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一章 サード・サリファンの役割(4)
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生徒会の前を後にしたサードは、真っすぐ保健室へと向かった。
スミラギは、トム・サリファンの屋敷に教育係としてやって来た時も、ずっと白衣スタイルだった。学園の保健担当として一年しか経っていないとは思えないほど、その姿は保健室に馴染んでいるように思えた。
サードは、彼が机に向かってペンを走らせていた手を止めて、当日の健康診断の段取りをざっと説明した。
一通り聞くと、スミラギは相変わらず無駄な質問もせず「分かりました」とだけ言って短い報告会を終了させた。すぐに机の上の書面へと向き直った彼に、サードは続いて、早速猫について訊いてみた。
「学園内に、猫?」
すると、スミラギは無表情な顔に一瞬、不信感を乗せてそう呟いた。すぐ冷静な面持ちに戻すと、こちらへ再び視線を向けて「飼うことは諦めなさい」といつもの敬語口調で告げてきた。
「この島にも猫の生息は確認されていますが、『月食』が起こった時、あなたは飼い猫を見殺しにすることになります。だから諦めなさい。我々はそこまでサポート出来ません」
「そっか。じゃあ駄目だな」
「はい、駄目です」
室内での飼育は無理そうだ、残念である。
そう理解して素直に諦めたサードに、スミラギは小さく息を吐いた。
「動物は本能的に危機を察知し逃げることが出来ますから、外にいれば、結界が発動する前に敷地の外に出てくれるでしょう。また見掛けることがあったのなら、野良猫としての触れ合いに留めて接触すし過ごすくらいであれば、問題ありません」
「ふうん、了解。そういえば、猫って何を食べるんだ?」
「キャットフードです」
「『キャットフード』ってなんだ?」
「猫専用で売られている『猫用ごはん』です。もしくは魚ですね」
ここは孤島であるので、港付近では魚を得られやすい環境が整っている。そこでは餌を提供する人間も少なからず存在しているようで、島にも少なからず野良猫は生息しているのだ、とスミラギは教育係として淡々と説明していった。
思い返せば、あの仔猫は痩せてもいなかった。ならばゴハンには困っていないのだろうと納得していると、彼が続けてこう言ってきた。
「『月食』についてですが、もしかしたら、今月内には起こるのではと報告がありました」
「へぇ、そりゃ有り難い」
思わずそう呟いたら、スミラギが鋭利な瞳を向けてきた。尋問するみたいな鋭い眼差しを受けて、サードは咄嗟に口をつぐんでしまう。
最近になって、予想よりも早く、自分でも急速だと思うくらいに身体のガタが進んでいることを実感していた。定期的に行われている研究員たちによる簡単な検診で、年明けに「恐らく年内いっぱいでは……」とも言われていた。
しかし、その新しい余命推測については、正確な結果が知れる詳細診断まで教えてダメだよ、と口止めされてもいたのだ。
悪魔は年内に現れるとほぼ確定しているのに、来年までの寿命が今年いっぱいになったからって、それの何がダメなんだ?
自分の役目は悪魔を殺して、そして最後の半悪魔体として共に死を迎えることだ。十八まで生きられるはずの身体が、十七までになったと言ったところで、大差ないように思える。
とりあえずサードは、彼らの指示に従って『新しい寿命推測』についてはスミラギに黙っている状況だった。悪魔が現れる月食は、今年度内に発生するらしいので計画に支障がないのは事実だけれど、計画進行を担っている本部研究員の指示には、絶対に従わなければならないと教えられている。
それに、ここで悠長に無駄話もしていられないだろう。去年にも増して人員不足だというのに、こうしている間にも、風紀委員室ではリューが一人で、書類の処理を頑張っているところなのだ。
つまりは、ひとまず保健室から撤退したほうがいい。
追及されたりしたら、検診担当の研究者側と教育係の命令の間で板挟みだ。サードは誤魔化すように素早く手を挙げると、スミラギに「じゃあな」と言って背を向けるように踵を返した。
