ゆきかかり、果ての月

芹埜鍋

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 勇斗と別れる遠因のひとつに、彼に持ち上がった見合い話があった。


 大学入学を機につきあい始めた尚澄と勇斗は、密やかに、けれど確実に関係を育んでいった。
 男女ともに交際経験のある勇斗にたいして、尚澄は同性と付き合うなど初めてだった。むろん、前の恋人……同級生の「彼女」だ……とはついぞできなかったキスも、それにセックスも、なにもかもが初めての体験だ。
 彼女との間には生じ得なかった甘い胸の高鳴りがどの場面にもつきまとって、そのたび尚澄は、自らの性向をまざまざと実感させられた。
 遅い時間に少しだけ電話で話す習慣ができたのは、お互いが就職してからのことだった。
 先に勇斗が教材制作の会社に就職し、次いで尚澄も町場の不動産屋で事務職として働き始めると、学生の頃のように気軽に会うことは叶わなくなった。どちらも転勤のある仕事ではなかったのは幸いだったが、仕事が忙しければ当然会うタイミングも作れない。休日カレンダーが違っていて、休みもあまり合わなかった。
 なかなか会えないからせめて電話で話したい。
 勇斗から云いだしてその習慣が始まったとき、尚澄は嬉しく思った。
 たいした話をするわけではないし、いつも短時間だった。その日の印象的な出来事や、社会生活のささいな愚痴。今日は疲れた、のような本当にさもない話題だけの日もあった。それでも尚澄は、眠る前に勇斗の声を聞くのが好きだったし、ささやかな会話を共有できる時間が嬉しかった。
 たまには休みを合わせて会ったが、買い物に出かけたり、どちらかの家でのんびりしたりがほとんどで、遠出や旅行といった特別なことは皆無も同然だった。けれどそうした、抱き合って眠るだけの時間も、勇斗に直接「ナオ」と呼びかけられるのもまた、幸せだった。
 その幸せな時間に忍び込んできたのが、勇斗の見合い話だった。

 実際には見合いというほど改まったものではない。
 相手方の父親と勇斗の父親。二人が大学の同窓生で、久々に旧交を温めた際、「子どもがいい歳なのに結婚のケの字もない」などと意気投合したのが発端だ。場所もカジュアルなレストランで、子同士が会って、軽い顔合わせの食事をするだけ。
 それが最初だった。
 恋人が女性だったとき、勇斗はその存在を特に隠すことはなかったから、彼の両親は、彼がいわゆる一般大多数の異性愛者だと信じていた。
『父の面子もあるし会うだけ会うことにはなると思うけど、どうも相手方も結婚願望があるような人じゃなさそうだし、どうであっても最悪ぼくから断るから。だから心配しないでね』
 勇斗は見合い話が出てきた当初から、尚澄を安心させようとしてか、経緯を詳らかに説明してくれた。
 その後、実際に女性と会ったときのことも、包み隠さず教えてくれたのだった。

 相手方の女性は万里江まりえといった。
 その頃の女性としては珍しく留学経験があり、英語が堪能で、当時は英会話教室で講師をしていた。聞こえていたとおり結婚願望もなく、むしろまだまだ働いて独力で身を立てたいと考えるような、自立心のある女性だという。
 お互いの親の顔を立てないと面倒だからしばらく会う機会は設けたい。だが、結婚を前提としたおつきあいではなく、友人としてお話できればと思う……実際勇斗が会ってみれば、彼女のほうから、そう提案してきたそうだ。

 勇斗は隠しごとをするのが嫌いなたちだった。
 尚澄に自身がバイセクシャルであることを明かした理由にも、彼がそれを話してくれたときに云っていた「ミスマッチを避けたい」というもののほかに、「大切な人には隠しごとをしたくない」という彼自身のポリシーがあった。
 だからこそ勇斗は、相手の女性との間に取り決めたことを詳らかに教えてくれるわけだ。
 しかし、彼の「見合い」の話を聞くたびに、尚澄の気持ちは少しだけ揺らいだ。
 勇斗が今までどおり尚澄を愛してくれているのは、十二分に感じられる。尚澄も今までどおり勇斗を愛していた。その女性に心変わりするのではないかとは、みじんも疑っていなかった。
 けれどその一方で、「果たして自分とつきあい続けていて、勇斗は幸せになれるのか」という不安が、『見合い』『結婚』という言葉をきっかけに、浮き彫りになりつつあったのだ。
 なにしろ、勇斗は子どもが好きだった。

 人とは違う性的指向もひっくるめて、勇斗はさまざまなためらいを抱えていた。直接子どもと接する仕事に就かなかったのはそのためだ。が、「昔は保母さんになりたかったし、途中までは教師になろうと思っていた」というほど、彼は子どもという存在を好ましくとらえていた。
 一緒に外出する中で、公園ではしゃいで遊び回っている小学生だとか、親に駄々をこねる幼児だとか、子どものいる光景に勇斗が目を細める様を、尚澄もよく目にしていた。
「子どもが好きなんだね」と声をかければ、彼は照れた顔をして「小さい頃は弟とか妹が欲しいと思ってたんだけど、それがついぞ叶わなかったからかな」と、少しばかりピントのずれた返事をしてきたものだ。
 そういう勇斗の表情をいとおしく思ったことを、尚澄はひとつひとつ、大事に覚えていた。
 覚えていて、内心ではおそらく、ずっと不安に思っていたのだ。

 自分と付き合っているかぎり、勇斗は自らの血を分けた子どもを持つことができないのだから。

 もちろん、子どもの養育それ自体は不可能ではないはずだ。難しくはあれ、養子をとるなど方法があるにはある。
 しかし尚澄にとって、そんなことは絵空事に過ぎなかった。そもそも尚澄自身は子どもが欲しい、子どもを育ててみたいと思ったことがなかった。消極的な自分では、手続きのハードルを越えられる気もしない。
 子育てをする気概も覚悟も、尚澄にはなかった。
 それに、仮に尚澄が覚悟を決め、養子をとろうとなったところで、それは勇斗の実子ではないではないか。
 お互いが同性愛者であればそれでもかまわないかもしれないが、勇斗は女性を愛せるのだ。どちらかといえば男性に魅力を感じるほうだと話してくれたことはあるが、女性の恋人ともそれなりに長続きしていた、という話も、同じように聞いていた。
 彼にはいずれ気の合う女性と出会い、結婚して、自然なかたちで血の繋がった子どもを得るという選択肢がある。
 そのための機会を、選択肢を、自分が奪っているのではないか、と尚澄は不安に思っていた。
 交際を始めて六年が経とうとしていた。男女の仲なら結婚していても、それこそ子どもがいてもおかしくない期間だった。けれど勇斗は尚澄と付き合っているかぎり、結婚することも子どもを持つこともできない。
 彼の時間を、浪費させているのではないか。
 勇斗の見合いをきっかけにそうした考えが尚澄の中で大きくなっていったある日、その気持ちが膨らみきってはじけるきっかけがあった。

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