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四十五話 甲越同盟
しおりを挟む越後への介入を引き受けざるを得ない勝頼は、進軍を決意し、出陣の準備を急がせていた。
そんな中、真田昌幸は、越後への進軍に対して強い憂いを抱いていた。
もちろんそのうちの一つには、半ば強制的に参戦させられる事実、対等同盟相手であるにも関わらず、従属国扱いに対する怒りも含まれていた。
しかし、それ以上に昌幸には、この戦いの終止符の打たれ片に危惧していたのである。
「重治殿、……このまま‥‥ほんとうにこのままで、良いのであろうか……」
途切れ途切れに、重治に昌幸が語りかけた。
「…………」
重治は、黙って昌幸の言葉に、静かに首を横に振った。
「………………」
「このままの勢いで景虎側が勝利をおさめれば、ますます、北条の横暴が、目立ち始めるのではないかと‥‥」
重治は、横暴と言う言葉を使いはしたものの、横暴ぐらいの態度、行動ですむはずはないと感じていた。
結束力の弱まった武田家。これまでは、謙信のいる上杉家との同盟がある事によって、辛うじて北条との均衡が保たれていた。
しかし、その同盟の手を差し伸べてくれた謙信が亡くなった今となっては、その同盟も有名無実と言うことになる。
ましてや、その同盟相手の上杉家を北条の縁者が手に入れるとなると、武田家は、東と北に北条。西には織田、徳川に挟まれて、今後の領土の保守は、まず不可能と言っても過言ではなかった。
「‥‥やはり、このままで良いはずが……」
「……」
重治には、この先にとられていく武田家の方策が判っている。
しかし、昌幸は、敢えて自分の進むべき道は自分で指し示すつもりであり、重治に問いかける真似だけはしないつもりであった。
「……景勝殿と手を組むべきか……」
「…………」
上杉家で現在、起こっている家督争いの『お館の乱』は、景勝の勝利となり沈静化する。
将来、起こるべくある道が判っていて、その道を歩く事が、自分の選んだ道であると言えるであろうか?
昌幸は、最終的な結論を出せぬまま、何も勝頼に話しだせず、越後への出陣の日を迎えていた。
その頃、越後の国は、上杉家居城、春日山城に立てこもる景勝に対して、春日山城の城下町の中にある、謙信の重臣であった上杉憲政の屋敷(お館)を拠点とした景虎に別れ、激しい争いを繰り返していた。
戦いの序盤戦では、確実に背景に北条家を持つ景虎が、戦いを優位に進めていた。
しかし、戦いを優位に進めていたとは言うものの、城に籠もる敵を打ち破るだけの力の戦力が有るわけでもない。
だからと言って、血縁関係を理由に、敵国にあたる北条家の直接の介入を求める訳にもいかない。
なぜならば、北条家の軍事介入は、上杉の領土への侵略であり、現在、日和見を決め込む多数の豪族を敵にまわしてしまう可能性が生じてしまう恐れがあったからである。
そして、そんな膠着した状況打破に、景虎の選んだ戦略が、同盟国、武田家による名目上の仲裁であった。
越後がそんな状況下での中、勝頼の越後への進軍の決定に同意し集まった武将は、はっきりと北条家に取り込まれたと見受けられる者ぐらいで、現在での勝頼の家臣の信頼度の低さを表していた。
勝頼は、景虎からの要請どおり、漸く集める事の出来た一万五千の将兵とともに、これもまた指示の通りに、春日山城下街近くに陣を敷いたのである。
陣を敷いたその場所からは、春日山城の姿から街の姿まで、はっきりと確認出来るわずかな距離であった。
街の姿を見て重治の脳裏には、突然、懐かしい、楽しかったあの時の状況が、ハッキリと浮かんできていた。
謙信との出会いから、宿での出来事。酒が弱いにも関わらず、何度も酌み交わした杯のあの楽しかった時の状況が、何度も何度も浮かんでは消える。
頭では、わかってはいる。しかし、それでも重治には、謙信が死んだなどとは、どうしても受け入れられない事実があった。
「……どうか、なされましたか?」
突然かけられた言葉に重治は、現実に戻された。
声の先には、心配そうに重治を見つめる、昌幸の姿がそこにはあった。
「……だ、大丈夫です。……何かありましたか‥‥」
昌幸は、そっと着物の懐に手を入れると、手拭いを取り出し、重治に差し出した。
重治は、昌幸の行為に、その時、初めて自分が涙を流していた事に気がついた。
『そうか、俺は哀しいんだ』
謙信の死を知らされて、涙した重治は、それで全て吹っ切れたつもりでいた。
しかし現実は、親しい身近な者を亡くした事を経験したことがない重治には、その真の悲しみを本当に理解させるには若すぎたのである。
