ゆきかかり、果ての月

芹埜鍋

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 目を覚ますなり、尚澄は強烈な悪寒と頭痛、それに吐き気に襲われた。


 身体が震えて仕方ない。追いかけるように鈍痛と不快感が刺し込む。
 二日酔いの症状に違いない、と思う一方で、それにしてはひどすぎるのではないか、と泣き言を云いたくなる強烈さだ。
 あまりの寒気や痛みについ顔をしかめ、無意識にうめき声を漏らしながら、尚澄は引き上げた掛け布団に頭ごと潜り込む。そうしてみて、遅ればせながら違和感を覚えた。
 布団で寝ている。
 重たい毛布が二重にかけられた掛け布団と、煎餅のようにぺらぺらな敷き布団。その下の畳の感触までを認識してようやく、自分がまったく知らない部屋に寝かされていることに思い至ったのだった。
 身体を起こすほどの元気がないばかりか、諸症状のためにあたりを見回す気にもならない。
 それでも布団から少しばかり顔を出せば、視界に入ってくるものはある。
 おそらく窓のあるほうから薄明かりが入り込んできていて、部屋の中はぼんやり明るかった。年季の入った板張り天井、ぶら下がる四角い傘の照明。その和紙の傘に、薄く模様が入っているのが見えるくらいの明るさ。
 少し視線を動かすと、壁に時計がかけてあるのが目に入る。五時を少しまわった時刻を、針は指し示していた。秒針が動いているので、時刻の正確さはともかく、稼働中の時計のようだ。
 五時、が朝なのか夕方なのかは定かではない。尚澄が知る十二月の午前五時、あるいは午後五時というものは、どちらにせよもっと暗いものだからだ。

 ──そういえば雪が降ってた。

 時計が狂っているだけか、と結論を下しかけたが、酩酊状態で一度覚醒したときのことを、はたと思い出す。
 軽トラックに乗って朦朧としながら眺めた車外では、尚澄がかつて見たことがないほど、濃密な雪が降っていた。
 ぼんやりした白光も雪あかりなら納得がいくし、だから寒いのか、と、自らの悪寒にも多少は落とし所ができる。
 それに先ほどから、ざくざくというような、なにかを掘り返したり引きずるような音が、窓の外からうっすらと聞こえてきていた。たとえば雪かきのスコップが立てる音だと思えば、腑に落ちる。
 ひととおり考えを巡らせ、自分なりに推論らしきものを立ててはみたが、それ以上はなにをする気力もないまま、尚澄は再び布団をかぶり直す。
 その際に認識したが、どうも自分が着ているのは、これも見覚えのない厚地のスウェットの上下のようだった。
 現状を整理してみて、尚澄は「そう悪い目には遭わないのではないか」といったような気持ちを抱いていた。
 だって、誰かが……それはきっと、軽トラを運転していた男や、その関係者だろうが……泥酔した尚澄をここまで連れてきて、コートやジャケットを脱がせてわざわざ手持ちの服に着替えさせ、毛布を二重にしたうえで布団に寝かせてくれていたわけだから。そこまでしてくれた彼が……あるいは彼らが悪人だったとしたら、もうどうしようもないのではないか。
 旅行用の荷物や着ていたはずの服といった所持品のことは気にならないでもないが、それは心配や不安というほどでもない。
 これは、前向きな考え、ではなかった。「考えてもどうにもできやしない」のだ。


 尚澄は、少しばかり流されやすい男だった。
 あるいは、「流される方が楽」と考えている、とでも云うべきだろうか。
 もともと彼は自分の考えを言葉にするのが得意ではなくて、人との会話の最中に黙考してしまうようなところがあった。
 例えば頼まれごとをしたとき、引き受けるほうがいいか、断るほうがいいか、引き受けるとしてそれをこなせるか。
 提案をされたとき、なにか引っかかりを感じるがそれがなんなのか、もっとその提案を改善することができるか。
 雑談ですらそうだった。「今日の夕飯はなにを食べようと思ってるの?」に対して、「まだなにも決めてない」とすぐ答えることが苦手だ。自宅の冷蔵庫や昨日食べたものについて記憶を掘り返し、今日なにを食べるべきか、何を食べたいと感じているのか、と熟考するとき、尚澄は黙り込んでしまう。
 そうすると、会話相手は決まって「怒ってる?」と訊いてくる。なにも云わずに少しだけ怯えたような目をする手合いもいるが、いずれにせよ意味は同じだ。
 彼の顔貌がそう思わせるのだ。
 決して容姿が悪いわけではないのだが、どこかじっとりと拗ねたような目つきをしている……という印象を抱かれることが、昔から多かった。
 教師の前で黙っていれば「反抗的だ」と叱られ、歳の近い友人や知人にも「なんでムスッとしてんの?」とよく云われた。身分証代わりに携帯している免許証の写真を見るたび、自分でもそう思った。目つきが悪いなと。
 一旦そのような認識ができてしまえば、目元を気にしてやや伸びた癖毛の前髪も、妙にはっきりした輪郭の唇も、なんだか不満げなものに思えてしまう。自分の容姿が嫌いなわけではないが、「怒ってる?」と訊かれるのは、尚澄にとってひとつのコンプレックスと云ってよかった。
 だからこそ流されるようになったのだ。
 頼まれごとはひとまず引き受け、提案は丸呑みし、雑談で投げかけられる質問は質問で返して肯定する。そういうふうに心がけていた時期があった。
 考えても仕方ない。考えないほうがいい。
 もちろんそれは自らに無理を強いることに他ならない。当然のごとくあっという間に破綻してしまった。
 今の尚澄はそれなりに考え、否定もするが、しかしそうした精神性は、その心にひそかに根を張り続けている。


