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二章 美少女と昼飯と部活について 上

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 翌週の朝、いつも通り拓斗と登校した理樹は、自分が入る教室を間違えたのだろうかと思った。なぜか自分の席の横に椅子を置いて、ちゃっかり座って待機している沙羅の姿があったからだ。

 彼女は少し背をすぼめるようにして華奢な肩を内側に寄せ、俯いたままそわそわとしていた。スカートを挟むように太腿の間に入れられた手が、覗く彼女の白い太腿の柔らかさを伝えている。

 周りの男子生徒たちがそこへ目を向けないよう、露骨に天井を仰いだり机に突っ伏して悶えていた。
 それに気付かない沙羅の鈍さには、心底呆れた。

 いつも通り一緒に登校した拓斗が、チラリとこちらを見た。どうするよ、と目で問われた理樹は「どうするも、行くしかないだろう」と目頭を少し押さえて自分を落ち着けてから、教室内へと足を進めた。

 こちらの存在に気付いた沙羅が、パッと顔を上げて笑みを咲かせた。

「おはようございます、九条君」
「………………」

 クラスメイトから向けられる視線を、ひしひしと感じる。
 自分のクラスのはずなのに、なんて落ち着かない教室なんだ、と理樹は無表情の下で思った。

 一人だけ別クラスの女子生徒が混じっているという違和感が拭えないし、男たちは学年一の小動物系美少女の邪魔をするまいと緊張して口数がない。
 そんな男子に対して、女子生徒たちは「応援しているからねッ」と嫌な方向に進化を遂げて、まるで妹を見守るような熱い視線を沙羅に送っている状況だった。

 拓斗が先に着席する中、理樹は自分の席の、その間横に用意した椅子に座っている彼女を正面から見下ろした。

 そわそわと落ち着かない様子から、前世の付き合いもあって何か用があるらしいとは分かっていた。黙って見つめていると、沙羅がしばらくしてから、ふっくらとした小さな唇をきゅっとして、言うぞと決意したように口を開いた。

「あの、よければ今日、一緒に食堂でお昼ごはんを――」
「俺は弁当派だ。断る」 

 理樹は間髪入れず断った。

 その直後、周りの女子生徒たちから「お昼くらい一緒にしてあげなよ」「せっかく勇気を出して待ってたのに可哀そうよ」と非難の声が上がった。

 つまり、沙羅は昼食に誘うためにこうして待機していたらしい。多分高い確率で、助言したのはうちのクラスメイトの女子だろう。男装の風紀部員である青崎レイとの一件以来、ほとんど全員の女子が沙羅の肩を持っている。

 そういえばこいつのおかげで、クラスメイトの女子に味方はいない状態なんだよな、と理樹は遠い目をした。

「えぇと、その、困らせてしまったのならごめんなさい」

 沙羅が小さな声でそう言って、半分も太腿が覗いたスカートの上に置いた手に、そっと視線を落とした。

 ますます女子生徒たちの視線が痛い。
 そして、可愛いなんて可愛いんだ、と眼差しだけで語ってくるクラスの男子生徒がうざい。

 お前らは女も知らないガキかよ、と同性のクラスメイトに思いかけた理樹は、ふと「……そういや、十六歳はガキだったな」と遅れて思い出した。彼女のせいで、最近は前世の自分で思考してしまうのも、どうにかしたいところだ。

 すると、沙羅が静かに立ち上がった。騒いでいたクラスメイトたちがピタリと私語を止めた中、彼女がこちらへと顔を向けて唐突にこう言った。


「放課後に美味しいケーキのカフェに行きませんか!」


 そう可愛らしい声で叫んだ沙羅が、こちらに手を差し出して、またしても頭をきっちり九十度下げた。

 潔い切り替えというか、ストレートに堂々と放課後の帰りを共にしたい、と提案してくる様子はどこか漢らしい。その様子を正面から見ていた理樹は、本来は男女逆でやるやつだよな、と冷静に分析した。

