偽りの婚約者は、幼馴染の仮面を脱いだら甘くて執着深い

由香

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◆第三話 政敵の牽制と、ノアの本性

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 ガイアス公爵が学院へ姿を現したのは、昼休みが始まろうとしていた時だった。

 重厚なマントを引きずるように歩く老練な貴族。その姿が視界に入った瞬間、エリシアの背筋は氷のように冷えた。

(なんで……学院にまで……?)

 周囲の生徒たちもざわつく。

「なんで公爵が……?」

「誰か呼び出されるのか……?」

 だがその答えは明らかだった。
 公爵は人混みをかき分け、迷いなくエリシアのもとへ向かってくる。

「エリシア嬢。話がある。少し時間をいただけるかな?」

 穏やかな声色とは裏腹に、瞳には一片の柔らかさもない。

 エリシアは思わず後ずさり、しかし応じるべきか迷った。

(ここで拒めば、父や家に何をされるかわからない……)

「……少しなら」

 エリシアがうなずいた瞬間──
 彼女の手首を後ろからすっと掴む手があった。

 振り返れば、ノアが立っていた。
 その表情はいつもと変わらない“笑顔”なのに……どこか、違う。

 影を落とした瞳。
 温度のない微笑み。

「……エリシアをどこへ連れていくつもりですか、公爵?」

「ほう……リンドブルム子爵家の次男か」

 ガイアス公爵は鼻で笑い、ノアを値踏みするように見下ろした。

「この娘の婚約者は、まだ正式に決まっておらん。家の借金を返す責任もある。立場を弁えるべきでは?」

「立場……ですか?」

 ノアは笑った。
 けれど、その笑みはどこか底知れぬものだった。

「確かに、僕はまだ子爵家の次男坊ですよ。でも“エリシアの婚約者”という点では──あなたより先です」

 空気がひやりと凍る。

「なに?」

「昨日、フェルナンド伯爵と話を済ませました。正式書類は今、子爵家で整えているところです」

「……!」

 エリシアすら知らなかった事実。

(ノア……そんなところまで、もう……?)

 公爵の表情がわずかに歪む。
 それに気づいたノアは、さらに一歩前へ出た。

「それに……」

 ノアの声色が変わった。
 優しさを隠した、硬質で冷たい響き。

「エリシアに手を出すのなら──覚悟を決めてからにしてください」

 瞬間、公爵の顔から血の気が引いた。

 ノアの瞳は深い夜のように冷えていた。
 普段の無邪気さなど欠片も見えない。

 精神魔法に長けた者特有の、圧倒的な“威圧”。
 声に魔力を乗せて相手の心を揺さぶる、精神干渉。

(……ノアって、こんな……?)

 エリシアの胸がざわめき、ぞくりとした。

「まだ子どもが……生意気なことを」

「僕は子どもでも、あなたより賢いですよ」

 ノアは柔らかく微笑んだ。
 その笑顔こそが、逆にぞっとするほど冷たい。

「エリシアは僕の婚約者です。彼女に不当な圧力をかけるのなら──」

 腕を軽く引き寄せられ、エリシアは気づけばノアの胸元に抱き寄せられていた。

 公爵の目の前で。

「僕が、敵になりますよ?」

 囁く声は静かで、しかし剣より鋭い。

 ガイアス公爵は言葉を飲み込んだ。
 これ以上言葉を交わせば危険だと理解したのだろう。

「……今日はこれで失礼しよう。だが、覚えておきなさい」

 逃げるように足早に去っていく公爵。
 ざわめく生徒たち。
 そして、ノアに抱き寄せられたままのエリシア。

 その温かい腕と冷たい雰囲気の差に、胸が苦しくなる。

「ノ、ノア……」

「大丈夫?」

 ノアはいつもの柔らかな笑みを浮かべた。
 ついさっきまで公爵を威圧していた人間と同じとは思えないほど。

「……さっきのは……何?」

「え?」

「あんなに……怖い目で公爵を見たこと、今までなかったわ」

「そうかな?」

 とぼけるように言うが、ノアの手はエリシアの腰に添えられたままだ。
 逃がす気がないように、しっかりと。

「ノア。離れて……皆が見てる」

「いいよ、別に見せても。僕たち婚約者なんだし」

「‘偽装’でしょう……!」

「僕にとっては偽装じゃないよ」

 困ったように笑うノアは──
 その目だけは、深い色をしていた。

 執着にも似た光。

(ノアが……こんな一面を持っているなんて……)

 知らなかった。
 でも胸の奥で、何かがひどく熱を持って広がっていく。

 怖い。
 なのに──目をそらせない。

「エリシアは、僕が守る。誰にも奪わせない」

 囁きは甘く、しかし逃れられない鎖のようだった。



 その日の放課後。

 学院を出る頃には、ノアの“本性”についての噂が広まり始めていた。

「リンドブルムの次男って……あんな怖い目をするんだな」

「普段は天使みたいなのに……」

「フェルナンド嬢のためなら、誰でも敵にするって噂も……」

 エリシアの胸は複雑に揺れた。

(私……ノアに、どこまで知られていたんだろう……どこまで“守られて”いたんだろう……)

 気付けば、隣を歩くノアの横顔を見つめていた。
 彼はそれに気付くと、ふわりと微笑む。

「エリシア。怖かった?」

 その声は優しい。

 けれど、その奥底に隠された“黒”を、エリシアはもう無視できなかった。

「……怖くなかったわ。むしろ……安心したの。ノアがいてくれて」

「そっか。よかった」

 ノアは嬉しそうに目を細めた。

「これからも、僕だけを見ていてね」

 なぜだろう。

 その言葉が、甘いのにぞくりと背筋を震わせた。




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