不意に、腹から込み上げる不快感に足が止まった。
内臓と血管が、潰れるような響きが耳の奥で上がる。唐突に強くなった細胞組織の崩壊に、超治癒再生が一時遅れをとったのだと気付いた。
咄嗟に唇を噛みしめて咳を最小限に押し殺したものの、胃から込み上げた血液が口の端を伝うのを感じた。不審に思ったのか、後ろでスミラギが席を立つ気配を感じて、サードはここから一番近い洗面所までの道のりを素早く計算した。
すぐに行動を開始しようとした。しかし、足の筋肉を動かした途端、抑え込んでいた発作が爆発して、サードは背を折って激しく咳込んでいた。
咄嗟に口を手で押さえたが、吐き出した血が指の間からこぼれ落ちそうになった。スミラギが「発作ですか」と眉を顰めて、さっと動きだし、保健室に常備されている白いタオルを口へ押し当ててくる。
外に声が響いても厄介だ。サードは、タオルを両手でしっかりと口に押し付けた。実験の際に痛覚がいじられているため、鈍い痛みしか覚えないものの、苦しさに自然と生理的な涙が浮かんだ。
喉が焼き切れているであろうことを想像しながら、しばらくタオルで咳の音を塞いでいた。徐々に発作が収まり始め、最後は掠れた呼吸音だけが残った。
身体の緊張感が抜けて、サードはその場で腰を下ろした。スミラギが濡れた布巾を寄越してきたので、受け取って口と手についた血液を拭う。胸元を見下ろしてみると、血は制服に掛かっていなかったようで安堵の息がこぼれた。
「サード。発作の間隔はどれくらいですか?」
「ん~……。一日にニ、三回くらいかな」
二ヶ月に一回の割合だった発作は、今年に入ってから、毎日起こるまでに間隔が縮まっていた。
半悪魔体としての力を完全解放すれば、全ての細胞が死に絶えるまで、身体は超治癒再生を続けるようにプログラムされている。――だから、悪魔が現れる月食の日まで、どんなにボロボロの状態になろうとも『最低限生きていればいい』のだ。
サードは幼少の頃、別の実験によって痛覚を半分以上奪われていた。実験に成功しなかった仲間たちが、悪魔細胞による内部破壊に悲鳴を上げて転げ回り、時には激痛でショック死してしまっていた発作も、今や鈍い痛みと不快感と苦しさ程度だ。
サードは、超治癒再生で、喉の炎症が早急に治っていくのを感じ「あ~」と声を出してみた。掠れてはいないので、大丈夫だろうと判断して重い腰を上げる。
寿命が縮まったと告げたわけではない。発作の頻度を教えただけ。そう思いながら、汚れてしまったタオルを申し訳なさそうにしてスミラギに返した。
「面倒かけて、ごめん。それじゃ」
サードは、そのまま保健室を出た。
歩き出してすぐ、以前取り締まった三学年生の大きな男子生徒とバッタリ会い、怯えを露わに廊下の隅に寄られてしまった。別に違反行為をしていなければぶっ飛ばしたりしないのにな、と少しだけ複雑な気分になった。
※※※
風紀委員会室に戻ると、副委員長席に座るリューの他に、応接間のテーブルを四人の部員たちが囲んで、今週末に使う予定の書類作りをしていた。
プライベートで話したことはないが、同学年の二学年生と三学年生である。そう思って見つめていると、気付いたリューが「お疲れ様です」と副委員長の執務席から手を振ってきた。
「勝手なことをしてすみません。最近、委員長眠れていないみたいだし、手伝ってもらった方がいいかなと思いまして……」
夜中に発作で起こされることが増えたからなぁ。風紀の仕事はどうにかなっているのだが、と思いながら、サードは事実を教える訳にもいかず「まぁ、うん」と言葉を考えて言った。
「別に構わねぇよ」
部員たちを勝手に動かされたとしても、学園内での取り締まりに支障が出ないのであればいい。ここ一年でリューもそれを分かって動いてくれているので、サードは一部の判断については彼に任せてもいた。
いずれ自分がいなくなったら、彼が風紀委員長になるかもしれない。そういう事情もあって、全て自分に判断を預けてなくてもいいというスタンスを取っている。
それにしても、仔猫が飼えないのは残念だなぁ……。
委員長席に腰かけ、山積みにされた書類を引き寄せながら、サードは表情に出さず再び思ってしまう。あの木の所で待っていれば、もう一度会えるだろうか?