胸の奥底にある悲しみは、幾度となく現れて来ては、平穏な心をその悲しみが、飲み込み支配していく。
重治は、差し出された手拭いで、頬を流れていた涙をぬぐった。
「……すみませ、ん……」
「………………」
昌幸が、重治を訪ねる以上、用がない訳はない。
しかし、昌幸は、重治の様子が落ち着くのを少し視線を外し、まるで何も無いかの如く、ただ黙ってその時をまった。
「お館様、真田様が、お越しになりました」
小姓の言葉に素早く反応した本陣にいる勝頼は、座った椅子より腰をあげ立ち上がった。
「お館様、‥‥重治殿をお連れしました」
昌幸に重治を迎えに行かせた勝頼は、その到着を今か今かと待ちわびていたのである。
「重治、よく来てくれた‥‥」
昌幸と二人、本陣に入った重治に、自ら走り寄った勝頼が、重治に頭を軽く下げた。
「重治。突然の事で悪いのだが、どうしても、そなたの力を借りねばならぬ状況が出来たのじゃ‥‥」
頭を上げた、勝頼は、焦る気持ちを表すように、間髪開けず、まくし立てるよう、一気に話しを続けていった。
「‥‥では、景勝殿との話し合いを……」
「‥‥うむ。このまま、北条の言いなりで動いては、武田家の存亡に関わってくる‥‥」
勝頼の表情は、いつにもまして深刻そうであり、それは、重治にもはっきりと感じとられるほどであった。
「‥‥わかりました。では、私が、春日山城に行って、景勝殿と話しをして参ります‥‥」
「‥‥頼む」
勝頼は、深々と頭を下げた。
今回の武田家の越後への出兵は、同盟国としての内乱の平定、両陣営の和睦の仲介が名目である。
しかしその実は、まるで意味が違っていた。
北条家からの援軍と武田家の援軍により、有利に展開する景虎は、勝頼に対して、上杉との同盟を継続させるための条件として、武田家の領地、北信濃一帯と上野沼田一帯の地域の譲渡を突きつけてきたのである。
勝頼は、この脅迫じみた条件に悩み抜いた末の決断として、北条との同盟よりも、義に厚き上杉景勝に、賭ける事を選んだのである。
そして、その景勝への使者として、最も適任である重治に、全ての事を一任すると決めたのであった。
勝頼からの全権を委ねられた重治は、伴として伊蔵、そして信繁をひきつれ、即座に春日山に向かうつもりであった。
「末松。信繁は、どうした!?」
「‥‥は、はあぁ……」
武田家存亡の全権を担った重治は、確かに上杉家との交渉には最適任である事には違いない。
しかし、重治本人にしてみれば、謙信存命の時の橋渡しであれば、百パーセントの自信を持っての行動となっていたはずである。
しかし、今、謙信亡き後、内乱にも似た今の上杉家に乗り込んで、外交交渉を取り纏める自信は、正直なかったのである。
「どうした?信繁は、いないのか!?」
「……は、はあ……」
時は一刻を争う。
末松は、焦りを露わにする重治の再びの問いかけに、またしても曖昧な返答を返した。
時は、勝頼率いる武田軍が、北信濃と越後の国境を越えようとしている時にまで遡る。
「末松様。しばし、私はここから離れまする……、師匠には、上手く言って、ごまかしておいてくだされ」
「??信繁、どういう事だ!?」
武田軍と一緒に、重治を追いかけるように行軍の中にいた信繁たちは、重治の目の届かない場所にいて、重治の全く知らない画策を企ていた。
「……しかたないな‥‥。伊蔵、では二人で出かけるか‥‥」
もとから、重治には、信繁を連れて出かけなければならない理由はない。
ただ、重治自身には、それが、まず間違いなく将来、信繁の為になる。そう直感めいたものからきた行動であった。
現在、重治たちのいる武田勢の本陣から春日山へは、ほんの数キロの距離にある。
城下町にまで入って驚いたのが、乱といわれているものであるはずなのに、町が荒れ果てていないということであった。
景勝が、春日山に立てこもるのを攻略するための攻城戦であり、景虎、景勝共に、城下町を直接戦場とする事を避けたのがその大きな理由であった。
「シショウ……シショウ……シショウ!」
城まであと僅かに迫った時、騒がしいまでの元気な声が、重治の背中を追いかけてきた。
「シショウ……シしょうぉ、待ってくださぁい!!」
重治は、振り向く代わりに、ちらりと横を歩く伊蔵に目を向けた。
隣で歩く伊蔵は、何時もの通りのポーカーフェイスである。しかし、それでもどこか何時もと少しだけ違い、目が笑っているようである。
重治は、苦笑いを浮かべながら、伊蔵から声のする後ろへと視線を移した。
「はあ、はあ、はあ。師匠、待ってくれてもいいじゃないですか‥‥」
