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17章 エリスの世界~スウェン~(4)

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 そんなスウェンの思案を眼差しで察したのか、ホテルマンがその視線を横顔に受け止めながら、「そうですね、これはこれで厄介な現象ではあります」と認めるように言った。

「この世界は、予定していた以上に色々と歪み過ぎていますし。――この記録の再生も、厄介ではある」

 ホテルマンの声が、冷気を帯びてスウェンの耳朶を打った。

 スウェンは、剣の切っ先を喉に押し当てられたような殺気を覚えた。スウェンの軍人としての生存本能が、隣にいるホテルマンを危険だと警告し、悪意とも殺意とも取れない濃厚な気配が、押し潰すようにスウェンの身体を圧迫した。

 ホテルマンは、ゆらりと立ち上がると、どこともつかない場所へ目を向けた。僅かに陰る冷酷な横顔が、スウェンには、知らない男のものに見えた。

「予備の蓄えですが、仕方がありません。壊れた記録のループには消えてもらいましょう。そうすれば、我々の『視界』も少しはクリアになるでしょう」

 スウェンが、ホテルマンの足元から闇が滲んだ事を認識した直後、黒い粉塵の嵐が巻き起こった。

 視界は、瞬時に闇へと覆われた。

 多くの悲鳴が濃厚な沼に沈みこんでゆくように小さくなり、次第に何も聞こえなくなる。装甲が砕かれ、圧縮される嫌な破壊音が、くぐもり上がったかと思うと、世界は途端に静寂へと包まれてしまった。


――ああ、やはり、喰える物は何もなかったか。


 闇が冷酷に呟き、舌舐めずりをして嗤ったような気がした。

            ※※※

 ホテルマンが何を行ったのか、正確な事はスウェンには理解出来なかった。

 スウェンが視覚を取り戻した時、そこには荒れた街が伽藍と佇んでいるばかりだった。人の姿は一つもなく、兵器らしき残骸だけが辺りに散らばっていた。

 説明を求めて立ち尽くすホテルマンの背中を見上げたが、彼は、こちらを振り返ってはくれなかった。

「……何も出来ないと言っていた割りには、結構な事をするじゃないか」

 スウェンは強がる声を上げたが、ふと、自身の手が震えている事に気が付いた。

 圧倒的な力の差は恐怖を産む。我ながら情けないと思いつつ、スウェンは立ち上がると、ズボンについた瓦礫を払い退けた。

 ホテルマンが人間ではないという事は認識しているつもりだったが、今更ながら、敵でなくて良かったと思う。

「何をしたのか、君の口から説明してもらってもいいかい?」
「面倒になったので、手っ取り早く『過去の記録』を再生し続けているバグを消しました。後は、あなたが『亡霊』だと認めているイレギュラーな登場人物達が残されている程度でいすが、こちらは勝手に解決しますから」

 あっさりと言ってのけているが、そんな事は普通なら有り得ない。

 とはいえ、現実世界の常識で考えたら、大変な思考の迷路に陥る事になるだろう。スウェンは、目頭を丹念に揉み解して時間を稼ぎ、どうにか自分を落ち着けた。

「――どうして、今まで行動しなかったんだい?」
「先に申しましたでしょう。今の『私』には、何も出来ないのです。期待するだけ損ですよ」
「それは、出来る限りしたくないという事かい?」

 スウェンは疑問を覚えて、そう問いかけた。

 少し前から、ホテルマンから時々感じる畏怖には気付いていたのだが、ログに『夢人』かと問われた彼が、「否」と答えた時から、彼には『力』とやらを行使する事が出来ない理由があるのではないか、とそんな違和感を持っていたのだ。

 ホテルマンを見てきた限り、戦闘能力値はかなり高いだろうと思われた。

 しかし、生物を食うという森で『エリス・プログラム』から妨害行為を受けたと告げた際にも、ホテルマンは、夢世界の住人としての能力は一切見せなかった。エルが木々の檻に閉じ込められた時、まるで人間のように、必死に手を伸ばしていた事を、スウェンは思い出した。