「委員長、余分な意見書はまだ省いていなくて……」
控えめにリューから声をかけられ、サードは「問題ないさ」と片手を振って答えた。
生徒会と風紀委員会は、それぞれ意見箱を設置しているのだが、風紀委員会に来るのは、ほとんどが風紀委員長個人を名指しした文句の手紙だった。
サリファンは風紀委員長に相応しくない、元奴隷が権力を行使するなんて許せない、罰則が厳しい、恋愛は自由だ……。
そういった批判意見が、風紀委員会の意見箱に毎日、山のように届いていた。意見書はどんな内容だろうと必ずチェックを行い、印鑑を済ませて、その日のうちに理事長に提出するのが義務だった。
風紀委員長確認の仕事は、意見書だけではない。そのためリューが気を利かせて、時間があれば他の部員と共に、出来るだけ先に重要案件とそうでないものを仕分けてくれるようにしていた。
サードは、部員たちが囲むテーブルに、大量に置かれている意見書をチラリと見やった。それから、自分の机に置かれている印鑑だけで済む意見書へと視線を戻した。
こちらの分からとっとと済ませよう。早く終わったら、あとは自分が彼らの分の方にまで、手を回して片付けてしまえばいい。そう思って、まずはその束に手を伸ばした。
「一部の生徒たちの間で、委員長のリコール風が一層強まっているそうです」
手を止めたリューが、サードの横顔を窺いながらそう言った。
サードは手元の作業を続けながら、興味もなく「ふうん」と上の空で相槌を打った。そんな彼を見て、リューは椅子からやや身を乗り出して「委員長」と心配そうな声を上げた。
「気にならないんですか? 委員長、こんなに頑張っているのに」
サードも噂は知っていた。生徒会にも、風紀委員長のリコールに対する意見が届けられているらしい。風紀の名のもとに自由を独裁している奴隷上がりの冷酷無情な風紀委員長、という影口も実際に耳にした。けれど――
そもそも。実際に生徒側からリコールを起こされたとしても、俺としては、これといって何も対策する理由だってないしなぁ。
諜報部からも、現在のところ行動を起こすような指示は受けていない。『サード・サリファン』という生徒設定については、サード自身の意見が一つだって反映されることはないし、こちらとしては風紀委員長に好きで居座っている身でもないので完全放置だ。
「まぁ、アレだ、俺は気にならないな。そもそも風紀委員長を指名するのは理事長で、そこに俺の意見は反映されないし?」
「確かにそうですけど……。秋の報告会で、本格的にリコールされるかもって噂もあるんですよ?」
この学園で、唯一気軽に話せる相手から不安そうな気配を感じて、サードは手元の書面から顔を上げた。
すると他の部員たちも、どこか心配そうにこちらを見ている事に気付いた。相応しい素質や能力があるわけでもなく、動きやすい立場として風紀委員長の役職を与えられているだけであるので、その反応にサードは困ってしまった。
春と秋に、学園では大きな報告会がある。それは毎週行われる全校集会での定例報告会とは違い、理事長と全教師が見守る中、生徒会と風紀委員会、生徒側の三方で意見交換を行う大会議となっていた。
もし、これまで例のない、大規模な『風紀委員長リコール』というものを起こすのであれば、絶好のチャンスともいえるだろう。
けれど自分は、『サード・サリファン』という役割を与えられた、道具の一つにすぎない。悪魔の襲来予定がなかったとしたのなら、本来であれば風紀委員長の席には、別の人間が座っていたはずなのである。
そもそも、その事情がなければ存在していない生徒。
サードはそう考えながら、まぁいいかと気楽になる。リューを含む部員たちの神妙な空気を払うべく、わざと意地の悪い笑みを作って見せた。
「ふうん、リコールね。いいんじゃねぇの? リューが委員長で、他の誰かが副委員長を継ぐ。それで俺が平の部員になって遠慮なく違反者をぶっ飛ばす」
「えぇぇえええええ!? 僕が委員長やるなんて絶対無理ですよッ」
「委員長が平部員とか、有り得ねぇっす!」
「片っぱしから喧嘩しそうなんで、どうか学園の平和のためにも委員長でいてくださいッ」
「あいつらは委員長の良さを分かってないんですよ!」
「委員長がリコールとか、前代未聞じゃないですかッ。冗談でもやめてくださいよ」
リューを含む部員たちが、次々に猛反論してきた。