息をきらして、追いついた信繁が、子犬がお預けをくらったような悲しげな瞳を重治に向けた。
「‥‥師匠。景勝とは、どのような人物なんですか?」
重治の横にまで追いついた信繁は、このあと大々名を継ぐ、上杉景勝を隣のお兄ちゃんの事を尋ねるように気安く、名前を口にした。
春日山城下町が、戦場となっていないせいか、信繁は、まるで緊張感の欠片もない調子で、まるでピクニックにでも来ているように、楽しげに重治に尋ねていた。
「……そうだな、‥‥謙信様に負けない、義に厚い、立派な人だよ」
重治は、どう答えれば伝えられるか、言葉を選びながら信繁に話す。
「若いときから謙信様の片腕として‥‥、謙信様から、すべてを伝えられた、……そう、絶対的信頼のおける人物‥‥かな」
重治の言葉が、真に理解できたのかどうか、信繁の表情からは、読み取る事は出来ない重治である。
しかしこの先、武田家が滅んだあとも、真田家と上杉家との関わりは、必要不可欠なものとなっていく。
重治を介しての景勝との拝謁は、必ず、信繁に、真田家にとって、プラスと働くに違いなかった。
重治ら三人が城にたどり着くまでの間、全くといってよいほど人と出会わない。
不気味なほどの静けさに、ときより響く犬の遠吠えが、それに拍車をかけていた。
一度はこの町に訪れた事のある重治に、その時、輝く笑顔を見せていたこの町の住人のためにも、この諍いを早く治めねばならないと強く決意させていた。
僅かな時間で、何の障害にも出会う事なく、春日山城に着いた重治たちではあったが、その城の玄関にあたるそびえ立つ巨大な門は、堅く閉ざされたままで、外からの侵入を完全に拒絶していた。
伊蔵の調べた限りでは、春日山城内での小競り合いから、この戦いは始まったという。
その時には、景勝側が勝利を収め、城を手中に入れている。
しかし、城から出た景虎の行動は、景勝の予想を遥かに上回った。
北条家という名前を後ろ盾に、中立を決め込んでいた諸将を、次々に味方に取り込んでいったのである。
しかし、たとえどれだけの武将、豪族を取り込んでも、自分たちの本城である春日山を攻めるとなると、当然のように二の足を踏む。
ましてこれは、後継争いという名前の兄弟喧嘩でもある。
どちらが勝っても家臣たちからすれば、上杉は、上杉。それほど大きな問題とは捉えていない。
それよりも、つまらない兄弟喧嘩で領地の荒れるのを嫌ったのが表に現れた。
春日山城を巡っての攻城戦に対して、大半の武将たちは、消極的な態度を示したのである。
優位な立場になりながらも城を攻めに攻められない景虎は、遂には業を煮やし、北条、武田家、両家に出陣の要請をしたのであった。
「開門、願いまする」
重治は、ゆっくり、そして力強く、目の前の巨大な門戸を叩いた。
「甲斐の国より、武田家の使者として参った。‥‥景勝様に、景勝様に、お取り次ぎ願いたい」
再び、重治は、巨大な門戸を叩いた。
そんな繰り返しをした幾度となくしたが、中からの返答はまるでなく、目の前の巨大な扉が、開かきだす気配はまるでなかった。
「師匠。開きませんね‥‥。いったい、どういうつもりなんですかね……」
信繁は、事の重大さを知ってか知らずか、憤慨この上なく、これ見よがしに、門の中にも聞こえるほどの大きな声で、そう叫んだ。
しかし、信繁に感じる事の出来ない、門戸の中の状況が、刻一刻と変わりつつある様子を 重治と伊蔵は、察知していた。
「……信繁。お前は、少し下がっていろ‥‥」
「……?」
緊張ぎみの重治の言葉の意味がまるでわからない信繁は、重治に尋ねた。
「師匠。どういう意味ですか?」
重治とは違い、信繁には、門戸の中の様子の変化を感じとる事は出来ない。
そんな信繁に、今の状況を上手く説明する事自体、難しい。
目に見る事の出来ない門戸の内には、どんどん、人が集まっている。
その事を正直に説明すれば、信繁が後ろに下がるはずはない。
『一戦、始まる』などと説明すれば、逆の結果を招く事は、信繁の性格からして、わかりきっていた。
そんな悩みから、信繁には説明を うまくできずに拱いていた時、重治たちの目の前の巨大な扉が、大きく、きしむ音を響かせ、少しずつ少しずつ動き始めたのである。
「……くっ、しまった‥‥」
信繁を避難させる間もなく、ゆっくりゆっくりと、その城門は動き出し、中の様子を露わにし出した。
「‥‥えっ、えぇー!…………」
目に飛び込んだ、異様な状況。これには、重治も驚きを隠せなかった。
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