仮想空間に巻き込まれた男装少女は、軍人達と、愛猫との最期の旅をする

百門一新

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19章 抗う者達の戦場(8)

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 意識を失い掛けていたエルの目が、途端に見開かれた。開いた少女の双眼は、美しい柘榴を思わせる赤に変わっていた。強い殺気を帯びた冷酷なその瞳が、無感情に大蛇を見やり、表情を失くした顔で冷ややかに睨み付ける。

 殺気で一瞬動く事を忘れたように、大蛇がピタリと動きを止めた。

 すると、エルの眉が深いを示すように、そっと湯せられて、形の良い唇が薄く開かれた。

「そろそろ、『私の主人』を離して頂きましょうか。大変目障りで、不愉快です」

 エルの細い両腕に力がこもった。彼女は赤い瞳で大蛇の身体を見降ろすと、締めつける力に抵抗して隙間を作り、僅かに開いた距離から強靭な蹴りを放った。

 まるで風船が破裂するような呆気なさで、大蛇が腹部を蹴破られて一瞬で事切れた。バラバラに崩れた作り物の肉と骨が、玩具のように弾け飛んで地面に落ちる中、身体が自由になったエルがすぐに体勢を立て直し、一瞬にして跳躍して消失した。

 ログとセイジは、その動きが追えず、一瞬彼女の姿を見失った。二人が気付いた時、エルの身体は、既に別の大蛇の前に躍り出ており、その大蛇の顎下から入れられた彼女の蹴りは、大蛇の巨大な身体を持ち上げてしまうほど強烈だった。

 二頭目の大蛇が地面へ崩れ落ち出すのも見届けず、エルが、両手を使って宙に飛び上がった。

 彼女の漆黒のコートと、柔らかな髪先が、ふわりと宙に広がった。

 後方へと身体を反らせつつ、エルが冷ややかにもみえる冷静な表情で、七メートル上空から地上の様子を確認した。

 上空に飛び上がった小さな標的目掛けて、三頭の大蛇が牙を向けて襲いかかった。エルは立ち向かってくる大蛇に狙いを定めると、眉一つ動かさず空中で臨戦態勢を整え、両手に鋭利に光る銀色のナイフを煌めかせた。

 エルの手から素早く放たれたナイフは、まるで砲弾のような威力で、次々に大蛇の頭の一部を吹き飛ばしながら脳天を貫いた。

 大蛇の巨体が地面に叩きつけられ、大地が振動した。

 空中戦を終えたエルが、崩れた建物の一角に着地した。彼女はコートについた埃を丁寧に払うと、地面に転がる大蛇の群れに侮蔑の眼差しを向けやった。続いて、他の大蛇が一定の距離からこちらを窺っている様子を確認すると、短い息を吐いた後、近くにいたセイジを見降ろした。

「こんな所で油を売っている暇はありませんよ。あの男はアリスを傷つけられないのですから、さっさとあなたが相手をなさい」
「え……?」

 戸惑うセイジの返答を求めず、エルは続いて、赤い瞳をログへと向けた

「アリスの事は一旦私が引き受けますので、彼が相手をしている間に、さっさとプログラムを破壊しに向かって下さい。私は、夢世界の物以外に対しては戦力外ですからね、『愛想のない大きなお客様』」

 そこで、ログが途端に合点がいったという顔をし、エルを指差した。

「『大きなお客様』ってお前ッ、ホテル野郎か! なんでそいつの身体に――」
「いちいち口煩い方ですねぇ。こちらの方が早いと判断したからですよ」

 エルの顔で、ホテルマンが怪訝な表情を作った。ひっそりと寄せられた眉や、胡散臭いように控えめに尖らせられた唇の具合は、ホテルマンそのものだった。

「ほら、貴方達の上司も、ようやく到着されましたよ」

 指摘され、ログとセイジは促されるまま後方へ首を回した。そこには息を切らせたスウェンが、こちらに向かって駆けてくる姿があった。

 現場へと向かうスウェンが、状況を素早く確認するように目を走らせた。彼は、敵に一番近いエルとセイジの姿を認めると、セイジに向かって一つ肯いて、右手で合図を送った。

「了解、スウェン隊長」

 セイジが一つ肯いて、迷いもせず近くにいた大蛇へ向かって駆けた。彼は大蛇の腹を掴んで一気に持ち上げると、勢いよく他の大蛇へ向かって長い巨体を放り投げた。

 近くにすぐ襲いかかって来そうな大蛇がいない事を確認し、セイジは一旦素早く後退した。

 その様子を、瓦礫の一角から無表情に傍観していたエルが、赤い瞳で塔を見据え、顎の下をさすった。

「――なるほど」

 彼女は、思案するように呟くと、手を解いて視線を他上へと戻した。遅れて到着したスウェンが、ログとアリスの元へ合流した事を確認すると、一同に聞こえるよう声を掛ける。

「あの人間は、どうやらプログラムに身体を呑み込まれてしまったようですね。この世界を『夢』に見て、この世界のセキュリティーの一部に意識が同化しているがゆえに、セキュリティー区内を自由に出来る状態であると――ああ、でも、もう限界ですかね? 所詮、人間に夢世界を操ろうなどと無理な事。こちらの世界が正確に認識出来ているかも、怪しいですねぇ」