慕われるほどのことをした覚えもない。それなのに彼らは「委員長をリコールさせるもんか」という勢いのまま書類作業に戻ってしまて、サードはよく分からなくなって放っておくことにした。
「あれ? 委員長、襟のところどうしたんですか? 小さな染みが出来てますけど」
こちらの様子を盗み見たリューが、きょとんとした顔で指を向けてそう言った。
サードは、ネクタイの上の襟を指で辿った。吐血の際にはねてしまったのかもしれない。いつもならしない不注意だな、と反省しつつ
「――どっかで汚れたんだろ」
と、なんでもないように手を振って答えた。
スミラギは、トム・サリファンの屋敷に教育係としてやって来た時も、ずっと白衣スタイルだった。学園の保健担当として一年しか経っていないとは思えないほど、その姿は保健室に馴染んでいるように思えた。
サードは、彼が机に向かってペンを走らせていた手を止めて、当日の健康診断の段取りをざっと説明した。
一通り聞くと、スミラギは相変わらず無駄な質問もせず「分かりました」とだけ言って短い報告会を終了させた。すぐに机の上の書面へと向き直った彼に、サードは続いて、早速猫について訊いてみた。
「学園内に、猫?」
すると、スミラギは無表情な顔に一瞬、不信感を乗せてそう呟いた。すぐ冷静な面持ちに戻すと、こちらへ再び視線を向けて「飼うことは諦めなさい」といつもの敬語口調で告げてきた。
「この島にも猫の生息は確認されていますが、『月食』が起こった時、あなたは飼い猫を見殺しにすることになります。だから諦めなさい。我々はそこまでサポート出来ません」
「そっか。じゃあ駄目だな」
「はい、駄目です」
室内での飼育は無理そうだ、残念である。
そう理解して素直に諦めたサードに、スミラギは小さく息を吐いた。
「動物は本能的に危機を察知し逃げることが出来ますから、外にいれば、結界が発動する前に敷地の外に出てくれるでしょう。また見掛けることがあったのなら、野良猫としての触れ合いに留めて接触すし過ごすくらいであれば、問題ありません」
「ふうん、了解。そういえば、猫って何を食べるんだ?」
「キャットフードです」
「『キャットフード』ってなんだ?」
「猫専用で売られている『猫用ごはん』です。もしくは魚ですね」
ここは孤島であるので、港付近では魚を得られやすい環境が整っている。そこでは餌を提供する人間も少なからず存在しているようで、島にも少なからず野良猫は生息しているのだ、とスミラギは教育係として淡々と説明していった。
思い返せば、あの仔猫は痩せてもいなかった。ならばゴハンには困っていないのだろうと納得していると、彼が続けてこう言ってきた。
「『月食』についてですが、もしかしたら、今月内には起こるのではと報告がありました」
「へぇ、そりゃ有り難い」
思わずそう呟いたら、スミラギが鋭利な瞳を向けてきた。尋問するみたいな鋭い眼差しを受けて、サードは咄嗟に口をつぐんでしまう。
最近になって、予想よりも早く、自分でも急速だと思うくらいに身体のガタが進んでいることを実感していた。定期的に行われている研究員たちによる簡単な検診で、年明けに「恐らく年内いっぱいでは……」とも言われていた。
しかし、その新しい余命推測については、正確な結果が知れる詳細診断まで教えてダメだよ、と口止めされてもいたのだ。
悪魔は年内に現れるとほぼ確定しているのに、来年までの寿命が今年いっぱいになったからって、それの何がダメなんだ?
自分の役目は悪魔を殺して、そして最後の半悪魔体として共に死を迎えることだ。十八まで生きられるはずの身体が、十七までになったと言ったところで、大差ないように思える。
とりあえずサードは、彼らの指示に従って『新しい寿命推測』についてはスミラギに黙っている状況だった。悪魔が現れる月食は、今年度内に発生するらしいので計画に支障がないのは事実だけれど、計画進行を担っている本部研究員の指示には、絶対に従わなければならないと教えられている。
それに、ここで悠長に無駄話もしていられないだろう。去年にも増して人員不足だというのに、こうしている間にも、風紀委員室ではリューが一人で、書類の処理を頑張っているところなのだ。
つまりは、ひとまず保健室から撤退したほうがいい。
