裏信長記 (少しぐらい歴史に強くたって現実は厳しいんです)

ろくさん

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四十五話 甲越同盟(その二)

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重治を驚かせた、門戸の内に垣間見せたその状況とは‥‥。



人の集まる気配は、確かに感じ捉えていた。しかし、そこから発せられる殺気自体を捉える事まではできないでいた。

そんな重治は、全ての状況を予測を出来ずに開門を目の当たりにする。


重治は、想わぬ急展開に、信繁を伴とした事を悔い始めていた。


重治自身は、例え、百の敵に囲まれようと、自分の命を守る術を知っている。
しかしそれが、人を護りながら闘う事となると、そう簡単なことではない。

重治達との稽古によって、メキメキ腕を上げている信繁といえども、百戦錬磨の毘沙門天の化身と言われた謙信の鍛え上げた将兵達相手では、まだまだ心許ない。


『ここは一旦、退くべきか?!』

重治が、躊躇している間にも巨大な扉は、ゆっくりと左右に、軋む音を響かせて開いていく。

重治と伊蔵は、手に持った刀の柄に手を置き、固く握りしめた。


「‥‥うん???‥‥えっ、えぇー」


開かれていく扉の僅かな隙間から垣間見える状況。それは、またしても重治の予想とは、まるで違う驚きの光景であった。


「師匠。ようやく開きましたね。きっと私の声が届いたんですよ」


重治の右往左往する心の葛藤を解らずに、信繁は開門の状況を嬉しげに見つめていた。



門戸が、全開となり重治の目に飛び込んだ状況、それは、重治たちを迎えるために、左右にずらりと並んだ将兵たちの数え切れないほどの人数で作り上げられた人垣の道であった。


そして重治たちを驚かせた人垣で作り上げられた道、その最深部から、重治にも顔馴染みの二人が、ゆっくりと近づいてきたのである。


近づいて来るその人物とは、この戦の中心人物、景勝その人であり、その傍らに控えし人物が、直江兼続である。


景勝と兼続は、重治のすぐそばにまで近づくと、恭しく大きな声で、次のように語り始めるとともに、これまた恭しく芝居がかって、深々と頭を下げたのであった。


「お館様、お待ち申し上げておりました」


最初、重治には、突然の景勝の言葉の意味が理解できなかった。
いや、正確に言うならば、景勝の発した言葉が、何故この時に発せられる言葉なのか、その意味がわからなかったのである。



『お館様』が、頭の中で響き渡る。

お館様?お館様?、景勝の語る、お館様は、上杉謙信、それ以外には考えられない。


重治は、今、目の前で起こっている、全く予想できなかった状況に、自らの思考回路は完全に停止してしまっていた。


重治のすぐ前で、深く頭を下げた景勝と兼続。
そして、それに続いて、周りにいる諸将たちまでもが、深々と頭を下げている。

この城にいる者すべてと言っていい者から、敬意をはらわれているのである。



状況把握が出来ずに、混乱を極めた重治は、助けを求めるように伊蔵の方に顔を向けた。

しかし、重治の視線が向けられた先の伊蔵もまた、重治と同様に、理解不能の状況に混乱をきたしているようであった。


伊蔵には珍しい、口を半開きにした締まりのない表情が、間違いなくその事を証明している。


この時代の人間で、最もこの国の情報を処理し、持ち得る人物である伊蔵でさえ、今のこの現状は、想像の範疇を遥かに越えてしまっていたのだ。


「い、いぞう……」


重治の発した言葉にならない言葉は、今の伊蔵に届く事はない。

ただ、茫然自失となった自分の気持ちを静め、持ち得るすべての情報を駆使して、今後のとるべき道、行動を探ろうとする事で、頭の中がいっぱいのようであった。



頼みの綱の伊蔵が、当てにならない状態で、次に重治の視線を移した先が、まだまだ少年の域を脱していない信繁である。


現代でいえば高校生の重治が、まだまだ少年と感じる今の信繁には、史実や歴史書から知る、知将、真田幸村のイメージは、片鱗も見受ける事は出来ない。


そんな信繁は、若さからの恐いもの知らずか、器の大きさからか、今、自分のおかれた、常識では計り知れない状況を なんの違和感も感じず素直に受け入れ、頭を下げる上杉の将兵を見て、重治に尊敬の眼差しを向けている。