 エルはそこで、一歩も見動きをしなくなった対地上用戦闘機MR6へ目を向けた。

 片腕を失くした対地上用戦闘機MR6のスピーカーからは、独り言のように、マルクの小さな声が流れ続けていた。

『……彼女の人生をやり直させてやるんだ。私があの時、買い物なんて頼まなければ、彼女は死ぬ事などなかったのだ』
「ただの妄執ですよ。あなたの前に現れたのは、あなたの知っているエリスではなかったのですから」

 憐れですねぇ、とエルが他人事のように胡散臭い口調で告げたが、マルクは『彼女は死んでいなかったんだ』『ここにいて私を頼って来たのだから』と、壊れた人形のように言葉を続けた。

「おや、こちらの声も聞こえなくなってしまいましたか。まぁ、この男が巻き込まれて死んでしまうのであれば、問題もないですし?」

 エルの顔をしたホテルマンが、興味も無くしたように肩をすくめ、労わるように控えめにら身体の動きを確かめ始めた。骨や神経に大きな損傷はないが、切り傷や擦り傷、打撲が数か所出来てしまっているようだ。長時間経てば、それは身体を動かすたびに痛みだすだろう、と冷静に推測する。

 ホテルマンの台詞を耳にしたスウェンが、アリスの無事を確認しつつ、疲弊しきった顔を曇らせた。

「随分冷たい言い方だね。まるで、『生きているのなら助けなければいけないし、それは面倒だから死んでほしい』っていう風に聞こえるよ。エル君の顔で言われると、僕はとても複雑なのだけれど……」

 呼吸も落ち着かぬまま、スウェンが細々と言った。ホテルマンが全速力での疾走を続けたせいで、持久力のないスウェンの身体は、強い休息を要求していた。

 エルの中に入っているホテルマンが、「これは彼女の身体なのですから、しょうがないでしょう。気にしないで下さい」と軽くあしらった。

「『出口』が開き切ってしまう前に、プログラムを破壊してしまわなければいけません。我々は物質世界の物を壊す力はないのですから、そこは『愛想のない大きなお客様』に頑張ってもらわなくては困ります。既に『エリス』は、アリスの手を離れてしまっているのですから、出来るだけ早く――」

 その時、エルが眉根を寄せて顔を上げた。彼女は苦い顔をすると、瞬時にセイジの元へ移動し、彼の襟首を掴まえて後方へ跳躍した。

 それは前触れもない襲撃だった。塔の中央から、突如として光りの刃が降り注ぎ、衛星兵器のように次々と対地上用戦闘機MR6や大蛇、ビルや地面を深く突き刺した。対地上用戦闘機MR6のスピーカーからマルクの深い呻きが上がったが、その音声は、プツリと途切れた。

 エルが、セイジを掴んだまま、スウェン達のいる場所まで移動した。ログにジャケットをかぶせられて何も見えないアリスが、「どうなっているのッ?」とくぐもった声を上げたが、誰も答えられなかった

「……おい、なんだ、あれは」

 しばらくして、ようやく、ログが苦み潰した顔でそう訊いた。

「――『エリス』が目覚めたのですよ。あの男は、あの兵器が受けた痛覚をまともに食らって意識を手放しましたが。ご覧なさい、本物の夢を覆い隠す『人工夢世界』の母体人格、あれが、あなた方が探していた『エリス』ですよ」

 光りの刃が消え去り、大蛇や戦闘兵器が一斉に地面へと崩れ落ちる中、塔の中央に現れた強い光が、強烈な風を巻き起こし全ての粉塵を払い退けた。

 その眩い光りの中には、一つの人影があり、それは少女の姿をしていた。

 十六歳ほどの外見をした少女は、癖のない長い金髪を広げ、翼でもあるように空中に浮遊していた。形の良い胸と、大人び始めた腰のくびれが映える漆黒のドレススカートからは、白い膝が覗き、腰元に結び付けられた大きな赤いリボンが揺れていた。整った小奇麗な顔は眠っているように微笑み、その大きな瞳が、ゆっくりと開かれてゆく。

 エルがセイジから手を離し、ぐっと眉根を寄せた。

「……人工とは、愚かしい」

 彼女の声で、ホテルマンが軽蔑の眼差しでそう呟いた。

 少女の瞳が開き切った時、彼女を包み込んでいた光りが圧縮され、衝撃波のような空気の振動が起こった。一瞬にして風が止み、崩れ落ちていた大蛇や対地上用戦闘機MR6の残骸が、瞬く間に消滅した。

 浮遊したままの少女、地上に佇む一同を見据えた。今のエルと全く同じ、宝石のように輝く真っ赤な瞳には、青紫の淡い光りを放つ瞳孔があり、その鮮やかな色合いは、彼女の白い肌に対象的でひどく際立っていた。

「こんばんは。ねぇ、私の為の『出口』は何処にあるのかしら」

 十六歳ほどの外見をした少女――エリスが、狂った無邪気な笑顔を浮かべた。
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