「蒼緋蔵家の番犬 1~エージェントナンバーフォー~」

百門一新

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常盤聡史という少年は、悪に渇望する(1)

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 常盤聡史は、裕福な家庭に生まれた三人兄弟の末っ子だった。幼くして通信教育や家庭教師、有名な塾やピアノ教室に通う優秀な末っ子として両親に可愛がられて育った。

 十歳近く離れた兄たちは弁護士と税理士、父は病院の院長で、母は大企業である富豪の父を持つ娘というエリート一家だ。十年前県の要請を受けて病院が移転し、常盤は両親と共に茉莉海市にやってきた。

 自分の意思もない縛られた生活に、常盤は常々不快感を抱いていた。

 もともと勉強やピアノにも興味はなかった。同じ年頃の子供たちが遊ぶのを羨ましく思った気持ちは、成長するにしたがって次第に冷めていき、何に対しても関心を示さなくなった。

 どうして生きているのだろうと、小学校高学年から、常盤は疑問を覚え始めた。楽しみも苦しみも与えられない満たされた生活は、彼の感覚を麻痺させていた。


 そんな彼が自身の人間性を取り戻したのは、中学生を卒業する頃だった。


 講演などで出張が増えた父の留守の日、突然塾の講義がなくなった常盤は、そのまま帰路についた。

 家の前に見慣れない高級車が停まっているのを見たとき、ひどい胸騒ぎを覚えた。そっと鍵を開けて家に入ると、玄関には男性用革靴が並べて置かれていた。いつもなら食事を作る音が聞こえるはずの家は、怖いほど静まり返っている。

 まるで泥棒にでもなった気分で、常盤は鞄を胸に抱えて家へと上がった。

 電気は一つもついておらず、カーテンもすべて閉め切られていたので、夕刻の室内は恐怖を感じるほど暗かった。鼓動が身体中を波打ち、彼は心臓が震えているではと錯覚する胸中の痛みを感じた。

 常盤は浅い呼吸を繰り返しながら、二階へと続く階段を慎重に上がっていった。途中、正面にある両親の寝室の扉下から、暗がりでは眩しく感じる光りを見て足を止めた。

 母さん、どうして寝室に?

 心臓が大きく高鳴り、耳元で煩いぐらい不規則な音が続いた。

 常盤は内臓が軋む思いで階段の最上段まで登ったが、寝室から聞こえてきた小さな二つの声に身体を強張らせた。寝室にいる母が何をしているか悟った彼は、一瞬呼吸すら忘れて聴覚を研ぎ澄ませた。そして二秒半の時間を要して、相手をする若い男の声が、父の病院に勤める医者であることに気付いたのだ。

 胃の底から強烈な嫌悪感が込み上げ、常盤は急く思いで家を飛び出した。死んでいたと思っていた彼の心は、一気に命を取り戻したように激しく震えていた。

 汚らわしい、汚らわしいッ、汚らわしい!

 そう何度も心の中で罵りながら、公園のトイレに駆けこんで常盤は激しく嘔吐した。全身の毛穴が総毛立つほどの嫌悪感に、呼吸もままならなかった。暴れ狂う感情は収拾がつかず、髪をかきむしってあたりかまわず乱暴に殴り付けた。

 あんな女の腹から、俺は生まれたのか。

 常盤の父は、大柄でいかつい顔立ちをしていた。歳が離れた兄弟は凛々しい目元だけが母親譲りで、顔立ちは父の生き写しだった。


 歳が離れすぎた末っ子だけが誰にも似ていない。両親兄弟共に癖毛がありながら常盤にはそれがなく、細く小さな顔立ちは彼らと全く違っていた。父と兄たちよりも細い骨格、焼けてもすぐに戻る白い肌は、母のものですらなかった。


