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『悪役令嬢だが、断罪イベントを奪われたので黒幕を最初から殴りに行く』
しおりを挟む王立学園の中庭に、妙な沈黙が落ちていた。
「……で、いつ断罪されるの?」
ため息をつきながらつぶやくのは、アリステア・ラングレー公爵令嬢。
世間的には“高慢で意地悪な悪役令嬢”として名高い――ことになっている。
実際のところは、学園のトラブルを影で処理しまくっている働き者である。
しかし今日ばかりは気分がすぐれない。
本来なら、私は今日の昼休みに盛大に断罪される予定だった。
王太子殿下や取り巻きが集まり“聖女ハンナ”を庇って大声で糾弾する、あれだ。
定番のイベント。
むしろ何度も何度も練習してきたくらいだ。
ところが――。
「断罪式の連絡が来ないなんて、おかしいわよね?」
私はスカートを払って立ち上がる。
そこへ、私の護衛騎士であり幼なじみのライナスが静かに近づいてきた。
「アリステア様。……怒っていらっしゃるのですか?」
「怒ってはいないわ。ただ、予定が狂うのが嫌なのよ」
ライナスは眉を寄せ、周囲を見回す。
背が高く、銀の髪を後ろで束ね、無口で冷静。
そんな彼が私のために動いてくれるのはありがたいけれど……。
「断罪イベントが発生しない理由、わかっています」
「え?」
「――聖女ハンナ様が行方不明です」
「……はい?」
その情報は、さすがに予想外だった。
「昨晩、寄宿舎を出たあと戻らなかったとのこと。殿下たちはまだ隠しているようですが」
「ええと……」
私の脳内で、断罪イベントがバラバラに崩れ落ちる。
(ちょっと待って、それじゃあ私を断罪する“根拠の中心人物”がいないじゃないの!)
つまり、いじめたとされる聖女本人がいないのだ。
これではイベントが成立しない。
「……」
「アリステア様?」
「……はああぁ……」
私は頭を抱えた。
「本当にろくでもないわね。黒幕ってやつは」
ハンナを攫ったのは間違いなく別の誰か。
何者かが彼女を利用して私を陥れようとしていた。
そして今度は、断罪式が始まる前に“始末”に動いたのだろう。
「……まったく。私の名誉を勝手に汚したうえ、予定まで狂わせるなんて」
「アリステア様、落ち着いてください」
「落ち着いていられるわけないでしょう?」
私はくるりと踵を返す。
「こうなったら……先に黒幕を殴りに行くわ!」
「……はい?」
「断罪式がないなら、犯人をとっ捕まえて私の潔白を証明するしかないじゃないの!」
ライナスは小さくため息をつき、しかしすぐに私の隣に並んだ。
「わかりました。お供します」
「当然よ。あなたがいないと、黒幕の顔面に正確に拳を叩き込めないし」
「……拳、ですか?」
「ええ、拳よ。今日の私は優雅な令嬢じゃないわ。“名誉回復のために黒幕を殴る公爵令嬢”よ!」
ライナスの口元がわずかに緩む。
「……アリステア様らしいですね」
聖女ハンナが攫われた場所を調べると、寄宿舎の裏手に“魔力で隠された魔法陣”が残されていた。
その痕跡を追ってたどり着いたのは、王都郊外の古い修道院。
「……怪しすぎるわね」
「はい」
入口は閉ざされ、人気もない。
しかし中から微弱な魔力反応がある。
「潜り込むわよ」
「アリステア様、足元に気をつけて。……あと、そのスカートでは戦闘が難しいかと」
「あら、分かってるの?今日は動きやすいように下にショートパンツを履いているわ」
「……準備が良すぎます」
「断罪式も予定が狂うと思って、こっそり準備しておいたのよ」
私は指を鳴らし、ライナスが静かに扉を蹴破る。
中は薄暗く、古びた柱が並ぶ大広間だった。
その中央には、鎖で拘束されたハンナの姿があった。
「ハンナ!」
「っ……アリステア様……?」
彼女は泣き腫らした目でこちらを見る。
「ねえ、誰に攫われたの?見覚えは?」
「それは……っ……!」
そのとき、空気が変わった。
冷たい笑い声が、空間に響く。
「……ふふ。まさか、悪役令嬢が本当に来るとはね」
闇の奥から姿を現したのは、漆黒のローブを纏う青年。
学園の副教師ーーアレクト・ハーシェル。
温厚で有名だったはずの平凡な教師だ。
「あなた……黒幕だったの?」
「そうだよ、アリステア嬢。君を陥れるつもりだったが、断罪式前にハンナが『逃げたい』などと泣きついてきてね。だから少し予定を早めたんだ」
「最悪ね」
「君の家の権力が邪魔でね。王国から排除したかっただけだ」
「人を勝手に悪役にしておいて、何を言ってるのよ」
私はゆっくりと前に出る。
「でも、ありがとう」
「……は?」
「あなた、私の“殴りたい欲”を刺激してくれたわ」
アレクトの眉が跳ね上がる。
「ライナス、いくわよ」
「はい。……殿下からの命令でもあります。“アリステア様を守れ”と」
「えっ?」
聞き捨てならない言葉が混ざったが、今は後回しだ。
私はドレスの裾をたくし上げ、軽やかに駆けだす。
「え、ちょっ……何で近接戦闘――っ!」
「うるさい!」
拳がアレクトの頬に直撃した。
「っぐ……!?」
「あなたのせいで断罪が消えたのよ!!私がどれだけ本気で“悪役令嬢らしく”演じてきたと思ってるの!?最低、最悪!せめて顔面の一つくらいは殴らせなさい!」
「アリステア様!落ち着いて!」
「落ち着いているわよ!」
アレクトが魔法を放つが、ライナスがすべて斬り裂く。
剣を振るう姿は真剣そのもの。
「ライナス……あなた、ちょっと格好よすぎない?」
「アリステア様に褒められるとは光栄です」
「あとでちゃんと褒めてあげるから、今は倒すのが先!」
二人でアレクトを追い詰め、ついに魔法陣が崩壊する。
ハンナの拘束が解け、アレクトは膝から崩れ落ちた。
「ば……馬鹿な……公爵令嬢が……戦えるわけ……」
「あなたの狭い世界で物事を判断しないでほしいわね」
私は指を鳴らし、ライナスがアレクトの手を縛り上げる。
「さて、これで私の潔白は証明されたわけだけど」
「……アリステア様」
ライナスが、ふいに頬を赤くする。
「どうしたの?」
「いえ……その。アリステア様が“名誉回復のために黒幕を殴る公爵令嬢”と言ったとき……とても、格好良かった」
「なっ……!」
思わず顔が熱くなる。
「わ、私はそんな……!」
「俺は、アリステア様のそういうところが好きです」
「ちょっ……!」
深呼吸一つ。
私はぷいっと横を向く。
「……あとで、その告白の続きを聞くわ」
「はい」
救出されたハンナは私に泣きつき、感謝の言葉を述べた。
帰り道、ライナスは静かに私の隣を歩いている。
「断罪式はなくなりましたが……」
「ええ。まあ、たまには良いわね。断罪されない悪役令嬢も」
「では次は、“名誉回復式”でしょうか?」
「ふふ……いいわね、それ」
私はライナスの手をそっと握った。
王都に戻れば大騒ぎだろうけれど、それはきっと、今日より少し明るい騒ぎになる。
――断罪の代わりに、私は黒幕を殴り倒した。
――そしてようやく、自由になった。
(まあ……そのうちライナスと向き合う未来も、悪くないかもね)
そんな予感を胸に抱きながら、私は歩みを進めた。
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