追及されたりしたら、検診担当の研究者側と教育係の命令の間で板挟みだ。サードは誤魔化すように素早く手を挙げると、スミラギに「じゃあな」と言って背を向けるように踵を返した。
不意に、腹から込み上げる不快感に足が止まった。
内臓と血管が、潰れるような響きが耳の奥で上がる。唐突に強くなった細胞組織の崩壊に、超治癒再生が一時遅れをとったのだと気付いた。
咄嗟に唇を噛みしめて咳を最小限に押し殺したものの、胃から込み上げた血液が口の端を伝うのを感じた。不審に思ったのか、後ろでスミラギが席を立つ気配を感じて、サードはここから一番近い洗面所までの道のりを素早く計算した。
すぐに行動を開始しようとした。しかし、足の筋肉を動かした途端、抑え込んでいた発作が爆発して、サードは背を折って激しく咳込んでいた。
咄嗟に口を手で押さえたが、吐き出した血が指の間からこぼれ落ちそうになった。スミラギが「発作ですか」と眉を顰めて、さっと動きだし、保健室に常備されている白いタオルを口へ押し当ててくる。
外に声が響いても厄介だ。サードは、タオルを両手でしっかりと口に押し付けた。実験の際に痛覚がいじられているため、鈍い痛みしか覚えないものの、苦しさに自然と生理的な涙が浮かんだ。
喉が焼き切れているであろうことを想像しながら、しばらくタオルで咳の音を塞いでいた。徐々に発作が収まり始め、最後は掠れた呼吸音だけが残った。
身体の緊張感が抜けて、サードはその場で腰を下ろした。スミラギが濡れた布巾を寄越してきたので、受け取って口と手についた血液を拭う。胸元を見下ろしてみると、血は制服に掛かっていなかったようで安堵の息がこぼれた。
「サード。発作の間隔はどれくらいですか?」
「ん~……。一日にニ、三回くらいかな」
二ヶ月に一回の割合だった発作は、今年に入ってから、毎日起こるまでに間隔が縮まっていた。
半悪魔体としての力を完全解放すれば、全ての細胞が死に絶えるまで、身体は超治癒再生を続けるようにプログラムされている。――だから、悪魔が現れる月食の日まで、どんなにボロボロの状態になろうとも『最低限生きていればいい』のだ。
サードは幼少の頃、別の実験によって痛覚を半分以上奪われていた。実験に成功しなかった仲間たちが、悪魔細胞による内部破壊に悲鳴を上げて転げ回り、時には激痛でショック死してしまっていた発作も、今や鈍い痛みと不快感と苦しさ程度だ。
サードは、超治癒再生で、喉の炎症が早急に治っていくのを感じ「あ~」と声を出してみた。掠れてはいないので、大丈夫だろうと判断して重い腰を上げる。
寿命が縮まったと告げたわけではない。発作の頻度を教えただけ。そう思いながら、汚れてしまったタオルを申し訳なさそうにしてスミラギに返した。
「面倒かけて、ごめん。それじゃ」
サードは、そのまま保健室を出た。
歩き出してすぐ、以前取り締まった三学年生の大きな男子生徒とバッタリ会い、怯えを露わに廊下の隅に寄られてしまった。別に違反行為をしていなければぶっ飛ばしたりしないのにな、と少しだけ複雑な気分になった。
※※※
風紀委員会室に戻ると、副委員長席に座るリューの他に、応接間のテーブルを四人の部員たちが囲んで、今週末に使う予定の書類作りをしていた。
プライベートで話したことはないが、同学年の二学年生と三学年生である。そう思って見つめていると、気付いたリューが「お疲れ様です」と副委員長の執務席から手を振ってきた。
「勝手なことをしてすみません。最近、委員長眠れていないみたいだし、手伝ってもらった方がいいかなと思いまして……」
夜中に発作で起こされることが増えたからなぁ。風紀の仕事はどうにかなっているのだが、と思いながら、サードは事実を教える訳にもいかず「まぁ、うん」と言葉を考えて言った。
「別に構わねぇよ」
部員たちを勝手に動かされたとしても、学園内での取り締まりに支障が出ないのであればいい。ここ一年でリューもそれを分かって動いてくれているので、サードは一部の判断については彼に任せてもいた。
いずれ自分がいなくなったら、彼が風紀委員長になるかもしれない。そういう事情もあって、全て自分に判断を預けてなくてもいいというスタンスを取っている。
それにしても、仔猫が飼えないのは残念だなぁ……。
委員長席に腰かけ、山積みにされた書類を引き寄せながら、サードは表情に出さず再び思ってしまう。あの木の所で待っていれば、もう一度会えるだろうか?
