婚約破棄短編集

由香

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『拍手はしない傍観者』

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 卒業舞踏会の夜は、いつだって出来の悪い舞台装置のようだ。
 豪奢なシャンデリア、過剰な香水の匂い、張りついた笑顔。
 貴族たちは皆、役を演じることに慣れすぎている。

 だから今夜、この場で何が起こるかを、誰もが薄々理解していた。

(来るな)

 私は壁際に立ち、グラスの中で揺れる琥珀色の液体を眺めながら、そう思った。
 予感ではない。予定調和だ。

 なぜなら――ここは、私がかつて書いた物語の世界なのだから。

 私の名はエリオ・ラグレン。
 下級貴族の三男で、学園では空気のような存在。
 原作においては、名前どころか設定すら存在しない、完全な傍観者。

 意図した通りだ。
 私は、自分自身を物語の外に置いた。

 転生したと気づいたのは、幼い頃だった。
 魔法、貴族制度、学園。
 そして、いくつもの既視感。

 決定打は、侯爵令嬢セシリア・フォン・ルーウェンを初めて見たときだった。

(ああ……君か)

 彼女は、私が“悪役令嬢”として書いた存在だった。

 今夜は、その物語の第一章――最大の見せ場。
 卒業舞踏会での、婚約破棄。

「――セシリア・フォン・ルーウェン」

 公爵令息アレクシスの声が、広間に響く。
 若く、甘く、自信に満ちた声。

「君は平民である彼女を妬み、虐げた。そのような者を妻にはできない。よって、ここに婚約を破棄する」

 完璧だ。
 私が書いた通りの台詞。
 一字一句、修正すら入っていない。

 周囲がざわめく。
 皆が期待している。
 次に起きる“断罪”を。

 原作では、ここでセシリアは声を荒げ、涙を流し、言い訳を並べる。
 そして聖女と称される平民少女が現れ、正義の名のもとに裁きが下る。

 読者が最も盛り上がる場面だ。

 ――だが。

「承知いたしました」

 セシリアは、そう言った。

 静かに。
 驚くほど、静かに。

 一礼し、ドレスの裾を整え、それだけで終わりだった。

 広間が凍りつく。
 誰もが、次の台詞を待っている。

 だが彼女は何も言わない。

(……ほう)

 私は、思わず口元を緩めた。
 原作者としてではない。
 ただの観客として。

 この台詞は、私の原稿には存在しない。

「では、これで失礼いたします」

 彼女はそう告げ、踵を返した。
 背筋を伸ばし、堂々と。

 その姿を見送りながら、私は確信する。

(気づいたな)

 彼女は、自分が“役”を与えられていることに。
 そして、それを降りる選択をしたのだ。

 数日後、噂が学園を駆け巡った。

 セシリア・フォン・ルーウェンは国外へ留学した。
 研究機関に籍を置き、貴族社会から距離を取ったらしい。

 一方、アレクシスは順調に転落していった。
 平民少女との恋は美談にならず、政治的な後ろ盾も失った。

 これもまた、私が書いた通りだ。

 救国の物語は進む。
 だが幸福になる者は、決して多くない。

 学園の中庭で、私は一人、ベンチに腰掛ける。

 婚約破棄とは、始まりではない。
 それは――線引きだ。

 物語に縛られる者と、そこから降りる者。
 主役であり続ける者と、自由になる者。

 私は、最初から決めていた。

 もしこの世界に来ることがあれば、私は決して登場人物にはならないと。

 介入しない。
 修正しない。
 結末を書き換えない。

 それが、作者としての最低限の礼儀だと思ったからだ。

 世界は、物語通りに救われる。
 そして、物語通りに歪む。

 それでいい。

 私はただ、最後まで見届ける。

 ――拍手はしない。

 喝采は、舞台の上の者に向けられるものだ。
 書いた者は、観客席で黙って幕が下りるのを待てばいい。

 夜風に吹かれながら、私は空を見上げる。

 この世界の行く末を、私は誰よりもよく知っている。

 なぜなら――
 その筋書きを、最初に書いたのは私なのだから。




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