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『王、辞めます。』
しおりを挟む王宮には、夜風が吹き込むわずかな隙間すら許さない静寂がある。
だが、この夜――ひとりの男が、そっとその沈黙から抜け出した。
「王なんて、やりたくない」
それが、彼の最後の独り言だった。
王・レオンハルト十七世。
幼少より「お飾り」と呼ばれ続け、政治の実務は宰相たちが握り、会議では意見すら求められない。
国の象徴であるはずの王が、国を動かす輪から外されているという倒錯。
彼はもはや、誰の目にも“ただそこに置かれた旗印”でしかなかった。
深夜の裏門を抜けたレオンハルトは、初めて味わう解放感に胸を震わせながら、街外れの林で力尽きた。
泥にまみれ、王とは到底思えぬ格好のまま倒れていた彼を、ひとりの青年が見つける。
「……おい、生きてるか?」
青年の名はジグ。
粗野な性格で、口は悪いが根は放っておけない性質の持ち主だ。
「……すまない、少し道に迷って……」
「道も何も、この時間にこんな場所で倒れてる時点で怪しいだろ。追われてんのか?」
「いや……まあ、追われて……いる……かもしれない」
王としての矜持はどこへやら、レオンハルトは空腹でふらつく体を支えられながら、青年に連れて行かれた。
「飯、残り物ならある。手伝いもしろよな。他人の家なんだから」
「……恩に着る」
王が民の家で、普通の食事を食べる――そんな当たり前の体験ですら新鮮に思えた。
翌朝。
ジグは粗末なテーブルの向かいで、ぼそりと言う。
「で、お前名前は?」
「……レオ……とか呼んでほしい」
「ふーん。まあいいけどよ。それで、何があった?」
レオンハルトは言えない。
「王宮から逃げた王だ」などと。
だが状況は容赦なく迫っていた。
宮殿内では王不在を隠すために大騒ぎが起きており、その混乱の中で“王の失踪”を好機と見る勢力が暗躍し始めていた。
噂と裏資金を操る宰相派閥、力で押し通す武官派、国外の諜報機関まで入り乱れ、王を巡る争いは瞬く間に泥沼化する。
そして、レオンハルトとジグの近くにも、その波は届いた。
昼下がりの酒場。
ジグとレオンハルトは、町外れへ向かう道を聞き出そうとしていた。
「――金髪の若い男を捜している。宮殿からの“使い”だってさ」
「へぇ。お偉いさんがわざわざ田舎まで?何やったんだそいつ」
酒場の客の会話に、レオンハルトは青ざめた。
暗殺者が動いている――そのことを即座に悟る。
「……ジグ、ここはまずい。出よう」
「なんだよ急に。まあ、雰囲気悪いしな」
酒場を出た瞬間、背後で短い悲鳴が上がった。
次の瞬間、刃が壁に刺さり、二人の間をかすめる。
「おいレオ!お前、何者だ!?」
「――言えない。ただ、命を狙われる理由がある。それだけだ」
「十分すぎる理由だよ!」
ジグはレオンハルトの腕を掴み、路地へと走る。
暗殺者の影がいくつも瓦の上を跳ねる。
逃げながら、レオンハルトは気付いてしまった。
自分が逃げたことで、宮殿と民が巻き込まれ、国が音を立てて揺らぎ始めていることに。
――王の不在は、ただの“逃亡劇”では済まない。
二人は外れの丘に辿り着いた。
追っ手はまだ遠いが、時間の問題だった。
「……お前さ」
息を整えながら、ジグが言う。
「正体を話せ。じゃなきゃ手の打ちようがない」
「……」
レオンハルトは、もう嘘がつけなかった。
「私は――この国の王だ」
沈黙。
「……は?」
「勝手に逃げ出して……すまない。迷惑をかけた」
「いやいやいや。……あの“お飾り王”って噂の?」
「……そうだ」
ジグはしばらく呆然としたが、次第に顔をしかめた。
「おいレオ。王だろうが何だろうが、俺はお前を拾ったんだ。途中で投げ出すのは気分悪い」
「……ジグ」
「でもよ、国はどうすんだ?逃げれば楽かもしれねぇけど、お前がいないともっと面倒なことになるだろ?」
レオンハルトの胸に突き刺さる。
逃げたい。
だが、逃げ続ければ国は壊れる。
王としての責務と、ひとりの人間としての自由――そのどちらを選ぶのか。
ジグはぽつりと言った。
「……俺はさ。王でもなんでもないお前を、そこそこ気に入ってる。王じゃなくても、ただの“レオ”としては、割と好きだぞ」
その言葉が、レオンハルトの胸の奥に火を灯した。
逃げたかったのは、王の座じゃない。
本当は――“孤独”だったからだ。
空が朱に染まり始めたころ、レオンハルトはゆっくり立ち上がる。
「戻るよ。……国のためじゃない。自分のために」
「そうか」
「でも、その前に一つ頼みがある」
「なんだよ」
「……一緒に来てくれないか」
ジグは肩をすくめ、笑った。
「仕方ねぇな、相棒。王様ってのは面倒な奴だ」
二人は並んで宮殿へ向かう道を歩き出した。
その背には、迫り来る陰謀の影も、暗殺者の気配もある。
だが――彼らの間には、もう恐れるほどの“孤独”はなかった。
王が王座に戻るとしても、あるいは捨てるとしても。
その選択は、共に歩む友と掴む未来の一歩であるはずだ。
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