『後宮祓いの巫女は、鬼将軍に嫁ぐことになりました』

由香

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第十話 鬼将軍の妻として、生きる

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 後宮からの正式な通達が下ったのは、それから三日後だった。

 鬼将軍・玄耀と、巫女・紗月の婚姻は、
 政略ではなく、正当な縁として認められる。

 簡潔な一文。
 けれどそこには、後宮という巨大な檻が、二人を“管理対象”から“人としての存在”へ引き上げた証があった。

 紗月は、文を読み終え、そっと息を吐いた。

「……終わったのですね」

 そう呟くと、ようやく実感が湧いてくる。

 命令として始まった婚姻。
 契約として結ばれた縁。
 それが今、初めて――
 自分の意思で続ける関係になった。

「終わった、か」

 玄耀は、低く反芻するように言った。

「始まった、とも言える」

 紗月は、驚いて彼を見上げる。

 玄耀は、視線を外しながら続けた。

「契約は終わった。後宮の命でもない。だが……」

 一瞬、言葉を探す沈黙。

「俺は、お前の傍にいるつもりだ」

 胸が、きゅっと締め付けられる。

「……それは」

 紗月は、指先を握りしめた。

「“将軍の判断”ですか。それとも――」

「夫としてだ」

 短く、しかし確かに。

 紗月の目に、涙が滲んだ。



 季節は、静かに巡っていた。

 屋敷の庭では、薄紅の花が咲き始めている。

 紗月は、巫女装束ではなく、
 将軍の妻として仕立てられた衣を纏っていた。

 それでも、祓いの務めがなくなったわけではない。

 後宮や都から持ち込まれる怪異の相談は、以前よりも増えていた。

 だが、決定的に違うのは――
 彼女が一人で向かわないことだった。

「無理はするな」

 出立の前、玄耀は必ずそう言う。

「危険があれば、俺を呼べ」

「将軍様は、鬼の力を使わずとも、十分に怖い存在ですから」

 冗談めかして言うと、
 玄耀は、わずかに眉を寄せる。

「……怖がらせるつもりはない」

「知っています」

 紗月は、微笑んだ。

「私だけには、とても優しいですから」

 その言葉に、玄耀は何も返せなくなる。

 それが、彼なりの照れだと、紗月はもう知っていた。



 夜。

 屋敷の奥、二人の居間で。

 灯りを落とし、静かな時間が流れる。

 玄耀は、文書を片付けながら、ふと口を開いた。

「……後悔は、ないか」

「何についてですか」

「後宮を離れたこと」

 紗月は、少し考えてから答えた。

「ありません」

 はっきりと。

「後宮では、巫女としての役目しかありませんでした」

 彼を見る。

「ここでは、私は“私”でいられます」

 玄耀の目が、揺れた。

「俺といることで、縛られることも、あるだろう」

「ええ」

 紗月は、頷く。

「将軍の妻ですから」

 そして、微笑む。

「でも、それは――私自身が選んだ縛りです」

 玄耀は、ゆっくりと立ち上がり、紗月の前に跪いた。

「……紗月」

 低く、真剣な声。

「俺は、お前から寿命を奪い、呪いを背負わせた」

「いいえ」

 紗月は、首を振る。

「あなたは、私の命を返してくれました」

「それでもだ」

 玄耀は、拳を握る。

「鬼としても、将軍としてもなく」

 一拍置いて。

「一人の男として、改めて問いたい」

 紗月は、息を呑む。

「――これからも俺の妻でいてくれるか」

 それは、命令でも、契約でもない。

 ただの、願い。

 紗月は、玄耀の前に膝をつき、両手を取った。

「はい」

 迷いはなかった。

「あなたの妻として、私はこれからも生きていきます」

 玄耀の手が、震えた。

 次の瞬間、彼は紗月を強く抱きしめる。

 壊れ物を扱うように、
 それでいて、離さぬように。

「……離さない」

 その声は、鬼将軍ではなく、
 恋を知った男のものだった。



 翌朝。

 庭先で、紗月は鈴を鳴らす。

 澄んだ音が、空に溶けていく。

 玄耀は、その背を見守っていた。

 鬼の呪いは、まだ彼の中にある。
 だがそれは、暴れるものではなく、
 守るための力へと変わっていた。

 紗月が振り返り、微笑む。

「将軍様」

「……玄耀でいいと何度も言ってる」

「中々慣れなくて。では」

 少し照れたように。

「玄耀。今日の夕餉は、何がよろしいですか」

「……一緒に食べられるものなら、何でもいい」

 その答えに、紗月は笑った。

 鬼将軍と、巫女。

 恐れられた存在と、使い捨てられた存在。

 だが今は――
 同じ屋根の下、同じ未来を生きる夫婦。

 これは、後宮の闇に咲いた、
 静かで、確かな恋の結末。

 そして――
 新しい日々の、始まりだった。




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