 しばらく雪かきらしき音を聞きながら布団に包まっているうち、尚澄はうとうとと浅い眠りに落ちていたようだった。
 不快感にうなされながらまどろんで、時折覚醒しかけてはまた意識を飛ばす。そうした繰り返しの中で、尚澄はふと、外の音が止んでいることに気がついた。
 それと同時に、ごく近くで、人の気配がした。
 はっと目を開けて、思わず飛び起きる。

「うわっ」

 隣から、驚いたような声がする。
 頭が割れるように痛んだが、それよりも人の存在が気になって、尚澄は頭を押さえながらもそちらに顔を向ける。
 見知らぬ男と目が合った。
 見知らぬ、というと語弊があるだろうか。彼はおそらく昨晩(かどうか、時間経過の感覚に自信はなかったが)軽トラックを運転していた男だった。酩酊していたし車内の光量も十分ではなくて、顔をはっきり見たわけではないが、全体的な佇まいが記憶と一致していた。
 年齢はもうすぐ三十になる尚澄と近い、二十代後半か三十代のはじめ頃といったところか。硬そうな短髪をざっくりと上げた感じも、分厚い冬服の上からも感じられる骨格のしっかりした印象も、たしかに見覚えがある。
 顔貌は、やはりはじめて目にするものに違いない。彫りが深く、窪んだ眼窩や角張った顎の線も相まってやや武骨な雰囲気だ。けれどもよく見れば丸く大きな目をしていて、愛嬌もある、というふうな男だった。
「……もしかして、起こしちゃった?」男は何度かまばたきを繰り返したあと、おもむろにそう問うてきた。「ガタガタうるさかったかな? 俺、がさつなもんだから」
 わけも判らず尚澄が「いや、別に」と首を振ると、「そっか、でもごめんね」と男は重ねて詫びの言葉を口にした。その丸い目が不意にすがめられ、「あれ、」男の声が少し低くなる。
「顔色悪いな。昨日めちゃくちゃ酔っ払ってたけど、二日酔いにしちゃずいぶん赤いような。体調はどう? そりゃ当然悪いとは思うけど、普段の二日酔いと比べて……、あ、ごめん、とりあえず水飲む?」
 男は矢継ぎ早に質問を浴びせかけてくる。
 どれにどう答えたものかと考えて、とりあえず最後の質問に答えるつもりで尚澄は頷く。空気はそれほど乾燥していないようだったが、云われてみれば喉はずいぶん渇いていた。
「よしきた。酔い醒めの水は旨いからな」と手を伸ばし、男は小さな盆の上に置かれた水差しとコップを手に取った。
 おそらく起きたときに水が飲めるようにと、今まさに男が持ってきてくれたものなのだろう。盆を枕元に置いたときに尚澄が目を覚ましたのだ。
 一歩間違ったらひっくり返っていたかもしれないと、尚澄は差し出されたコップに唇をつけながら考える。水は冷たくて旨かった。
「とにかくなんか顔色がおかしいから、ちょっと熱計ってみたほうがいいかもな。待ってて、体温計取ってくるわ」
 男は尚澄が水を飲む様子を少しばかりうかがってから、そう云い残して部屋を出て行く。
 気ぜわしいふうだが、人はよさそうだ、という感想を、尚澄は抱いた。
 たぶん彼はここの家主だ。経緯はいまだにはっきりしないが、おおかた酔いつぶれた尚澄を見かねて自宅まで連れてきてくれた、といった流れではないだろうか。
 尚澄に記憶がないのが、酔いつぶれた証明というわけだ。今までそんなにも泥酔したことはなかったが、ある程度腑に落ちる想像である。

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