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第十話 鬼将軍の妻として、生きる
しおりを挟む後宮からの正式な通達が下ったのは、それから三日後だった。
鬼将軍・玄耀と、巫女・紗月の婚姻は、
政略ではなく、正当な縁として認められる。
簡潔な一文。
けれどそこには、後宮という巨大な檻が、二人を“管理対象”から“人としての存在”へ引き上げた証があった。
紗月は、文を読み終え、そっと息を吐いた。
「……終わったのですね」
そう呟くと、ようやく実感が湧いてくる。
命令として始まった婚姻。
契約として結ばれた縁。
それが今、初めて――
自分の意思で続ける関係になった。
「終わった、か」
玄耀は、低く反芻するように言った。
「始まった、とも言える」
紗月は、驚いて彼を見上げる。
玄耀は、視線を外しながら続けた。
「契約は終わった。後宮の命でもない。だが……」
一瞬、言葉を探す沈黙。
「俺は、お前の傍にいるつもりだ」
胸が、きゅっと締め付けられる。
「……それは」
紗月は、指先を握りしめた。
「“将軍の判断”ですか。それとも――」
「夫としてだ」
短く、しかし確かに。
紗月の目に、涙が滲んだ。
*
季節は、静かに巡っていた。
屋敷の庭では、薄紅の花が咲き始めている。
紗月は、巫女装束ではなく、
将軍の妻として仕立てられた衣を纏っていた。
それでも、祓いの務めがなくなったわけではない。
後宮や都から持ち込まれる怪異の相談は、以前よりも増えていた。
だが、決定的に違うのは――
彼女が一人で向かわないことだった。
「無理はするな」
出立の前、玄耀は必ずそう言う。
「危険があれば、俺を呼べ」
「将軍様は、鬼の力を使わずとも、十分に怖い存在ですから」
冗談めかして言うと、
玄耀は、わずかに眉を寄せる。
「……怖がらせるつもりはない」
「知っています」
紗月は、微笑んだ。
「私だけには、とても優しいですから」
その言葉に、玄耀は何も返せなくなる。
それが、彼なりの照れだと、紗月はもう知っていた。
*
夜。
屋敷の奥、二人の居間で。
灯りを落とし、静かな時間が流れる。
玄耀は、文書を片付けながら、ふと口を開いた。
「……後悔は、ないか」
「何についてですか」
「後宮を離れたこと」
紗月は、少し考えてから答えた。
「ありません」
はっきりと。
「後宮では、巫女としての役目しかありませんでした」
彼を見る。
「ここでは、私は“私”でいられます」
玄耀の目が、揺れた。
「俺といることで、縛られることも、あるだろう」
「ええ」
紗月は、頷く。
「将軍の妻ですから」
そして、微笑む。
「でも、それは――私自身が選んだ縛りです」
玄耀は、ゆっくりと立ち上がり、紗月の前に跪いた。
「……紗月」
低く、真剣な声。
「俺は、お前から寿命を奪い、呪いを背負わせた」
「いいえ」
紗月は、首を振る。
「あなたは、私の命を返してくれました」
「それでもだ」
玄耀は、拳を握る。
「鬼としても、将軍としてもなく」
一拍置いて。
「一人の男として、改めて問いたい」
紗月は、息を呑む。
「――これからも俺の妻でいてくれるか」
それは、命令でも、契約でもない。
ただの、願い。
紗月は、玄耀の前に膝をつき、両手を取った。
「はい」
迷いはなかった。
「あなたの妻として、私はこれからも生きていきます」
玄耀の手が、震えた。
次の瞬間、彼は紗月を強く抱きしめる。
壊れ物を扱うように、
それでいて、離さぬように。
「……離さない」
その声は、鬼将軍ではなく、
恋を知った男のものだった。
*
翌朝。
庭先で、紗月は鈴を鳴らす。
澄んだ音が、空に溶けていく。
玄耀は、その背を見守っていた。
鬼の呪いは、まだ彼の中にある。
だがそれは、暴れるものではなく、
守るための力へと変わっていた。
紗月が振り返り、微笑む。
「将軍様」
「……玄耀でいいと何度も言ってる」
「中々慣れなくて。では」
少し照れたように。
「玄耀。今日の夕餉は、何がよろしいですか」
「……一緒に食べられるものなら、何でもいい」
その答えに、紗月は笑った。
鬼将軍と、巫女。
恐れられた存在と、使い捨てられた存在。
だが今は――
同じ屋根の下、同じ未来を生きる夫婦。
これは、後宮の闇に咲いた、
静かで、確かな恋の結末。
そして――
新しい日々の、始まりだった。
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