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『悪役令嬢の遺言状により、王国がひっくり返る』
しおりを挟む王国史上、もっとも静かで、もっとも衝撃的な“葬儀”が行われた。
――エメリア・ヴァルシュタイン。
王太子レオンハルトの元婚約者にして、公爵家の令嬢。
民からは“冷酷な悪役令嬢”と囁かれていた。
彼女が馬車事故で死亡した、という報せは城下を揺るがし、宮廷を凍りつかせた。
だが、その死よりも人々の耳目を奪ったものが一つある。
彼女の遺言状である。
葬儀の後、王城の会議室に重鎮たちが集められ、重厚な封蝋が施された封筒が机の上に置かれた。
封蝋に刻まれた紋章――ヴァルシュタイン公爵家、その家紋は確かに本物。
国王の視線を受け、王太子レオンハルトが震える指先で封を切った。
そして。
『わたくしを陥れ、王家転覆を図る者たちの名をここに記します。国の未来のため、どうか調べを。――エメリア・ヴァルシュタイン』
室内は一瞬にして沈黙に包まれた。
文面を読み上げるレオンハルトの声がわずかに震えている。
名を連ねられていたのは、王城内外の複数の高位貴族。
中でも、シュタイナー侯爵の名が記されていたことに、全員の顔色が変わった。
遺言状が置かれた机を前に、国王は低く呟く。
「……エメリア嬢が、このようなことを。真偽を確かめねばならぬな」
「もちろんです、陛下」
レオンハルトはまっすぐ父を見た。
「ですが……」
「レオン?」
「……この文には、彼女にしか使わない“暗号”が隠されています」
ざわり、と貴族たちが色めき立つ。
「つまりこれは……」
「生前に用意していた、というだけの話では?」
「違う」
レオンハルトはきっぱりと言い切った。
「――エメリアは、生きています」
その確信には根拠があった。
エメリアが子供のころから使っていた“符号”が、文の中に混ぜ込まれていたのだ。
暗号の意味はただ一つ。
『助けて。生きている。動いている』
王太子の胸に押し寄せる安堵と焦りを、表情だけでは隠しきれない。
(エメリア……待っていろ。必ず迎えに行く)
レオンハルトは、その場を離れた瞬間、私兵と秘密部隊に極秘の招集をかけた。
「――時間がありませんわね」
ひんやりとした地下の空気の中で、エメリアは小さく息をついた。
灯されたランタンの明かりが照らすのは、古い地下水路を改造した秘密の通路。
彼女は黒いローブ姿で、その奥をそっと進んでいく。
馬車事故――国家を揺るがした出来事の真相は、完全な偽装だった。
エメリアは“事故で死んだ”のではない。
事故を装って姿を消し、陰謀の中心地へ潜入するための準備だったのだ。
「シュタイナー侯爵たちが動くのは明日。政変が成功すれば……王国は終わり」
エメリアの声は静かだが、眼差しは鋭く冴えている。
彼女は“悪役令嬢”と呼ばれていたが、それは貴族社会に蔓延る腐敗と戦うための仮面に過ぎなかった。
陰謀の調査官として王太子から極秘裏に任されていたのだ。
……しかし彼女は知っている。
明日の計画を止められなければ、レオンハルトさえ命を失うだろう。
「急ぎましょう。もうすぐ――証拠の保管庫が……」
そのとき。
カシャン、と後ろで音がした。
「……っ!」
振り返ると、フードを被った数人の男たちが立っていた。
「エメリア・ヴァルシュタイン。よくもまあ、ノコノコと来てくれたものだ」
「捕らえろ」
刹那、男たちが一斉に飛びかかってくる。
エメリアは反射的に短剣を抜き、迫る腕をかわし、ひとりの喉元に刃を突きつけた。
が、数が多い。
後方から腕を掴まれ、肩を押さえつけられ――
(ここまで……?)
その瞬間だった。
――ザシュッ。
鈍い音とともに、一人、また一人と男たちが倒れていく。
「……?」
エメリアが目を見開く中、黒い外套の男が闇から歩み寄ってきた。
顔の半分を覆う仮面。
だが、彼の動きも、佇まいも……どこか懐かしい。
「お怪我は?」
低く落ち着いた声が響く。
「あなた……誰ですの?」
「味方ですよ、エメリア嬢」
仮面の奥から、穏やかな金の瞳が覗いた。
その色を、彼女はよく知っている。
胸が強く跳ね上がる。
「……レオン様?」
男は仮面を外し、柔らかく微笑んだ。
「迎えにきた、エメリア」
彼女は思わず息を呑んだ。
「どうして……ここに?」
「君の遺言状に仕込まれた暗号を読まないわけがないだろう。一人で行くなんて言っただろうに、まったく……」
レオンハルトの声は叱るようでいて、震えていた。
「生きていて……本当に、良かった……」
その微かな震えが、エメリアの胸に深く響く。
「レオン様……わたくしのために……?」
「当然だ。君がいない世界に、何の意味がある?」
――心臓が痛いほど跳ねた。
「ま、待ってください。今は任務が――」
「任務より大事なものが目の前にいる」
「…………っ」
エメリアは言葉を失った。
だが、レオンハルトは彼女の手を取って、まっすぐに言った。
「さあ、行こう。君が集めた証拠で、すべてを終わらせる」
「――やはり来たか、王太子殿下。そして“死んだはず”のエメリア嬢」
地下の広域会議室に踏み込むと、シュタイナー侯爵が椅子に座り、余裕の笑みを浮かべていた。
「遺言状のおかげで随分と計画が狂ったよ。まさか生きていたとは」
「残念でしたわね。わたくし、しぶといのが取り柄ですの」
エメリアは涼しげに笑みを返し、机の上に分厚い帳簿と書簡を叩きつけた。
「これがあなた方の裏取引、すべての証拠です。外では王国軍が包囲を固めていますわ」
「くっ……!」
「シュタイナー侯爵」
レオンハルトの声は凍るように低い。
「君たちの企みは終わりだ」
兵たちがなだれ込み、黒幕の貴族たちは次々と拘束された。
地下室は悲鳴と怒号で満たされ、長かった陰謀は――決定的に崩れ去った。
地上へ戻るころには、空が白み始めていた。
朝焼けの柔らかい光が、エメリアの頬を照らす。
「……終わりましたわね」
「ああ。君のおかげだ、エメリア」
レオンハルトがそっと彼女の肩に手を置いた。
振り返った瞬間、彼の金の瞳が真っ直ぐに彼女を映す。
「エメリア。……生きていて、本当に嬉しい」
「レオン様……」
「もう二度と、君を失いたくない」
その言葉は、地下よりも深く、エメリアの心に刺さった。
「……なら、遺言状を書き直しませんとね」
小さく微笑むエメリアに、レオンハルトは目を細める。
「どう書くんだ?」
「“王太子レオンハルト殿下に、永遠の忠誠と……愛を捧げる”と」
「……エメリア」
レオンハルトは彼女の手を取り、指先にそっと口づけた。
「その遺言状は……生きているうちに、何度でも見せてくれ」
朝の光の中、二人はそっと寄り添う。
“悪役令嬢”と呼ばれた少女の遺言状によって揺らいだ王国は、いま、静かに新しい朝を迎えていた。
そして――
彼女の仮面が落ちた先にあったのは、確かな愛と、未来だった。
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