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10章 夢人と宿主(4)
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「……そういえば、セイジは女の子に出会ったといっていたけど、何者なんだろうね。エル君にしても、謎なんだよなぁ。材料の一つとして連れて来られたのか、仮想空間の暴走で巻き込まれてしまっただけなのか。――戦闘能力は異常に高いようだけど、軍の関係者ではないという事以外、結局のところ、何一つ分かっていないんだから」
『仮想空間エリス』は未完成であり、現在も崩壊と再生を繰り返している。
必要性があって人間が集められていたと考えられているが、注意して見ていても、エルの周りで妙な動きは起こっていないようだった。ログは、エルに対して何かしら引っ掛かるものがあるらしいが、スウェンが訊いても、気がかりの正体は不明だとしか彼は答えない。
仮想空間の入口は、既に閉ざされており、マルク側で入手できる人間はいない状況だった。
エルが最後の被害者である場合は、マルクが放っておかないとスウェンは推測し、彼を連れる事にしたのだが――現在のところまで、マルクが介入してくる様子はなかった。
マルクが材料の調達を終えて、最終段階に入っているという最悪の可能性もあるけれど。
一体、エリス域はどうなっているのだろう、と疑問ばかりが募る。少ない材料で全てを理解し、謎を解いてしまえる異能を持ったスウェンには、分からない事だらけの現状が歯痒く、心地が悪かった。
長い間、スウェンは、ぼんやりと考えていた。窓から差し込む日差しの位置が、僅かに動いている事に気付いた時、玄関扉の方から物音が聞こえた。どうやら、袋を抱えたセイジが、戻って来た際に壁に袋を擦ってしまったらしい、とスウェンは察した。
物音に気付いて、ログがパチリと目を開けたが、スウェンは起き上がろうとする彼を静かに制した。
「僕が行って来るから、君は少しでも体力を戻しておいた方がいい」
ログは、答えずに目を閉じた。目を閉じた暗闇の向こうで、スウェンがソファから立ち上がり、向こうへと歩いて行く気配を追った。
室内を通り抜ける風が、少しやわらいだ。
ログは気だるい眠気の中で、口の中に残る安っぽいビールの味を思った。一階にカクテル・バーがあるのなら、そちらを試してみる方が気晴らしにはなるだろう。その際に、エルも誘ってみようかと考えて、無意識に彼の口許が緩んだ。ガキだからと馬鹿にしたら、手足を出して反論する彼女の姿が容易に想像出来た。
ログはソファに横たわったまま、玄関辺りでやりとりをする、スウェンとセイジの話し声に耳を傾けた。
しばらくすると、一組分の足音が近づいて来たので、ログは目を開けた。戻って来たスウェンが、テーブルの上に買い物袋を置き、リンゴやパン等を取り出し始めた。
「セイジはどうした」
「浴室に向かわせたよ。先に汗を流した方がいいだろうと思って」
「おい、待て。まだ、あいつが入っていただろ」
嫌な予感を覚え、ログは身体を起こした。
スウェンが眉根を寄せ、「どうしたのさ」と首を傾げた。
「エル君も、そろそろ上がる頃じゃない? それに浴室の中は結構広かったし、ほら、日本の文化で『背中を流し合う』とかあるじゃないか」
その時、浴室からセイジの悲鳴が上がった。少年時代からセイジの面倒を見ていたスウェンにとって、温厚で控えめなセイジが、驚いて声を上げる事とは想定外だった。
ログが舌打ちして、ソファから飛び出した。スウェンが数秒遅れで彼の後を追い、浴室に向かって駆け出す。
「どうしたの、セイジッ」
「無事かッ」
ほぼ同時に、二人は開け放された脱衣所に飛び込んだ。
セイジが浴室の入口に立ち尽くし、一歩後退する姿勢のまま硬直していた。セイジはどうやら、律儀にも風呂に一緒に入っていいか了承を得ようとしていたらしく、衣服は身に着けたままだったので、ログは知らず、安堵の息を吐いていた。
開かれた浴室からは、良い香りのする湯気が溢れていた。浴室の中を見つめたまま、セイジは完全に停止している状態だった。
ログとスウェンは、セイジの視線の先を追って浴室の中に目をやった途端、彼と同じように顔を強張らせてしまった。
芳しい湯気が立ち込める浴室内からは、シャワーの音が響き渡っていた。身体についた泡を洗い流し始めていた華奢な少女の、細く白い肢体が、湯気と泡の間から三人の男の目に飛び込んで来る。
浴室の中にいたエルが、騒ぎに気付いて、細い肩越しに彼らを振り返った。
その顔に浮かぶ表情には、自身の裸体が見られた事に対する羞恥心はなかった。エルは三人の姿を認めると、怪訝そうな表情を浮かべ、真珠のような滑らかな肌に石鹸の泡を残したまま、バスタオルを無造作に身体に巻き付けて、一直線に出入り口までやって来た。
濡れた髪をかき上げ、完全に晒された顔は、紛う事も出来ないほど目鼻立ちの良い少女のものだった。
エルは、三人の前にやって来るなり、大きな瞳で男達を真正面から見据え、花弁のような形の良い唇をへの字に結んだ。
「――あのな。間違って開けたんなら、さっさと閉めろよ。外の空気が入って寒いだろうが」
彼女は、茫然と佇む三人に堂々と言い放つと、ピシャリと扉を閉めた。
