りが、かなりまいったのか口数の減っていた新平が、突如として元気を取り戻した。


「魚だけでは、ありませんからな」


伊蔵は少し意地悪く笑ってみせた。


「がっはははは。ばれておったか。越後と言えば酒どころ。旨い酒が待っておるわ。がっははは」


新平は、伊蔵の突っ込みも何のその、全く悪びれる様子も見せず、ひょうきんな仕草でみんなを急かし、和ませる。


「‥‥それでは、私が旨い酒と肴を お礼にご馳走いたそう」


「ま、まことでありまするかぁ!?」


新平の勢いに巻き込まれたからか、越後に入っての危険が遠のいたからかは、わからないが、重治たち一行の足は、いっそう早まっていった。


山道が終わり、平地へと風景が変わっていっても、刺客による襲撃はなかった。


重治には、視野が開けた平地では、全方位への警戒が必要かと考えていた。

しかし、それまでの神経を研ぎ澄ましながら緊張のなかの道中だったのが嘘のように、緊迫した空気は消え、伊蔵ら忍び三人は、至って、のんびりとした空気へと変わっていた。


そんな伊蔵たちの変化の理由は、重治にも、すぐに気がつく事ができた。

北信濃を抜け、越後に入る頃、重治たち一行に、付かず離れず様子をうかがっている者達があった。

初めの頃は、敵の刺客かと思われたが、結局はその逆。重治達を、いや、長島と名乗る人物を守る集団であると伊蔵は判断していた。


重治、伊蔵らの、のんびり。それとは対照的にあったのが山崎新平であった。


長期のなれない山道歩きで、しかも好物の酒や肴を楽しみに山を下りきった時、新平の目前には、大きく広がる海原が見えているはずだった。

しかし、現実は全く海など見えない。
山の上から見えていた海は消え去り、見えるものと言えば、広々と広がる田畑や湿地帯、どこまでも続くと思われる、平野の風景であった。

その時の新平の落胆ぶりは、その後、何かにつけて、話題に登るほどの滑稽なものであった。


平地に出てから、かなりの時間を要して、やっとのことで直江津の街が重治たちの前に現れた。
ここまでくれば、春日山城にも着いたものとかわらない。

落胆から、滑稽なほどの無様な姿をみせた新平の目が、言葉を出せない何かを求める子犬のように、その瞳が重治に訴えかける。


「‥‥ふう。しょうがないか。……長島様。我らは、直江津の街で今夜は宿をとり、明日改めて、春日山城に参りたいと思います」


「うぉ!! まことでござるか!? さすがは、我らが主。死んでもついて行きますぞ」


「新平さま、死んではついて行けませぬ」


新平は、末松の突っ込みにも、軽く頭を掻いただけで全く意に介さない。そのあとの新平は、にこにこと、この上ないほどの上機嫌であった。


「はっははは、ほんとに愉快な人たちだ。それでは、私も約束通り、今夜はお付き合いを致しましょう」


長島影信と重治達は、直江津ではかなり上等の部類にあたる宿に入ることとなる。

宿に入ったあとの影信には、ひっきりなしに客が訪れては帰る。

新平は、さすがは上杉謙信に仕える人物と感心仕切りであったが、重治と伊蔵の思いは違っていた。


その夜は重治を除いて、皆が酒を酌み交わしあった。

新平は、上等の酒に旨い肴で、上機嫌で酔っ払っていった。


「重治殿は、良き家臣をお持ちだ」


「私にとって、この者たちは、家臣ではなく家族。いや、体の一部。誰一人欠けても私が私でなくなってしまいます」


重治の言葉をただ黙って、影信と名乗る男は聞いていた。


「……どうだろうか、重治殿。ここからは、駆け引き無しで、腹を割って話そうか。‥‥どうせ、わしの事など、すでに見当をつけているのであろう」


重治は、その男の意図が読み取れずに、どう応えて良いものか悩んでいた。


表情に、邪心の無いことと温和な瞳が、その男の人の良さをにじませていた。
重治は、その男の言葉を信じ、自分もまた、駆け引きなしの素の自分を見てもらうことを決断した。


「……上杉謙信様ですよね‥‥」


重治の言葉には、肯定も否定もせず、にやりと笑ったあと、目の前にある器に入った酒を一気に飲み干した。


「重治と申せば、織田家では軍神とまで言われておる竹中重治。‥‥そうであろう!?」


「‥‥軍神などではありませんが、竹中重治は私の事で間違いありません」

重治は、頭を掻きながら少し満足げな相手に笑みを返した。


「うむ。やはりな‥‥。その方が、ここにおると言うことは、やはり信玄坊主のことじゃな!?」


重治は思わぬ急な展開に、自分には、時の神が着いていて見守られているのではないかとさえ感じられていた。


越後に行って、どうやって上杉謙信に話しを聞いてもらうか。
織田・徳川両家の使者としてであっても、事が簡単に進むはずが無いことは、誰の目からみても明らかな事であった。


