仮想空間に巻き込まれた男装少女は、軍人達と、愛猫との最期の旅をする

百門一新

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7章 それは、偽りの存在~『エル』の想い出、そして~(2)

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「眠りこむつもりなんてなかったんだ」
「大丈夫だよ。支度している間は、寝ていてもらっても平気だからさ」

 スウェンは愛想よく言った後、エルから早々に目を離した。

 なんだか、近づいたと思ったら離れていく人だな。

 エルは、そんな事を思った。血まみれの支柱を境に、スウェンが自分との距離を計りかねているような印象を抱いた。

 きっと彼は、他人との距離を近づけてしまう事に、トラウマでもあるのだろう。それはエルも同じだったので、人の事は言えないよなぁと思いながら、エルはクロエを抱きしめた。

 彼らとは、短い付き合いなのだ。

 頭の良いスウェンが、エルを助けられないと考えている可能性については、エル自身が気付いていた。それは場合によっては仕方のない事で、エルとしても、自分の目的を邪魔するものではないから、強い恐れは覚えていない。

 巻き込まれて、と腹が立つのが普通なのかもしれない。けれど、結果として、クロエとの残された時間が引き延ばされたと思えば、この結末も悪くはないと思えるのだ。欲を言えば、最後の大冒険の後に現実世界に戻り、最期の時まで、クロエとの旅を続けたいとは思うけれど。

 覚悟は、旅を始める前から出来ていた。クロエに害がないのであれば、それでいいのだ。

 仮想空間でエルが死んでしまったとしても、戦って、抗い続けた結果であるならば、エルは後悔しないだろう。それはエル自身の力が及ばなかっただけで、最後まで自分を貫き通して死ねるのなら、悔いはない。

 クロエさえ、無事でいてくれれば。

 もう現実世界で待ってくれている人も、いないのだから。

 けれど、それによってスウェンが罪悪感を抱いてしまう事は、エルとしては避けたくもあった。彼らの任務には、エルを守る義務はないのだ。だから、出会った当初の頃のように、割り切って欲しいなとも思う。

 彼らも、戦場では助けられなかった仲間がいただろうし、多くの犠牲者を見てきたとは思う。目的を念頭に置いて弱者を切り捨てなければ、くぐり抜けられない場面もあっただろう。

 失いたくない人に出会い、大切な人を失った事があるのならば、関わり心を許せば別れが辛くなってしまう事は、エルもよく知っているつもりだった。だから、これまでの旅で親しい人間は一人も作らなかった。

 強がりで負けず嫌いで、とことん損な性分で可愛げがない事は、エル自身も自覚している。

 あの日、クロエを引き取ってくれると申し出てくれた、オジサンの遠い親戚の家族の優しさに甘える事が怖くて、エルは、クロエを連れて逃げ出したのだから。

              ※※※

 支度を整えたあと、エル達はエレベーターに乗り込んだ。

 一階の受付に降りると、そこには誰もいなかった。外は相変わらず夜の光景が広がっていたが、町明かりはなく伽藍としていた。

 建物を出てすぐの場所にセイジがいて、彼はスウェンを見るや否や、首を左右に振って見せた。

「誰もいない。どの建物にも灯りさえついていなかった。まるで廃墟だ」
「この世界のセキュリティが働いたのか、世界設定でイベントが発生したのか――どちらなんだろうねぇ」

 スウェンがそう言って、含み笑いを浮かべた。

 風はピタリと凪いでいた。一つの街灯も灯っておらず、世界は夜の闇に包まれてしまっていて、街の全貌だけが薄暗く浮かび上がっているように見えた。

 路肩に止められた車、まるで先程まで走っていたかのように路上に佇むタクシーと軽自動車、歩道に立てられているバイクには、キーがささったままだった。停まっている車やバイクは、どれも年代が少し古い。

 先程とは違い、建物と乗り物の間に、時代差の違和感が生じているような気がした。

 三人の軍人が話し合っている間に、エルは、ボストンバッグから顔を覗かせたクロエと共に、近場の路上に駐車されていた自動車を観察した。すぐそばの路肩に寄せられている軽自動車は、オジサンの車庫にあった、頭の丸い年代物の車に少し似ていた。

 埃は被っておらず、錆びてもいないが、塗装が色褪せた印象はあった。先程まで都心を歩いていたエルにとって、都会の街並みにそういった乗り物がぽつりぽつりと取り残されている光景には、やはり違和感を覚えた。

 街並みをそのままに、路上に置き捨てられた小道具だけが、一つの時代を戻ってしまったような印象を受けた。軽自動車の中を覗きこむと、内装もオジサンの動かなくなってしまっていた愛車に似ていた。

 オジサンの車は鍵も壊れていて、エルはクロエと、よく忍び込んでは居眠りをした事があった。

「行くぞ」

 ぶっきらぼうに声を掛けられ、エルは振り返った。そこには、相変わらず顰め面をした大男――ログがいた。

「目指す場所は一つだ。そういう設定なら、スタート地点まで問題なく進める」
「そういう設定って?」
「つまり」

 スウェンがログの間から顔を出し、説明役を引き継いだ。

「ゲームでいう『ダンジョン』みたいなものだよ。この仮想空間そのものにはイベント性はないけれど、大事な核――つまり『支柱』だけれど――を守っている建物にだけは、そういった設定が組み込まれている感じかな」
「セキュリティが発動するような設定ってこと?」
「うん、そういう事。前回の遊園地では、僕らは迷路を抜けて『城』に辿り着かなくちゃならなくて、そこでは殺傷人形が動めいていただろう? 世界観に沿って、ゲームのように設定が設けられているって事なのさ」

 恐らくだけれど、とスウェンが薄暗い道路の向こうへと目を向けながら、言葉を続けた。

「科学者の連中が、第四のセキュリティー・エリアに強い問題がないと判断したのは、ここが不完全さをカバーする為に、空間そのものが小さくなっているからだろう。僕が推測するに、ここの『設定』は一本道の先に『スタート地点』があって、僕らは守られている支柱に辿り着くために、セキュリティが起こす『イベント』に巻き込まれるんだろうねぇ」

 ホテルでの黒服の男達の襲撃や、遊園地での人形の襲撃と同じ仕組みだ、とスウェンは語った。

 エルは、半ば納得しつつも、それが全てスウェンの憶測である事を不思議に思った。

「どうして、そんな事が分かるの?」
「いったでしょ、この世界で僕は『歪み』を認識出来るし、解かってしまうものは解かってしまうのだから、しょうがないよ。――まぁ、僕がこの手のゲームをよく知っている事もあるけれど」

 スウェンは、可笑しそうに言った。

「まぁ、僕が支柱の起こす世界について、ちょっとした法則性を見付けてしまったせいもあるかな。つまり、ここは『夢』であり、『記憶』が使われている。それは対象の人間が抱えていた悪夢と相性が良いような気がして、そうすると自ずと予測がついてしまうというか」

 最後は言葉を濁すように、スウェンが視線をそらしながら言葉を切った。

 エルは、スウェンが先程、自分達が少し特殊な人間なのだと語っていた事を思い出した。一種の飛び抜けた勘というか、謎を早々に解いて理解する才能も、極めれば特殊能力になるのだとすると、もしかしたらスウェンの場合は、少ない情報で全体像を掴み、すべてを正確に把握してしまう能力でもあるのかもしれない、とも思えた。
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