セイジが、どうして良いのか分からない様子で、今にも泣きそうな顔をスウェンに向けた。スウェンは状況の整理が頭で追いつかず、困惑気味に頬をかいた。
「えっと……今のって、僕らが悪いの?」
スウェンの横で、ログが大きな溜息を吐き「阿呆が」とぼやいた。
『仮想空間エリス』は未完成であり、現在も崩壊と再生を繰り返している。
必要性があって人間が集められていたと考えられているが、注意して見ていても、エルの周りで妙な動きは起こっていないようだった。ログは、エルに対して何かしら引っ掛かるものがあるらしいが、スウェンが訊いても、気がかりの正体は不明だとしか彼は答えない。
仮想空間の入口は、既に閉ざされており、マルク側で入手できる人間はいない状況だった。
エルが最後の被害者である場合は、マルクが放っておかないとスウェンは推測し、彼を連れる事にしたのだが――現在のところまで、マルクが介入してくる様子はなかった。
マルクが材料の調達を終えて、最終段階に入っているという最悪の可能性もあるけれど。
一体、エリス域はどうなっているのだろう、と疑問ばかりが募る。少ない材料で全てを理解し、謎を解いてしまえる異能を持ったスウェンには、分からない事だらけの現状が歯痒く、心地が悪かった。
長い間、スウェンは、ぼんやりと考えていた。窓から差し込む日差しの位置が、僅かに動いている事に気付いた時、玄関扉の方から物音が聞こえた。どうやら、袋を抱えたセイジが、戻って来た際に壁に袋を擦ってしまったらしい、とスウェンは察した。
物音に気付いて、ログがパチリと目を開けたが、スウェンは起き上がろうとする彼を静かに制した。
「僕が行って来るから、君は少しでも体力を戻しておいた方がいい」
ログは、答えずに目を閉じた。目を閉じた暗闇の向こうで、スウェンがソファから立ち上がり、向こうへと歩いて行く気配を追った。
室内を通り抜ける風が、少しやわらいだ。
ログは気だるい眠気の中で、口の中に残る安っぽいビールの味を思った。一階にカクテル・バーがあるのなら、そちらを試してみる方が気晴らしにはなるだろう。その際に、エルも誘ってみようかと考えて、無意識に彼の口許が緩んだ。ガキだからと馬鹿にしたら、手足を出して反論する彼女の姿が容易に想像出来た。
ログはソファに横たわったまま、玄関辺りでやりとりをする、スウェンとセイジの話し声に耳を傾けた。
しばらくすると、一組分の足音が近づいて来たので、ログは目を開けた。戻って来たスウェンが、テーブルの上に買い物袋を置き、リンゴやパン等を取り出し始めた。
「セイジはどうした」
「浴室に向かわせたよ。先に汗を流した方がいいだろうと思って」
「おい、待て。まだ、あいつが入っていただろ」
嫌な予感を覚え、ログは身体を起こした。
スウェンが眉根を寄せ、「どうしたのさ」と首を傾げた。
「エル君も、そろそろ上がる頃じゃない? それに浴室の中は結構広かったし、ほら、日本の文化で『背中を流し合う』とかあるじゃないか」
その時、浴室からセイジの悲鳴が上がった。少年時代からセイジの面倒を見ていたスウェンにとって、温厚で控えめなセイジが、驚いて声を上げる事とは想定外だった。
ログが舌打ちして、ソファから飛び出した。スウェンが数秒遅れで彼の後を追い、浴室に向かって駆け出す。
「どうしたの、セイジッ」
「無事かッ」
ほぼ同時に、二人は開け放された脱衣所に飛び込んだ。
セイジが浴室の入口に立ち尽くし、一歩後退する姿勢のまま硬直していた。セイジはどうやら、律儀にも風呂に一緒に入っていいか了承を得ようとしていたらしく、衣服は身に着けたままだったので、ログは知らず、安堵の息を吐いていた。
開かれた浴室からは、良い香りのする湯気が溢れていた。浴室の中を見つめたまま、セイジは完全に停止している状態だった。
ログとスウェンは、セイジの視線の先を追って浴室の中に目をやった途端、彼と同じように顔を強張らせてしまった。
芳しい湯気が立ち込める浴室内からは、シャワーの音が響き渡っていた。身体についた泡を洗い流し始めていた華奢な少女の、細く白い肢体が、湯気と泡の間から三人の男の目に飛び込んで来る。
浴室の中にいたエルが、騒ぎに気付いて、細い肩越しに彼らを振り返った。
その顔に浮かぶ表情には、自身の裸体が見られた事に対する羞恥心はなかった。エルは三人の姿を認めると、怪訝そうな表情を浮かべ、真珠のような滑らかな肌に石鹸の泡を残したまま、バスタオルを無造作に身体に巻き付けて、一直線に出入り口までやって来た。
濡れた髪をかき上げ、完全に晒された顔は、紛う事も出来ないほど目鼻立ちの良い少女のものだった。
エルは、三人の前にやって来るなり、大きな瞳で男達を真正面から見据え、花弁のような形の良い唇をへの字に結んだ。
「――あのな。間違って開けたんなら、さっさと閉めろよ。外の空気が入って寒いだろうが」
彼女は、茫然と佇む三人に堂々と言い放つと、ピシャリと扉を閉めた。
セイジが、どうして良いのか分からない様子で、今にも泣きそうな顔をスウェンに向けた。スウェンは状況の整理が頭で追いつかず、困惑気味に頬をかいた。
「えっと……今のって、僕らが悪いの?」
スウェンの横で、ログが大きな溜息を吐き「阿呆が」とぼやいた。
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