それは、神のいたずらか、それとも導きかはわからない。
しかし、とにかく重治は幸運なことに、目的の相手、上杉謙信に話しを聞いてもらえる機会を与えられたのである。

重治は、慎重にも慎重を重ねながら言葉を選んでいった。


「ここに、織田信長様と徳川家康様、お二人の連名の書状がございます」


「……うむ。では、拝見致すとしよう」


重治が恭しく差し出した書状を謙信は、目を通していった。
一瞬、眉をピクリとさせはしたものの、書状に目を通したあとの謙信は、それまで以上に優しく、重治に微笑んだ。


「重治殿。そなた、よほど信頼されておるのじゃなぁ。あの悪鬼と恐れられる織田殿が、全権を委ねるなど考えもつかなんだわ」


その謙信の言葉に、今度は重治の方が驚いた。


「えっ、全権ですか?……そうですか、全権ですか。それにしても、家康様まで……」


「‥‥織田殿が羨ましいわい。それほどまでに信頼の置ける家臣がいるなど、この上のない喜びよのう‥‥」


謙信のこの言葉を聞いて、酒に酔って寝込んでいたと思われていた伊蔵が、それに答えた。


「重治様は、信長様の友人であり家族。決して、信長様の家臣としての行動をとっているわけではないのです」


「それは、どういう意味じゃな?」


伊蔵は、謙信に問われるまま、正直に重治と信長との繋がりを答えていった。


「では、重治殿は、家臣とは違い自由であると‥‥」


「自由であり、対等だと、私は思っておりまする」


「伊蔵、それは言い過ぎ。対等なんてとんでもない」


重治は、慌てて伊蔵の言葉の訂正を促そうとした。


「いいえ。信長様に、意見の言える重治様が、対等ではない筈がありませぬ」


重治を尊敬して止まない伊蔵の話しに、恥ずかしさを隠せない重治であった。


謙信は、伊蔵と重治のその様子をニヤニヤと眺めながら、おもむろに立ち上がった。


「明日、城に来てくれ。難しい、取り決めの話しは、城で話そう。‥‥なかなか楽しい夜であった」


謙信は、それだけ言うと、少し酔っているのであろうか、ゆっくりとふらふらとしながらも重治たちのいる部屋を出て行った。


「伊蔵」


「はっ」


重治の合図に軽く首を縦に振った伊蔵は、さっと立ち上がった。
そして、すぐさま謙信の後を追い、勢いよく部屋を飛び出て行った。


「うーん‥‥、もう飲めない。うーん‥‥」


一人酔いつぶれて、横になっている新平の寝言が皆を和ませる。

謙信との個人的な関係は、上手く築けたはずである。
あとは、上杉家の頭領、大名上杉謙信を どう調略するか。この日、重治は、眠れぬ一夜を過ごす事になった。



ほとんど、全くと言っていいぐらい、寝れずに早朝から起き出した重治は、宿の裏庭にある井戸で水を頭から浴び始めていた。

謙信を確実に説得するだけの状況、条件が見いだせず、神頼み的要素の強い禊ぎがわりであった。


「重治様、おはようございます。つなぎからの知らせによりますと、信長様は、浅井・朝倉とのにらみ合いが続き身動きがとれぬとの事。岩村城も武田勢に落とされてしまったもようです」


「そうか‥‥。なんとしても、上杉家を味方につけないとな……」


重治は、伊蔵の報告に、よりいっそう強く決意を固めた。
『謙信を味方につける』そう念じながら、何度も水を頭から被り続けた。


「重治さまぁ。水を水をくだされ!」


頭を押さえた新平が叫びながら現れ、アルコール臭い息を重治に吐きつけた。
呆れかえる重治から、もらった桶の水を旨そうに一気に飲んだ。


「いやぁ、昨夜は久しぶりに飲んだなぁ。重治様、……影信殿は、どうされました?」


重治の悩み事など、我関せずの新平は、にこにことしてそう尋ねた。


「……では、出かける準備をして、影信殿に会いに行くとしますか」


重治は、微笑みかける新平に、微笑み返し、そう答えた。





春日山城に着いた重治は、城の大きさに感動しつつ、城門にまでつくと名乗りをあげ、当主である謙信公への取次をその門番に頼んだ。


城門では、待つことわずかの時間で、大げさな程の多人数の案内の者達が現れた。

案内に導かれ、重治達が通された部屋には、上杉家の家臣の面々がづらりと鎮座しており、無言で重治達の様子をうかがっていた。


「よくきた。重治殿」


その部屋の最奥、上座にひかえる謙信の前に座り、深々と重治達一行は頭を下げた。


戦国のこの頃の通例と比べれば、外交において、その国の当主と会見するにあたり複数、しかも多数である事じたい異例中の異例である。
重治には、この時、緊張の余り、そんな事にすら気づかないほど、全く余裕のない状態であった。