 そもそもな、クラスの女子たちよ。見ての通り、彼女に擁護の必要はないだろう。
 こいつ、結構精神的にタフだと思うぞ。

 理樹はそう思案しながら「断る」と、ぴしゃりとそう告げた。

             ※※※

「モテる奴なんて滅びればいい」
「…………」

 一年生で一番の小動物系美少女で、最近は妹にしたいナンバーワンの女子生徒、といわれるまでになった桜羽沙羅の昼食の誘いを断ったことで、クラスの女子生徒に非難された。
 そして体育の授業終後、教室で着替えている中で、斜め隣にいた男子生徒がそう不穏なことを呟いたのだ。

 その怨念のような言葉は、こちらに向けられたもののような気がする。

 理樹はズボンの中にシャツを押し込めていた途中、思わずその手を止めて、彼の方を見てしまった。

 席に腰かけて組んだ手を額にあててじっとしているのは、本日の体育を『自称体調不良』で休んだ木島(きじま)だった。男性にしては長い髪をしていて、髪を少し外側にはねさせる髪型に整えている。
 面長で顔は悪くないのだが、モテるためにバンドをやったり音楽やダンスの勉強をしても、一向にモテる気配がないと嘆いている少年だ。

 木島は部活動には所属していないが、友好関係が広く活動的で、校内の音楽サークルなどにもよく足を運んでいた。二学年生と三学年生に、同じ中学出身で仲の良い先輩が何人もいるからだ。校外でもバイト仲間やサークル仲間が複数存在しており、一番忙しい帰宅部生でもあった。

 本日、彼が体育の授業を休んだのは『振られた傷心』が原因である。恋多き男なので、勝手に憧れて数十分足らずで玉砕することもあるというのは、彼を知る同じ中学校出身生徒から聞かされていた。


 木島が、組んだ手を額に押し付けたまま、ゆっくりとこちらを見た。

 知らぬ振りで理樹はシャツをズボンに入れ、ベルトを締めた。椅子に引っかけていたネクタイを手に取り、慣れたようにシャツの襟首に回す。


「チクショー、なんだか様になってやがる……」
「気のせいだ、木島。お前のところの中学もネクタイだったんだろ」

 理樹は、手元のネクタイをしゅるしゅると動かせながら、冷静にそう言った。
 ブレザーを着込みながら拓斗が「おっさん臭いよな」と笑うと、木島が「そうじゃねぇんだよなぁ」と答えて、椅子の背にだらしなくもたれた。

「普段の九条って、上品さの欠片もねぇじゃん? なのに時々さ、言葉使いとかからそういうのが消える瞬間があるっつうか、雰囲気が知的っぽくなるというか。今の台詞も『気のせいじゃね? つかお前んとこもネクタイだろ』ってくらい砕けてるのが、いつもの九条だと思うんだ」

 いつもの俺ってなんだよ、その二つの台詞も特に変わりないだろ。

 ネクタイを締めた理樹は、木島に半眼を向けた。ほとんどの男子生徒が着替えを終えて、女子が戻ってくる前にと、それぞれ体操着を片付けたり次の授業の教科書を出したりと動いている。

「あーあ、目的もなくくつろげる休憩所が欲しいなぁ」

 理樹がブレザーの制服を整え終わったタイミングで、木島がそう言った。

 その時、拓斗がガバリと立ち上がって右手の拳を掲げた。

「よしっ、分かったぞ。『読書兼相談部』を立ち上げる!」
「は……?」

 こいつは、いきなり何を言っているんだろう、と理樹は思った。動いていた他のクラスメイトたちも、同じ疑問を浮かべた表情で拓斗を見つめる。

 男子一同の視線に気付いた拓斗が、「へへっ」と得意げに笑った。

「読書部の方が好きに過ごせると思ったんだけどさ、相談を受けるってのも楽しそうだろ。面白いことなら大歓迎」

 そこで彼は、くるりと木島を振り返って、意気揚々と宣言した。

「つうわけで木島! 部が立ち上がったら『相談しにきました』って一筆くれるだけで、部室内で好きに過ごせるぞ」
「マジかッ、菓子持ちこんでくつろぐわ!」

 木島が素早く反応し、椅子の背から身を離して元気良く挙手した。

 そう簡単に部活の申請が通るわけがないだろう、と理樹は気遣うような目を向けてそう思った。
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