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◆第四話 嘘から始まった同居生活
しおりを挟むその日の夜。
エリシアのもとへ届いたのは、フェルナンド伯爵家からの緊急の使いだった。
「……公爵派の圧力で、伯爵家の屋敷が監視され始めた?しばらく外部の安全な場所に移れ、ですって……?」
母の震える声に、エリシアは息を呑む。
伯爵家が公爵派に狙われているのは知っていたが、まさかここまで露骨になるとは。
しかし、エリシアの動揺とは対照的に──隣にいたノアは顔色一つ変えなかった。
「うん。だから、僕の家に来て」
「え……?」
「リンドブルム家なら、公爵派はうかつに手を出せないよ。父さんは魔術師団の副団長だし、兄さんは本職の外交官だし。それに──僕が守れる」
(でも、同居なんて……)
伯爵家として、世間体として、そして“偽装婚約中”として。
問題は山ほどある。あるはずだった。
「エリシアが傷つけられるくらいなら、僕が全部背負うよ」
真っ直ぐにそう言われた瞬間、胸の奥に張り付いていた反論は全て消えていた。
「……ノアがそう言うなら」
気づけば、承諾してしまっていた。
リンドブルム家は、貴族街の中心にある清廉な白い屋敷だった。
広い庭園、魔力防壁、厳重な警備魔術。
入口で身体検査の魔術を受けながら、エリシアは胸が締め付けられるのを感じる。
(ノアは……ずっとこんな場所で……)
「エリシア」
振り返ると、ノアがいつもの柔らかな笑みで手を差し伸べていた。
「荷物は僕が持つよ」
「そんな、大丈夫よ」
「僕に持たせて。エリシアは“お客さま”なんだから」
その言葉に、胸が跳ねる。
部屋に案内されると、驚くほど広く、清潔で、魔法で温度まで調整されていた。
「ここは……?」
「僕の部屋の隣」
「となり……?」
「うん。エリシアが怖がったらすぐ行けるように」
さらりと言うその一言に、体温が一気に上がった。
「ノ、ノア……そんな、紳士ぶらなくても……」
「紳士じゃないよ」
ドアを閉め、ふたりきりになった瞬間。
ノアの目つきが変わった。
昼間、公爵を威圧したときと同じ“本気の目”。
その瞳は、逃がす気など微塵もなかった。
「僕はエリシアの婚約者なんだから。隣どころか……同じ部屋でもいいくらい」
「な、何を──」
「冗談じゃないよ」
ノアはエリシアの頬に触れた。
ふわりと優しく、けれど芯は揺るがない強さを感じる指先。
距離が、近い。
「エリシア。僕はずっと言ってるよね?偽装婚約なんかじゃない。僕は本気だよ」
「……ノア……」
「君のこと、ずっと前から好きだった。小さいときから、ずっと」
胸がきゅっと締め付けられた。
幼馴染の頃のノア。
いつも無邪気で、笑っていて、エリシアの後ろをついてきた。
(あの頃から……ずっと……?)
「気づいてなかったでしょ」
「だって……ノアは誰にでも優しくて、笑っていて……」
「誰にでもこんな顔するわけないよ」
囁きと同時に、ノアはエリシアの腰に手を添えた。
柔らかいはずなのに、逃げられないように固定する力がある。
「僕はエリシアだから優しいし、エリシアだから……こんなにおかしくなる」
ぐっと距離が詰まり、息が触れあうほど近くなる。
心臓が暴れるように脈打ち、全身が熱かった。
「ノ、ノア。少し離れて──」
「いや」
短く、即答。
「やっと隣で眠れるのに。離れるわけないよ」
ベッドの縁に腰かけていたエリシアを、ノアがそっと押し倒した。
柔らかな寝具の上に背中が沈む。
ノアの顔がすぐ上にあって――
優しい表情のまま、逃げる隙を与えない。
「エリシア」
甘く呼ばれるだけで震える。
「怖くない?」
「……怖く、ないわ」
本当に怖くなかった。
むしろ、望んでしまっている自分がいた。
そんな自分が怖かった。
「よかった」
ノアはエリシアの前髪をかきあげ、白い指が頬をなぞる。
その仕草はまるで、壊れものを扱うように優しいのに──
表情は少しも穏やかではなかった。
「これから、エリシアは僕の隣で寝るんだよ。公爵なんて、誰も君に触れられない場所で」
「ノア……」
「君が眠るまで、手を握っていたい」
その声は柔らかくて、けれど熱があった。
エリシアはゆっくりとうなずき、ノアの手を握り返した。
するとノアは、どこか満足げに微笑んだ。
「うん……好きだよ、エリシア」
囁きに、心が揺れる。
(私……どうしてこんなに……ノアに……?)
夜。
同じベッドに入ることは、結局ノアが今日は我慢すると言い出して避けられたが──
ノアは言った通り、エリシアが眠るまでずっと手を握っていた。
「エリシア。眠っても、僕はここにいるから」
その声に包まれながら、エリシアはそっと目を閉じた。
手の温もりが、心の奥まで染み込む。
(この生活が……続けばいいのに……)
そんな願いが胸に浮かんで消えた。
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