「委員長、余分な意見書はまだ省いていなくて……」
控えめにリューから声をかけられ、サードは「問題ないさ」と片手を振って答えた。
生徒会と風紀委員会は、それぞれ意見箱を設置しているのだが、風紀委員会に来るのは、ほとんどが風紀委員長個人を名指しした文句の手紙だった。
サリファンは風紀委員長に相応しくない、元奴隷が権力を行使するなんて許せない、罰則が厳しい、恋愛は自由だ……。
そういった批判意見が、風紀委員会の意見箱に毎日、山のように届いていた。意見書はどんな内容だろうと必ずチェックを行い、印鑑を済ませて、その日のうちに理事長に提出するのが義務だった。
風紀委員長確認の仕事は、意見書だけではない。そのためリューが気を利かせて、時間があれば他の部員と共に、出来るだけ先に重要案件とそうでないものを仕分けてくれるようにしていた。
サードは、部員たちが囲むテーブルに、大量に置かれている意見書をチラリと見やった。それから、自分の机に置かれている印鑑だけで済む意見書へと視線を戻した。
こちらの分からとっとと済ませよう。早く終わったら、あとは自分が彼らの分の方にまで、手を回して片付けてしまえばいい。そう思って、まずはその束に手を伸ばした。
「一部の生徒たちの間で、委員長のリコール風が一層強まっているそうです」
手を止めたリューが、サードの横顔を窺いながらそう言った。
サードは手元の作業を続けながら、興味もなく「ふうん」と上の空で相槌を打った。そんな彼を見て、リューは椅子からやや身を乗り出して「委員長」と心配そうな声を上げた。
「気にならないんですか? 委員長、こんなに頑張っているのに」
サードも噂は知っていた。生徒会にも、風紀委員長のリコールに対する意見が届けられているらしい。風紀の名のもとに自由を独裁している奴隷上がりの冷酷無情な風紀委員長、という影口も実際に耳にした。けれど――
そもそも。実際に生徒側からリコールを起こされたとしても、俺としては、これといって何も対策する理由だってないしなぁ。
諜報部からも、現在のところ行動を起こすような指示は受けていない。『サード・サリファン』という生徒設定については、サード自身の意見が一つだって反映されることはないし、こちらとしては風紀委員長に好きで居座っている身でもないので完全放置だ。
「まぁ、アレだ、俺は気にならないな。そもそも風紀委員長を指名するのは理事長で、そこに俺の意見は反映されないし?」
「確かにそうですけど……。秋の報告会で、本格的にリコールされるかもって噂もあるんですよ?」
この学園で、唯一気軽に話せる相手から不安そうな気配を感じて、サードは手元の書面から顔を上げた。
すると他の部員たちも、どこか心配そうにこちらを見ている事に気付いた。相応しい素質や能力があるわけでもなく、動きやすい立場として風紀委員長の役職を与えられているだけであるので、その反応にサードは困ってしまった。
春と秋に、学園では大きな報告会がある。それは毎週行われる全校集会での定例報告会とは違い、理事長と全教師が見守る中、生徒会と風紀委員会、生徒側の三方で意見交換を行う大会議となっていた。
もし、これまで例のない、大規模な『風紀委員長リコール』というものを起こすのであれば、絶好のチャンスともいえるだろう。
けれど自分は、『サード・サリファン』という役割を与えられた、道具の一つにすぎない。悪魔の襲来予定がなかったとしたのなら、本来であれば風紀委員長の席には、別の人間が座っていたはずなのである。
そもそも、その事情がなければ存在していない生徒。
サードはそう考えながら、まぁいいかと気楽になる。リューを含む部員たちの神妙な空気を払うべく、わざと意地の悪い笑みを作って見せた。
「ふうん、リコールね。いいんじゃねぇの? リューが委員長で、他の誰かが副委員長を継ぐ。それで俺が平の部員になって遠慮なく違反者をぶっ飛ばす」
「えぇぇえええええ!? 僕が委員長やるなんて絶対無理ですよッ」
「委員長が平部員とか、有り得ねぇっす!」
「片っぱしから喧嘩しそうなんで、どうか学園の平和のためにも委員長でいてくださいッ」
「あいつらは委員長の良さを分かってないんですよ!」
「委員長がリコールとか、前代未聞じゃないですかッ。冗談でもやめてくださいよ」
リューを含む部員たちが、次々に猛反論してきた。
慕われるほどのことをした覚えもない。それなのに彼らは「委員長をリコールさせるもんか」という勢いのまま書類作業に戻ってしまて、サードはよく分からなくなって放っておくことにした。
「あれ? 委員長、襟のところどうしたんですか? 小さな染みが出来てますけど」
こちらの様子を盗み見たリューが、きょとんとした顔で指を向けてそう言った。
サードは、ネクタイの上の襟を指で辿った。吐血の際にはねてしまったのかもしれない。いつもならしない不注意だな、と反省しつつ
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