 スウェンは、そこで一つの推測に思い至った。

 これまでのホテルマンとのやりとりが、スウェンの脳裏に次々と思い起こされた。少ない情報が点と点を結び付け、あっという間に一つの憶測を作り上げてしまう。

 そこで気付かされたのは、ホテルマンという男が、必要最小限の嘘以外は口にしていない事実だった。
 
 スウェンは、ホテルマンの顔色を探った。思考も全て把握してしまえるらしいホテルマンは、こちらに顔を向けて静かに待っている。珍しく、どこか困ったように微笑む胡散臭い表情からは、考えを読み取る事は出来なかった。
試されているのだろうか、とスウェンは悩んだ。

 恐らく、こちらの回答を待っているのだろう。スウェンはそう判断すると、自身の憶測を語ってみる事にした。

「僕は君達の事情や立場は上手く分からないけれど、君はログに答えたように『夢人』という存在ではなく、この世界で生きる『何か』なんだろう。僕の考えが正しいとするならば、君は今『夢人』のように行動出来るけれど、目立った行動は起こしてはならないという、何かしらの制限も持っている――ここまでは、だいたい合っているかな?」
「上出来で御座います、『親切なお客様』」

 ホテルマンが、ほくそ笑んだ。

 ホテルマンの嘲笑するような笑みを見て、スウェンは自分の回答が彼の期待通りだったと、ひとまずは安堵に胸を尾と付けた。

 さあ、ようやく答えらしい事が聞けるようだ、とスウェンはホテルマンに耳を傾けた。

「簡単に言ってしまえば、『夢人』と『私』は、反対の存在であると認識された方がよろしいでしょう。まずは『夢人』ですが、創造を担う存在が『夢守』や『表の子』と呼ばれ、創造された質量分の闇を受け持つ存在が『裏の子』と呼ばれています。それらは全て『理』から生み出された役者で、全て『夢人』と称される存在です」

 けれど、それ以上の詳細は必要ないでしょう、とホテルマンが営業用の笑顔を浮かべた。

 スウェンとしても、今必要な情報だけが欲しかった。それらがどういう理屈で存在し、何をしているのかという説明よりも、今関わっているホテルマンの正体が知りたいのだ。何故なら、スウェンの推理では、彼がエルと深く結び付いているからだ。

「ファンタジーみたいな『夢人』という存在に関しては、そのまま受け入れる事にするよ。――それで?」
「『夢人』は、『裏の子』であろうと創造を司る領域の存在に分類されております。彼らは結局のところ『心』から産み落とされた存在であり、個々がある。――簡単にざっくりと申しますと、創造もなかった始まりの闇に、一つの意思が生まれて『裏の子』の領域の底を統べるようになった。その闇の根源が『私』という存在なのです」
「……さっきの能力を見た事も含めると、君は『夢人』以上に厄介な存在、という事でいいのかな」

 さあて、どうでしょうかねぇ、とホテルマンは作り物の顔で呟いた。

 唯一『理』によって創造されなかった、『理』と共に始まりからいた古き存在の化身であるが、何も無い場所から生まれ留まる自分には、他者からの客観的な間奏印象を考えた事もないので、とホテルマンは説く。

「私も『夢人』と同様に、縛りがありますからねぇ。――いいえ、恐らく『夢人』以上に不自由でしょうね。大き過ぎる力の発動には条件があり、『夢人』とは違い、それに見合った分のエネルギーも要る。こちら側に入る際にも、この世界のルールに従って形を用意し、あらゆる者を食べつくさないよう『力』を制限しなければならなかったのです」

 そこで、ホテルマンは言葉を切ると、スウェンを見据えて口角を薄らと引き上げた。

 あちら側の世界の情報開示、または交換にも条件があるのだろうか。そう勘繰りつつも、スウェンは、自分が導き出した答えを絞り出す事にした。
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