景勝が発した言葉『お館様』は、信繁のように素直に受け取れば、それは確実に、誰にでもない、重治自身に向けられた言葉である。


「お館様。ここでは、何が起こるかわかりませぬ。‥‥ささっぁ、城の中へ……」


兼続の口から語られた、今の綴られた言葉は、間違いなく重治に向けられたもの。
これで、景勝の言ったお館様が、重治である事が疑う余地がなくなったこを意味していた。


『お館様』の言葉に同様した重治ではあるが、今告げられた兼続の言葉の意味は、冷静に受け取れた。
戦の最中、城の大門を開けたままでいる事が、良かろうはずはない。

重治は、戸惑いを残しながらも兼続に従い、春日山城に入っていった。


景勝と兼続を先導者に案内された場所は、やはりこの城の当主、主が、座する部屋である。


この事だけに関していえば、それまでの流れから言って、予想の範囲内の事であり、重治は、驚きはしない。

しかし、『何故?自分がお館様なのか?』瞑想状態の思考回路の状況が、未だ改善された訳ではない。


重治は、訳の判らない状況下のなか、最後には兼続の指示に従い、皆より一段高く設えられた、その主の座に座ることになったのである。


重治が、その席についている僅かな時間に、この城の景勝を支持してきた諸将たちもまた、この部屋に集まり、各々の席へと座していく。


重治は、まるで小姓のように、そばに控えることとなった、伊蔵と信繁に話し掛ける間も与えられることなく、その儀式にも似た時間が流れ始めるのである。

そして、それは、一本の巻物が重治に手渡され、その巻物の内容を確認した事が、始まりの合図となった。


「……お館様。よくぞお越しくださいました。われら家臣一同、その遺言書に記された、亡き謙信公のご意志に従い、重治様を主と致しますことをここで誓いとうございます」


「……ちょっ、ちょっと待って……」


確かに、書かれた書状には、重治にも見覚えのある謙信の直筆に違いない文字がならんでいる。


しかも、その内容といえば、自分が亡くなったあとの上杉家のすべての事を 息子同然の竹中重治に任せるという驚くべき内容。

重治は、何千何万という戦国時代の書状に目を通してはきたが、そんな話しは、見たことも聞いた事もない話しである。


「ちょっ、ちょっと待ってくれ。私は、武田家の名代として、ここに来たのであって……」


あたふたとする重治の言い訳を、目前に控え、期待感に溢れて、部屋いっぱいに集まった人間が、簡単に認めるはずもない。


「重治様は、亡きお館様、謙信様の御遺言を無視なさるおつもりか……」


兼続は、言葉の内容とはうらはらの、哀しげな弱々しい口調で重治に迫った。


「……謙信様の‥御遺言……」


重治にとっての急所が、ものの見事に攻めこまれた。
兼続の究極のその攻めにより重治は、言葉を失った。


重治が困った時、助けを求めるのは、いつも伊蔵。そしてこの時もまた重治は、右斜め後ろにいる伊蔵を振り返りみた。


振り返りみたこの時の伊蔵は、門前で混乱していた時とはまるで違い、何時もの冷静沈着な伊蔵に戻っていた。

しかし、助けを求めた重治の視線を受けた伊蔵は、必死で笑顔を噛み殺し、我が主の重治の上杉家当主、就任の喜びを表に出さないように抑えこんでおり、重治の気持ちを推し量る余裕はまるでなかった。


「…ふふぅ……」


重治は、周りに気づかれないように、ひとつ小さな、ため息をついた。


重治が、ため息とともに覚悟を決めて、家臣一同の集まる正面を 再び向いた時、未だに人の増え続けている不思議な感覚を覚えた。

確か、最初の景勝の口上のあった時、この城の主だった家臣は、すべて集まっていた筈である。

しかし現実には、部屋の入り口に目をやれば、次から次に、まだまだ人が入ってくる。




この時、この部屋には、確かに重治の考えている通り、この城の主だった諸将は、既に座していた。そう、この城の主だった者だけが。


今、次々に現れている者達もまた、間違いなく上杉家の家臣達である。

重治たちが城に入った時に兼続が、伝令に命を授け、敵方及び、中立を保っていた、武将、豪族、上杉家に連なる者達すべてに、『城に重治が入った』という知らせをふれ回らせた結果であった。


