仮想空間に巻き込まれた男装少女は、軍人達と、愛猫との最期の旅をする

百門一新

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7章 それは、偽りの存在~『エル』の想い出、そして~(3)

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 これから全員で目指さなければならない場所は、真っ直ぐ伸びる道の先に堂々と聳え立っていた。

 動く物が何もなくなってしまった大通りの先に、行く先を塞ぐように一つの建物が不自然に鎮座している。

 建物までの距離は、随分と離れていた。すっかり夜に溶け込む建物の細長い全貌は、目を凝らしても影のシルエットがぼんやりと浮かぶ程度で、三人の目の先を追わなければ、エルはしばらく、その建物に気付けなかっただろう。

 四人と一匹は、自分たちが向かう先を、数十秒ほど眺めた。

 そこまで真っ直ぐ敷かれた街の道路は、魔王の城に客人を招き入れるかのように、嫌な静けさをまとっていた。目指す建物は、まるで廃墟のように一つの光りも確認出来ない。

「武器は?」

 ログが目も寄越さずに訊いて来たので、エルは、腰の後ろに手をやり、銃の存在を確認した。

「持ってるよ」
「問題なく済むといいが」

 セイジが眉根を寄せつつ、準備運動のように右腕を回した。すると、スウェンが実に爽やかな笑顔を浮かべて、ガチャリと武器の用意を整えた。

「それじゃ、行こうか」

 いつ用意したのか、スウェンがバズーカ砲を後ろ手に背負い「鍵が掛かっている建物だったら、強硬突破だね」と告げたタイミングで、四人は同時に歩き出した。


 幅の広い公道は、寸分の狂いもなく直線に続いていた。左右に佇む建物は、一定の距離を進むと、来た道と同じ街並みが始まる。長いと思っていた通りは、実際のところ、同じ風景を何度も繋ぎ合せただけのお粗末なものだった。

 登場人物のない空間内を、エル達は歩き進んだ。仮想空間を見やったエルが、随分寂しい人だったのかなと呟くと、セイジが困ったように微笑んだ。同じ道を何千回と通っていても、誰の顔も覚えていない人間だっているんだよと、彼は悲しそうに呟き返した。

 殺し合いも、人間同士として認識しないからこそ出来る事なのだと、セイジが遠回しに告げているような気がした。

 同時に、自分の毎日に必死な人間にとっても、誰かを受け入れるほどの余裕はないのだろうとも思えた。エルも、旅に出て多くの人と擦れ違い、言葉を交わす機会もあったが、思い出せる顔は一つもなかった。

 大きな道路の行く道を立ち塞ぐ建物に到着したのは、随分も歩き続けた後だった。暗黒の空に真っ直ぐ伸びる、黒いコンクリート造りの建物の正面は平面形で、まるで大きな壁のようだ。

 それは窓もなければ、階の区切りも分からない建物だった。

 建物の両サイドで中途半端に街並みが途絶えているせいか、奥行を持った建物というよりは、一枚の大きな絵が立てかけられているようにも見えた。建物には、出入り口が一つだけあり、それはハートの形をした装飾造りの黒い扉をしていた。

 その扉の前に、一人の男が腰を降ろして項垂れていた。

 男の背中には、大きく膨れた風呂敷があった。彼は、この風景には似付かない燕尾服を来ており、時々、蝶ネクタイをいじっては、盛大な溜息をこぼしていた。白いシャツと質の良いスーツパンツ、胸元には金色のホテル名が入ったプレートがある。

 エルは、彼が誰であったかを思い出して「あ」と声を上げた。ログが心底嫌な顔をし、スウェンが小首を傾げつつ記憶を辿り、セイジは、自分が起こす行動をすっかり見失って立ち尽くした。

 そんな四人を余所に、ホワイト・ホテルの社員であるホテルマンが、あからさまに胡散臭い嘘泣き顔を上げた。

 建物の扉前で座り込んでいたホテルマンは、視界が見えているのか不明瞭な例の細い目で、まずは三人の印象的な男達を見て小さく眉根を寄せ、それから、エルを見て片方の眉を少し上げた。

「おやおや、こんな所でどうしたのです、小さなお客様。もしや、この男達に手篭めにでもされ――」
「んな訳ねぇだろ」

 ログが、すかさず否定した。

「お前、俺たちの事なんだと思ってんだ? 馬鹿じゃねぇのか」

 エルはログを押しやり、「あの、貴方の方こそ、どうしたんですか」と訊いた。記憶が確かであれば、ホテルマンは、二番目のセキュリティー・エリアにいたエキストラのはずだった。

 ホテルマンは、エルの問いかけを優しさと受け取ったのか、大袈裟にシクシクと声を上げて語り始めた。

「勤めていたホテルが、何者かの襲撃に遭いまして、とても大きな損失が発生してしまったのです。アルバイトやパートの一部を解雇するのは仕方のない事ですが、なぜ……なぜ長年勤めて来た優秀な私を真っ先クビにしたのか、全くもってあのクソ社長の意図が分かりません! いずれ私の手で社長の座から引きずり降ろしてやろうと、毎日毎日、こんなにも身を尽くして勤め、励んで来たというのに!」

 ホテルマンは、どこから取り出したのか、蝶の刺繍が入った貴婦人向けのハンカチを歯で噛み、悔しそうに引っ張った。彼の演技臭い悲しみは止まらず、地面を叩いて咽び泣いた。

 ログが残念な物を見る目で「それが原因なんじゃねぇのかよ」と呟いた。珍しくスウェンが、苦手な物を見る目を寄越し、さりげなくセイジの後ろに回った。

「ちょっと、落ち着こうよ」

 エルは、少し屈んでホテルマンと顔を合わせた。

「そもそも、どうして『ここ』に来られたの?」
「うん? この『町』までは、就職活動という旅をして来たのですが?」

 ホテルマンは、涙ぐみつつも、エルを真っ直ぐ見つめ返してそう答えた。

「時には路上で、バスで、電車で寝る事を強いられながら、かれこれ一ヶ月も放浪の旅なのです。この町ではきっと、と期待していましたが駄目でした……この町には決まりがあり、一日に七時間しか活動してはいけないのだそうです」

 語るホテルマンの身体が、ふるふると震え始めた。

「それ以外の時間を自分の部屋にこもって過ごすなど、一日十三時間労働がすっかり馴染んでしまった私には、絶対不可能ですよぉ! 過酷な労働環境に追いこんで、私を縛り上げて顎でコキ使って罵ってくれなきゃ、この身体はもう満足出来ないのです!」

 ホテルマンは手で顔を覆うと、声だけで「おうおうおう」と再び咽び泣いた。

 ログが腕を組み「危ねぇな」と言う隣で、セイジが「うわぁ……」とぼやいて一歩後退した。

 すると、セイジの後ろで冷静さを取り戻したスウェンが、少し考えて「――夢の住人にとっては『町』という区切りになっているのかな」と口の中で訝しげに呟きつつ、ホテルマンを遠巻きに覗きこんだ。

「君たちにとっての常識が、『外』から来た僕らには少し分からないのだけれども、……君は、『ここ』の事はよく知っているのかな?」
「お客様は、遠い外国からいらしたのですか?」

 ホテルマンが顔を上げ、不思議そうに問い掛けた。

「……えっと、まぁ、そんなところかな。遠いところから来ているから、いろいろな『町』には少し驚かされているというか」

 答えるスウェンの顔には、改めて正面から見てみると、やっぱり胡散臭い顔してるなぁこのエキストラ、という感想が浮かんでいた。
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