重治は、震える声で儀礼的挨拶の口上を述べ始めた。


「う、上杉家当主、謙信様におかれましては、この度……」


「まて、まて。‥‥その様な堅苦しい挨拶など、せずともよい」


重治にとって、挨拶などというものほど、苦手なものはない。

それも当然至極の事で、現代人のそれも中学生が儀礼にのっとった挨拶を行うなど、神業に等しいものであった。

重治は、もう、それだけで、謙信に感謝感激をした。
しかし、そんな感謝もほんの一時の事であった。

謙信の口から出た言葉は重治の予想もしなかった、いや、重治にとって一番したくなかった言葉だったのである。



「我が上杉家としては、織田家と同盟を結んで共に戦う気持ちはない」


その場にいた上杉家の家臣たちは、一斉にざわめきたった。

上杉家の中にも意見の対立が存在する事を物語るように、反対する声や同盟を望む声が交錯し続けた。

そんなざわめきは、延々と続き、果てる事をしない。重治は覚悟を決めて大声で謙信に叫んだ。


「お考え直していただけませんか。今、武田と事を構える事が決して上杉家にとって易のある事では無いのは承知しております」


この時期の上杉家のおかれた状態は、武田家が交戦状態の北条家と和睦を成立させたのとは対照的に、北条家と同盟関係だったにも関わらず、一方的破棄によって北条家と交戦状態に陥いっていた。

その上に謙信は、領土内の一向宗による各地の一揆の勃発により、身動きを封じられていた。

しかし、これらは全て、武田信玄の謀略によるものであった。


「‥‥うぅむ。‥‥それでも、織田家との同盟はあり得ぬな」


「しかし、それでも‥‥」


「まぁ、待て……」


焦る重治をよそに、謙信の方はとみれば、どうみても重治とのやりとりを楽しんでいるようにしか見えない。

同盟を簡単に拒絶するわりには、全くと言って良いほど表情は、険しい顔とは程遠い。まるで、楽しくて仕方がないと言ってるように笑みを崩さない。


「織田家との同盟は認められぬ。‥‥が、重治。そなたとわしとでの契りを結ぼう」


「それは、どういう……」


謙信の突然の言葉を重治は理解できない。


「わしは、上総之介殿の事は知らぬ。‥‥しかし、重治。その方の事は、このわしが、この目でじかに確認した。この下克上の戦国の世で、そちほど欲に縁遠い男は、いまい。……昨夜の酒は、男と男の契りの杯じゃ」


「では……」


謙信は、重治にコクリと頷いて見せた。


「みなのもの、よく聞け。ここにいる竹中重治は、わしと生涯を通じての契りを交わした。重治は、わしの兄弟であり、子供である。この者が望む事は、わしの望む事でもある」


謙信は家臣一同に、決して反論を許さないほどの厳しい言い回しで語り続ける。


「今後、この者が協力を仰いだときは、全力を持って力を貸すように。重治の言葉は、わしの言葉だと思え。よいな!!」

「は、はぁー」


謙信は、一切の反論を許さず、重治を身内同様にと、そのとんでもない発言を家臣たちに認めさせた。


「では、今よりすぐに出陣の支度じゃ。明朝、信濃に向け出陣いたす。信玄の坊主に一泡ふかせる。よいな」


「はぁっ」


謙信がその場から立ち上がると同時に、家臣たちは我先にと部屋を出て行く。
重治達は、あまりの事の成り行きに、ただただ、唖然呆然としているだけであった。


上杉家の家臣の全てが部屋を出て行き、残された者といえば、重治とその供の者。


「いやぁ、驚いたわい‥‥。影信殿が、謙信様だとはなぁ‥‥」


新平が盛んに感心していると、先ほど出て行ったはずの謙信が、再び部屋に入ってきた。


「あっ!! …謙信様、ありがとうございます」

「なんの。命の礼としては、安いもの。それに、また楽しい酒を飲みたいからな」


山崎新平は、入ってきた謙信を見るなり、額を畳に擦り付けるほど頭を下げ、平伏した。

自分なりに、昨夜の酒の席の無礼に、後悔をしているのであろう。


「なあ、新平殿。はっははははは」


新平は、ますます、大きな体を縮こませ、ひたすらに平伏するしかなかった。


「それで、重治はこれからどうする。‥‥できれば、わしと一緒に出陣いたさぬか」


突然の謙信の申し出に、それまでの唖然呆然の出来事に、夢心地にあった重治は、我にかえった。


「……ありがたいお言葉ですが、我らはこれから越中を抜けて、越前に向かいたいと思います」


「うむ、そうか。織田殿への援護に向かうか……。‥‥武田の事は、任せておくがよい」


「はい。ほんとうに、いろいろとありがとうございました」


「はてさて、なんの事かな」


謙信は、にやりと笑って、話しを続ける。


「新平。次の酒盛り、楽しみにしておるぞ」


「はっはあー」


新平は、直々の謙信からのお声がかりに、さらに縮こまるしかなかった。

知らぬ事とはいえ、酒の席で、謙信の頭を叩きながらの大酒乱ぶりを発揮したのである。

自分の事は、自分が一番知っていると言うとおり、わずかにあった記憶でさえ、それが大それた事をしでかしたことであると、認識できていたのであった。




重治達は、謙信の信濃への出陣を前に、春日山城をあとにした。

少しでも、早く越前にたどり着き、朝倉との戦いで、信長に有利に働く工策を考え出さなければならなかったのである。
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