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第3話 兄という名の絶対権力
しおりを挟む王都中央、王国軍本部。
重厚な石造りの建物の前に、数台の馬車が止まった。
早朝だというのに、門前の空気は異様に張り詰めている。
「……来たぞ」
誰かが小さく呟いた。
音もなく降り立った男を見た瞬間、その場にいた将校たちは、反射的に背筋を伸ばす。
王国軍総司令官――
レオンハルト・ヴァルシュタイン。
黒髪を後ろで束ね、感情の読めない灰色の瞳で前を見据える。
戦場に立つ者だけが知る、“逆らってはならない存在”の気配を、彼は纏っていた。
「総司令官閣下!」
「おはようございます」
次々と敬礼が飛ぶ中、レオンハルトは最低限の頷きだけを返し、執務棟へと足を進める。
その歩みに、迷いは一切なかった。
*
執務室。
扉が閉まるや否や、待機していた参謀が一斉に報告を始める。
「王太子派貴族、現在二十三名。不正会計、徴税操作、物資横流し……いずれも証拠は揃っています」
「聖女ミレーネ関連の調査も進展しました。奇跡とされた治癒事例の大半が、事前に薬剤と魔術補助を用いた演出と判明しています」
淡々と並べられる“王国の膿”。
だが、レオンハルトは驚きもしない。
「……遅い」
その一言に、室内が静まり返った。
「昨日の時点で、すでに切れるものはすべて切れているはずだ」
参謀が息を呑む。
「では……次の段階へ?」
「ああ」
レオンハルトは、机上の書類に視線を落とす。
その最上段に記されていたのは、ある伯爵令嬢の名前。
エミリア・ヴァルシュタイン。
一瞬だけ、彼の指が止まった。
「……妹の件は?」
参謀は、慎重に答える。
「屋敷で静養中です。表向きは平静ですが……」
それ以上、言葉は続かなかった。
――不要だ。
それだけで、十分すぎるほど伝わった。
「そうか」
レオンハルトは、ゆっくりと目を閉じる。
「……やはり、王太子は理解していなかったようだな」
声は低く、静かだった。
だがその静けさこそが、怒りが“制御された状態”である証だった。
「妹は、王国のために動いた」
彼は淡々と続ける。
「諫言を嫌われ、不正を指摘すれば疎まれ、それでも立場を守り続けた」
視線が上がる。
「その妹を、衆目の前で“悪役”に仕立て上げた」
沈黙。
「――愚かだ」
それは断罪ではない。
ただの、事実の確認だった。
*
その頃。
王城では、王太子カイエルが苛立ちを隠そうともせずに歩いていた。
「なぜだ……なぜ、誰も来ない」
呼び出したはずの貴族は姿を見せず、側近たちもどこか歯切れが悪い。
「殿下……」
「言い訳は聞きたくない!」
そう叫びかけた瞬間、廊下の奥から、規則正しい足音が響いた。
――軍靴の音。
現れたのは、王国軍の将校たちと、その先頭に立つ男。
「……レオンハルト、卿?」
カイエルの声が、わずかに揺れる。
「王国軍総司令官が、なぜここに……」
レオンハルトは、一礼もしなかった。
ただ、王太子を見下ろす。
「報告に来た」
「報告……?」
「王国軍として、今後の“協力体制”を見直す」
それだけで、周囲の貴族たちの顔色が変わった。
軍が、王太子から距離を取る――
それが何を意味するか、理解できない者はいない。
「な、何を勝手なことを……!」
カイエルが声を荒げる。
「私は王太子だぞ!」
「だからだ」
レオンハルトは、静かに言った。
「王太子だからこそ、これ以上の失態を許容できない」
一歩、近づく。
その距離に、カイエルは思わず後ずさった。
「安心しろ。まだ“処分”ではない」
その言葉に、一瞬、安堵が走る。
だが次の一言が、その希望を叩き潰した。
「――ただの、準備だ」
レオンハルトは背を向ける。
「すべては、正しい手続きのもとに行われる」
去り際、振り返りもせずに告げた。
「妹を泣かせた代償が、どれほど高くつくか――じきに、わかる」
残された王太子は、その場に立ち尽くすしかなかった。
彼は、まだ知らない。
この瞬間、自分がすでに“詰み”の局面にいることを。
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