 考え出すと想像は一気に膨れ上がった。「俺が本当は父の子でないことを知っているのではないか」と勘ぐり、家族に強い嫌悪感を抱いた。

 父や兄たちにこれまでの尊敬も持てなくなった常盤は、その元凶である母を憎んだ。英才教育を強いている母が、愛人となっている男の子供として自分を育てていることを考え、何もかもが許せなくなった。

 ぶち壊してやる。お前の望み通りになってたまるか。

 常盤は母が敷いたレールを歩いている振りをして、そこから大きくはずれてやろうと企んだ。強い復讐心に駆られたた彼は、塾が早く終わる日を利用して、これまで行ったこともなかったゲームセンターで時間を潰すようになった。

 金なら自分の通帳にいくらでも入って来るのだ。常盤はゲーム機に怒りをぶちまけたが、その心が満たされない虚しさを感じていた。


 そんな矢先、一人の男が常盤に声を掛けた。明らかに柄の悪そうな男だった。

 敷かれたレールをぶち壊してくれるならと会うようになったが、そこで常盤は初めて、自分が悪に恋焦がれていることに気付いた。男に教えられた煙草と酒は、怒りしかなかった彼の心に人間性を刻みこんだ。


 常盤が出会った男は「シマ」と名乗った。小さな組織である「藤村組(ふじむらくみ)」の人間であり、仕事で茉莉海市を訪れているとのことだった。

 集団詐欺事件で出回っているとシマは語り、常盤は彼が別の名義人で借りている小さなアパートで話しを聞きながら、臆することもなく意見や助言を述べた。シマは犯罪に興味を持っている賢い常盤をひどく気に入り、茉莉海市を頻繁に訪れて交流を取るようになった。

 酒と煙草から始まり、ビリヤードやパチンコ、麻雀や女などシマは常盤に様々なことを教えた。仕事回りが良いときは大麻を持ち、二人でそれを吸って楽しんだ。

 シマは時々後輩を伴って現れ、「賢い小悪党だぞ」と常盤を自慢して小さくなった歯を見せて笑った。常盤の考えで「藤村組」の仕事が円滑に進むようになっていたこともあり、シマの仲間たちも常盤を気に入っていたのだ。

 大きな転機が訪れたのは、常盤が高校二年生になった冬だった。「藤村組」の拠点を茉莉海市に移すことが決まったのである。そこで彼らは、八人で活動していたメンバーに常盤を迎えると歓迎した。

 リーダーの藤村(ふじむら)は「大きな後ろ盾が欲しい」と考えていた。そして、常盤が高校三年生の四月、大きな話が舞い込んできたのだ。


『茉莉海市は絶好の立地です。お互い良いビジネスをしましょう』


 突然掛かってきた電話は、東京からだった。大量のヘロインを入荷する卸し業者が欲しいと男は続けた。

 ヘロインという言葉に、藤村は顔を強張らせたが、儲けの取り分と巨大な後ろ盾をすると約束した男に目の色を変えた。東洋の純粋ヘロインを受け取り横に流すことが仕事内容だったが、資金もない藤村たちに、相手の男は魅力的な条件を出して来たのである。

『初めの入荷分に関しては、すでに我々が代金を払っています。仕事を組んでくれたことへの、ほんの祝い金にすぎません。あなたたちはそれをタダで入荷し、相場価格で私たちに売ってくれれば良いのです』

 ただし、と男は続けた。

『中国からやってくる業者は、若い人間を四十人近く所望しております。こちらで情報操作、証拠隠滅しますので、あなたたちは集めてくれるだけでいい。入荷したヘロインに関しては好きな分を使用してくださって構いませんが、業者に売り渡す学生に関しては、特別製の薬を用意しておりますので、これを業者から受け取って服用させるようにしてください』

 東京から声を掛けてきた組織の力は、凄まじいものだった。どこに大量のヘロインを保管するのかも聞かされないまま、連絡を待って十日が経った五月の始めに『すべてが決まった』との電話が入った。その内容は驚くべきものだったが、日本でも例を見ない悪事に常盤は喜んだ。
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