謙信の残した遺言の事を、上杉家家臣で知らない者はいない。

急死した謙信ではあるが、存命中に家臣すべてに、謙信自らが書き綴った遺言を伝えていたのである。


もし、謙信が亡くなったその場に、重治がいたとしたならば、この『お館の乱』が、歴史上、起きることはなかったであろう。

謙信の認めた後継者、重治を、次期当主とする事に意義を唱える者など、上杉家の中には、誰一人としていなかったのである。


しかし現実には、重治は、その時その場にはいない。

謙信の死、それを重治が知ったのは、武田家の立て直しに自信をなくし、行くさきの方向さえも見失いかけ、試行錯誤で、もがき続けていた最中の事であった。


会場に新たな人が加わり続け、ざわめきがさらに加速、広がる中、真打ちとなる人物の登場で、そのざわめきは、最高潮を迎えることとなる。


その男は、憮然とした表情もって、堂々と部屋へと入場してきた。

その男の入場をきっかけに、それまで加速し続けたその場のざわめきは、嘘のように影を潜め、静まり返ったのである。


その男とは、もちろん越後の国の内乱を起こすきっかけとなった人物、景虎である。



景勝を追い落とし、越後の実権をすべて手に入れるつもりであった景虎にすれば、重治の登場は、まるで予想外の出来事である。

それでも、生前の謙信の前で、一度は、次期当主と認めた重治からの登城の知らせを無視する訳にもいかない。

なぜならば、上杉家家臣にとって、景虎の言葉と重治という謙信の認めた次期当主の言葉では、重治の言葉の方がはるかに重い。

重治の出した命に逆らう事は、謙信の言葉に逆らうも等しく、上杉家の家臣の中に、そのような者は、存在しなかったのである。

そしてそれは、謙信と家臣たちとの切っても切れない、強い繋がりを示していた。



景虎は、部屋に入るなり、部屋の中を端から端までじろりと舐め回すように見回した。

そして、おもむろに大きく足を踏み出した。


もちろん、足を踏み出した先には、先に部屋に入っていた諸将が、おしめきひしめくように、ぎっしりと隙間なく座していて、歩ける道など存在しない。
しかし、今の景虎には、その足元に、人が居ようが居まいが、まったく意に介さない。


踏み出した先に座った者たちには、動けるスペースなどなかったはずなのだが、気づけばそこに道が出来ていく。

人波という海が、左右に割れて道のできる様は、映画、十戒のモーゼが海を渡るシーンのようである。

そんなモーゼのように、堂々と威厳を振り撒いてみせる景虎は、ズンズンと前へ前へと進み出て、重治に近づいていった。

そうして景虎は、景勝のすぐ横にまで来ると、平然と座る景勝をキッと睨みつけたあと、その場にゆっくりと悪びれもせずに腰を下ろした。


まさに、一触即発。
重治やその他の重臣がいなければ、掴み合いの喧嘩が始まっていてもおかしくない雰囲気を醸し出す。


景虎は、重治の前に座してもなお、あからさまなる不満の表情をまったく隠そうとはしない。

この場にいる者の中で唯一、謙信の遺言に従うつもりのない人間、それが景虎であった。


座し終えた景虎は、景勝から視線を外し、今度は、越後国上杉家を手中に収めるのに最大の障壁となるであろう重治をキツく睨みつけた。



睨みつけられた重治とて、それなりの修羅場を何度となく潜り抜けてはきている。
その程度の睨みや脅しで怯むはずはない。

それどころか、景虎のそんな態度が、重治自身決めかね迷走していた気持ちに終止符をうつ、きっかけとなったのである。



「……謙信公……今……」


大大名、上杉家諸将を目前にし、行き当たりばったりでの言葉を紡ぐ事など、今時の口先だけの政治家ではない重治に、簡単に出来ようはずもない。

重治は、胸元に一筋の冷や汗が流れるのを感じていた。


「‥‥今、‥‥本来の‥‥‥‥今、本来あるべき、お姿に戻られ、毘沙門天として、天にお帰りになられた謙信公に成り代わり、この竹中重治が、そのご意志に従い、この越後上杉家をあずかる。よいな!!」


紡ごうにも、まったく浮かんでこない言葉。それが突然、考えもしないうちに、自分の意志とは無縁に口から飛び出した。

重治は、その時、確かに、耳元に謙信の笑い声を聞いていた。



一触即発の緊迫した空気を割いて、少年の頃よりも少しハスキーになった重治の声が、会場に響き渡った。


「ははっあぁー」


一斉に、重治の見渡す人の波は、大きなうねりとなって、たった一人の頭を下げない男を除き、すべての者が頭を深く垂れた。


「……くっ‥‥‥‥」


悔しさで、重治にさえ届く歯軋りを噛んだ、その頭を下げない唯一の者も、結果的には、周りの状況に逆らう訳にもいかず、流されるように不満を抱えながらも、最後には頭を下げたのである。



この重治の宣言を終止符とし、お館の乱は、一時、休戦を迎える。


しかし、不満を抱えた景虎が、このまま大人しく引き下がる訳もなく、上杉家の継承が歴史通りに景勝へ譲り渡された後、再び蜂起を試みるのであるが、景勝への継承が家臣一同に認められた後では、その結果は明らかであった。




重治が、春日山城での、思わぬ成り行きに、心揺らめきつづけていた頃、安土城の信長の元に、重大な情報を運んできた者がいた。


「うむ。わかった。それでは、そのようにとりはかろう‥‥」


「ははぁ。有り難き御言葉。我らのため‥‥お手数、お掛けいたしまする」


才蔵は、信長に対して深々と頭を下げた。


「……うむ、‥‥で、‥‥し‥‥、うぉほぅむ……」


信長は、ひとつ、大きく咳払いをして、改めて言葉を紡ぎ出した。


「で、‥‥重治は、どう致しておる」


信長は、中空を見つめながら、才蔵に質問を投げかけた。


「はぁ、今頃は、勝頼殿に従い、越後に侵攻しているころかと……」


才蔵は、自分の知り得る最新の情報を信長の質問に対して、素直に提供した。


「‥‥そうか……。‥‥では、重治に‥‥、勝頼の件は、適当に切り上げてもよいから、早々に戻るよう……。‥‥い、いや、よい。‥‥今の言葉は、忘れてよい‥‥」


そう、照れくさげに言葉を濁した信長は、そのまま才蔵に、背を向けた。
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