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『傍観者の婚約破棄劇』
しおりを挟む王都メルファレストの大広間は、晩餐会の光と熱気に包まれていた。
煌びやかなシャンデリアの下、貴族たちは笑みを張り付け、互いの虚栄を品評し合う――そんな場の端っこで、私は銀の杯を手に、壁の模様を眺めていた。
名はレイド・アステリア。伯爵家の三男。
地位も権力もなく、家の用事は兄二人がすべて引き受けるため、私は暇を持て余す身分ゆえ――世で起こる貴族の醜聞や悲劇を「記録するだけ」の傍観者として生きてきた。
(今日も何か起きるだろうか)
そう思いながら杯を口に運んだ瞬間、場を切り裂くような怒号が響いた。
「――リリアーナ・フォン・グレイス!貴様との婚約を、ここに破棄する!」
案の定である。
声の主は、この国の第二王子、クラウス・フォン・メルファレスト。
完璧な金髪に碧眼、育ちの良さが滲む立ち振る舞い。
その高慢な表情は、まさに典型的な「婚約破棄する王子」の顔だ。
そして糾弾される令嬢リリアーナは、白銀の髪を揺らし、凛として王子を見返していた。
彼女は名門侯爵家の令嬢で、周囲からの評価は常に高い。
(ふむ、これは聞き逃せないな)
私は壁から静かに離れ、人の群れの後方に紛れ込んだ。
ここからなら、すべてがよく見える。
「クラウス殿下、そのような声を張り上げて……理由を伺っても?」
「理由も何もあるか!おまえがしてきた数々の悪行、すでに証拠も揃っている!」
クラウスが掲げた羊皮紙。
そこには「侍女への虐待」「他令嬢の陰口」「王子への執拗な束縛」――実に典型的な悪役令嬢像が並んでいる。
(だが噂で聞く限り、リリアーナ嬢がそんなことをするとは思えない)
私は眉をひそめた。
「殿下、その証拠とやら、誰が用意したものですか?」
「もちろん、私の愛する人――ミーナだ!」
出た。
王子の背後から現れたのは、小鹿のようにか弱い雰囲気をまとった男爵家の令嬢ミーナ。
これまたよくある構図だ。
「では殿下。私に対し、このような冤罪を信じ、婚約を破棄されるのですね?」
「そうだ!貴様など、最初から必要なかった!」
場の空気がざわめく中、リリアーナは小さく息をついた。
「では、こちらからも一つ申し上げます。――その婚約、こちらからも破棄させていただきます」
静かな声に、誰もが息を呑んだ。
クラウスの顔色が変わる。
「な、何を……!おまえに選ぶ権利など……!」
「ありますわ。そもそも婚約とは双方の合意があって成立するもの。破棄もまた、同じことです。そして――」
リリアーナは優雅に一礼し、続けた。
「この国の法では、不当な婚約破棄を行った側に、違約金が発生します。殿下が提示なさった証拠、実に興味深い。ぜひ王宮の審問で、真偽をはっきりさせましょう」
クラウスは凍り付いた。
(うまい……!)
私は思わず心の中で拍手した。
責めもせず、怒りも見せず、淡々と法を持ち出して返す。これでは王子側に逃げ道がない。
「審問……?し、しかし……」
「もちろん、殿下が望むのであれば、審問はせずともよいのですよ?ただしその場合――不当破棄の責はすべて殿下に」
ミーナの顔が青ざめた。
クラウスの手が震える。
(この時点で、すでに勝敗は決したな)
とはいえ。
これまで多数の婚約破棄現場を見てきた私だが、ここまで鮮やかに返した令嬢は初めてだ。
静まり返った会場の中、リリアーナは一度だけこちらを見た。
その視線はまっすぐで、わずかに笑っているようにも見えた。
(……ん?私は壁際にいたはずだが)
誰にともなく観察していたつもりだったのに、彼女は気づいていたらしい。
「……殿下」
沈黙を破ったのは、ミーナの震える声だった。
「わ、わたくし……もう耐えられません……こんな……!」
泣き崩れるミーナ。しかしクラウスの視線は明らかに揺らいでいる。
リリアーナはその様子を冷静に見守り、
「殿下、どうぞご自由に。わたくしはあなたの判断を尊重いたします」
とだけ告げた。
結局――クラウスは審問を避け、婚約破棄を正式に認めた。
これはつまり、王子側が不当破棄だと自ら認めたのと同じ。
違約金は莫大で、王家の威信は確実に傷つくだろう。
(まあ、それも自業自得だ)
宴は混乱のままお開きとなり、人々が帰り始めた頃。
私は広間を出ようとしたところで、背後から声をかけられた。
「――アステリア伯爵家の三男、レイド様ですね」
振り返ると、リリアーナだった。
「本日は、見事な采配でしたね」
「いえ、私はただ見ていただけで……」
「でも、あなたがずっと“見ていた”こと、気づいておりました」
淡々とした声音。それでいて、どこか面白がっているような気配。
「あなたのような方なら――私の味方になってくれるかと思いまして」
「……味方?」
「ええ。わたくし、これから“自由に生きる”予定なのです。婚約という鎖がなくなった今、広い世界を見てみたいと思って」
その瞳は、先ほどよりもずっと輝いていた。
「よろしければ、レイド様。あなたも同行なさいませんか?案外、傍観者には傍観者なりの旅の仕方があるのでしょう?」
心臓が跳ねた。
私はただ観察するだけの存在だった。
それで満足していたはずだったのに、こうも自然に誘われると――胸がざわつく。
「……ふむ。悪くはない提案ですね」
気づけば口が勝手に答えていた。
リリアーナは柔らかく笑い、
「では決まりです。まずは旅支度から始めましょう」
と歩き出した。
私はその背中を眺めながら思う。
(――どうやら今日から、傍観者ではいられそうにない)
大広間の喧騒が遠ざかる。
夜風が冷たく、どこか新しい物語の匂いがした。
――こうして、婚約破棄劇の傍観者であった私の人生は、大きく動き出したのだった。
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